True Valentine's Day

花series EVENT Valentine


「バレンタインデーが愛の告白の日!?」
大学の学食で一際大声を出した静は、目の前に座る暁に両手で口を塞がれた。いくら賑やかな学食と言えど、大声は響くのだ。
しかも、静が叫んだ内容は今時の小学生でも常識として認識している事だった。
「ビックリするだろ、何?当たり前なことを」
暁が呆れたように言いながら溜め息をつくが、静の頭はパニックだ。感謝とか言ってなかったか?チョコを食べる日ではなかったのか!?
特段、それに疑問も持たずに今日の今日、今の今まで生きて来た静のバレンタインデーの常識が、ガラガラと音を立てて崩れて行った。
だが、問題はそこではない。静は去年、こともあろうか感謝と勘違いして心にチョコを食べさせたのだ。
通りであの甘い物が苦手の男が、黙って食べたわけだ。しかも、静のバレンタインデーの説明のときの唖然とした顔。何もかもが納得がいく。
とんでもない勘違いをしていた静は、心にチョコを振る舞った後に色んな人にチョコを食べてもらおうと、駐車場で作業をしていた成田や橘などにもチョコにつけた果物を食べさせたのだ。
あの時の成田や橘達の尋常ではないほどの拒絶。そこまでチョコが嫌いなのかと思ったが、最後には押しに押されて成田達は渋々チョコを食べた。
だが暁の言うバレンタインデーの意味が事実だとしたら、いや、真実であろうし、それならば静の行動はとんでもない事だし、成田達の拒絶も尤もだ。
「最悪最悪最悪」
「何なの」
「………」
帰りたくない。言いかけた言葉を飲み込む。どこに?と聞かれれば終わりだ。だから隠し事なんて、ろくなことがないのだ。
「ん?じゃあホワイトデーは?」
「はぁ?バレンタインデーのお返しじゃんか。まぁ、バレンタインデーは告白の日、ホワイトデーは返事の日。でもバレンタインデーはチョコを貰うだけなのに、ホワイトデーは宝石だとかコストの大きいものを返さないといけないから、男からしたらありがた迷惑かもね」
にこやかに話す暁とは違い、静は顔面蒼白だ。
なるほど、いつしかホワイトデーの意味を聞いた同級生の女の子の、愛より見返りの意味がここではっきりと意味が分かった。見返りが目的ではなかったが静はバレンタインデーのお返しに、ジャンプを定期購読して貰う権利をゲットした。それは今も続いていて、静の唯一の娯楽だ。
「吉良、どうかしたのか?バレンタインデーなんか、いつもスルーしてたじゃんか」
そりゃそうだ。イベントに興味も関心も無い静は、その意味も知らずに生きて来たのだ。
常識の無い男、デリカシーのない男。まさに静のこれの事だろう。
「あ、俺、教授に呼ばれてるから。またな」
暁がすっと席を立ち、静は”ああ”と力ない返事をして暁を見送った。頭の中のカレンダーを思い浮かべれば、バレンタインデーはもう目前だ。
しっかりバレンタインデーの意味を分かってしまうと、心にあげる事を躊躇してしまう。あの傲岸不遜な男に対して何の感情もないのかと問われれば、そうでは無い。
不器用な男の愛情に答えてしまっている自分も居るし、それを苦痛だとは思わない。だが自分は何処をどう見ても、外見的がいくら中性的であろうが男なのだ。
それがいつまでも素直になれない足枷になってしまっているのも確かだが、性格上、開き直る事も出来ない。
周りの同性よりも中性的な静の中の男としてのプライドは、誰よりも強い。なのに男にチョコを渡すだなんて、女の子のイベントごとと分かってしまうと尚更、躊躇してしまう。
だが去年、心は静を咎める事無く苦手なチョコを、しかも甘さの際立つチョコフォンデュで食した。それがあの男の優しさだというのもよく分かる。
静は暫く考えたのち黙立ち上がると、食堂を後にした。

「今日は遅かったんっすね」
いつもの様に愛車のカイエンで相馬が迎えに来るかと思いきや、迎えに来たのは成田だった。
本当ならば迎えなどは要らないのだが、それを心に言っても聞き入れてくれる訳でもなく、それに大学までの交通費もかかることで静は渋々受け入れていた。
「入れ違いなったかと焦りましたわ」
にっかり笑う成田に思わず静もつられて笑う。作業中だったのか、その服装はスーツではなくつなぎ服で何処から見ても現場作業のヤンチャな兄ちゃんだった。
「成田さん、家にあいつは居ないの?」
「いや、もう帰ってるんちゃいます?今日は何や会社の方でゴタゴタあってとかで俺が若頭の代わりに迎えに来てますけど、崎山が対応しとるみたいやし若頭も帰ってるんちゃいます?」
「そうか」
成田は静の覇気のなさに気が付かぬまま、運転を続ける。今日は成田の愛車のFDではなく崎山のミニクーパーだ。とにかく目立たなさを考えての配慮だった。
流れる様に駐車場に車を滑り込ませ、適当な場所に車を停めると成田は静と共にビルに入る。長身の成田の後ろで静はグッと拳を握りしめた。

「只今、戻りました」
成田がプライベートルームに声をかけて入ると中には心と相馬が居た。心は相変わらずいつもの指定席で寝転がり寛いでいて、相馬は何やら書類の束を片付けていた。タイミング良く、仕事が終わった様だ。
「おかえりなさい、すいませんね。お迎えに行けなくて」
相馬がにっこり微笑みかけるが、静はうんと頷くだけだった。それに心と相馬が違和感を覚え、成田を二人して見る。
その射る様な視線に、成田はきょとんとした。
「へ?」
間の抜けた声をあげる成田に構わず、静は心の前にどかりと座ると鞄を漁り出した。
一体、何がどうしたのか、三人して静の行動に注目する。静はそんな注目に目もくれずに、鞄から封筒を取り出すと心に差し出した。
「何や、これ」
「いいから!受け取れ!」
強い口調で言う静に、中身がなんだろうかと成田までが心の手元の封筒を覗き込む。
心は煙草を銜えたまま、その封筒を覗き込み中身をテーブルに吐き出させた。
「…はぁ?」
心は思わず声を上げた。中には名刺サイズ程の紙の束。その紙の一枚一枚に静の字で何やら書かれている。相馬はその一枚を手に取った。
「肩たたき券」
その読み上げられた言葉に、成田が吹き出た。その瞬間、心の煙草の箱が成田に飛んで来て成田はそれを避けると”すんません!”と叫んだ。
だが笑わずに居れるかこれが!とも思った。これではまるで、敬老の日に孫が送る奉仕カードではないか。
しかも肩たたきというのがまた滑稽だ。この室内で態度こそはどうあれ、年齢が一番若いのは心だ。その心の肩を叩くのか?
「オマエ、ふざけとるんか」
心の額に青筋が浮かぶ。これは怒っても仕方が無い事だと、成田も相馬もやはり心に対して気の毒に思った。
「だって、俺、金ないもん」
「はぁ?」
「14日ってもうすぐじゃんか。去年はまだちょっとバイト代が残ってたけど、今はバイトもしてないしさ」
静は不貞腐れる様に言う。静は心と暮らしてから、心に金を無心したことはない。毎日の昼飯代も、心と知り合う前に働いていたバイト代の残りを切り崩していたのだ。
もともと大多喜組への返済を最優先してきたせいで、そのバイト代の残りというのも知れた額だ。なのでバレンタインデーの意味を知った所で、何かを買う金を捻出出来る訳もなかった。
「14日ってバレンタインデーちゃいますん!?これチョコの代わりちゃいますん!」
意気揚々と成田が言い、それに相馬が納得した様な顔をした。
「だから、こうして何でも券ですか」
「ほんならオマエ、もう少し色気あるやつにしろや。風呂一緒とか」
心がカードを一枚一枚見ながら言えば、静の行儀の良い足がテーブルを蹴飛ばす。ビクリともしないテーブルに、再度、勢いを付けながら蹴飛ばす姿は最早、子供の癇癪の様だ。
「お茶を入れてあげる券…俺はジジィか」
「いいじゃねーか!」
「お金、無いんですか?」
相馬は二人の会話を遮る様に言う。静はそれにハッとした顔を見せて俯くと、小さく頷いた。
「…うん、無い」
至極言い難そうに、静は言った。無い、だけれども心に現金を貰うのはまさに情夫のそれで、絶対に受け入れがたい。
そもそも、静のプライドがそれを許す訳がなかった。
「ほな、バイトしたらええんちゃいますん?」
成田のあっけらかんとした言葉に、心だけでなく相馬までもが鋭い視線を送った。それに成田が慌てて両手を振った。
「いや、ほら、他所の店でとかちゃいますよ?この中で。大学終わってから。何やったら俺の仕事でも手伝うとか。例えば洗車なんですけどね」
「する!!!!!」
例えばと言った話に、静は飛びついた。労働して得れるならば、それが一番だ。
どこかにバイトに行く事は禁じられているが、ビル内に居て、しかもこの部屋だけでなく駐車場にも自由に足を運べる。こんなありがたい話はない。
静のキラキラとした期待の瞳に、相馬は諦めた様に心を見た。
心の不機嫌さは尋常ではないが、こうなってしまった静を止めれないのは心も百も承知だし、ここで無理矢理にダメだと言って臍を曲げられてしまえば、面倒なことになる。
「勝手にせぇ」
折れるしかないと心は投げ捨てる様に言った。相馬はそれにホッとしたが、成田の背筋には冷たいものが走っていた。
ただでさえビル内の組員は静に逢わない様に常日頃から気を揉んでいるのに、バイトを始めてしまえばビル内を静がいつでも闊歩する事になる。
それが成田の提案によるものだと組員が知れば間違いなく袋叩きにされるし、静と二人でいる時間が多くなればなるほど心の成田に対する態度があからさまにキツくなるのも一目瞭然。
後先考えてから物を言えと崎山に痛い程言われていたが、これはまた崎山にも灸を据えられるだろう。成田は人知れず大きな溜め息をついた。

そんな成田や喜び勇む静を他所目に、心は煙草の煙を吐き出しながらバレンタインデーが嫌いになりそうだと思った。
告白と共に貰うはずのチョコを、チョコを食べる日だと組員に振る舞った去年。今年に至っては訳の分からない何でもしてあげる券を貰い、しかも内容が老人並みの奉仕カード。
挙げ句の果てに、静は自由になる時間をゲットという誰のためのバレンタインデーだか分からない日だ。
だが、お金がないからチョコを買えないという言い回しをしていたなら、バイト代を貯めて来年こそは何かくれるのかと、心は来年に微かな期待を持ちつつ、嬉しそうにする静の顔に満足した。