花となれ

花series second1


- 15 -

嘘は得意ではない。
だが、この世界では嘘も生きる為の必需品。伸し上がるためには嘘も方便とばかりに、相手との駆け引きに入れ込まなければいけない。
だが成田は良くも悪くも馬鹿正直な人間だ。なのですぐに見抜かれる程度の嘘しかつけない。
相手を見ながらの駆け引きは苦手で、どちらかというと拳で勝ち進んできた方だ。
静にも嘘がバレたかも…と思ったが、純粋無垢な静は成田を微塵も疑わなかった。
それに少し、胸が痛んだ。

とりあえず、シャワーを浴びて着替えたら行くという静を部屋に残し、成田は部屋を出た。
まさか静がシャワーを浴びて着替えるという、同じ空間に居るわけにはいかない。
そんな事が知れたら、間違いなく心に殺される。その状況を想像し血の気が引く成田のジーンズに捩じ込まれた携帯が、緩やかに振動する。
成田は携帯を取り出すと、相手を確認して通話ボタンを押した。
「お疲れはん」
『お疲れ…今どこ?』
携帯の向こう側の男の聞き慣れた声に、成田はどこかホッとした。通話の相手は、同じ幹部仲間の崎山雅だった。
「まだ組長の部屋の前や。静さん待ってんねん」
『いいね、お前はデートで、俺はその護衛なんだ』
皮肉を込めた言い方に、失笑する。
余程、面白くないのだろうが仕方が無い。命令には絶対服従が、この世界では絶対条件だ。
「いやいや、生きた心地せんやろ。なんぞごとあったら、お前も終わりやぞ」
『ヘマしないでね…。長生きしたいんだ、俺』
戯ける様に言う崎山に、どこか肩の力が抜ける。
正直、静の相手をするのは本意ではない。あの心が、もしかすると最初で最後かもしれない心を動かされた相手だ。
それが男だということは正直、気にはならなかった。恐らく、静の存在を知っている人間は誰もがそうだろう。
男でも女でも、あの若き当主が選んだ相手ならば、どんな人間でも歓迎なのだ。
義務でも忠誠心からでもなく、ただ心のしたいことをさせてやりたい。
心が望むことを叶えてやりたい。心という人間の持つ何かが、組員をそう動かしているのだ。
その静の相手だ。その上、状態が安定してない様な話を聞かされれば誰もが遠慮をしたくなるのは至極、当然だと思う。
これでもしもの事があれば、破門どころか命の保証さえ危ぶまれて来るのだ。
「まあ、とりあえず今日頼むし」
『ふふ、わかってるよ。ボディガードは俺と相川と中澤だから、安全牌だろ…。ああ、車は俺の愛車ね。万が一を考えて、みんな超カジュアル』
「超って言うな。気色の悪い。愛車…ミニ?そないな人数乗るんかよ」
崎山の愛車はBMWミニクーパークラブマン クーパーS。
賑やかな外装はそれこそ目立って仕方が無いが、この車は極道には酷く不似合いで、どちらかというと外装だけは”可愛い”なんて言葉が似合う。 
しかしミニクーパーが数々のラリーで優勝を成し遂げている様に、このクラブマンも1.6リッターの直噴ターボエンジンを搭載なんかしている、やはりミニらしく速い車だ。
小さくて速い車の欠点と言えば、微妙な観音開きのドアがついているというところ。
『ね、とりあえずヘマしないでね』
崎山はそう言うと、成田の返事も待たずに電話を切った。
崎山との付き合いは長い。同じ時期に組員となり、同じ時期に若頭付き舎弟にまで上り詰めた。
だが頭脳明晰な崎山は相馬の右腕になり、フロント企業の役員にまで昇格している。
結果、その功績もあり、同期ではあるが今の役職は成田の上である。
崎山は見た目が中性的で、育ちの良さそうな雰囲気のおかげで極道だと思われることはまずない。
しかし、その見た目とは裏腹にキレるととてつもなく面倒な人間だ。
見た目は頭で動きそうなインテリタイプのくせに、それを物の見事に裏切ってくれる戦闘タイプだ。
もちろん何かあったときに先頭を切るのも崎山だ。その崎山が護衛だから、まだ気を張りつめずに居れそうだ。
成田はその場で軽く身体を捻り、変に力の入った身体を解した。

それから何分か経つ頃、静が部屋から出てきた。
「どっか行きたいとこあります?」
ごく自然に、成田は静に問い掛けた。それに静は目を伏せる。
静はやはり昨日の、明るい静とはまるで別人だった。生気の溢れ出ていた大きな瞳は、影がかかっている様な沈鬱な表情が窺える。
何があったのか、いや、聞くまでもなく眞澄だろうなと成田は思った。
「どこでもいい?」
「え?ああ、どこでも行きたいとこ言うてください」
覇気なく言う静に、成田は微苦笑を浮かべた。
心にこんな静を見せたくない。畏怖している訳ではない。ただ、こんな静を見たら心は酷く慨嘆するだろう。
心は極道の香りを消すために静の大学への登下校時には、組員が皆、息を潜め社内のあちこちに姿を消すように命令を下した。
初めは何事かと理解に苦しんだが、大多喜組になしをつけに行った佐々木に事情を聞いて、納得した。
違法金利に違法取り立て。それに家族を奪われ、幸せを奪われた静の人生。
恥も外聞もない我こそが天下だと言わんばかりの極道に、往来で子供とも呼べる大学生を見るも無残に暴行することも、周りに聞こえるように罵る事も躊躇いなど微塵もない。
その言わば地獄の様な日々を送る静に、その極道の頂点の心が興味を持った。
極道に不信感しかない静からすれば、迷惑な話だろう。だが誰にも興味を持たない男が、この美麗な男に必死なのだ。
それならばお互いが思い合えるように、心以上に部下も必死になる。
これは当然のことなのだ。
「俺…水族館」
「はい?」
「水族館。小学校以来行ってないんだ。あるよね?」
「あ、ありますよ。ほな行きましょう」
水族館など自分こそ小学校以来だと思いながら、成田はふっと笑った。
駐車場に入り、社員専用スペースにある一台の車に向かいキーレスを向ける。高いクラクション音が、屋内に響いた。
「クラクション鳴ったら開くの?」
「ああ、はい。同時に警報機も解除されます」
「便利だね」
成田がロック解除したのは、愛車のRXー7 FD3S。心や相馬の愛車に比べれば足元にも及ばぬ車も、成田にしてみれば1から手を加えた最高級車だ。
だがストレートマフラーが少々爆音すぎて、大きい音が苦手な人間には不向きな車だろう。成田はしまったとばかりに、頭を掻いた。
「あ~これね、ちょっとやかましいんですよ」
「やかましい?」
「ああ、えーっと、うるさい」
「そうなの?」
「車高も低いし…。会社の車にしましょうか?」
「いい、これがいい。すごく、カッコイイ」
そう言って、フッと笑う静に成田は唐突に絶対この人を守ろうと思った。愛情などではなく、心に静は必要だと確信めいたものを持ったのだ。

重低音が地を這う様に鳴り響く。トリプルプレートに替えたクラッチから独特なカラカラという音が聞こえ、スピードメーターの上に並んだ小さなメーター計のデジタルが忙しなく変化を見せる。
その助手席で、静は大きな双眸を一際大きくしていた。
「オモロい?」
「すごい、戦闘機みたい。これ時計?」
「ちゃいますよ。水温計とかブースト計とか…エンジン弄ってるんで、必要なんですわ」
「はぁ…」
言われても、何がなんだかさっぱり分からない。そんな静に成田は笑った。
「静さん、免許はMTで取りました?」
「え?あ、うん」
「運転します?」
「ヤダ…絶対エンストする」
唇を尖らせる静に、成田はプッと笑った。だが、なぜどいつもこいつも運転させたがるのだろうと、静は一人不思議に思った。

平日の水族館はやはり人もまばらで、護衛の崎山達にもちょうどいい按配だ。先程運転中に確認したが、付きすぎず離れすぎず崎山の車がくっついていた。
周りをぐるりと見渡せば、崎山がカニの水槽を眺めていた。自分は静と二人だが、崎山は相川や中澤と男ばかりの水族館。違う意味で悪目立ちしている。
成田はイルカの水槽にへばりつく静を、柔らかな眼差しで見ていた。
少し、表情が明るい気がする。
眞澄が原因であることは相馬のあの時の行動で言わずもがなのことだが、さすがに眞澄の頭に銃口を突きつける姿には肝を冷やした。
だが、あれほどまでに憤慨したということは、それほどのっぴきならない状況だったということだったのだろう。
それも、あの相馬が行動を選択している余地がなかったほどに。
「成田さん、あっち行こう、あっち」
子供の様にはしゃぐ静に急かされて、成田は静の後ろに続く。少しは元気になってきたなと成田は微笑んだ。
グルグルと水槽で踊るように舞うパンダイルカや、愛くるしい姿で観客を魅了するペンギンを静は水槽にへばりついて子供の様に見入っていた。
成田はそんな静を見ながら最近の水族館は昔と違うなぁなんて、最近の生き残りにかけた水族館の内容に感心していた。
ただ飼育をしているだけでなく、展示方法も様々だ。色々なものが発展、進歩しているなか人の目も肥えている。
色々と工夫を凝らさなければ、あっという間に潰れてしまうのだろうなと、どうでもいいことを思っていた。
「成田さん、つまんねぇんじゃない?」
あまり水槽を見ない成田に、静が心配そうに声をかけた。それに成田はハッとした。
「いやいや、そないな事ありません。むっちゃ楽しいです…。いやね、最近は水族館も変わったなぁって、圧倒されたんです」
「そうだよなぁ。これは俺もびっくりした」
水槽の中のパンダイルカが、まるで静に擦りよるように水槽に身体を擦り付けながら泳ぐ。そんなイルカを見て、静はクスクス笑った。
かなり長い時間水族館内に居て、さすがに昼を食べようと成田は静を促した。
まだ見足りないのか、名残惜しそうにする静に再入場出来ますからと諭した。
水族館の隣はマーケットプレスになっていて、中にはファストフード店も軒を連ねていた。さすがに水族館とは別になったそこは、学生やカップルでそこそこの賑わいを見せていた。
「何食べます?」
「うーん、マック…かなぁ」
あまり食欲はなかったが、食べないとなれば成田が心配する。静は手頃なファストフード店を指差した。
「ほな、買いに行きましょう」
静と二人でファストフード店に向かって歩き出すと、成田の肩がすれ違いざま男にぶつかった。
成田はぶつかった男に頭を下げたが、男は咄嗟に成田の胸倉を掴んだ。
「どこ見て歩きよんねん!」
男は低く、それでも五月蠅いくらいの声で、成田を怒鳴りつけた。隣にいた静が、面食らった様に男を見る。
「申し訳ない」
成田は今のスタイルでは極道者には見えないから、こんなチンピラ風情に絡まれたのだろうと思った。
だが、どちらかと言えば長身で体格の良い成田は、あまり絡まれた事はない。顔付きも長年極道の世界に埋まってきたせいか、らしい顔をしている。
妙な違和感を覚えながら、成田は男を見下ろした。成田の胸倉を離さない男は、明らかにチンピラ風情。
水族館には不似合いな、絵の具をまき散らしたようなジャケットに赤のシャツ。それにくわえて今時?と突っ込みたくなるくらい、首には金のネックレスがかけられていた。
同じ様な匂いを嗅ぎ付けて、因縁でもつけてきたのかと成田は嘆息した。
「謝ったら仕舞いかい!」
イントネーションに馴染みがある。同じ関西の人間のようだ。だから関西人はとか言われるんだと思いながら、成田は男を見据えた。
「謝る以外に何かあります?」
あまり事を荒げたくはないが、男のあまりの大声に周りの客は水を打ったように静かだ。
自分は巻き込まれまいと顔を背けつつも、一体どうなるのかと興味は全身でこちらに向いている。
「謝ったでしょ?それで十分じゃないんですか」
成田がどうしようか試行錯誤していると、静がピシャリと男に言い放った。
威圧的な態度に言葉。これ見よがしの風貌。どれも静の忌み嫌うものだ。
嫌悪こそは顔には出さないものの、男の振る舞いに不快感を覚えているようだ。
「ああん?何やワレェ。女みたいな面しやがって」
「この人は関係あらへん。もう勘弁してもらえるか」
静を自分の後ろに隠し、成田は男と向き合った。
おかしい、何かがおかしい。こんな状態で何故、崎山達が現れない?一体、何をしている?
成田は、この状況でなかなか現れない崎山達に苛立ちを覚えた。
「何や、よー見たら可愛らしい顔しとるやんけ、そいつ渡せ」
男が成田を押し退け様とした瞬間、男の身体が物凄い速さで成田から離された。
「道塞いだら、邪魔じゃない…」
勢い余って転がる男の腹に、躊躇い無く足が乗せられる。
「おせぇ」
成田は小さく呟いた。崎山は、やはり涼しげな表情でチンピラを見下ろした。
「逃げろ」
「…は?」
「あっちでも俺らに絡んできた馬鹿な奴が居るんだよね。罠だ…逃げろ」
崎山の逼迫した様子に、成田は静の腕を掴んで走り出した。
「ちょ!成田さん!」
急なことに静が驚いて成田を呼ぶが、構わず駐車場に向かう。平日の人の少ないときで良かった。
駐車場に続く通路には人も居ずに、逃げるには持ってこいだ。だが、刹那、目の前に人影が見え、ぶつかるかと思った瞬間に成田の首が掴まれそのまま倒された。
「ぐはっ!!」
気道が急に塞がれ、息が止まる。ダイナミックに倒された成田に、静が駆け寄ろうとした。
「成田さん!」
その静の身体が、フワリと宙に舞った。
「あ!」
「やっぱり軽いわぁ。ちゃんと飯食うとるん」
「ガバッ…ま、眞澄さ…」
首を押さえたまま成田が身を起こすと、すかさずその身体に蹴りが入れられた。
「や…!やめろ!降ろせ!」
「五月蠅いで、静…。降ろしたるがな」
眞澄は抱えた静を、いとも簡単に降ろした。不自然さは覚えたものの、静はすぐさま成田に駆け寄る。
「大丈夫?」
「かはっ…!!し、静さん、あかん…逃げぇ」
喉を押さえたまま、苦しそうに喋る成田に静はどうしていいか分からずに、成田に縋り付く。
そんな静を成田が必死で背中を押して、”逃げろ”と急かした。
「おま…何すんだよ!」
静は眞澄を睨みつけた。眞澄はそんな静に、満面の笑顔を向ける。
「静、一緒においでぇな…」
「はぁ!?ばっかじゃねーの!行かねぇよ!」
「ほな、成田はうちのんと遊んでもらおうか」
眞澄は壁にもたれて、顎で先ほどから静達を取り囲む男達に合図する。
男達は先ほどのチンピラとは、まるで別格のチンピラとは程遠いものだった。
SPのような屈強な男達。一瞬では極道とは見えない男達は、静を退けと促し成田から引き離した。
そして成田の首根っこを掴み上げ、無理やり立ち上がらした。
「成田さん!!!」
「首は急所やさかいなぁ。さすがに一発目が効いた?」
クスクス笑う眞澄に静が目を向ける。何が可笑しいのか、何が楽しいのか…。
「…やめろ!!やめろよ!やめろよ!」
微動だにせずに、壁に凭れ掛かったまま動かない眞澄に静が声を上げた。
「一緒に来はる?」
「は?」
「一緒に来はるって言うたら、成田は堪忍したるわ」
眞澄がニヤリと笑う。と、静の後ろで鈍い音がした。振り返ると、成田が男達にサウンドバッグよろしく殴られていた。
「やめろ!」
首のダメージが余程酷かったのか、成田は意識朦朧なまま抵抗もなく殴られている。ガードもなく、拳をそのまま身体に受け崩れかかったところを、また殴る。
「成田さん!」
壁に成田の口から飛び出した血が飛び散り、静は眞澄の厚い胸板を叩いた。
「行く!行くから!もうやめろ!!やめさせてくれ!!!」
静の声に眞澄は指を鳴らした。その音に男達はピタリと止まり、中央に居た成田はズルズルと地面に倒れた。