花となれ

花series second1


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「お前いつから男色家なってん。お前がそんなんしたら、また龍大が真似するがな」
龍一は、獰猛な双眸を細めて心を見据えた。
龍大は心を崇拝している。人を惹き付ける魅力があるのは、心の持って生まれたカリスマ性か。
まさかセクシャリティなところまで真似をするとは思えないが、心がそうであれば良しなどと思われれば面倒なことこの上ない。心がどれだけ自由奔放といえども、許せることと許せないことがあるのだ。
「龍大は、こないな事まで真似せん。あれはあれでしっかりしたもん持っとる」
心のああ言えばこう言うのは昔から誰に対してもだが、鬼塚の家に来たときから相馬といつも繰り広げられる舌戦で鍛えられ何事も言い聞かすのは一筋縄ではいかない。
だがこれはいつもの戯れ言の言い合い等ではない。下手をすれば心の命さえ危ぶまれる。
この世界は天下を取れば最後、後は狙われるだけだ。そこへ居続けるためには、リスクの大きい事は切り捨てる事が時には必要となる。
「諦めんか」
龍一は、威丈高に言い放った。
「ああ?」
「鬼塚組の組長たる男が、たかだかイロのこと…。しかも男相手に何を眠たいこと言うてんねん。お前は鬼塚組の代紋背負うとる自覚があらへん。今は若頭は相馬や。せやけど時期に跡目継ぐための人間育てるためにも、身ぃ固める必要がある。お前の親父がお前を何のために育てた思うてんねん」
「組継ぐんが実子なんて、稀な話やろうが」
確かに実子に組を継がせる事は、稀な話でほぼない話だ。権力も親の後ろ盾あってのもの、経済力も親があってのこと。全て親のフォローがなければならないような人間であれば、組を継承することは不可能だ。
心の父親もそもそもはそんなつもりで心を母親から奪った訳ではないようだが、見抜いたのだろう。類い稀なき心のカリスマ性と、何事にも動じない底力を…。
「男のケツ追い掛けるような奴に、誰もついて来んぞ。第一、公になれば足下掬われる」
「大多喜潰したん、あんたの言う“イロ”絡みや言うたらどないする?」
ニヤリと笑う心に、龍一の眉間の皺が深くなり押し黙った。相馬はそんな二人を眺めながら、心に対して心底飽きれていた。
心は直情径行な人間だ。だが、それが通用するのは時と場合による。
強いて言えば、もう少しオブラートに包んで言えと一人思った。

心の肩越しに見えた龍一が、梶原に目で合図を送ったのを敏い相馬は見逃さなかった。刹那、相馬の身体は動き出した梶原を捕らえた。
ガタンという音と共に梶原は相馬に押さえつけられ、畳に身を沈められていた。だがその隣では屈強な龍一の身体が心に馬乗りになり、どこからともなく出されたドスが心の喉元に突き付けられていた。
六十を目前としている龍一の俊敏さには心も相馬も感心したが、今はそんな悠長な事を思っている場合ではない。
「相馬に馬乗りなった時に言われてん。俺に乗られても興奮せんて。確かにそうやわ」
自分に跨がる龍一を見上げながら、場違いな事を心が言う。喉元に突きつけられたドスは緩く喉に食い込み、心の皮膚に少しづつ刃先を埋めていた。
このまま龍一が力を入れてしまえば心の喉から大量の血が噴水のように吹き出し、辺り一面が血の海となるだろう。
だが、心はそれに顔を歪めることも、ましてや恐れをなすこともなかった。
「アホやアホや思うてたけど、こないにアホやとはな」
「大多喜組は、仁流会の島でヤクと女を売り買いしてたボンクラや。ボンクラを潰せ言うて、俺に言うて聞かしたんはあんたや…。何か間違うてるか?」
「そういうんは何て言うんやった?梶原」
相馬の下で身動きを封じられた梶原が相馬の型を外すと、すかさず胸元から黒い塊を出し相馬の腹部に突きつけた。だが下から32口径を突きつけられても、相馬は梶原の片腕を極めたままだった。
眉一つ動かさない相馬に、梶原はやはり食えん男やと一人思った。
「無知蒙昧…ですわ」
「せや無知蒙昧や…。心、何でも物事には通りってのがあるもんやろうが。お前のんは戯言、戯れ言何でもええけど、無利益な話しや。無得心やぞ」
「眞澄は俺に喧嘩売った。ガキでも喧嘩売られたら買うやろ」
「お前、相馬がチャカ向けられてるん分かってんか」
「あれで死ぬなら、そこまでの男や」
心は相馬に目を向ける事なく、龍一を見て口角を上げた。その顔は、まさに独善家の顔だった。
「可哀想になぁ。聞いたか相馬…。相馬、心の首かっ斬ってもええんぞ」
「それで死ぬならそこまでの器。お好きにどうぞ」
言うや否や、相馬が腹部に突きつけられた銃に瞬時に手をかけた。梶原が、あっ、と思う間もなく銃は奪われ、弾倉が畳の上にゴトンと落ちた。
全く手から奪われた感覚がなかった事に梶原は眉を顰めた。
「あらら…どうやったん」
「企業秘密です」
緩やかに笑い、ゆっくりとした鮮やかな手つきで一つ一つ部品が外される。何の工具も使わずに、相馬は迷う事なく部品を外す。
「昔から、何でも構造がどうなっているのか知りたいタイプなんで…」
バラバラと畳に落とされる部品に、梶原は降伏した。
「親父、やから、俺は相馬の相手イヤや言うたんや。コイツと普通にやり合うん御園くらいやし」
降参体勢のまま、チラリと龍一に目をやりながら梶原は言う。
「何を情けないこと言うてんねん。相馬の年考えんか」
龍一は、慨嘆に耐えない様子だ。
確かにそこそこ年の離れている男に情けない事を言っているのは百も承知の梶原だが、相馬 北斗という男は業界内でも有名な奇人だ。
都内一の国立法学部を首席で卒業しておいて、極道になどなる人間は変人以外何者でもない。
極道には見ない、眉目秀麗。なのに心と変わらない酷薄さは身内からも気味悪がられても、仕方がない話だ。
どんな状況でも笑殺するその表情は、常軌を逸しているようにも思える。
何に対しても迷い一つ持たない。人に銃口を向ける時も、引き金を引く時も…。
「どないする?オヤジ。悪いけど俺は退かんで」
龍一の下に居る心は、自分の置かれた状況に戦慄く事もなく言い放った。
心の頑固さは折り紙付きだ。やると言えばやる、揺るぎのない有言実行タイプだ。
出来ないことはないと言わんばかりの自信過剰さはいつか仇になるとは思ったが、心は持ち前の運の良さと肝っ玉で全て乗り越えてきた。
だが恐れを知らぬのは、いずれは失敗のもととなる。極道の世界では失敗は死を意味する。
なので組の下っ端連中の所へ放り込んだ。恐れも勉強だと思ったが、心には恐怖という感覚が死んでいるのか自ずから拳を受けに行った。
そう、心には恐怖という概念が欠落しているのだ。銃口を向けられても喉元に刃先を埋め込まれても、心は恐れをなさない。
龍一はドスを振り翳し、心の顔の際の畳に突き刺した。頬を掠めたのか、心の頬からツーッと血が流れる。
“殺すわけがない”と高をくくっているのか“死ぬ覚悟”が常にあるのか、心は不気味なくらい冷静に龍一を見据えた。
「梶原、鬼頭呼べ」
龍一の言葉に、心は犬歯を見せて笑った。

「眞澄、あんた追い詰められてんで」
自室のベッドで寝転がり、酒を呑む眞澄に御園は言った。機嫌の悪い眞澄は御園を一瞥すると、フンッと鼻を鳴らした。
「静は」
「お薬で眠らしたわ、寝てくれなおうじょうするし。あんたが殴ったん、痣になっとったで可哀想に…」
「あの静の目が気に入らんねん」
眞澄の的を得ていない言葉に、御園は慨嘆した。
静の双眸は腐った人間の奥底の闇ばかり見て来た自分達には、無垢で眩しいくらいだ。それでなくとも静の双眸はその辺に居る人間よりも、精錬で清明だ。
それを気に入らないとの理由で殴りつけるのは、自分の汚れから目を背けているのと同じではないか。
「何が気に入らんねんな。あんた、静を懐柔出来はるってと本気で思ったんか?あへん見えても、大多喜組に堕ちんかった肝の持ち主やで。俺ら極道を死ぬほど恨んどる」
「関係あらへん」
眞澄が言い捨てると、御園は頭を掻いて嘆息した。
この家系は人の意見を聞かないなぁと思いつつ、御園も引き下がるつもりはなかった。
「なぁ、静攫う言うたときも言ったけど、それなりの覚悟ないと負けんで。静攫って勝った気になっとったらあかん。成田まであないな目に遭わせて…。心の逆鱗に触れて生きてる奴はおらんし、あのものぐさな心が本気でキレたことは今までないんやで…。あんた、やったらあかんことやったかもよ」
「やかましい!!!」
眞澄が声を荒らげて、酒の入ったボトルを御園に投げつけた。ボトルは見事に壁にぶち当たり、粉々になって床に散らばった。
「ワレはどっちゃの組の人間や!どいつもこいつも心、心、心て、そへん心が恐ろしいか!」
眞澄がここまで御園に対して、激昂するのは珍しい。だが、その行動は自分が追いつめられている焦りの様にしか御園には見えなかった。
「俺は、何があってもあんたについて行くけど、あんたを心から守れるかは…わからんわ」
「我が身くらい我がで守る」
そう言う眞澄に、御園は何も言わずに部屋を後にした。

眞澄と心の一番の違いは“感情”だ。
熱くなりやすく周りが見えなくなり突っ走ってしまう癖のあるのが眞澄で、あの年齢であの地位を就きながらも常に沈着冷静で、何事にも無関心過ぎるくらい無関心で心奧を見せないのが心だ。
眞澄は感情に素直すぎるし、心は自分の感情さえも欺こうとするところがある。同じ血が流れていても環境からか、そこは全く違う二人だ。
無関心過ぎるのもどうかとは思うが、あの相馬が就いているのだから何ら支障はないだろう。貪欲で傲慢、豪放なのが極道であり眞澄もまさにそれだが、眞澄のそれはあまり功利的ではない。
心を蹴落として鬼頭の名を挙げたい気持ちも分からなくはないが、相手が悪すぎる。眞澄は心を軽く見過ぎている様な、そんな気が否めない…。
御園は端から、静を攫う事については反対だった。だがやはりそこは血か…。
眞澄は心には劣るが、やると言ったらやる有言実行型なのだ。
御園は縁側から中庭を見つめ、一人、ほう…と長嘆した。
心が静に対して執着を持たずに欲しいならくれてやると言ってくれればいいが、成田達を護衛に就かしプライベートルームに囲うほどだ。そんな簡単な訳がない。
「本気で構えなあかんかもなぁ…」
誰も居ない廊下に、御園の声が響いた。

静が目を覚ますと、部屋は暗闇に包まれていた。クラクラする頭を抑え起きあがると、辺りを見回した。
眞澄も御園もどこにもおらず、気配も感じない。部屋の外も静まり返り、虫の音さえも止んでいた。
どうやら、あれからかなりの時間が経ったようだ。
ゆっくり立ち上がり部屋の入り口に近付くと、足の指に何かが当たり目を伏せた。
「…どうして」
足に当たったのは、銀色に妖しく光る携帯だった。
静は携帯を持っていないので明らかに他の誰かの物だ。だが、わざとらしく置かれているそれはあからさまに静の手に取られる事を待ちわびている様だった。
そして罠だと分かっていても、静はそれを手に取ることを止めれなかった。
喉から飛び出そうなほど心臓が鼓動し、吐き気さえ覚えた。
こんなところを見つかれば、何をされるか分からない。思いながらも携帯を離そうとは思わなかった。
静は布団の上に座り、携帯のボタンを押した。明るいディスプレイが光に馴れていない目にキツく突き刺さる。
静は誰の物なのか分からない携帯を操作し、電話帳を開いた。
「これ」
電話帳には建設会社、弁護士、組関係者が名前を連ねていた。組長だの若頭だの物騒な名前の並ぶ携帯は、きっと眞澄か御園の物だろうと安易に察しが付いた。
第一、この部屋に出入りするのも二人しか居ない。なら、どちらが何の目的で?
静は頭を振って、電話帳を検索して目的の名前を探した。眞澄か御園の物であるならば、必ずあるはず。
「…あった!」
ボリュームを抑えたつもりだったが、部屋に声が響き静は思わず口を押さえた。
だが特段、物音は聞こえず息を吐いた。
出てくれるだろうかと思いながら、静はそこへ非通知でダイアルすると布団に潜った。
息が荒くなり、布団の中で酸欠しそうだ。コール音がやけに大きく聞こえて、大音量で流している錯覚に捉われる。
そして何度目かのコールの後、ようやく目的の相手が出た。
『…はい』
久々に耳元に響く懐かしい声に鼓動が跳ね上がる。静はぎゅっと携帯を握って、息を呑んだ。
「……もしもし」
小さく囁くような声を出すと、電話の向こうでザワッと雰囲気が変わったのが分かった。
『静?』
確かめる様な心の声に、静の身体の力が抜けていく。
いつもの様な少し威丈高にものを言うのではなく、らしくないほど甘く感じる心の声。その声に心から安堵して落ち着いた。
そして次第に身体が震えて、喉の奥で詰まるものを静は無理矢理に飲み込んだ。
「…うん」
『今どこや。眞澄んとこやろ。今すぐ行ったる』
「いい…」
『あぁ?』
静の言葉に、心の声が低くなった。
「俺の…、俺が自分の意志で来たんだ。なぁ、成田さんは?」
最後に見た成田は、死んでしまったのではないかと思うくらいに血に塗れ動かなかった。
静が水族館に行きたいと我が儘を言わなければ、成田はあんな目に遭わなかったのだ。
自分の浅慮さが今回のことを招いてしまったのだ。もし成田が死んでしまったら…と、ずっと気がかりだった。
『平気や…簡単に死んだりするほど、やわやない』
「…そう」
心の言葉に安堵した。もし、自分のせいで成田が命を落とすようなことになれば、とてもではないが正気でいられない。
『静…』
「俺…、もう嫌だ。誰かが傷つくのは、もう…」
静の脳裏に父親の変わり果てた姿と、血に塗れた成田の姿が交互に浮かぶ。
もう、嫌だ。気が付くと、静の大きな瞳からホロホロ涙が溢れ落ち、布団を濡らしていた。
『……』
「オマエが来たら、ここで戦争になる。もう…成田さんみたいなの見たくない…。もう、誰かが傷つくのは嫌だ。俺がここに居れば何も起こらないなら、ここに居る」
『…静』
「バイバイ……心」
『静!』
心の声を遮るように携帯を切ると、布団から飛び出て辺りを見渡した。
そして履歴から心への発信記録を消去する。更には、念のためにそれをシーツで拭って指紋を消すと、四つん這いで這っていって元の場所に戻した。
心の声が耳に残って離れない。年下のくせに変に堂々として生意気で、我が儘で傲慢で…。
なのに、あの腕にすっぽり抱き締められたら安心していた自分が居た。