花となれ

花series second1


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京都の町並みに合う昔ながらの屋敷は、貫禄のある趣に厳めしい門構えが際立っていた。
一見すれば歴史のある地主の家屋に見紛う屋敷は、鬼頭組総本部だ。眞澄はその屋敷の広大な中庭の見える居間で、胡座をかいて座っていた。
ここは眞澄の生家でもあるが、普段から分家の屋敷に身を置いているのでどこか居心地の悪さを覚えた。
スッと開いた襖に目をやれば、眞澄の父親の信次が険しい目つきで部屋の中央に居る眞澄を見据えた。
「何や。御園は何処や」
つっけんどんに言いながら居間に入ると、信次は襖を閉めた。
虫の居所でも悪いのか、それとも日頃からの自分の行いに立腹しているのか。
もしくは、何か耳に入ったのか。
眞澄はそれを対して気にもせずに、口の端だけを上げて笑った。
鬼頭組組長と背負っている代紋は立派だが、その貫禄のない信次を眞澄はどこか卑下していた。見てくれも冴えないサラリーマンの様で、自分とは似ても似つかない。
いや、似ずに良かったと心底思えた。そんな眞澄の願いはただ一つ。信次の引退だ。
「眞澄?」
「ああ、御園は野暮用や。今日は榊達借りに来たんや」
榊とは鬼頭組の幹部組員で、眞澄が幼い時から組に居る男だ。鬼頭組の武闘集団を纏める男で、今回、成田を暴行した精鋭部隊の立役者でもあった。
「あんた、ワシの知らんとこで勝手にえらいことしでかしてくれたなぁ」
信次は眞澄の言葉に返事をすることなく、居丈高に言い放つと眞澄の前にどかりと座った。
苛立っている様に見える信次に、眞澄は鼻で笑う。
「心の事か」
「心が今、大阪におるん知っとるか?心は風間のオヤジに、あんたバラす言うてきよってんぞ」
信次の言葉に、眞澄はピクッと身体を動かした。
「…親父、あんたそれ飲んだんか」
「ワシの許可なく動きくさって。せんど心に手ぇ出すな言うたやろ」
眞澄の言葉に信次は睥睨して、吐き捨てる様に言い放った。
許可なくとは言うが、眞澄が心に何かアクションを起こす事を提案したところで、頭ごなしに反対されるのは一目瞭然。分かりきった事だった。
反対されると分かっていて相談するわけがない。眞澄はぐっと拳を握ると畳を殴りつけた。
「親父はいつまで鬼塚の下におるつもりや!心みたいなガキの下で満足なんか!」
眞澄は激昂して立ち上がった。
自分の息子よりも年が下の男に諂い、恥はないのか。それがこの極道の世界のルールかもしれないが、パッと出の心にここまで諂う必要が何処にある。
眞澄は握りしめた拳をブルブル震わせた。
極道の道に入ったのも眞澄の方が何年も先だ。鬼塚清一郎にも目をかけてもらっていた。
それは甥だからということもあったのだろうが…。
だが急に現れた何処でどうして生きて来たのか分からない様な心に、傲岸不遜な態度で居られるのは最早、我慢も限界。
「どあほうが!心に手ぇ出して!あんたは心がただのガキに見えるんか!あれだけの組纏めてるんがなんぼのことか、あんたには分からんのか!御園が付いてんのに、何をしよるんや!!」
「心、心、心、どいつもこいつも何かあったら心や!!そへんに心が恐ろしいか!!」
眞澄の態度に信次も憤激するが、眞澄は苛立った様に我鳴った。その眞澄の様子に、信次は慨嘆した。
「あんたはほんまに何を言うたて無駄やな。心のイロはどこや…風間のオヤジに間入ってもろて、手打ちしてもらわんと。あんた、ほんまにバラされんで。あんたは心の非道さ分からんのか」
「知るか…ガキやんけ、心は」
「どこやって聞いてんねん」
「御園が囲っとる…。榊貸してくれんのか、くれへんのか」
「心に頭下げぇ…。榊は貸さへん」
信次の言葉に、眞澄は奥歯をギリッと鳴らした。
眞澄のしでかした事は、確かに粗忽な事だった。それに信次が両手を広げて歓迎してくれるとは思ってはいなかったものの、まさか、こんな事態になるとは夢にも思わなかった。
これでは、まさに危殆に瀕した状態。
第一、心がここまで動くとは眞澄自身、正直思わなかったのだ。あのものぐさな男が、わざわざ風間組へまで足を運ぶとは…。
眞澄からすれば、あの豪放な男の困った顔が見てみたかった。そして、事によっては心を潰せれば…。
なのに今、潰されそうになっているのは誰か。
「クソ…」
眞澄の嘆きの含んだ呟きは、誰に拾われる事もなく消えて行った。

「若…屋敷の様子が…」
鬼頭組総本部からの帰り、車を運転していた舎弟が前方に見える屋敷の異変に気が付き、ブレーキを踏む。
後部席の眞澄が身を乗り出して屋敷を見れば、確かにおかしい。正面の門は解放され、なのに誰も見張りが居ない。
すると黒のCLS63AMGがゆっくり門から出てきて、眞澄は目を凝らした。
あんな馬鹿高い車種を所有するの男を、眞澄は一人しか知らなかった。
「…さ、崎山っ!」
CLSを颯爽と運転して現れたのは、間違いなく心の舎弟の崎山だった。
崎山 雅は相馬が買っている男で、鬼塚組の舎弟にあの若さで上り詰めただけあって、とても高逸だと評判の良い男だ。
相馬とタイプの似た寡黙な男だが、心奥に秘めたものは冷酷無情…。
崎山は眞澄に気が付くと不気味なくらい艶麗な微笑を浮かべ、去り際にはヒラヒラと手を振った。
「追いますか!?」
運転席の舎弟が眞澄に振り返る。眞澄は奥歯をギリッと噛み締めた。
「どあほうっ!組に戻れ!」
眞澄は未だかつてないほど焦っていた。崎山は相馬の舎弟である一方で、成田の同期だ。
同期で上に上り詰めた二人の仲の良さは、会合で少ししか見かけたことのない眞澄でもよく知っている。
あの崎山の顔は何もかも知っている顔だった。
「心…そうきよったか」
屋敷に車が滑り込むと、眞澄は車が停車する前にドアを開け放ち車を降りた。あとから玉除けの車も流れ込み、次々と組員が車から降り屋敷に傾れ込む。
ドクドクと脈打つ鼓動が早くなり、息苦しさを覚える。それでも何とか身体を動かし玄関の格子戸を乱暴に開け放ち、眞澄は息を呑んだ。
「…っ!!」
あちこちにゴミのように纏められた男達。どれもこれも辛うじて息をしている程度。
成田を襲撃した部隊に関して言えば、最早、虫の息だった。
「…!誰にやられてん!きゅ…救急車、呼ばなあきまへんて!」
「どあほう!そへんな騒ぎにしてどへんすんねん!今、うちがやられとるん全国ネットで流してみぃ!あっちゃこっちゃから襲撃かけられんぞ!」
「あかん!平塚先生呼べ!病院押さえろ!他のもんはどこや!」
「若!奥にも若いもんが!」
屋敷は騒然としていた。若い組員は狼狽え、幹部でさえ狼狽えていた。
鬼塚 心が奇襲をかけてきたと、誰もが思っているのだろう。
それ以外、鬼頭組の、しかも分家の屋敷に奇襲をかける組はない。第一この京都で、この御時世に鬼頭組に奇襲をかけてくるバカな組など皆無なのだ。
「…真山…これ、どないかせぇ…他に漏れんように」
眞澄は隣で立ち尽くす、舎弟の真山に耳打ちした。
若衆は姿なき心の姿に脅え、使い物になりそうにない。頭数はそこそこ居るものの、どれもこれも血の気の引いた顔をしていた。
眞澄より一回り年上の舎弟の真山でさえ、平静を保つのに必死の装いだ。
「真山ぁ!!!!」
叱咤する様に眞澄が声を上げると、真山はビクリと身体を震わせた。
「す、すんません…すぐに…!!」
真山は携帯を手に取ると、若衆達を怒鳴りつけながら奥に消えた。
「クソが…」
眞澄は小さく唸る足元の組員を足蹴にすると、携帯を取り出し屋敷を出た。
携帯を操作しながら中庭に周り、池の横に置かれた竹を編んで造られたベンチに腰を下ろす。
耳元に当てられた携帯が、何度かのコール音が鼓膜に響く。
それさえも苛立って、いかに神経が過敏になっているのか思い知らされた。
「御園か?何処や」
『観光やで、賑やかでかなんわ、あんはんも来はる?団子美味しいで』
御園の声の後ろで、ザワザワと賑やかな声が聞こえる。
こうして眞澄が電話するという事は、緊急の連絡だというのは察しがついてるはずなのに御園は呑気に団子の話だ。
そんな御園に眞澄は腹立つ事もなく、反対に肩の力が抜けた。
「屋敷が襲われた…。崎山や」
『あら、意外と早いねぇ』
この状況を話しても何も変わらない御園の間延びした話し方に、焦慮していた自分が馬鹿に思えた。
そうだ、こうでなければいけないのだ。どんな状況でも沈着冷静でいなければ。
眞澄は深く息を吸い込み、気持ちを落ち着かせた。
「榊も借りれんかった」
『あらら…残念』
「手打ちせぇ言うてきよったわ、親父」
眞澄からすれば最高の屈辱だ。心に頭を下げろというのだ。
眞澄は額に手を当て、瞳を閉じた。
『そう…どへんしはる?あんたの好きなようにしたらええんよ?』
「心を…消したい」
喉の奥から絞り出す様に吐き出した言葉に、御園のいつもの穏やかな顔を思い浮かべる。
別に鬼塚組の下の格付けでも構わなかった。眞澄も心に似て、ものぐさな男だ。
わざわざ内紛を起こそうなどということ、本来ならば考えない男だ。
だが鬼塚組の組長が心であるのならば別だ。
眞澄はどうしても心が自分達の上に居る事が、何故か納得いかなかった。これは恐らく、同族嫌悪だ。
従兄弟という血縁者であり、年も近く、性格も似た者。同じ人間が近くに居て、それが自分よりも高い地位に居て、尚且つ年下。
きっと心の存在事態が眞澄には解せないのだ。
『分かった…。ほな、仲村の遊んでる倉庫で落ち合いまひょ』
御園は眞澄の言葉に反論もせず、やはり状況とは不釣り合いな間延びした言い方でそう言った。

山の奥、整備されていない砂利道を進んでいくと、そこだけ林にぽっかり穴が空いたような空間が現れる。
その空間は、周りの風景とは似つかわしくない鉄板の壁に囲まれていた。
入り口と思わしきところには仲村建設と書かれた看板が掲げられてはいるが、看板は錆び付き今にも落ちそうだった。
鳥の鳴き声が不気味に聞こえ、木々のざわめきも恐ろしく感じるそこ。
ここは鬼頭組が傘下組から会費として献上された土地だった。献上された誘因は分からないが会費替わりに献上されるくらいだ、借金の担保の土地だったのだろう。
入り口から中に入れば広大な更地があり、真ん中に大きな倉庫が建つ。その倉庫の前には何台かの黒の高級車が乱雑に停められていた。
倉庫の中は薄暗く、以前に使われていたのか鉄材やタイヤが転がっていた。
「御園はまだ着かんのか」
もとは事務所として使われていたのだろう、倉庫の中の中二階程度の高さに建てられたプレハブに眞澄と組員が居た。
ソファーやデスクが会社として運営されていた時のそのままの状態で置かれていて、眞澄はそのソファーにドカリと座ると苛立ったように言い放ち、煙草を投げた。
火のついた煙草は埃っぽい床に転がり、側にいた男がそれを爪先で踏み消した。
「嵐山の方におったらしいんで、もう少しかかるかと」
真山がそう言うと、眞澄はチッと舌打ちした。
静を連れて来させて、どうしようというのか。人質に取って、果たして心にそれが利くのか。
自分のものを取られるとキレるのは心の性格からして分かるが、それを弱点としていけるのか。
「外、ちゃんと見張ってるんか」
「はい」
畏怖しているのか、あちこちに神経が飛ぶ。
それが情けなく感じ、眞澄は舌打ちをした。眞澄のその苛立った様子に、周りの舎弟の顔が青くなる。
眞澄に対応出来るのは、組では御園以外に居ないと言っても過言ではない。こうして機嫌が悪くなると手が付けられなくなる。
眞澄を抑えれるのも、御園だけだ。その御園が居ないというのは、舎弟からすれば恐怖以外のなにものでもなかった。
「くそが…」
眞澄は誰に言うわけでもなく呟くと、新しい煙草を銜えた。刹那、下の方で“お疲れ様です!”と組員達の声がした。
「来たか」
眞澄はホッとしたように呟いた。