花となれ

花series second1


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カチンッ!と撃鉄ハンマーが高い音を鳴らして、元に戻る。その高い音に眞澄の身体がビクリと震えたが、その瞬間に身体に激痛も走った。
心から受けたダメージは尋常ではないらしく、時間が経つにつれてあちこちボロボロと崩れて行っているようだった。
どこか骨が折れているのは分かったが、全身が痛む身体はどこが重傷なのか告げる事はしていなかった。
その眞澄の上で心は再び撃鉄ハンマーを落とし、心は引き金を引いた。カチンッ!高い音が響いた。
誰が見ても、心に迷いも恐れもなかった。
極道になるからには、いつでも死と生きろ。若頭に襲名したときに信次が言った言葉だが、それを言われて死と生きている極道は少ない。
確かに寿命の半分は諦めなくてはいけない。常に狙われるという馬鹿馬鹿しいリスクを背負って、やはり馬鹿馬鹿しいと世間では思われがちな極道に身を堕とすのだから。
「なかなか、死神は俺を迎えには来んらしいわ。ほれ」
心は自分の股の下に居る眞澄の胸元に、リボルバーを落とした。
ズシリ、重みのあるリボルバー。これで心を撃ち殺せば、とは思っていても次に弾が出るかどうかは分からないのだ。
たった六発しか入らない弾。六個の穴の、一個にしか入れられていない弾は、心に向けて発射されることはなかった。
心は眞澄に、花を持たすつもりなのか?心に無惨に切り刻まれて死ぬよりも、このロシアンルーレットで死ぬ。自らの手で、自らの運に賭ける博打を打たせる事にしたのか。
気紛れな心の気持ちは、眞澄には分からなかった。
「どないした?やらんかい」
眞澄は、情けないほど震える手でリボルバーを手にした。震えは何だ?恐怖からか痛みからか。
眞澄は自分に馬乗りになる心を見上げた。クツクツと笑う心は、どこかあどけない。
それもそうだ。心は眞澄よりも年下なのだ。そして誰よりも、恐らく今この中に居る者達の中で一番若く、そして一番強く、何よりも一番死を恐れてはいなかった。
眞澄は自ずから顳かみに冷たい銃を突きつけた。
自分で当てているというのに、吐き気が催す。死と直面するというのは、こんなものなのか?
どこか冷静で、自分の今までの人生を走馬灯の様に見れるというのは病気で明日死ぬと分かった人間か、それともやはり死を恐れずに覚悟した人間か。
では自分は死を恐れているのか。
顔を背けようにも、銃を当てた反対側には心が突き刺した刀が光っていた。
ああ、そうか、もう終わりなのかと思って、眞澄は目を閉じた。そして、ゆっくり引き金にかけた指の力を入れていった。
「やめろ!!!」
一際大きな声が、そこに響いた。そして、その声にそれまで状況を楽しんでいた心の顔色が、スッと変わった様に見えた。
「静…」
「そいつを殺すな」
砂埃の中、静が近付いてくる。心はすっかり意気消沈して、眞澄の上から立ち上がった。
「だから…来るなって言ったのに」
「人の言うことには逆らう人間でなぁ」
心はゆっくりと静に近付くと腕を伸ばし、その身体を引き寄せた。久々に嗅ぐ心の香りに、静はどこか安堵した。
「眞澄!」
静の後ろから倒れている眞澄に御園が駆け寄る。力が抜けたのか、眞澄はぐったりとしていた。
御園は眞澄の手から銃を取ると、そのまま眞澄を抱きしめた。
「あなたが言葉だけで止まるの、初めて見ました」
クツクツ笑いながら相馬が現れ、心は眉間に皺を寄せる。
いつもなら大勢で止めに入らなければいけない猛獣が、言葉だけでピタリと止まったのは奇跡に近い。
面白いものを見れたと言わんばかりの相馬に、心はフンッと鼻を鳴らした。そんな心達の元へ、続々と崎山達が仕事を終えて集まって来る。
心はそれに息を吐いた。
「終わりか…。さっき、銃声したなぁ」
「ああ…ちょっと暴発しまして」
相馬がニコリと笑った。
静が倒れた時はまさに血の気が引き、すぐさま相馬の頭には最悪のシナリオが描かれた。
静が撃たれ、死にでもすれば心の暴走は止まることなく走り続けるだろう。
仁流会は崩壊し、野に放たれた猛獣は生の限り暴れ尽くす。だが、それは相馬の中のシナリオで終わった。
現実は、揉み合いになり暴発した銃弾は、壁にめり込んだ。御園の腕だからこそ出来た業だろうが、初めて聞いた銃声と恐ろしいまでに高められた緊張感と恐怖に、静は気を失ったのだ。
静に掠り傷一つなく、安堵したのは相馬と御園だ。
「…静、退いてろ」
心は静を相馬に預けると、倒れた眞澄を座ったまま抱える御園に近付いた。そして、地面に突き刺していた刀を抜いた。
眞澄は御園に抱き締められ気を失っているのだろうか、ビクリとも動かない。
「心!やめろっ!」
静が心に駆け寄ろうとするが、その静の腕を相馬が掴んだ。
「お互いのためです」
「は?何言ってんの?」
「眞澄さんがしたことは、正真正銘の親に対する…即ち鬼塚組への裏切り。同じ会派同士なら尚、質が悪い。手打ちにするにも、それなりの犠牲が必要なんです」
「そんな、嫌だ…」
「極道なんですよ。我々は…」
相馬の言葉に、静の大きな瞳から涙が溢れた。
ごめんなさいでは通用しない世界だというのは、身を持って分かっている。心はその世界の頂点に近い場所に居る男で、その世界にもルールがあるのもわかる。
だが……。
「あんはん、静の前で眞澄斬るんか?」
御園が心を見る事無く、静かに言う。
「…退け、御園」
心が御園の肩を刀で叩いた。だが御園は首を振るだけだった。
「あんたのとこの相馬やないんやし退かへんよ」
「眞澄と心中か?」
「一人残されても暇やないの」
御園は心を見上げた。その顔には覚悟の表れか、それとも御園の持って生まれた強い信念からか、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「……退け、御園」
気を失っていると思われた眞澄が御園の腕を押し退け、御園の身体をグッと押した。御園は頭を振り、眞澄の身体をまた抱き締めた。
「御園」
「あかんえ、そないなん嫌や。あんはん、約束したやないの」
御園は、まるで子供が駄駄を捏ねる様に頭を振って、眞澄の身体に全身で絡み付いて来る。眞澄は、そんな御園を残った力で振り解こうとしていた。
「ん?ああ、そう言えば、お前裏でえげつない事しとるな」
「…何?」
心の言葉に、眞澄は何を言っているのか分からない顔で、心を見上げた。
「お前、舎弟の岡安いうん組から出して、仁木不動産いう会社転がさしてるやろ?」
「な…」
眞澄が驚いた顔をして心を見上げた。
心はそれを見て不敵に笑い、どこか得意げな顔をして眞澄を見下ろす。その顔を見て眞澄は奥歯を噛み締めた。
「そこ、表向きは不動産いうて小さい土地転がして遊んでるみたいやけど、裏でクスリと女転がす海外者と手ぇ組んで手広くしとるってな?」
「…」
心の言葉に眞澄は何も言わなかった。そんな二人の顔を交互に見ながら、御園は頭を振った。
「なんを言うてるん?岡安は自分から組辞めた男やで。岡安が今なんをしたはるかなんて、眞澄になんも関係あれへんやんか」
御園は鼻で笑う様に言った。
実際、御園の知る限り岡安は構成員の時分からも、そんな目立った男ではなかった。
特段、腕っ節の良い男でも頭が切れる男でもない。ただ、口だけは上手かった様な記憶はある。だがそれだけだ。
組を辞めるのもあっさりしたものだったし、それ以降、組に出入りしているなんて話も聞いてはいない。その岡安の名前が何故、心の口から?
「知ってるよな?仁流会はクスリも女も御法度や。それをお前は岡安を隠れ蓑にして、やらかしてた。俺等極道には、国が印籠みたいに掲げる法律なんかクソじゃ。でも忠誠誓ったからには、会の流儀に沿うんが習わしなんくらいは知っとるよな?それで?その程度の小銭で、俺を潰せると思ったんか?俺の上に行きたかった…か?で、お前を誑かした狸はどいつや?」
「ちょお待って。心はんの言うこと、さっぱり分からんわ」
御園は訳の分からないと言わんばかりの顔で、眞澄を見た。眞澄はそんな御園の顔を見て、フッと笑った。
「何の話かさっぱり分からん」
眞澄はゆっくり上体を起こして、口の中の血を土の中に吐き出した。
視界が霞む。 身体の痛みが遠のくのも、ある意味問題だなと眞澄は危惧した。
「これを調べ上げたんは崎山や。崎山の事、オマエはあんまり知らんやろうけど、頭なら相馬と大差あらへん。崎山が言うには、お前だけでは外部とのコネクションが取られへんって言うねん。その他所者が案外デカイらしいな。船に女積んで、どんどんピストンで来るほどの勢力らしいやんけ。で、止める術をオマエは知らんかった。何で御園に話通さんかった?静の事も、その狸の入れ知恵か?お前が俺を嫌ってるんは、有名な話やしな」
心の口から信じがたい話が並べられ、御園は憤激した。
「さっきから、勝手なこと言わんといて!」
御園が噛み付く様に言えば、心はクツクツ笑った。
「眞澄も黙ってへんで、何とか言い!眞澄…?」
御園は、眞澄の表情に訝った。
眞澄は御園の顔を見ようともせず、ただ心を見つめているだけだった。
「相馬みたいに使えば御園もええ仕事すんのに、お前は御園をあんまり仕事に使わんかった。使いたくなかったんや。惚れたからには、汚い仕事さしたないってか?」
「お前に…何が、分かる」
眞澄は絞り出す様に言うと、顔を背けた。そんな眞澄に心は呆れた様な顔を見せた。
「分からんわ、興味もあらへん。ただ、好きやったら好き言うたらええねん、ヘタレが。第一、お前、これがオヤジの耳に入れば、確実に鬼頭は沈むぞ」
「!!!」
眞澄が愕然する。心は、そんな眞澄をせせら笑った。
「当たり前やろ。京都には、鬼頭の他に組はいくらでもある。ましてヤクに手ぇ出したお前みたいな裏切り者、殺してもかまわん話や。今の法律は俺等には不便や。下のクソがやったことすら、俺等大将の責任や。だからお前はいつまでも若頭で、お前の親父はいつまでも引退出来んねん」
「何やと」
「お前に鬼頭の代紋預かる器量あらへん。それに、裏で他所者と繋がる伝も持ってない。そんな人脈あらへんねん。若頭の地位で胡座かいてたからや。もちろん、静の事もや。あの日、成田と静が動く情報も、お前に探り出せる訳もない。お前にリークしてるタヌキは誰や、眞澄」
「……」
眞澄はグッと唇を噛み締め、顔を顰めた。
その顔は逼迫していて、そんな眞澄の様子に御園は懐疑心を持った。
「眞澄…?」
震える御園の声。
御園 斎門は非情な男だと聞いた事があるが、惚れた相手の前では一人の男かと心は思った。
首を回して空を見上げる。夕陽が、空をオレンジに染めていてた。
どこか懐かしさを覚えながら、心は肩を竦めた。
「タヌキに肩入れするんは勝手やけどな、お前もム所入って何年か臭い飯食うたらええねん。お前は極道じゃあ甘ちゃんや。そのままでええなら、甘ちゃんのままでかまへんけどな。でもなぁ…出て来た時には、鬼頭はあるかどうか…。御園もどうなってるやろな?売り飛ばされてたりしてな。何やったら、俺がええ店紹介したるわ」
御園の名前に、眞澄がビクッと身体を震わした。怒りの滲み出した顔で心を下から睨み付ければ、心は口角を上げてニヤリと笑った。
「何?心はんの言うてること、ほんまなん?眞澄?どういう事や」
御園は誰の目から見ても混乱しているようだった。本当に御園は眞澄に何も聞かされていた無かった様だ。
まさか眞澄がそんな浅慮な事をしているだなんて、夢にも思っていなかったのだろう。
「タヌキの正体を言うても、わしはムショや。そないなれば親父もや。親父がそないなる前に風間のオヤジはうちを切る、どっちゃにしても同じや」
「そうならんために、動いたる言うてんねん」
「は…?」
心の耳を疑う様な言葉に、眞澄は瞠目した。
ことあるごとに角突き合わせている眞澄のために、心が動くというのか?心の俄に信じがたい言葉に、眞澄は思い迷った様子を見せた。
「俺はな、売られた喧嘩は買うけど、人の影でコソコソしよるんが一番嫌いじゃ。そいつ引きずり出して、誰に喧嘩売ったか思い知らさんとあかん。そいつに全部被らすんも容易い事や、なぁ、北斗」
「相馬です」
相馬が、心の後ろで短く嘆息した。
「フンッ。で、タヌキを吐くか庇うか?リスクでかいんはどっちや?」
威厳に満ちた態度で、心は眞澄に問う。すると眞澄は観念したように、ほうっと息を吐いた。
「…来生や」
「眞澄!?」
眞澄の言葉に御園は声を荒げた。縋り付く様に眞澄の服を掴むが、眞澄は御園を見る事はなかった。
「ククッ…相馬、ビンゴや」
来生の名前を聞いた心は、喉を鳴らして笑うと相馬にそう言った。
相馬はそれを流す様に見ると、何か考える様な顔を見せた。
「目星ついとったんか」
何もかもお見通しだったのかと、眞澄は自嘲した。