花となれ

花series second1


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「そう、だったのか」
雨宮がどうして初めっからボディーガードだったのか。ところどころはしょって話した内容に、静は驚いた顔を見せた。
「ま、彪鷹さんが出てきたのは、想定外だけどな」
雨宮はどこか苦々しい顔をして、言い放った。
あんなのが出てくるなら、それなりに構えてたのに。そう言いたそうな顔だ。
「た、鷹千穗」
「は?」
「鷹千穗って?心がアヤさんに言ってた」
どこでその名前を?と聞きかけて、ああ、そう言えば心が言ってたなと思い出す。
雨宮にとっても、いや、裏鬼塚の誰にとってもあまり歓迎出来ない名前だ。
実際、彪鷹ですら鷹千穗の名前を聞いても、嬉しそうな顔なんて全くしなかった。どちらかと言うと、困惑した顔。
だが鷹千穗を知っている雨宮からすれば、納得出来ることだった。あんな狂犬、というか野獣?夜叉?あれが待ってると言われても。
どこか考え込む雨宮に、静は首を傾げた。
「あー。俺の仲間。彪鷹さんの弟…らしい」
「そうなの?」
「そうなの。ま、俺も聞いたばっかでよく知らねぇわ」
本当に”彪鷹の弟”っていうのを、聞いたばかりだから真相は知らない。
彪鷹に鷹千穗を知っているのかと尋ねたときに、弟と言われてひっくり返りそうになった。
いや、その真偽は不明だが、というか嘘だろという方が先に出ているがあまり首を突っ込むと後々に面倒になりそうなので深く追及することは控えた。
「そっか。あの、俺、どこに行けばいいの?」
雨宮に聞くのも見当違いなような気もしたが、静からすれば誰でもいいから教えてくれと言いたかった。
妹も母親も居場所がある。だが静は心に突き放され、今、どこへ行けば良いのか、居場所がないのは自分だけ。そんな気がした。
追い出され、拐われ、連れ戻され。また追い出されるくらいなら、自分から出ていきたかった。
「お前はどうしたいの?」
「え?」
「俺はなぁ、正式な鬼塚組の組員じゃねぇから、組長に忠誠してるわけじゃない。まして、命までも狙う人間だ。だからお前が組長と居たくないって言うんなら、連れ出してやれないことはない」
彪鷹にも言われた言葉。受け付けないのであれば、引き取ってやる。
嫌って何だろう?嫌なんだろうか?
そりゃ、あんな傲岸不遜な男、何て奴だ!と何度も思った。
でも、本当に離れて…。離れて、忘れられるのだろうか?
「松岡…」
「雨宮」
訂正されて、うっとなる。
「松岡ってずっと呼んでたんだもん」
静は不貞腐れた様な顔を見せた。
”松岡”と名乗ったのは雨宮で、例え短い期間であったとしても静にとっては雨宮は”松岡”だ。
静を騙すために嘘をついたくせに、それ違うから!みたいな訂正をされても素直に受け止められない。
初めに嘘をついたのは、そっちだろう?と捻くれた思いさえ沸き起こる。
「或人でもいい」
唇を尖らす静に笑って、雨宮がそう提案する。
そうだ、あると。音色だけは柔らかく、何だか可愛らしいなと思って静は少し笑った。
「変わった名前。あると。有に人?平仮名?」
「平仮名なわけあるか、或ところにの或だ」
雨宮は空に文字を書く。それを目で追いながら、静は“ああ…”と納得したように頷いた。
「さてと、飯食うか。とりあえず時間はたっぷりあるんだから、自分の居場所は自分で考えな。お前も分かってんだろ」
「…オムライス」
雨宮の言葉に返事をするように、静は呟いた。それに雨宮は“マジか!”と驚嘆した。

特段、何かをするわけでもなく日付が変わろうとする頃、心がくたびれ感いっぱいで帰ってきた。
部屋に入った瞬間に、ジャケットを脱いでスラックスからベルトを取り外す。
それをきちんとどこかに仕舞う訳でも、置くわけでもない。歩きながら床に脱ぎ捨てて行く。まるでヘンゼルとグレーテルのパンくずだ。
「おいおい」
静が呆れて、それを拾いながら後ろを追いかける。
そんな静に目もくれず、心はいつもの様にいつもの定位置のソファにまっしぐら。
そして辿り着いた瞬間に、ゴロンと転がり風船の空気が抜ける様な息を吐いた。
「…疲れてんな」
あまりの困憊ぶりに声をかけると、ソファに寝転がった心が空を睨んだ。
あ、機嫌もよろしくないのねと思いつつ、心の向かいに腰を下ろす。
「あのクソオヤジ」
空を睨んだまま、憤懣をぶつける。これはかなりご立腹のようだ。
その要因となったクソオヤジというのは、やはり…。
「…アヤさん?」
首を傾げると同時に、奥から雨宮が帰り支度をして現れた。
え?この面倒な状態の男と自分を残して帰っちゃうの?
そんな静の縋り付く様な視線を無視して、雨宮は無情な言葉を発する。
「じゃあ、俺はこれで」
「雨宮ぁ、鷹千穗に逢った?」
出た、鷹千穗。チラリ、雨宮を見れば雨宮は少し考え、頷く。
「確か…先月」
「状態は?」
「状態って。彪鷹さんのこと、言ってないんですか?」
「言うたらどないなる?」
「さぁ…。兄弟の感動的な再会?」
「なるわけがないでしょ」
二人にピシャリと言うように、部屋に入ってきた相馬が言った。
またこっちも疲れてるなと、静は相馬を見上げる。
「ったく、聞き分けのない子供が増えたのと同じですよ、あれじゃあ」
苛立たしさを隠さぬまま言いながら、相馬が空いているソファに腰を下ろした。
心以上に疲労困憊している様子の相馬は、大きく嘆息してソファの背凭れに背を預ける。こんな相馬を見るのは初めてだなと、静は少し驚く。
だがモルトを餌に彪鷹に戻る様に促したのは、相馬ではなかったか?
しかし博学広才の相馬をもってしても、やはりこの偽親子、一筋縄ではいかないようだ。
「あんな粛々としたところで、あろうことか親子喧嘩。梶原さんだったから良かったものの、風間組長が相手だったら、どうするつもりですか?」
「彪鷹に言えや。アイツがアホみたいに嫌嫌言うからやろうが」
「そりゃ、今まで糸の切れた凧みたいにふらふらしてたんだから、今さらそれを縛るなんて、無理な算段でしょ」
酷い言われようだ。そう言いながらも組に戻そうとするのは、彪鷹がそれだけ組に必要だということなんだろうか?
どちらにしても静は組の人間ではないので余計な口出しは無用だなと、二人の会話を大人しく聞いていた。
「鷹千穗に逢わしたらええ」
「これ以上、厄介ごとはごめんです」
「とにかく、あとは臨時会合開いて彪鷹の御披露目会や」
心はまるで投げ出す様に言うと、目を閉じた。
「あの、アヤさんは?」
やいやい言い合うのは良いが、当の本人はどこだ?
静の素朴な疑問に相馬がにっこり微笑んだ。
「彪鷹さんは、梶原さんがご機嫌取りにね。梶原さんも好きですからね、お酒。2人ともモルトが好きなんですよ」
ああ、なるほど。言われてcachetteに居たときに彪鷹に教わったモルトが頭に次々浮かぶ。
何だかんだと飲めないながら教わるモルト講座は、それなりに楽しかった。
チラリ、心を見れば煙草を持ったままうつらうつらしている。
余程、疲労困憊しているのだろうか。それに気が付いた雨宮が、心の指の間に嵌った煙草を取って灰皿に押し潰した。
「普段、あまり表に出ないから、疲れたんでしょう。かなり機嫌も悪かったし、彪鷹さん相手で勝手もなかなか利かないし」
心のそんな様子を見てそう言って、相馬は嘆息した。
普段、外出しないから疲れたって…。子供か?
何だか、可笑しなことを当たり前のように言う相馬が面白い。
「継承式かなんかするんすか?」
「しないと思うよ。彪鷹さんも肩書きは若頭だけどね」
「若頭が二人?」
雨宮との会話に静が首を傾げると、相馬はフフッと笑った。
「若頭を二人や三人持つ組は多いんですよ。若頭それぞれまた別に組を抱えて、その組の組長をしながら大本の役員に就くのが主流ですね」
極道の主流てなんですか…。思いながら、ふーんと頷く。
えらく対照的な若頭…。いや、というよりは相馬がただ大変になっただけなんじゃないか?
今まで心一人に手を焼いていたが、これからは血縁関係がない方が疑わしい彪鷹も居るのだ。気苦労は計り知れないのでは…。
「相馬さん、大変だね」
思わず言葉に出してしまった静は、慌てて口を噤んだ。それに相馬が笑う。
「ものは使いようですよ」
花を散りばめんばかりの笑顔で言われ、静ばかりか雨宮までが顔を強張らせた。
さすがというか…なんというか… 。
「じゃあ、今日はこれで。雨宮ももういいよ」
相馬が言うと、雨宮は頭を下げ静に声に出さず“またな”と言って部屋を出ていった。
「では、お疲れ様です」
「あ、はい。お疲れ様です」
その雨宮を追うように相馬が部屋を出て、ハッと気がつく。どうすんだ、これ。
ソファで転がる馬鹿デカイ置物。スヤスヤ気持ち良さそうに寝て、起きる気配は皆無。
このまま捨て置いていいですか?と思いながら、とりあえず風邪なんか引きそうにないけど、まさかまさかの事態になると困るので、ベッドから掛け布団を持ち出し心に掛ける。
そのまま傍らにしゃがみ込み、顔を覗き込むがやはり起きる気配はない。
力強い眉に、彫り深い顔。意外に睫毛が長いことに驚く。寝顔は案外、幼いなと眺めていると唐突に心の腕が静を捕らえた。
「うわっ!!」
首にぐるり、蛇の様に腕が巻き付く。
「人の寝顔ジロジロ見んな」
「起きてたのかよっ!卑怯者っ」
何が卑怯?と思いながらも、静は心の腕から逃れようと暴れる。
だがやはり、心の鍛え上げられた腕から逃れれる訳もなく、静は諦めて心の胸に頭を置いた。
「お前、本当に最低」
言ってみて、最低ってなんだっけ?なんて思う。
確かに性格は最低。年下で恨み忌み嫌う極道で、しかも組長で、どうしようもない俺様。
だけれども実際は心に何か”最低”なことはされてはいない。
暴力団とも呼ばれる世界に生きる心だが、一度も心に暴力を振るわれた事はない。
静が傷つき、絶望に苛まれるようなことは何もされていないのだ。
「…静」
心は静の名を慈しむ様に呼ぶと、静の身体をグッと抱き上げ自分の上に転がす。
いくらサイズの大きなソファと言えど、男二人が乗れば革が大きな音で鳴いた。
「おいっ」
上体を起こし抗議の声をあげた唇を、心のそれが軽く吸う。
「疲れたから、文句は明日」
フッと柔らかく笑われ、心は静の後頭部に手を回すと軽く力を入れた。静はそれに促されるまま、心の肩口に頭を置いて目を閉じた。
血液の流れる音と心臓の鼓動が心地良い。静はそれを聞きながら、夢に堕ちた。