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目的地の駅で降りて、ぐるりと辺りを見渡す。
初めて足を踏み入れた土地だなと思いながら、で?どこに行くの?と隣の心を見上げた。
「あんまり、ここは変わらんのやな」
「来たことあるの?」
「まぁな…」
言って、スタスタ歩く心を追いかける。
え?で、どこに行くの?
住宅街は、どこからどこまでが一軒か分からないような門と塀とが並び、たまに見える家は途方もなく大きい。
日本家屋の多い町並み。それは、京都の眞澄の家に似た物も多かった。
閑静な住宅街は車も行き交わず、本当に同じ都市かと疑わしいほど静かだ。まるで迷い込んだ子供のように、きょろきょろ。
ちょっと、もしかして不審者っぽい!?と思って前を歩く心の背中を見る。
その肝心の心は一応は目的地があるようで、迷いなくスタスタ歩くが…。
「お、おいっ!どこ行くんだよ」
何だか不安に苛まれた静は思わず、心の背中に問いかけた。
コミュニケーション能力に欠けた男は、何事も唐突で何に置いても説明がない。分かってはいるけど、さすがに知らない土地に心と二人で居るのは焦る。相手が心なだけに余計だ。
ぐんっと心のシャツを引っ張ると、心が前方を指差した。
此処まで来たなかで一番大きく立派な門構え。今にも開いて殿様が登場しそうなそれに、静は息を飲んだ。
お前は俺を何処に連れてきてくれちゃったの?そんな文句を言おうにも、その門の迫力に圧倒される。
まさか、何々組の何とか会とかじゃねーだろうな!と一抹の不安が頭を過ぎる。
「ちょっと…」
躊躇する静の手を取り、心がその門に向かいスタスタ歩き出す。
「おいっ!!」
慌てる静を他所に、心は門の前で立ち止まると横の勝手口の鍵穴にポケットから取り出した鍵を差し込み、戸を開けた。
「ええ!?」
予測だにしない事態に、思わず声を上げた。
こうなればもう、何がなんだか分からない。一体、此処は何処ですか!?それが猛スピードで頭を駆け巡る。
軽いパニックになっている静を中に押し入れると、心も後から入り、戸を閉めた。
「はぁ…」
思わず感嘆する。
門から屋敷まで延びた庵治石が使われた石畳。松の木が塀の近くで立派に育ち、屋敷の大きさは最早、城だ。
何かの記念館のような、そうなってもおかしくなさそうな日本家屋。かなりの年月を感じるその佇まいに、ただ圧巻される。
何とか会の集まりか、何とか組の屋敷かと考えていた事も忘れ、静は感激していた。
「す、すごいって」
詠嘆の声をあげる静を放って、心はまたスタスタ歩き出す。静はあちこち見渡しながら、その後に続いた。
屋敷の玄関の格子は開け放たれており、一歩足を踏み入れれば木の香りが鼻を掠めた。
たたきの広さは半端なく、御影石が敷き詰められている。見上げれば、見事な細工の施された欄間が一番に目を惹いた。
「うわ…」
何だ此処、何処だ此処。家??博物館??記念館??それぐらいに壮大なそこ。
高い天井に、年輪から相当な古さを感じさせる柱と梁。何もかもが凄まじい迫力。
「すげ…」
その迫力に圧倒される静を無視して、心はブーツを脱いでさっさと屋敷にあがっていく。
それにハッとした。
「ちょっと!!!」
これって不法侵入じゃないの!?いや、でも勝手口の鍵は持ってたな。
じゃあ、不法侵入にはならないの?なら大丈夫か。いいか…。
いや、違うだろ!!ここはどこ!?
頭の中で色んな憶測が飛び交い、静はたたきに立ち尽くす。
上がり込んだ心の姿はとっくになく、そして人の気配すらも皆無…。
「くそっ」
静は吐き捨てると靴を脱ぎ、心のブーツと共にたたきの角に寄せた。
長い廊下を歩きながら、恐る恐る開け放たれた襖の中を覗いていく。さすが昔ながらの日本家屋だけあって、照明も点いていないのに廊下は明るい。
青畳の香り、木の香り。どれもが心を落ち着かせるのは、やはり日本人だからだろうか?
初めは恐る恐るだったが、どれだけの部屋があるのか次々現れる部屋に、静は躊躇うことなく顔を出し始めた。
覚えてろよ、あの野郎。沸々と沸き起こる怒り。
何処に居るんだ!?出てきやがれ!と叫びたい気持ちを押さえながら、部屋を覗くと次に見えた襖。
襖の数からして、なかなかの広さの部屋に思える。見上げた欄間も他の和室のそれとは装いが違う。派手さがある。
まさかと、ひょっこり顔を出すと見覚えのある背中。この野郎!と怒鳴ろうと開けられた口から、感嘆の声が漏れた。
「うわぁ…すげ…」
心の前、開け放たれた障子の向こうに縁側があって、そして枯山水の庭。
広い庭一面に施された、まさに芸術。眞澄の家で見たのと、規模も見栄えも何もかも違う。
「立派やろ。お前好きやろ」
心は静に振り返らないまま言った。
「いや…好きだけど」
好きっていうか、スゴいっていうか。
こういう昔ながらの和の風景を好むのは、日本人の性だと思う。ただの小石。それが波のようにあしらわれているだけと、言われてしまえばそう。
水面を表現しながらも、何の音もない静寂の芸術。じっと対峙して、それを見つめる時は、まるで自分の心と向き合うような感覚に似ていると思う。
「気に入ったんならエエわ」
見入る静に心は笑ってそう言った。それに静は首を傾げた。
「…は?」
「今日からここが家や」
「ええ!?…な?は?誰の?え?」
家っていう規模か!?これが!?パニックになっている静に心は小さく笑う。
「此処はもともと鬼塚の生家や。いつの時代からあるんか知らんけどな。俺は住んだことあらへんから」
「生家って。今のとこは?」
「あれは、俺が住むために事務所改造しただけ」
「…で、ここ?」
「ここなら今のとこより自由が利く。離れには成田ら住むしな」
「離れ?」
首を傾げる静を残して、心はまた歩き出す。次は残されてなるものかと、慌ててその後を付いて行った。
心は廊下を挟んだ反対側の和室に入ると、奥の窓をガラッと開けた。
そこに広がるのは広大という言葉では足りないくらいの広い庭。隅々まで手入れのされた芝生と、流れる川。その川に架かる橋。
「…おいおい」
うわー、川だよ、川。敷地の中に。あまりの規模に乾いた笑いが出る。
「離れ」
心が指差す方向には大紅葉、山法師が植栽され、夜になればきっと素晴らしい情景になるであろう配置に織部灯篭が置かれている。
その途中には水琴窟とヤマツツジ。その間を縫う様に飛び石が置かれ、それは離れた棟にまで続いていた。
「どこの戦国武将の館だよ」
「忘れた。あそこに成田と崎山が住む。その隣に雨宮、あと彪鷹。この本宅には俺とお前と交代の奴等」
「…ん?相馬さんは?」
「いずれ隣の分家に住む。何かあった時の隠れ蓑」
「……へー」
としか言いようがない。
確かに今まで心が居た場所は生活感もなく実用的でもなく、どれだけ利便性の良い一等地にあるとしても住居としては最低ランクになる場所だ。
しかし今度は今度で、豪華すぎるほど豪華。違う意味で住居として最適か?と首を捻りたくなるものだ。
レベルアップ?いや、上がりすぎ。
「スゴいね、本当に」
良い年をして言葉が乏しいなと思う。
だが絢爛豪華とか壮大華麗とか威風堂々とか何をどう言っても足りない。足りなさすぎ。
「…静」
外をぼんやり眺める静を心が呼ぶ。それに、静がだいぶと高い位置にある心の顔を見上げた。
「こっち」
ぐいっと腕を引かれて部屋に戻る。
心が静の腕を離して、その場にどかり腰を下ろすので静も合わせて座った。
なんだ、どうした。向かい合って、改まってこうして座るのは初めてかもしれない。
ここは正座か?畏まるべきか?
「…極道は嫌いか」
「…は?」
正座をするかしまいかどうしようか迷い、中途半端な体勢の静は、唐突に投げかけられた言葉に間の抜けた声を上げた。
なんだ全く意図が読めない。今更な質問に固まる。
嫌いと言っていいのか…?
いや、極道だけ?
心や相馬を含んだ極道?
もしかして、心を?
言葉少なな心の意図を図り知る事も出来ず、静は首を傾げて見せた。
「なんや」
なんやはこっちの台詞だよ!!!
訳の分からない質問を投げかけたお前がこっちの気持ちを汲み取れ、悟れ!意味が分からん!
静は腹立たしさから、心をギロリと睨み付けた。
「言いたいことの意味が、さっぱりわかんねーわ!」
文法を知れ、日本語を覚えろ、コミュニケーション能力を養え。全てにおいて欠如し過ぎなんだよ!オマエは!と怒鳴りたくなる。
その静の様子に、心は少し目を細め庭の方へ目をやる。一応、心なりに苦慮しているようだ。
静にどう言いたい事を伝えれば良いのか。そんな感じ。
その心の姿に静は、何だ、ちょっとは成長したじゃないかと笑い、中途半端な体勢を崩してそこに座った。
正座はしなかった。
「もし、今、静が極道は嫌いや。いや、俺や相馬とかの極道は別にしても、”極道”が許されへん、関わりたくない言うなら逃がしたる」
「え?逃がすって」
「雨宮を当分は護衛につける」
「どういう意味?」
人間に唯一与えられたコミュニケーションという能力。その代表的な”会話”が苦手な心は、頭を掻いた。
どういう意味?何が言いたいの?静からすれば、そんなとこだろう。
「厄介な人間が出てきてる。彪鷹が帰ってきた分、負担は少ないけど…危険が増した言うた方が正解や。そいつには、多分、静のことも調べられとると思う。静が逃げたいなら、ありとあらゆる手を使って逃がしたる。好きな方を選べ」
心は簡潔に言うと、目の前に座る静を真っ直ぐ見た。
真っ直ぐな力強い双眸。その目に、静は笑った。
ズルい男だ。ここまで巻き込んでおいて、これからどうするか自分で決めろというのか。
「お前はどうしたいの?」
俺じゃなくて、お前自身。
お前は、俺が嫌だと言えば…わかったと言うのか?
そんな、程度なのか?