花となれ

花series second1


- 5 -

大多喜組から鬼塚組に品格は向上したと言えども、極道は極道。何も変わらない上に、大多喜組よりも規模も地位も大きな組と不本意ながら関わることになってしまった。
何よりもあの男が何を考えているのか皆目見当もつかない。
そもそも、ゲイなのだろうか?
いくら静がコンプレックスを抱えるほどに女顔だとしても、身体は立派な成人男子だ。太らない体質とはいえ、そこそこ筋肉もあるし骨も太い男のそれだ。
いや、それよりも、買うってそういうことなのだろうか?考えれば考えるほど迷宮に入り込むようで、静は頭を掻いた。
「もう…死にたい」
静は小さく呟いた。
その時、高い音のクラクションが背後で響き何気に振り返った。そこには初めに静を大学に迎えに来たCL600とは形も全く違う、ポルシェ初のSUVシリーズ、白のカイエン ターボSの姿があった。
綺麗なフォルムだなと見ていると、カイエンはポルシェ独特のマフラーからのサウンドを鳴らし静の横に停まった。
まさかなと恐る恐る中を覗けば、相馬が手を挙げるのが見えた。
「…相馬さん」
「ベンツでなければ構わないでしょう?この車なら、どこでも走っていますよ」
ウィンドウを開けた相馬が、笑顔と共にそう言ったが…。
カイエンは十分目立ち、そして大きい。極道者を連想する車ではないかもしれないが、そのどこでも走っているというのには語弊がある。
車に無知な静は左ハンドルのこの車を外車だという認識は持てたものの、まさか1,700万もするとは夢にも思わず、呆れた様に相馬を見た。
「アイツに言われたの?」
いつもならば見上げなければいけない相馬も運転席に座る今は、さほど身長も気にならない。同じ目線で問いかければ、相馬はいつもの微笑を浮かべた。
「いえ、私の勝手です。鬼塚は知りませんよ。それにこれは私のプライベートでの車ですし」
そう言った相馬だったが、これは心の手配だった。心は静が出て行ってから『ドライブでも行ってくればどうだ?』と、相馬に言ったのだ。
静を送り届けてこいなんて一言も言ってはいない。だが、長年一緒に居れば、心の言葉に何が含まれているのか相馬は全て理解出来、理解しなければならない立場だったのだ。
「…分かったよ」
静はここで論争しても相馬が折れるとは思えないと、促されるまま助手席に乗り込んだ。
カイエンはCL600の様に革張りの内装かと思えば、中は案外スポーティーだ。シートもバケットシートで、身体がすっぽり収まってしまう。
あちこちキョロキョロ見回していると、小さく笑う相馬の声が耳に入った。
「落ち着きませんか?」
「いや、デカイ車だなって思って。俺、車って興味ないからよく分からないけど、これ結構かっこいいかも」
「お気に召して頂いて光栄です。免許をお持ちならば、運転してみますか?」
「やだよ、当てるもん」
静はバイトに色々と都合がいいかも知れないと高校卒業と同時に暁と教習所に通い、免許は持っていた。だが運転するのは、バイト先のボロボロのバンかバイク。
こんな外車で、しかも左ハンドルのMT車など運転したことがなければ、助手席に乗るのも初めてだ。
「アイツ、免許持ってるの?」
「鬼塚ですか?ええ、お持ちですよ。鬼塚の唯一の趣味は車ですから」
”ふ~ん”と言いながら、静は車窓から見える見慣れない風景を眺めた。
自分の車を持っていない静は、暁の運転する車でも定位置は助手席。いつも暁の父親の車を借りてどこかへ行くのだが、勿論、国産車だ。なので、助手席は左にある。
左ハンドルの車の違和感ってこれだなと、静は思った。運転してもないのに見える景色が右側の景色。それがどこか居心地が悪い。そして右折するときが怖い…。

静が居たビルからは、静の通う大学は二駅ほどの所にある。そこまで距離はないように思えたものの、何年かぶりに深い眠りについてしまい身体が重たくて仕方なかった。
これは送ってもらって正解だったかもしれない。
しかし極道が乗る様な車ではない様だが、かなり目立つ。このまま校門まで乗り付けられては、やはり噂の的になりそうだと静は嘆息した。
「送らなくていいのに」
小さくボヤく静に、相馬は微笑んでみせる。
「鬼塚を嫌わないでくださいね。不器用ですが精一杯、あなたに尽くそうとしてるんですから」
相馬の言葉に、思わず嘲笑した。
尽くすというのか?あれが?人の弱みを握り金で静を買うと宣い無理矢理に身体を弄び、いつも刺す様な瞳で静を見つめる。あれは尽くすのではなく、支配だ。
自分の思い通りに静を動かそうとしている、支配そのものだ。
「相馬さん、俺はあいつが死ぬほど嫌いだ。年下だからとかヤクザだからとかじゃなく、人間性が嫌いだ。今回あいつの話に乗ったのは家族のためだ。このまま今まで通りの生活を続けていったとしても、大多喜組に追われる日々は続く。なら、家族を守れるヤクザを選んだ方が得策だろ。だけど、俺は…死んだも同然だ」
そう言う静の顔を、どこか寂しそうな顔で相馬が見つめた。

大学のだいぶと手前で車を降り、静は大学に向かって歩いていた。同じ様に大学へ向かう学生達に混じり、静はどうして自分だけこんな目に遭うのか自分の運命を呪った。
いや、全てはあの極道連中が悪いのだ。それは分かっている。だが、たまに拭いきれないほどの焦燥感に襲われることがある。
「吉良」
不意に肩を叩かれ、静の身体はビクッと震えた。恐る恐る振り返ると、それに驚いた暁の顔があった。
慣れ親しんだ親友の顔に、静はここ暫くで一番の安堵した表情を見せた。
「暁…ごめん、昨日…」
「びっくりしたよ、その…借金、目処ついたんだろ」
「え?」
何も知らしていない暁に確信をつかれ、静は自分を売った事を知られたのかと身体が強ばった。
そんな静に気がつかず、暁は嬉しそうに話を続ける。
「相馬さん?あの後、説明に来てくれたんだ。その、吉良のとこにいつも来るあのヤクザ、相馬さん達がそこの仲介に立って話つけてくれたんだろ?」
「相馬さんが…そんな事を?」
「…違うの?」
静の怪訝そうな顔に暁が困惑したような顔を見せた。
静の家の事情をよく知っている暁からすれば、静の借金が片付いたということは自分の事の様に嬉しい話だ。
暁と一緒に居る時に取り立てに来たヤクザに静が殴られても、暁は何も出来なかった。
恐怖に足が竦んで動けなかったのだ。暁は今でもそれを悔いていた。
「そう…ああ!そうなんだ。助かった」
まさか実は男ー極道に自分を売ったなんて口が裂けても言えなくて、静は相馬の機転を利用する事にした。
親友である暁に嘘をつくのは気が引けたが、実際、暁に本当のことを話す勇気はなかった。
「良かった、本当に心配してたから」
そう言って何も知らずに笑う暁に、静はゆっくり頷いた。

留年した静と違い大学院に進んだ暁と別れ、教室に入って空いてる席に適当に腰掛けた。
ガヤガヤと教授が来るまでふざけ合う学生を見ながら、静は一人、別世界に居る様な気がした。
ヤクザに追われて借金を返す事に奔走して、学生生活を満喫出来た試しはなかった。だが、所詮ヤクザは虫螻と、蔑んで見る冷静さは持ち合わせていた。
人の弱みに付け込み財を貪る虫螻以下の人種だと。だがその虫螻から逃れる為に、同じ虫螻に自分を売った。
そうせざる得なかったとしても、それは果たして正しかったのか。
そもそも、鬼塚組が本当に大多喜組と話をつけるのかも怪しいのではないか。追われる相手が増えただけではないのだろうか。
言葉に確証がない連中だというのは、嫌というほどに知っている。証書も紙くずと同じで、自分たちが都合の良いようにルールを変えてくる連中だ。
「なんだ、これ、本当」
そもそも、あそこで出逢ったことが、静にとって終了ポイントだったのかもしれない。
静はぼんやりと教室の中を眺め、楽しそうに話す学生に目を向けた。
大学生活を充実して送れる事なんて、ないとは思っていた。でも静は男で、それなりの女の子との出逢いも期待していた。
借金があってもそれはそれで、自分の事を理解してくれる子が何処かに居るのでは?そんな淡い期待も抱いていたのに、その全てを塞がれた気がした。
大体、心は自分に興味があると言ったが、それが一瞬の迷いだと知ればどうなるのだろう?
今度は、心達が取り立てにくるのではないだろうか?
今まで静に取り立てをして来たヤクザとは、明らかに規模が違う。そうなったとき、自分の運命はどうなるのだろうか?
静はただ、言い様のない不安に身体が震えた。

「静さんは学校に行かれましたよ」
相馬はソファに長い身体を転がし、煙草を燻らす心にとりあえずの報告をする。それに心が返事をしないのはいつものことで、あまりよくないことではあるがそれが当たり前のこととなっていた。
しかし、こうやって転がられると折角の高級スーツも皺だらけだ。まぁ、それを気にするような男ではないことも百も承知だが…。
「静さんですが、調べでは大多喜組から金を借りていた様です。そちらも佐々木が話をつけに行ってます」
「どこやそれ。まぁ、どうせ元金なんて払いきってんやろう。あいつらのする事なんて分かりきっとる」
そう言いながら心はゆっくり起き上がり、長い前髪を鬱陶しそうに指先で散らした。
鬱陶しければ、切ればいいのに。思いながらも口にはせず、心の向かいに腰掛ける。
「本気で静さんを?」
相馬が心の向かいに腰掛け、手にした書類をテーブルに置いた。
心はそんな相馬を見つめ、自分の銜えていた煙草を差し出す。相馬はその煙草を受け取り、ゆっくり吸い込んだ。
「お前、静を気に入らんのか?」
「いえ、彼をというのではなく、ただ、あなたが他人に興味を持つのが初めてですので」
これでも少し戸惑っているんですよと言うと、心はそれを鼻で笑った。

心が鬼塚家に来たのは小学生の年の頃だった。心はもともと鬼塚組の五代目総代、鬼塚清一郎の愛人の子供で、その存在を知る者は当の本人である清一郎ですら知らなかったのだ。
なぜならば心を身籠った心の母親は、我が子の将来を案じ清一郎の前から突然姿を消したのだった。
もちろん、妊娠したことも告げずに。
だが突然消えたのを不審に思った清一郎は、徹底的に愛人の行先を調べ上げたのだ。そして、心の存在を知ることになる。
清一郎は偏屈な男で、それなりに愛人を囲ってはいたものの本妻を取っていなかった。そして、昔に負った傷のせいで無精子症を患っていた。
そう、子供は出来ないと言われていたのだ。そこに舞い込んできたのが、心の存在だ。
清一郎はすぐさま心の元へ飛んでいくと、母親から心を奪い去った。
泣いて叫んで清一郎を止めに入る母親の姿を、心は微動だにせずに見つめていた。今思っても薄情な子供だと思う。
だが、周りの子供達とは何もかも違うと常日頃から思っていた。違和感と疎外感。
異様と言われるくらいに、冷めた子供だと周りの大人からは言われてた。父親がどんな人間か考えた事も興味もなかったが、初めて見た父親の姿に驚愕し怯える母親と違い、心は笑みすら零した。
まるで、足りなかったパズルのピースを見つけた様に。
母親の元から離された心は極道の道理を教わる為に、高校生の頃に兄弟組でもある関西の風間組に預けられた。
関西の風間組と言えば、それまで天下だった佐渡組を壊滅に追い込み首領の座を奪った風間龍一率いる組で、当時、関西の極道を牛耳っていると言われていた組だ。
風間龍一という男に初めて逢った時、心は産まれて初めて心の底から恐怖を感じた。風間の姿そのものが、狂気の様に見えたものだった。
そして、それを面白いとも感じ、自分の力のなさを痛感した。
関西では本物の極道社会を教わる為に鬼塚清一郎の息子という肩書きを隠し、下っ端連中の暮らす通称犬小屋に放り込まれた。
昔の習わしのままの極道の世界では、上下関係が一番の基本。下っ端は下っ端の仕事があるのだが、心はそれをわざとこなさず、それに対する洗礼を受けた。
だが、そんなものは何でも無かった。まだまだ足りないと思うほど、それは物足りない拳だった。
そんな生活が続くなか、清一郎が急死した。突然の組長の急死に揺らぐ鬼塚組に、嫡男として戻る心を歓迎する者は居らず、襲名は揉めに揉めた。
そしてようやく組を継いで組長の座を襲名したものの、心にとっては退屈な日々だった。
そんな時、静を拾ったのだ。
雨に濡れたその表情は言葉では言い表せないほどの衝撃で、心は生まれて初めて震えたのだ。
欲情した、惚れた、そんな言葉では足りない衝撃だった。
静の柔からな顔つき、女の様な優しげな目許。身体も華奢で、起き上がれば見た目同様ひ弱な奴かと思いきや、物怖じせずに食らいついてくるあの闘争心。
閉じられた時の優しげな目元は、開くと違う顔を見せた。濁りなく澄んでいて、意志の強さがしっかりと表れた強い眸だったのだ。
それは心の眠っていた何かを、燃え上がる様に呼び起こした。
「静さんが、このままあなたの物になるとでも?」
相馬にそう言われ、心は我に返った。そして不敵な笑みを浮かべ、長い足を組んでみせる。
「易々、堕ちるとは思わん。でも、それが楽しいやろ」
そういう心に、相馬はため息にも似た吐息を吐いた。

「どうしたんだ?」
賑やかな食堂で、暁はどこか心此所にあらずの静に話し掛けた。静は、心のマンションで食事も取らずに出て来て、空腹も限界になり暁に金を借りて昼食を食べていたのだ。
「いや、ごめん、何もない」
そう言う静を、暁は怪訝そうな顔で見つめる。
何もない顔ではないから聞いているのに、いつでも静は自分を見せない。長年一緒に居ても、静は決して自分を曝け出す事はしなかった。
確かに同じ年齢であまり頼り甲斐は無いかもしれないが、困ったとき位もう少し頼ってくれてもいいのに、静は何時でも気丈に振る舞い弱みを見せない。
普通の人間とは明らかに違う環境が、静をそういう風に育ててしまったのか暁はそれがとても悲しかった。
きっと、静と同じ立場に自分が立たされたら、こんなに気丈には振る舞えない。
いつからだろう?静が泣かなくなったのは。”辛い”と言わなくなったのは。
「何か困ってるんじゃないのか?その、借金は片付いたんだろ?」
「あ、うん。いや…急に借金片付いて、少し戸惑ってるんだ」
暁の表情を見て静はしまったと内心、舌打ちをした。心配性な暁が静のこんな浮かない顔を見て、何も思わないわけがないのだ。
静はすぐさま表情を明るくして、笑ってみせた。
「そうか…そうだよな。急にだもんな。でも良かったな、良い人に出逢って」
何も知らずに言う暁に、静は笑って頷くしかなかった。自分を売って借金を片付けたなんて、とても言えなかった。
もしそんな事を言えば、暁はどうするだろうか?
暁ならば、それも静の選んだ道だと言ってくれるだろうか?
だが、もし…、もし嫌悪感の滲み出た表情で見られれば、きっと自分は立ち直れない。
唯一、自分を理解してくれて、今まで共に歩んで来た親友を無くす事だけは、何としても避けたかった。
「そうだ、今日飲みに行こうぜ。何か祝いじゃないけどさ、島津の企画のコンパがあるんだ。吉良、バイト決まってないだろ?何か、会費もいらないって。島津が大穴当てたとかでさ」
「コンパか…そうだな、行こうか」
心の元へ行けば契約書をもらえるが、行かなければ元の生活に戻れるかもしれない。バイト三昧だが、それでもあの男に自分がまた、あの様な辱めを受ける事もない。
そうだ、もう少しバイトを増やせば何とかなるかもしれない…。
心の元へ来ない静を、心はどう思うだろうか?
そもそも行く約束等していないし、どこに行こうとも静の自由だ。静はグッと拳を握り締めた。

居酒屋で行われるというコンパは座席全てを借り切るような大人数で、すでに盛大に盛り上がっていた。島津は暁と静の高校からの同級生で、静にも何かと世話を焼いてくれる数少ない友人である。
静はとりあえず島津に手を挙げて挨拶をした。それに島津が答えたが、今日の主役でもある島津は王様状態でそれ以上の接触は無理に思えた。
大穴ってどれだけのもの当てたんだと、それを惜しげもなく使う島津に笑った。
コンパ事態に顔を出した事のなかった静は、テーブルにつくと目の前に座る女の子を見た。静に気が付いたのかにっこり微笑まれ、静も頭を下げた。
そこでどこの大学?誰の紹介?と話掛ければいいものを、残念ながらそんなことが出来れば苦労はしない。
結局、静は一人、ちびちびお酒を飲む羽目になった。
一体、何をしに来たのだろう…。暁は教授に捕まって、こっちに来るまで時間がかかるらしく、とりあえず食べるもの食べて帰ろうかな。
そんなことを思っていたら、いきなり顎に手が回り息がかかる位に顔が近づけられた。