- 2 -
「気持ちええ?」
「…な、わけあるか」
耳元で囁く睦言は両断される。どこまでもいつまでも、どんな時でも静は静だと心はどこか安心したように笑った。
だがそれを違う意味に捉えた静は、目の前にある逞しい胸板に噛み付いた。
「いて!!」
さすがにがぶりとやられると驚く。見下ろせば、睨みつけてくる静と目が合う。だがしかし、愛撫によって潤みきったその目は心の中の嗜虐的な獣を揺さぶり起こしたに過ぎなかった。ようは逆効果。
「ったく、ほんまに」
心は後孔からずるりと指を抜くと、力の入らない静の身体をベッドに俯せにさせ腰を掴みあげた。
「…あ!!や!!やだ!!」
四つん這いのその格好に静が暴れるが、その腰を大きな手で押さえつけて、心はじんわり血の滲む自分の胸元を見て嘆息してスラックスとアンダーウェアを脱ぎ捨てた。
容赦なしに噛みやがってと思いながら、ナイトテーブルの引き出しからローションを取り出すと屹立した自分のペニスと指にとろりと垂らした。そして、それを暴れる静の蕾みにぬるりと塗り付けた。
「ひゃっ!!」
「結構、冷てぇもんやな。ま、すぐ馴染むって」
「やだって!!心!!」
「やだやだ言うな…って!」
滑りのよくなったペニスを一気に解された蜜壷に捩じ込むと、静の上体がガクンと落ちてシーツに波を作った。
そして、何かに縋る様にシーツをぎゅっと握って、中に入り込んだ熱棒の熱さにぼろっと落涙した。
「も、…最悪」
「セックスに、最悪はあらへんやろが」
指とは比べものにならないそれは、静の中で時折、小さく呼吸してみせる。その振動が堪らずに静は堅く目を閉じた。
何度しても馴れないし、何度しても背徳感が拭えない。同性に組み敷かれて、身体の中に凶暴な熱を突き入れられているという行為に馴れる事なんて一生ないと思う。
こうする度に、いつも迷う。どこにどう落ち着けばいいのか。
素直に気持ちがいいと言えればまたラクなのに、そうも出来ず、だが傲岸不遜の男を拒む事も出来ずに、結局、こうして受け入れている。
「…静」
迷う静を宥める様に、白い背中の溝に舌を這わす。体内に入り込んだ熱はすっかり馴染み、その形にぴったりと吸い付いた。
堪らなくなった心がゆっくりと腰を揺さぶり始める。纏わり付く様な蠕動を味わいながら腰を穿つ。
「あ、あぁ、あ…はっ、心、心」
背を反らし、喉を曝す。痛みを伴っていた行為も回数を重ねれば、初めの挿入を過ぎれば快感という波だけが強くなっていった。
その波を感じれば、頭が真っ白になり何も考えずに済む。迷いも背徳感もなく、与えられる快感に酔って堕ちる。
それでも、静の中にあるプライドがそれを言葉にすることを拒んでいた。
「あっ!!あ、そこ!やだ!!…んっ!!」
「嘘つき」
吐息と一緒に言葉を吐き出し、静の嫌がるしこりを先端で抉れば大袈裟なほどに身体が跳ねた。そこを強く攻めれば静は声を抑えず喘ぐ。
いや、抑えれないと言った方が正解。
それに満足して一度、静の中からペニスを引き抜き、力のなくなった身体を仰向けに転がした。
「はぁ…あっ、…くそ、あっ…」
快すぎるのか心が出ていっても静の身体の震えは止まらず、それに悪態を吐いた。そんな静に心はさすがだなと満足する。
やっぱりこうじゃないとなと思いながら、足を開かせてまたあの蜜壷に入り込んだ。二回目の挿入は痛みもなく、ずるっとそれを飲み込んだ。
「う…っ、ん…あー、も、最低、オマエ」
「やっぱ、顔、見たいやろ」
中の蠕動が尋常じゃない。油断していれば一気に持っていかれそう。もう、吐き出す事だけ考えて無茶苦茶に腰を振りそうになるが、それは面白くないのだ。
そこは何故か負けたくないなんて見当違いの意地が出る。
少し腰を緩めて息を整える。セックスなのか格闘技なのか負けるも勝つもないだろうに、お互いが意地っ張りだ。
卑猥な音が部屋に響く。すると心がその腰を止めて、ふーっと息を吐いて頭を振った。
静もまた、自分を攻める獣が大人しくなり息を吐いた。
「はっ…、もう、死ね…」
一度くらい気持ちいいとかないのか。セックスの最中に一番よく聞く言葉はこれのような気がする。
そう思いながら、心は再びゆっくりと腰を動かし始めた。
「う、あっ、バカ、ううんっ!!あ、ぁあ、あ」
揺さぶられて、気持ちよくなっているのは一目瞭然。男相手っていうのは便利だなと思いながら、静の腹を少しづつ汚すそれを握ると悲鳴があがった。
「や!!ぅわ…っ!あああ!心!!だめ、だめっ!あ、ああ、ダメだって…!」
「はぁ…。もう、イク?」
聞きながら、その手も腰も休む事はない。そして静の中を抉る様にして腰を強く打ち付ける。
善過ぎる快感にくらくらしながらも、静はやっぱり心は最低な男だと思った。
震える雄を強弱を付けられて扱かれる。それも中途半端に与えられたり止められたり。それがどれだけツライのか同じ男ならば分かるはずなのに、心はそうされながら気持ちが良いとその口で言う事のない静の堪える顔を見て楽しむ。
この、変態…。言って、蹴飛ばせればどれだけ爽快か。だがそんなことが出来る訳がない。
心のその巧みな腰使いや手管に敵う訳がない。こうなれば快感だけを追って、気持ちよくなることだけに集中するほうが色んな意味でラクなのだ。
変に我慢して意地を張れば、身体が保たない。男は吐き出さないと身体に悪いというのを、身を以て経験済み。
「あ、…あ、ぁあ…だ、ダメ、ダメだっ!…し、心…もうイク!」
卑猥な音色と荒い呼吸が部屋に響く。耳を塞ぎたくなるそれまでもが、快感のスパイスになるのだから不思議だ。
じんじんと痺れる様な感覚を追いながら、知らずに心に合わせて腰を振る。それに心が薄ら笑みを浮かべていても、今はどうでもいい。
それは心も同じで、静の痴態を眺めながら徐々にキツさの増す蜜壷に激しく雄を抜き差ししながら、快感の先にある強い刺激を求めて突っ走る。
しどけなく開くほってりとした静の唇に唇を重ね、震える舌を引っ張り上げて絡める。今は舌までもが性感帯だ。
喘ぎ声を飲み込み、激しく口腔を貪りながら涙を流す静の奥に切っ先を捩じ込めば、静が声にならない声をあげた。
「…ん、う、ぁん、…ぁあああ、ああああ!!!」
心の手に熱く迸る白濁。それを感じながら心も静の最奥で溜まった熱を放った。
この瞬間が、一番好きかもしれない。静の中に自分の何かを残せる錯覚。
「は…、ぁ…、最悪、オマエ」
指一本、動かすのが煩わしのか言葉だけ。足も手も何も飛んでこない。はぁはぁと荒い息を吐きながら、心を睨みつけてくる。心はそれを笑って過ごして、涙の痕の残る目尻をペロリと舐めて、そこに口づけた。
「…も、ヤラねぇ…」
「言っとけ」
言って、ずるりと静の中から這い出ると、その感覚に静が顔を顰めた。どうにも我慢出来ないという顔だ。
「そないな、顔すんな」
「オマエはやったことないから…」
「…やるか?」
「……」
思いもよらぬ心の提案に、静が固まる。今、なんて言ったオマエと言わんばかりに一瞬、逡巡して壊れたロボットのようにゆっくり首を傾げた。
「形勢逆転」
「いやいやいやいや、ないだろ」
想像したのか、少し青くなった顔に思わず心が笑う。
「何や、残念」
本気なのか冗談なのか、酔狂な心の考えが読めない。ブラフをかけている訳でなく本心なのだろうなと思いながら、静は熱を吐き出したあとに一気にくる眠気に目を閉じた。
「風呂、連れてって」
静が寝言を言う様に呟いた。
一流企業立ち並ぶビル街。その中で一際大きく高く聳え立つビルの最上階に近い位置の部屋。
senior managing director roomと彫り込まれた銀のプレートの埋め込まれた扉の向こうに、相馬北斗は居た。
広々としたオフィスの壁際には大きな書棚が並び、それに平行するように置かれたデスクはその上に大人三人が転がっても余りそうなほどの大きさがある。
だが相馬の几帳面さを物語る様にそのデスクの上は整頓されていて、どれだけ多忙であろうとも、その上に書類が山積みになる事もファイルが無造作に置かれる事もない。強いて言えば、ペン一本たりとも出しっぱなしにされることはないのだ。
常に出しっ放しにされている物と言えば、デスクトップのパソコンとノートブック。それと携帯くらいであろう。
アーロンチェアに座る相馬の背には一面ガラスが埋め込まれ、そこから街を一望出来る形になっている。
今日は快晴。だが、相馬の背をじりじりと焼く様な熱さは一切感じられない。特殊加工されたそのガラスは外側は反射板となっていて外気を遮断する。もちろん、その中で相馬が不埒な行為をしたとしても、それは一切見える事はない加工も施されている。
そんなこと、する訳もないが。
そして残念ながら銃弾一つ撃ち込めない仕様付き。念には念を。例え、周りに相馬の居る位置に届く様な高さのビルも障害もないとはいえ、たまにふらりと現れる無軌道な男と一応は組の重鎮的存在である自分を守るためにも、それは必要不可欠の装備だった。
相馬は書類にサインをしながら、目の前のモニターに視線を移した。
モニターに映し出された変動する株価。株はギャンブルだ。安定的になインカムゲインを得れる事もあれば、大損することもある。
リスクの大きいキャピタルゲインには今は、手を出さない。欲を出しすぎると一瞬で終わる。それが株だ。
相馬のちょっとした息抜きのマネーゲーム。今のところ、負けなし。
イースフロントの経営に携わるのであれば経済学を専攻すれば良かったのかもしれないが、経済学を専攻していれば相馬の卒業は危うかったかもしれない。
大学の頃、何となしに受けた経済学が面白くて友人に無理を言ってゼミに潜り込んだ事がある。だが基本的に誰かに何かを教わるというのは好きではない性質のうえ、潜り込んだゼミの教授の利己的な態度に思わず口を開いた。
その教授は経済学では著名な人間で、マスメディアにも呼ばれるような相手だった。
利己的になってしまうのも無理はないのかもしれないが、その教授に向かって、あなたの言うマルクス経済学はイデオロギー的だと宣ったのだ。
法学部の相馬が、だ。もちろん、まるで時が止まった様にその場は一瞬にして凍り付いた。
わなわなと震える教授は無駄に知識豊富な相馬の饒舌さに、ただ黙っていた。それが噂好きの学生に一気に広まり、半年ほどシンクタンク相馬だなんて滑稽な名前で呼ばれる羽目になる。
嫌な事を思い出したなと、相好を崩さずモニターを見続ける。そろそろ現物立会の終わる時刻だ。
今日も大して大きな変動もなさそうだなと思っていると、PCの横にある電話が鳴った。内線電話だ。
「はい。ああ、お疲れ様。どうした?」
そうしているうちに株価取引は終了し、相馬は椅子に深く腰掛けた。電話の向こうは何やら逼迫していて、電話口の人間もしどろもどろ。
一体どうしたんだと思い、落ち着けと声を掛けた。そしてようやく”逼迫した”原因を知って、相馬の唇は弧を描いた。
すると電子音とともに新着メールを告げるアイコンがモニターに映し出され、相馬はそれを開いて電話の内容に了承して受話器を置いた。
英文で送られて来たメールに返信しながら、チラリ腕時計に目をやる。次の予定までは時間もあるし、大丈夫かと小さく笑って送信メールを押した。すると、それに合わせる様にドアがノックされた。
「どうぞ」
声を掛けると、屈強な身体付きのスーツを来た男が入って来た。その顔はどこか申し訳なさそうに見える。
「あの」
「どけ、おら」
その男の身体を押し退け、異国色を強く醸し出す男が無遠慮に部屋に入り込む。警視庁組織犯罪対策部警視、及川信長である。
ハニーブラウンの髪も鳶色の瞳も、全て自前だ。少し垂れ目の甘いマスクに長い足。モデルの様な出で立ちの男は仕立ての良いスーツを着こなし、不敵な笑みを浮かべて部屋を闊歩した。
そのウォーキングは文句のつけどころがない。安月給の公務員では買えないようなスーツも、及川には良く似合っていた。
彼が”逼迫した”原因だ。まさか、いや、きっと正面玄関から入って来て、受付カウンターで水戸黄門よろしく警察手帳をこれ見よがしに見せて相馬を出せと宣ったのだろう。
ここがフロント企業で裏とはほとんど関わりがない会社だといっても、及川からすれば裏も表も一緒なのだ。
「お久しぶりです」
相馬がニッコリ微笑めば、それを及川は鼻で笑った。そして促される事なく、中央に置かれた上等な応接セットにどかりと腰掛けるとガラステーブルに長い足を投げ出した。
及川は見た目と互い、野放図な性格で粗暴な男だった。
「悪いな」
次いで入って来た男は及川と同じ様に長身で彫りの深い顔の男だ。スッと整った顔をしているのに、異様に鋭い眼光が全てを済し崩しにしているのが残念で仕方がない。
獰猛さがこちら側の人間そっくりで大層な色男なのに、あれでは女は寄ってこないだろうなと相馬にしては珍しく下世話な事を考えていた。
「おやおや…。お二人揃って、今日はどうされましたか?お久しぶりです、杉山さん」
相馬は男ー及川の上司である杉山に頭を下げ立ち上がった。そうしながら、出入り口で苦虫を噛み潰した様な顔をする男に目配せする。
きっとここに来るまでに及川に罵詈雑言を浴びせられたのだろう、少しばかり殺気だった様子だ。そんな男は相馬に頭を下げると、部屋を後にした。
「久しぶりの対面に涙でも流すか?二人揃ってってな、こいつ一人で行かすわけいかねぇからな」
杉山は笑った。杉山八雲、及川と同じ組織犯罪対策部に所属する警部である。役職で言えば及川の方が断然上ではあるが、杉山は及川の上司だ。
杉山は今にも鼻歌を歌い出しそうなご機嫌な及川の隣に座り、煙草を銜えた。相馬はその二人の前に腰掛けると、テーブルに投げ出された及川の足を見て笑った。
「躾の行き届いた部下ですね。コーヒー要りますか?」
「すぐ帰る。大体なぁ、お前らに会いに来るのも大変なんだぞ。公安にまで目ぇつけられやがって。やめちまえ、こんな会社」
「何も後ろめたいことはしていませんよ?今日は愚痴でも言いに来ましたか?」
「あれ?ブレゲのグランドコンプリケーション・クロノグラフじゃね?」
二人の会話を遮る様に及川が相馬の腕を指差した。突然、話が逸れたものだから杉山は及川に非難の目を向けるが、いつものこと。マイペースで得手勝手などこかの誰かと一緒の性格の及川は、己の思うまま会話を進める。
「ああ、そうですよ」
「何だ、その舌を噛みそうな名前」
こうなったらどうにもならないのを誰よりも知っている杉山が、蛾眉を顰めて及川の視線の先を追う。それが相馬の腕時計だと分かり、少しばかり長い首を伸ばしてそれを見た。
「時計じゃねーか」
杉山が吐き捨てるよう言って、こんなもので話の腰を折るなと及川に小言を言った。
「杉山さん、この時計であんたの家のローン。残り返済出来るぜ?」
「え!?マジでか!!」
「ロレックスじゃないのがオマエらしい。まぁ、あんなのしてたら本当、成金みたいでイヤだけど。俺もブレゲ持ってるけど、これじゃないな。イクエーションだ」
「ふふ…今日は、時計の話をしに来たんですか?」
「じゃあ、本題。心はどこだ?あ?」
及川はニヤリと笑った。相馬はそれにフフッと笑みを返す。
何ら警察の厄介になるような事はしてない、していたとしてもそれが表にバレるようなミスはしない。余裕綽々の相馬は及川と杉山を見て、また、笑った。
「アレは外が嫌いな人間なんで…。まさか、アレに逢いにわざわざ?」
「まあ、端からここに居るなんて思っちゃいねぇよ」
杉山は言うと、手に持っていたA4の封筒をテーブルに滑らした。相馬はそれを見て首を傾げた。
「ラブレターですか?」
「及川以外に熱狂的なファンが居るみたいだな。おい、足邪魔だ」
杉山が手で払う仕草をすると、及川は鼻を鳴らして足を退けた。どうやらこの男でも杉山には従順な態度を取るらしい。
「…で?」
「やるよ、お前に」
杉山の言葉に肩を竦める。何の変哲もないただの封筒だ。重要なのは中身。
わざわざ会社に押し掛けるほどだから、何かあるのだろう。
相馬は渋々という感じで、封筒の中身をテーブルに吐き出した。だが吐き出された物を見ても、顔色を変えるどころか眉ひとつ動かさない。
相馬は長い指でそれを一つ掬い上げると、目線の高さまで掲げた。
「写真写りはよくないな」
被写体は気怠げに煙草を銜え、車に乗り込む所だった。それは何十枚という、隠し撮りされた心の写真だった。
「うちに届いた。ほんの一部だけどな」
「相馬ぁ、お前らが誰を相手にしてるかは知らねぇけど…」
及川がその形の良い唇に弧を描かす。楽しくて仕方がないというところか。
及川はゆっくりと腰を上げ、テーブルに散らばった心の写真の山に手をついて、相馬の耳元に唇を近付けた。
「これ、挑戦状じゃねぇの?」
耳元で囁かれた及川の言葉に、相馬は目を細めた。