- 31 -
「う…ぁ…」
ひくひくと喉を鳴らし、飛びそうな意識を必死に掴み取る。淫猥に動く静の中は心の剛直を思う存分味わい、全てを搾り取ろうと絞め上げた。
「おい、絞めすぎ…」
心が静の腕を引っ張り上げると、静は驚いて心の鍛え抜かれた無駄な肉のない腰に足を巻き付けた。
「はっ!ああ、や…ふかっ」
自分の重力で最奥まで心の熱を感じ、静は心にしがみついた。じんわりと濡れた背中を指先で感じ、静はその肩に顎を乗せた。
「動くな…」
「じゃあ、絞めんな」
ぎゅうっと絞める中の動きは絶妙で、思わず唾を飲む。このまま下から突き上げたら最高だろうなとは思うが、静がコアラのようにしがみつくのでそれも出来ない。
心は仕方がないと、静の細い腰に腕を回した。
「…なぁ、今度、どっか行くか」
「は?」
心の想いも寄らぬ提案に、静が身体を離して心の顔を見た。紅潮した頬を撫で、濡れた唇に唇を重ねる。
「映画、行く言うてたやろ」
「言ったけど…」
今はどう考えても無理でしょうと言いたげだ。心はそれに笑って、静の額に口付けた。
「今は無理やけど、まぁ、これもすぐに落ち着くからな」
心はそう言って、静をベッドに押し倒した。また与えられる快感を思い出してか、静の雄から蜜が溢れた。
鬼塚組事務所の前に高級車が列をなして停まる。彪鷹はそれをロビーから見ると、うんざりした感じで煙草を咥えた。
「俺、ああいうの嫌いやねんなー」
受付カウンターに凭れ、はーっと大きな息を紫煙と共に吐き出す。総会に顔を出すのは若頭の仕事ではなかったはずだと思い、ふと昔を懐かしみ、少し寂しくなる。
「いやー、若頭っすもん。そんな適当な出迎えとかないっしょ?俺、花撒いてもいいっすよ?」
相川が笑顔でそう言うが、それはバージンロードだろうがと彪鷹は呆れた顔を見せ、置いてある筒状の灰皿に煙草を投げ捨てた。
「こういう総会とかって、しょっちゅうやらなあかんもん?無駄に会議の多い会社は成長せんって、聞いたことあるやろ」
「いやー、俺、バカっすから分かんねぇっすー。でも、今は仁流会が旬っしょ!?だから、色々と話すことあるんすよ!」
旬って何。やっぱ、部下の教育は必須項目だよなーと思いつつも、これは結構、骨の折れることだぞと考えながら開け放たれた観音開きのガラス扉を潜った。
空はようやく日が沈みかけたところで、まだ眩しさがあった。眩しさのせいで視界が白みがかるのが好きではない彪鷹は、サングラスを取り出し掛けた。
今日も長くなるのかなー、やだなーとドアを出て少ししてからある数段の階段を降りた時、シュンッと風を切る音が耳に入った。
ハッとしたときには肩に突き刺すような痛みと、更に遅れて腹に激痛が走った。
「彪鷹さん!!!」
相川が叫んだ時には、彪鷹は衝撃で地面に弾かれるようにして倒れた。反射的に起き上がろうとする彪鷹の上に、直ぐに相川が覆い被さった。
途端、周りの組員が騒然として、彪鷹の周りに壁を作った。どこかぼんやりする視界のなか、組員の一人の肩が同じように貫かれ、地面に弾け飛ぶ。それでようやく、ああ、そういうことかと彪鷹はフッと笑った。
「クソッ!クソッ!クソッ!!おい!!護れぇ!!盾んなれ!絶対に死なすんじゃねぇぞ!!壁んなれ!!中に入れろ!!橘ぁぁぁぁあ!!!」
相川が叫ぶと、中から組員と共に橘が出てきて彪鷹を担ぎ上げた。彪鷹が消えたことで狙撃は止み、負傷した組員を他の組員が建物の中に引きずり込んでいった。
「南方向、2キロ圏内のビルに人回せ!!妙な奴が居たら、片っ端から引っ張ってこい!おい、飯島!崎山に連絡入れて、総会に若頭行けるように手配掛けろ!絶対に、このこと外に漏らすんじゃねぇぞ!!橘!塩谷先生に連絡入れろ!」
相川は的確に指示をしながら、舎弟が差し出したタオルで彪鷹の肩と腹の出血を押さえる。その間も、クソッと悪態を付いて、死なせねぇと呟いていた。
普段はちゃらんぽらんなくせに、やる時はやるんだなと思いながら、彪鷹は薄れゆく意識の中、銀髪が風で靡くのを思い浮かべた。
静は雨宮の愛車に乗り、Cachetteに向かっていた。
今日は金曜日だし少し忙しくなるかもなと思いながら、ぼんやりと外の景色を眺めていると雨宮の携帯の電子音が鳴り響いた。
「あ、やべ。マナーにしてなかった」
雨宮は携帯を上着のポケットから取り出すと、丁度、赤になった信号でブレーキを踏んだ。
「もしもし。え…?はい、はい。わかりました」
雨宮は電話を切ると、ウィンカーを出し車をUターンさせた。
「え?どうしたの?戻るの?」
屋敷に戻る方向だと静が雨宮を見るが、雨宮は何も言わずに進んで少しした路肩に車を停め携帯を弄り出した。
その表情は少なからず焦りの色が見え隠れしていて、静はきゅっと唇を噛んだ。
何か、あったんだ。
「もしもし、俺。お前、今日さ、店出てくれる?早瀬さんには俺から言っとくから。そう、急で悪いけど。ちょっと用事出来て、当分、俺行けねぇかもしれねぇし。ああ、悪いな」
誰だろうと思ったが、とにかく雨宮の邪魔をしないでおこうと静は口を閉ざした。
そして雨宮は通話を終えると、また携帯を弄り出し、どこかにダイヤルした。そうしながら舌打ちをして、大きく深呼吸をしていた。
どんどんと雨宮の顔色が変わるそれに、ただ事じゃないと静は手に汗を握った。
「あ、おはようございます。雨宮です。吉良と俺、休みもらえますか。はい。俺の代わりに星にシフト入るように言ったんで、それでお願いします。そっち、連絡いきました?はい、コード1です。じゃあ、お願いします」
あ、さっきの電話、星さんだったのかと通話を終えた雨宮をじっと見ると、雨宮は背凭れに身体を預けて目を閉じ、息を吐いた。
「帰るぞ、当分、屋敷から出られないからな」
「え!?何かあったの!?」
急なことに、静はぎょっとした。屋敷から出られないとはどういうことだ。
「とりあえず、飛ばすからな。ちょっと黙っとけ」
雨宮はそう言い捨てると、静は息を詰まらせた。
相当、やばいことが起こったんだ。まさか、心に何かあったのか?まさか…。
いつもは安全運転の雨宮が飛ばしたおかげで、屋敷にはあっという間に着いた。大きな門を潜り、その背後でそれが閉まった時、ようやく雨宮が身体の力を抜いた。
「くそ、何なんだ!」
「雨宮さん!もしかして、心に何かあった!?」
「は?組長?違うよ、つうか、とりあえず降りろ。車停めてくる」
雨宮に言われ、静は渋々、車を降りた。
心じゃないとは言ったが、だが、ただ事ではないことが起こっているのは確かだ。組に何かあったのか、それとも誰か、心の周りの人間に何か…?
微動だにせぬまま佇んでいると、その頭を雨宮にコツかれた。
「何してんだ。中、入れ」
「いや、待って。何かあったんだろ!?何があったの!?」
「彪鷹さんが襲撃された」
「え!?」
雨宮は玄関の格子戸を開けると、三和土にスニーカーを脱いであがる。静はそれを慌てて追いかけた。
「あ、彪鷹さんが襲撃されたって、大丈夫なの!?」
「あー、分かんねぇよ。撃たれたってだけしか聞いてねぇし。それで今から、手術するって…」
雨宮はそこで急に話を止め、そして歩くのを止めた。急に立ち止まったものだから、静は雨宮の背中に顔をぶつけ止まった。
「いって、なんで急に止まる…あ、鷹千穗さ…ん」
広い廊下の少し先に、鷹千穗が立っていた。その色がないように見える目が、雨宮と静を捉えていた。
「くそ、聞かれたか」
と、次の瞬間に雨宮はすぐそこの部屋の襖を開け、静の背中を乱暴に押して入れた。強く押されたせいで、静は派手に転んだが慌てて起き上がると振り返った。
そしてそこに見たものは、まるで銀髪の鬼が雨宮に襲いかかる瞬間だった。
「雨宮さん!鷹千穗さん!!」
首を掴まれ、廊下に叩きつけられた雨宮の上に乗った鷹千穗の横っ腹に雨宮が拳を突き入れる。
だが鷹千穗はそれを物ともせずに、雨宮の目を狙って拳を立てた。
「こいつ!!目ぇ潰す気か!!」
雨宮はそれを交わして、また同じ場所に拳を入れ続けた。それが3度ほど続いた時、流石に鷹千穗が飛び退いた。
「へへ、効くだろ、レバー。舐めんなよ、死神」
雨宮が立ち上がりファイティングポーズを取ると、鷹千穗もまた同じようなポーズを取る。だが、雨宮と少し違うように見えた。
「お前、ジークンドーも出来るの?ただの侍馬鹿だと思ってたぜ」
雨宮が笑うと、鷹千穗は一気に雨宮に攻撃をかけてきた。
雨宮が放った拳を片手で叩いて、その反対の手で雨宮の顎を狙って打ってくる。それを寸でのところで交わして、雨宮が肘を上げた。が、それも叩かれる。
あまりの早さに目が追いつかないと、静はそこでハッとした。
「鷹千穗さん!止めろって!」
彪鷹が撃たれたと聞いて、自我を失ってるんだと静は声を荒らげた。
もし雨宮が倒されでもしたら、きっと屋敷を飛び出してどこかに行ってしまう!と思った時、廊下の向こう側で人影を見た。
誰だと目を凝らすと、その男が銃を構えているのが目に入った。
「…!?」
静が声をあげそうになると、男はシーっと声に出さずに言って笑い、そして引き金を引いた。
ブシュッと鈍い音がして、鷹千穗が動きを止め振り返った。そして、次の瞬間には、ゆっくりとその身体が倒れた。
「鷹千穗さん!!!」
静が慌てて駆け寄る。雨宮はようやく大人しくなった獣に、その拳を下ろした。
「即効性が高いじゃねぇか」
「高杉さん…。これ、何、打ったんですか」
「ったく、これ以上ゴタゴタはごめんだぜ」
高杉は銃を腰に差すと、鷹千穗の背中に刺さった矢のような物を抜いてポケットに仕舞い、反対のポケットから手錠を取り出し鷹千穗の腕を掴んだ。
「催眠剤すか」
「催眠剤!?え、ちょっと待って!」
静が慌てて声を出したが、その静を雨宮が引っ張った。
「雨宮さん!」
「止めろ」
「だって!!」
二人のやり取りに目も向けずに、高杉はどこかへ電話をかけ始めた。それを見た雨宮は静の腕を引いて、歩き始めた。
「雨宮さん!」
「あの人は高杉っていう崎山さんの同期で、組一番っていうくらいの変人だ。今の見て分かっただろ?俺だって、ちゃんと話したことも目を合わしてもらったこともねぇ。もちろん、お前が話しかけたとしても、それは同じ。機嫌が悪けりゃ、組長にだって態度が悪くなうような人間だ」
「あ、の人が?」
そんな風には見えなかった。少し幼さの残る顔で、だが、確かにまるでそこには雨宮と静が居ないような動きを見せていた。
「とりあえず、お前は部屋から出るな。組長が今日は戻るかは分からねぇけど、高杉さんの言う通り、これ以上のゴタゴタはごめんだ」
きっぱりと言い捨てられ、静は心とのプライベートルームに押し込まれた。
「ま、まって!鷹千穗さん、どうなるんだ!?まさか、殺される!?」
「アホか。そんな勝手な真似、さすがの高杉さんでもしねぇよ。多分…落ち着くまで、閉じ込められるんじゃね?」
「え!?どこに!?」
「車庫の横に使ってない蔵があるから、そこだろうな。心配しなくても、拷問したりひどいことしたりしねぇよ。つうか見たろ、さっきのあれ。ひどい事されかけたのは、俺だつうの」
「でも、閉じ込めなくても」
雨宮は眉尻を下げて、大きく嘆息した。
「あのな、さっき、コード1って言ったろ?あれ、組では危険度1ってことだ。最高レベルが0。ようは、今最高レベル目前のところに組が来てるってことだ。意味分かるだろ?そんな時に、死神に構ってられねぇんだよ」
雨宮はそう言って、格子戸を閉めた。静は閉められた格子戸の前でしばらく微動だに出来ずに、そして震える唇を手で擦った。