花の嵐

花series second2


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朝、目が覚めると珍しく心が寝息を立てていた。眠っていると子供の様なあどけなさが可愛らしいなと、静は前髪を掻き分けていつもは獰猛な目つきを隠す瞼に唇をつけた。
睫毛が長い上にしっかりとしているのも何だか意外だし、特に何もしてないのに肌が綺麗なのも意外だ。
そうして観察している静の腰に心の逞しい腕が周り、あっという間に抱き寄せられた。
「人が寝てんのに、いたずらするな」
「起きてたのかよ」
「起こしたん、お前やろ」
静は自分の目の前にある鍛え上げられた胸元に唇を落とすと、そっと指先で撫でてみた。
「お前なぁ…」
「え?なに…」
「いや、ええわ…」
心は静を胸元に抱いたまま、ナイトテーブルに置いてあったスマホを手にした。そして、それを弄ると不敵に笑った。
「何?どうしたの?」
「風間を襲撃したアホが出頭したんやと」
「え!?だ、だれ?」
心の思いもよらない発言に身体を起こす。まさか、神童!?と一気に鼓動が早くなった。
「昔、風間が会長なる前に仁流会におったアホや…河嶋ちゅう」
「河嶋…」
やはり神童な訳がないかと、静は心の胸元に身体を倒した。
「なんや?」
「あ、いや、仁流会ってことは仲間の人でしょ?」
「元仲間やな。風間が会長になるときに仁流会は内部一掃したしな。風間の方針についていかれへんもん、見合わんもんは破門したりしたらしいから積年の恨みってやつやな」
「恨み…」
神童のは恨みではなく執着に思えた。心になのか組になのかは分からないが、神童は異常な執着で動いている。
「…暇やな」
「は?」
急に何を言うのかと顔をあげると、心がニヤリと笑った。
「出かけるか、二人で」
「ええ!?」
静は思わず声を上げて飛び起きた。
突拍子もなく何を言い出すのか、いや、突拍子もないことを言うのは今に始まったことではないが…。
「出かける!?今!?この時に!?」
「やて、今しかあらへん。邪魔者は風間のとこ行ってるし、やられた二人は容態が安定するん待ってる状態。しかも、風間襲った人間は出頭した」
「いや、だって、ダメだろ」
「いけるいける。俺もたまには休暇が欲しい」
「いや、会社?も組もあるし」
「俺が行ったところで、右も左も分からん。そもそもイースフロントは、俺はノータッチつう約束やからな。組も特にすることないし、ええわ」
心は起き上がると煙草を咥え、火を点けた。
「でも…現実問題、出かけれるわけないじゃん」
今、この状況で出かけるとか不可能だ。心が言う邪魔者が誰かは想像はつくが、その邪魔者が居ないとしても自由というわけではないのだ。
「確かに簡単ではないわな。高杉はともかく、他の連中が面倒臭い。あー、お前は雨宮に上手いこと言うて一人になれ。2時にお前の大学近くの公園で待ち合わせな」
「え…!?ええええ!?」
最近、麻痺してきて忘れていたが、心はこういう男だ。
普段は邪魔くさがって梃子でも動かないくせに、何かをしようとしたときは今までエネルギー補充でもしていたのかというほどに即断即決だ。
そしてそこに、心の性格である傲岸不遜で豪放磊落というのが付いてくる。状況を考えることもなければ、何なら組長である自分の立場を心得たことは皆無だと思う。
「いや、でも拙いだろ」
「そうか?相馬が夜には帰ってくるし、昼には崎山が帰って来てイースフロントに顔出すらしい。今しかあらへん」
心は悪戯っ子のような顔をみせて笑うと、こういうのも楽しいもんやぞと静の鼻を摘んだ。

「あ?大学にまた行くのか?」
雨宮に露骨に嫌な顔をされ、静は思わず後退りした。
「え、ダメなの?」
いや、ダメだっていうのも分かるけど、まずここで躓くのかと雨宮を見上げた。
「ダメつうか、今日じゃねぇとダメなの?俺、今日は崎山さん迎えに行ったりして時間ねぇんだけど?」
「あー、の…俺を卒業させてくれた教授が、俺に顔を見せろって言ってるみたいで…」
「ああ、何か特別に課題くれて単位くれたっていう?」
「あ、そう。覚えてたんだ。いや、卒業してから全然逢ってないし、お礼も言ってないし…」
しどろもどろになりながら、何とか言い訳を吐き出す。嘘に不慣れなせいもあり、言葉を口にする度に胸が詰まった。
心苦しいとはこのことだと、静は項垂れた。
「大学って、そんなわざわざお礼とか言わねぇといけねぇの?どっちにしても俺は行けねぇから誰かつっても、人居ねぇし」
「あ、いい。いいよ、大丈夫。電車で行くし、大学までも人多いし…」
雨宮は少し考えた風な顔をしたが、しばらくして仕方ないかと頷いた。
「スマホの電源は落とすなよ。何かあったらすぐに連絡入れろ」
「あ、ありがとう!」
雨宮に心の中で謝りながら、第一関門を突破出来たことに静は内心、浮かれていた。
思えば二人だけで出掛けたことというのが、皆無なのだ。心は顔が知られていないと言えども、仁流会鬼塚組の組長である。
一人で気軽に歩き回れる様な立場ではなく、そして多忙な男だ。それが付き合い始めてから、初めて二人で出かけるのだ。
もしかすれば、これが最初で最後になるかもしれない。神童のことを忘れたわけではないが、1日くらい心と楽しみたいと思っていた。

静が部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、前から心が歩いてきた。静がにっこり笑うと心も不敵に笑いすれ違いざまに、後でなと頭を撫でられた。
約束まで時間がある。とりあえず着替えて、ご飯を食べて…。服は何を着て行こう。
まるで初デートに出掛ける少女みたいだなと我に返ったが、そもそもデートってしたことがないなと思った。
昔はそういうのに時間を作る余裕も心の余裕もなかったし、心と一緒にいる様になってからはBAISERの仕事が面白くて、それに夢中になっていた。
帰れば心が居るということが、それだけで十分だったところもある。
「でも、映画とかは行きたいって思ってたんだよな」
そうそう、以前もらったチケットの期限も上映も終わってしまったけど、映画とかどうだろう。世間知らずの坊ちゃんを連れて歩くのは面白い。
「あ、二人だけで…」
そうだ、この屋敷までの短い距離だが、二人だけで行動したことがある。デートとは呼べないが、あの短い時間がすごく楽しかったのだ。
静はジーンズを取り出してそれを履くと、お気に入りのTシャツを着てマウンテンパーカーを羽織った。そしてシューズボックスからエンジニアブーツを取り出すと、ソファに置いていたリュックを取って玄関に向かった。

「静、乗ってけ」
心に呼び止められ見ると、雨宮がハンドルを握る車に心が乗っていた。前後も護衛の車が付き、今にも発進する状態で静は慌てて車に飛び乗った。
「駅まででいいよ?」
「ああ、大学行くんやろ。俺らは反対方向やらからな」
静の隣で何食わぬ顔で言う心の手を抓ると、顔を顰められた。罪悪感ゼロかよ!
「いいな、何かあったらすぐな」
雨宮に念を押され、おかんかよと心が笑う。同感だけど、色々と迷惑をかけているので声には出さずに頷く。
そして駅で車を降りて、静は電車に飛び乗った。時間帯もあってなのか、少しだけ人の多い電車に乗ると違和感を覚えた。
何か変だなと思って、あ、電車が新しいと気がつく。デザインも内装も一層されていて、座席も以前よりゆったりとしているような感じがする。
そういえば電車に乗るのも久々だ。自分もそこそこ世間知らずになりかけているぞと、小さく笑う。そして、息を吐いた。
リュックを開けて中を覗けば、静のではないスマホが入っている。念のためにと持ってきたが、いつ連絡がくるのかも分からない。
こんな物に縛られることは本意ではないが、人質を取られている状態と同じ今は従うしかないのだ。

そこから静は駅前のテナントを一人で見てまわり、時間を潰していた。デートってこんな緊張するんだなと、同世代のカップルを見ながら照れ臭さに顔を赤らめた。
普通の男女のカップルのように手を繋いでどうこうは出来なくても、二人だけで出掛けるのが嬉しいとか、どれだけ純情だよと思う。やることやってるくせにって、こういうことを言うんだろうなと赤くなった頬を撫でた。
静はスマホで時間を確認すると、そろそろだなと公園へ向かって歩き出した。
しかし、あの男はどうやってイースフロントから一人で抜け出そうというのだろう。
一度しか入ったことはないが、とても気安く中に入れる様なところではなかったし、外に出るのも一苦労しそうな場所だった。もしかしたらダメになることもあるかもしれないが、それはそれで仕方がないなと思っていた。

公園には大きな噴水があり、その向こうは大広場になっている。休みの日にはイベントも執り行われる様な場所で、噴水の周りでは一息つくサラリーマンなども見受けられる。
敷地には様々な樹木が植わり桜の木も多くある。なので花見の時期は花見客で賑わうし、季節で顔を変える遊歩道は散歩する人が常に居る様な場所だ。
この広大な敷地のどこに心は居るのかと考えたが、もし車で来ているのであれば道路沿いの方かもしれない。
入り口付近は車が停車出来、奥へ行くと駐車場もあるような場所だ。多分、そこだろうなと静はそこへ向かって歩き出した。
静が歩いていると、何だか人の集団が歩いているのが見えた。何だろうと思っていると、一番先頭の人が小さな旗を掲げている。外国人観光客のようだ。
最近、本当に増えたなと思う。公園の駐車場が大型バスが停めれるようになっているせいで、この公園でも外国人をよく見るのだ。
その観光客の隙間から、遠目から見てもよく目立つ車が目に入った。心のH2だ。その車の横で煙草を燻らしている心も見え、静の顔はパッと明るくなった。

心は煙草に火を点けると、疲れたと息を吐いた。自分の会社から抜け出すのに、あんな神経を遣う羽目になるとは思ってもいなかった。
数日ぶりに逢った崎山の機嫌が最高潮に悪いのが厄介だなと思った。相馬の機嫌が悪いのよりも、崎山の機嫌が悪いほうが面倒くさいのだ。
色々と報告を受けたものの、心からのアクションが薄いのが気に入らないのか、機嫌はどんどん悪くなっていった。
心の性格を分かっていても、自分に余裕がない時は許容出来ないところが崎山は若いなと、自分よりも年上の男を捕まえてどの口がと言われそうだが、そう思ってしまう。
まだまだだなと言ってしまうと取り返しがつかなくなるので一応、口は閉ざした。言っていい時期と悪い時期くらいは、理解しているつもりだ。
時間も迫ってるなと思っていると、崎山に取引先との打ち合わせが入った。その間に飯を食えと言われ、心は適当な返事をしつつ今しかないなと思った。
好都合なのはイースフロント内に雨宮が入ってこないことだ。裏の人間なので雨宮は基本的に中に入るのを嫌がる。今回も駐車場で待機のあと、相馬を迎えに行くと言っていた。
時間的に相馬を迎えに出ているだろうから、駐車場に雨宮は居ない。残るは…。
「どうかされましたか?」
このニョロニョロだ。最年長者でもある佐々木を、どう欺くか。意外に侮れないのが、この佐々木という男だ。
心は別にと言いながら、煙草を取り出した。
「あ、ここ、禁煙なんですよ」
「あ?ったく、どこもかしこも…」
「出てすぐ右手に、喫煙所があります。社の人間は誰も入ってきませんから、どうぞそちらで」
「自販機は?」
「中にありますよ。ごゆっくりどうぞ」
意外にちょろい!と思いながら、心は部屋を出た。喫煙所に入り、ぼんやりと周りを見渡した。
案の定、監視カメラ付き。プライバシーとかないのかよと思いながら、煙草を灰皿に入れると喫煙所を出て左右を見渡した。すると、やはりと言うべきか、佐々木が部屋から顔を出した。
「どうされましたか?」
「ここ、広すぎるから迷子なるわ。便所どこ?」
「ああ、お手洗いなら、廊下を突き当たりにいったところですよ。いつもと違う階ですから、すいませんね」
言う佐々木を手で追い払って、チャンス到来と廊下を歩いているとエレベーターを見つけた。何となくボタンを押すと、すぐに扉が開いた。
中に入り地下のボタンを押してみると、そのボタンが灯ったのだ。
「ええやん」
心はそのままエレベーターに乗り込むと、一気に地下まで降りた。地下駐車場の入り口を開けて、顔を出すとやはり雨宮と乗ってきた車はない。だが、その奥に愛車を見つけて口角をあげた。
今回、護衛に乗せて持ってきていたのだ。何で持って行くのかと雨宮に訝しがられたが、いつもの気まぐれかと、そこまで追求されなかった。
日頃の行いだなとポケットからスペアのキーレスを向けて車を開ける。そしてすぐに車を発進させ、何も知らない守衛にゲートを開けさせ外に飛び出したのだ。
念のためにスマホの電源は落とした。相馬に連絡がいつ行くのかは分からないが、雷はあとで落としてもらおう。

心は煙草を燻らせ、長閑な時間だなと公園の入り口から中を眺めていた。日頃から外に出ないせいで季節感を味わうことがなかったが、たまにはこういうのもいいなとらくしないことを思った。
自分の価値観や環境が徐々にではあるが変化している。それはやはり静の存在があるからだ。
ふと見ると、観光客の団体がわらわらと歩いてきた。そうか、あっちが駐車場かと目を向けると大型バスが数台見えた。
「excuse me」
声を掛けられ見ると、観光マップを持った杖をついた若い男の外国人が心の前に立っていた。男はマップを広げて心に見せようとしていたので心は煙草を携帯灰皿に落とすと、首を傾げた。
「What's the matter? 」
道案内に自信はないが、どうにかなるだろうとマップを覗き込むと男が指を差す場所に舌を鳴らした。そして次の瞬間、心の身体から大量の血が噴き出したのだ。

静が目に飛び込んで来たのは、まるで薔薇の花びらでも散るかの様な花の嵐だった。
外国人に道を聞かれてやがると、ほくそ笑んでそれを見ていた。どう対応するのか、見物だと思ったのだ。
だが、その外国人は素早い動作で杖を振り上げると同時に、心を切りつけていた。そう、杖だと思っていたそれは剣だったのだ。
血が吹き出し、ズルズルとずり落ちるように倒れる心に足が震えた。何が起こっているのか分からず、視界がぐらりと揺れた。
まさか、まさか…そんなと震える身体を何とか奮い立たせ、必死に心の方へ向かった。そして、ぎくっとした。
心を切りつけた男が振り返り、静に向かって歩いてきていたのだ。剣からは血が滴り、男の服は血で汚れていた。
男はまるで何事もなかったかのようにゆっくりと、まるで散歩でも楽しむかのようにゆったりと歩を進めていた。
歯がガチガチと音を立てて合わさる。呼吸が浅くなり、たった数メートルの距離がひどく長く感じた。じわりじわりと距離を縮めてくるたびに、鼓動が大きく速くなった。
だが、一瞬たりともその視線を外すことも、逃げることも出来なかった。そして、その口元を見て息を呑んだ。
「ふ、フードの男…」
静が呟くと同時に男は目の前にまでやってきて思わず身構えたが、男は静に目もくれずに横を通り抜けてしまった。拍子抜けしたが、次の瞬間、静は心の元へ走り出した。
「心!!心!!!!」
崩れ落ちそうな心の身体を支えるが、静の服も一気に心の血で染まるほどの出血だ。静はそれに戦慄いた。
「うる、せぇ、声、あげんな。落ち着け、車に乗せろ、周りに気が付かれるな…」
吹き出る様な血を押さえながら、静は心に言われた通り車のドアを開けた。そして心を押し込む様にして乗せると、静は運転席に回って乗り込んだ。
「どうしよう!どうしよう!血が!!」
慌てる静を他所に、心はスマホの電源を入れてどこかに電話をかけ出していた。コールを待つ間も辛そうに顔を歪めているが、静は為す術もなくそれを見守るしかなかった。
「は…ッ、北斗…?血、止まらんわ…」
心は一言そう言うと、痛みからか小さく唸り身体を丸めた。そして力のなくなった手からスマホが滑り落ちた。静はそれを慌てて拾うと、耳に当てた。
「そ、相馬さん!?どうしよう!血が!」
『静さん!?どういうことですか?血って』
「わかんない!しゅ、襲撃されて、心が切られた!」
『切られた!?出血の状態は!?』
「ダメ、すごい出てる!どうしよう!死んじゃう!!助けて!」
誰でもいい!とにかく助けてとハンドルを叩いた。心の顔色は青く、まるで死人のようになっている。このままでは本当に…。
「相馬さん!!!」
『いいですか、静さん。落ち着いて。お母さんが入院していた病院、覚えてますね?彪鷹さんがいるところです』
取り乱す静を落ち着かせるように、相馬がゆっくりと話す。静はその声を聞きながら、自分の額に拳を当てて何度も小突いた。
しっかりしろ、今、自分がしっかりしないと本当に心が危ない。しっかりしろ!!!
必死に自分に言い聞かせ、静は大きく息を吐いた。
『静さん?」
「うん、わかる!」
『すぐに救急対応の手配をします。あなたが心を連れて来てください。それしか方法はありません』
「お、俺が?でも、心の車なんだ、こんな、大きいの…」
『大丈夫です。その車が道を走れば、大概、向こうが避けます。もしぶつけても相手が飛ばされるだけで、こちらはダメージを負いませんし何かあっても責任はこちらがとります。誰かを向かわせる時間はありません!いいですね!?俺が誘導するから、すぐに動け!』
いつもの相馬とは違う荒々しい口調ではあるが、静もそれを気にとめる余裕はない。静は大きく頷いた。
「わかった、わかった…!」
静はエンジンをかけると、アクセルを踏み込んだ。
大通りを抜け、一般道をひたすら走る。隣の心は真っ青な顔で血は止まらない。出血のせいか、身体が小刻みに震えているようにも見える。
それを見て静はパーカーを脱ぐと心に被せ、車の暖房を強くした。
「心、起きて、寝ないで!」
「寝てへんし…北斗に、どやされる」
「そう!だから、寝ないで!起きて!もう、もう着くから!」
見たこともない心の状態に動揺してか、ボロッと涙が溢れた。それを慌てて拭うと、心が静の手を握った。
「次のチャレンジ、いつやろ…」
ミッション失敗と心が呟いたが、その手の力が弱まっていることに気がつき、静は唇を噛んだ。
強引な割り込みをして、クラクションを鳴らして前の車を煽った。さすがにこの巨体のせいか、車はすんなりと道を開けてくれた。
そんなに離れてはいないはずなのに、静にはやたらと遠くに思えた病院がようやく見えてきた頃には静の手を握る心の手は力なく落ちていた。
車が病院の敷地に乗り込むと、手を振る看護師が目に入った。そこへ車を止めるとすぐに看護師がストレッチャーを押し、助手席から心を引きずり出した。
救急入り口から塩谷が飛び出してきて、心の状態に顔を強張らせた。
「オペ室に運べ!今村さん、バイタル確認!柴田先生呼べ!」
塩谷は周りの看護師に指示を出すと走り出し、看護師も慌ただしく走り出した。静は車を飛び降りると、運ばれていく心をただ見ているしかなかった。
そこに相馬が息を荒げてやってきて、静は相馬に抱きついた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!!!俺!!!」
「大丈夫、大丈夫ですよ」
相馬にそう言われても、静は泣き止まずにそこへ崩れ落ちた。