02. A past story of Shizuka

花series Each opening


暗い暗い闇の中に、このまま死ぬまで居続けるしかない。そんな気さえした。
毎日が怒濤の様な日々で、どう生きて来たのかさえ思い出せないし思い出したくもない。いっそ何もかも捨てて逃げてしまおうか、そんな事を思った事がないと言えば、それは嘘だ。
だがその度に母親や妹の顔が出て躊躇う。逃げれば間違いなく次のターゲットはあの二人だ。きっと女の方が使い道はあるだろう。身体を売れるのだから。

静はすっかり陽も堕ちた公園に居た。ポケットの中には現金30万。
こんな所に居なくてもホテルでも何でも優雅に泊まれるだけの所持金はある。正真正銘、静が寝る間も惜しんで汗水たらして稼いだ金だ。
だがそれは静の金であって静の金ではない。この金は明日が支払い期日の支払いの為に置いている金だ。それを破ればどうなるのか、静はいやというほどに知っている。
殴られ蹴られ、唾を吐きかけられ、危うく犯されそうになったこともある。そして男専門の店に売られるとまで言われたのだ。屈辱だった。
はぁ…と溜め息をついてブランコを揺すると、錆び付いた鎖がギィギィと音を立てた。この辺りはバブルの頃に一斉に立てられた団地やマンションが入り乱れている。誰もがその物件は上昇し続けると、信じて疑わなかった。
儚い夢だった。当時、1億の価値のマンションは金利にもならない額に下がった。そうして、ローンの払えなくなった者は逃げる様に去った。
この一帯は昔は窓から燦々と幸せの光を外に零す程、マンション全体が煌々としていた。だが今はどうだ。どの部屋も隠れる様に遮光カーテンが引かれ空き家も目立つ。
その中心にある公園は見るも無惨なほど荒れ果てていた。まるで今の自分の様に。
「おい、吉良」
声が掛けられ静が頭を上げると、黒のスーツを身を纏った男が立っていた。派手な髪色に派手な色のスーツ。ジャケットと同じ色のシャツから見える首には、龍のタトゥーが彫り込まれている。
「今日の見張りはあんたか」
静はどこかホッとしたように言った。男は大多喜組の下っ端で、借金で首の回らなくなった女をスケコマシに渡す役だった。
肩書きも何も無い男は雑用をこなす役に回され、静の様な”債務者”の見張りも担った。多分、年は25歳前後。
美男子ではないが顔のパーツの整った男前だった。名前は、確か藤堂 麻人。
「飯食ったか?何か食いに行こうぜ」
「そんな事したら、あんた、どやされるよ」
「どうせ見張らないといけないんなら、一緒じゃねーか。行こうぜ。今日、ちょっと勝ったんだ」
藤堂はパチンコの仕草をしながら静に笑いかけた。それに静はフッと笑い、立ち上がった。
自分が闇の人間とこうして食事をすることがあるなんて、思ってもいなかった。そもそも住む世界は違っていたはずだ。あんな事にさえならなければ…。

「吉良、食べてるか?オマエ細いんだから食えよ、遠慮するな」
藤堂は不思議な男だった。極道にしておくには少し優しすぎるのではないかと静でさえ思ったほどだ。
静がリンチされ死にかけていたときに看病したのも藤堂だった。
「あんたさ、何でヤクザなんかしてるの?」
静は藤堂が無遠慮に皿に積み重ねてくる肉を一枚取ると、口に放り込んだ。肉は一気に腹に染み、自分がどれだけ空腹だったか今更ながら分かった。
「吉良はヤクザに向いてるよな、肝っ玉も度胸も普通じゃない。俺はさぁ、本当は大多喜なんてケチな組に入りたくなかったんだ」
「組の人間が聞いたら、あんた殺されるぜ」
静はクスッと笑った。
「だろうな。でも、こんな焼き肉屋で、しかも吉良ごときに俺以外に監視はつかない。大体、大多喜をケチな組だと思っている仲間は多いさ」
「俺からしたら、極道ならどこでも一緒だね。ケチで外道だ」
静の不躾な言葉に、藤堂はフッと笑った。
「吉良からしたらそうかもしれないな。でも、俺は仁流会に入りたかった」
「どこだ、それ」
静は聞き覚えのない名前に顔を顰めた。
「日本の極道の頂点を司る組だよ、まぁ、吉良に言っても分かんねーか。とにかくクスリや女でセコいシノギを削ってるような組じゃない。関東を牛耳ってる仁流会繋がりの組は大多喜なんか眼中にないし、大多喜も仁流会に喧嘩は売らない。売ったら最後、明日には潰される」
「大変だな、あんたらも。まぁ、回収なんかセコい商売してるんだもんな」
「俺、お前の事好きだぜ、吉良。堅気にしとくのも勿体ない。でも、こんな事になって…その」
藤堂は言いたい言葉が見つからないのか、飲みかけのビールを一気に飲むと店員に追加を頼んだ。
ボキャブラリーが少ないのは、藤堂の可愛いとこだと静は思った。どこか押し付ける様な物言いもせず、精一杯自分の考えを説明しようとするところは親友によく似ている。
「あんたのせいじゃないし、大体、保証人になった親父にも責任はある。違法金利の取り立てっていうのも理解してるけど、俺みたいな学生はどうしようもない」
「何で大学になんか入った。そのままどっかに就職すれば、まだ金の入り具合も違ったのに…大学に入ったせいで身入りも少ないだろ?」
「意地だよ。親父はずっと大学に行く事を望んでた。自分が行けなかったから、俺と妹には行って欲しいって昔から言ってた。まぁ、それもあるけど、意地でも大学に通う事が組への当てつけ…かな。組、怒ってるんだろ?学生相手は色々と大変なんだってな」
「大学辞めろ」
「冗談」
「じゃあ…サツに行け」
藤堂は聞こえるか聞こえないかの声で囁いた。そして店員が持ってきたビールのジョッキを、指の色が変わるほどの力で握った。
本当に、不器用で闇の世界が似合わない男だと静は笑った。
「俺、負けたくないんだ、負けず嫌いだから」
「そんな事言っても、お前に返せる額じゃない。このままじゃあ、死ぬまで大多喜に金を払う羽目になるぞ。俺はこんなんだけど、大多喜は本当に汚い組だから…お前を売ることだって考えてる」
「ああ、言われたよ、男専用の店に売るぞって先月ボコられた時に」
静の言葉に、藤堂は苦虫を噛み潰した様な顔を見せた。
「こんな言い方悪いけど、オマエは売れない。金にならねーって意味だ。変態には変態なりの趣向があって、オマエみたいな小綺麗な顔した奴は嫌われる。オマエを売るなら、本当に変態も変態、最低なとこだ。…オマエが…苦痛に歪む顔を興奮の材料にするとことか。それこそ、SMなんて言葉じゃ表せない様なエグイ事しやがる。上手い事いっても、デブってハゲの金持ちの奴隷だ」
「肉がマズくなるって…」
静は笑いながら肉を口に放り込んだ。
藤堂の言う事は分かる。大多喜組でも殴られながら説明を受けた。その説明は耳を塞ぎたくなる様なもので、聞くに堪え難いものだった。
「サツが嫌なら仁流会に行け、俺の知り合いが組に居る」
「どこにあんだよ、連れの家に行くみたいに言うなよ。それに俺は極道は嫌いだって。そもそも、大多喜組と同じ穴の狢に頼んでどうすんだ」
「馬鹿、仁流会はそんなんじゃないって。堅気に手ぇ出すんを一番嫌うんだ」
「良いって、本当に。そんなに言うならあんたも組抜けれるか?」
必死に迫る藤堂に、静は箸を置いた。
「え?」
「俺が極道に何かを願うって事は、それと同じって事だよ。俺や家族を苦しめてるのは大多喜組だけど、極道って集団の一部だろ?なのに、その、なんとか会っていうのに頭下げて助けてくれって言うのは、俺にとってはそれくらいの事なんだよ」
藤堂は黙ってしまった。静は再び箸を持つと、焼けた肉を藤堂の皿に次々と載せていった。
「俺、あんたのこと嫌いじゃないよ。こうして誰かと食事するのも、あんた以外は本当に居ない。俺と居るとトラブルに巻き込まれちまうから、あんたが極道で良かったって思うよ」
静の言葉に、藤堂は何も言わなかった。

藤堂は静を部屋まで見送ると、そのまま帰っていった。
支払い間近になると監視の目も厳しくなる。飛ばないか心配で仕方が無いのだろうが要らぬ心配だ。逃げたいと思う気持ちは常にあるが、逃げれる訳がないのだ。静が逃げれば妹や母親に危害が行き、三人で逃げれば関係の全くない親戚に危害が行くのだろう。
本当に馬鹿げていると思いながらも、静は畳に身体を横たえた。四畳半、風呂なしトイレ共同。日当りも悪く、湿気も凄いが引っ越し魔の静からすればどうでも良かった。
ここもまた、出よう。
大多喜組の下っ端が皆、藤堂の様な人間ではない。わざと嫌がらせをして、アパートを追い出される様に仕向ける輩も居る。
結局は、静を早く売りに出したいのだろう。藤堂のあの妙なアドバイスはそういう事だ。

あまり寝る事も出来ずに静は大多喜の事務所に赴き、今月分を支払った。事務所に藤堂の姿はなく、早々に静は事務所を出た。
桟橋を歩いていると、その下を流れる海の潮の香りが鼻腔を擽ぐる。車が車道を突っ切るたびに桟橋は揺れている様に思えた。
このまま車道に飛び出せば死ねるかと思ったが、そんな事をしても何もならない。全く無関係なドライバーが迷惑を被り、自分が居なくなれば母親と妹が地獄を見るのだ。
「結局、逃げ場なしか」
小さく呟いて桟橋から海を眺めていた。すると佇む静に沿う様に車が停められ、静はそれを見て舌打ちした。
「吉良、帰るなら乗ってけ」
後部座席のウィンドウが開き、顔を出した男は下品な笑いをする男で大多喜組若頭の竹中といった。静を舐める様に見るこの男を静は嫌った。
「ワンメーター幾らでぶんどる気?」
静は鼻で笑う様に言うと助手席から降りてきた舎弟に殴られた。
「エラそうな口きくな、糞ガキ!」
「おいおい昭二、吉良の顔殴るな、商売出来んがな」
「商売?」
静は殴られた口元を拭いながら、竹中を見た。
「オマエの払い、金利だけにしかならんからな。ちょっと店出した方がええって話なってん。月40は貰わんとワシ等も商売やからな」
竹中は厭らしく笑うと煙草を銜えた。
もともと車通りや人通りは少ないと言えど、車は通る。だが、こんないかにもの車にクラクションを鳴らす馬鹿も居る訳もなく、車は避ける様に逃げていく。
「40持っていけばいいんだろ?持っていくよ」
「おいおい、軽口叩くな。限界やろうが?ケツ差し出したら軽いって」
昭二と呼ばれた舎弟は静の髪を掴み、グイグイ引っ張った。髪の切れる音がした。
「その前に、兄貴に味見してもらえ」
耳元の昭二の声は酷く耳障りだった。静は昭二の手を払い除けると臨戦態勢に入った。
「おいおい、やるん?」
昭二が笑った。その時、高いクラクションが響いた。しつこいくらいに長く押されている。ベタ押しで延々に響くクラクション、それに竹中の眉間に皺が寄った。
「おいおい!誰に向かってクラクション鳴らしとんねん!!」
昭二は静を無視して、後ろでクラクションを鳴らし続ける車に向かっていく。車は大きな四駆に見えた。昭二が助手席側に近づくと、その扉は勢い良く開けられ昭二は見事に吹っ飛んだ。
「おい!!!!」
竹中の声に竹中が乗っていた車とは別の車の男達が一斉に降りた。開け放たれたドアから、長い足が見えた。
「邪魔じゃ、何しとんねん」
大多喜組の組員で姿こそは見えないが、その声は、地を這う様な低いもので聞き慣れない関西弁だった。
竹中も窓から顔を出し、その降りて来た男の顔を確認しようとしていた。
「あっ!!!おい!やめろ!!!お前等!やめんか!!!」
顔が確認出来たのか、竹中が声をあげながら車を降り、男達をかき分けその声の男の所に向かっていた。静は何がなんだか分からなかったが、どうも、竹中よりも位の上の人間なんだというのは竹中の慌てぶりで分かった。
「これはこれは…仁流会会長補佐さん、ですよね?私、先日、仁流会の会合に少し出させてもらいましてん」
媚びを売る様な竹中の声に静は顔を顰めた。それでも聞き覚えのある名前に静は首を傾げた。どこで聞いた?じんりゅう会…。
「こんな道の真ん中で何しとんねん、貴様誰じゃ」
男の声は若く感じた。顔を見てみようと身体を移動させると、大多喜組の舎弟が静の手を掴んだ。
「車に乗れ」
囁く様に言われたが乗れば最後、そのままあの竹中に好きな様にされるだけじゃないか。静は首を振った。
「わし大多喜組若頭、竹中茂雄です。今日はどちらへ?」
「関係あらへんやろ…おい、何かモメてるやろ?そこ、何しとんねん」
男が近づいて来る。静達が居るのは桟橋の真ん中付近で、走っても逃げるには端が遠すぎる。静は手首を掴む男が一瞬怯んだのを見て、その瞬間に男の臑を蹴り上げた。
「いてー!!!」
臑を蹴られた男は踞り、静はバッと男から離れた。
「あ!!!こら!貴様!!!」
男の声に周りに居た舎弟達が慌てて静に向かって来る。だが静は桟橋の手すりに足を掛け、躊躇う事なくそのまま身体を落とした。
びゅうびゅうと、風が勢い良く流れていく音が耳に聞こえた。そして、あっという間に静の身体は海に飲込まれた。
「何や、仲間割れか。まさか堅気か」
男は手すりから海を覗き込み、竹中を見た。
「仲間割れというか、ちょっと生意気言うチンピラでして。鬼塚さんの手を煩わせる様な事は何もしてません」
へへっと笑う竹中を、男は煙草を銜えて見下ろした。どうせ、セコい仕事をしているのは明らかだったが、ここは仁流会の島ではない。
男は再度、海に視線を落としたが、飛び降りた男が浮いて来る事はなかった。泳いで逃げたか。この高さから躊躇う事無く飛び降りるとは、正気の沙汰ではない。ヤク中か…。
「とにかく退け、邪魔や」
鬼塚は、それだけ言うと車に戻っていった。竹中は苦虫を噛み潰した様な顔をして、車に戻ると助手席に居た舎弟を殴りつけた。
「あんな若造が、何が会長補佐じゃ。いつか潰したる」
竹中は隣を通り過ぎる車を、血の気の走った目で睨みつけながら鼻息荒く言った。

「吉良!!!吉良!!!」
ドンドンとアパートのドアを叩く音に、静は溜め息をついた。こうして騒ぐから出て行けと言われるんだと、静は外を確かめずにドアを開けた。
「ウルサいって。こうやって騒ぐから、出て行けって言われる…」
「おい!海に飛び込んだって」
藤堂は静の身体を探る様に触る。ケガがないのか心配しているのだろうが、見た目と違い静の身体は頑丈だ。
あの時も釣りをしていた老人に引き上げられ、親切な老人は断る静にタオルを押し付けた。
「竹中に見つかったんだ。あれが一番逃げれる方法だったから。ここも出るよ。俺の支払い上がったんだろ」
「仁流会の会長補佐と逢ったって?」
ああそうだ、仁流会。藤堂からしつこいくらい聞いた名前だった。
「逢ったて言っても、俺は顔も見てないし…。時期の早い海水浴したから」
「せっかくのチャンスだったのに…!!」
「何それ?」
静はクスクス笑って、藤堂を見た。
あの場で見ず知らずの静が助けを求めただけで、仁流会の会長補佐とやらは人助けをするくらいの偽善者なのか?
訝しむ静を他所に怪我をしていないことに安心したのか、藤堂はホッとした顔をして玄関に静を押し込んで自分も入り込んだ。ドアを閉めてしまえば、お互いの顔が微かに見えるほどの暗闇が二人を包んだ。
「仁流会は全国どこにでもある。別にこの土地じゃなくでもいい、サツが嫌なら!!!」
「落ち着けよ、本当に何なんだ。分かった、一度仁流会の事は調べてみる。有名な組なんだろ?分かったから」
静がそう言うと、藤堂はホッとしたような顔を見せた。
「…吉良、俺、今日仕事あるんだ」
いつもと違う真剣な顔。声を低く落とし、切羽詰まっているようにも見えた。それに余程の事なんだろうと静は首を傾げた。
「何の仕事?」
「鉄砲玉だ。相手は大多喜と同じくらいの組で、たま取れれば俺は正式に構成員になれる。そうなったら、オマエを買う」
「やだよ、俺、そういう趣味ないから。あんたも、やめなよそういうの。ヤバイじゃん」
ハハッと乾いた様な笑いをする静の両腕を、藤堂が掴んだ。力一杯掴まれて、痛みに顔を歪めた。
「ちょ、いた…」
「別に、何もしなくてもいい!俺がオマエを買えば、こんな無茶な支払いから逃げれる。竹中に買われるよりは全然良い。オマエは俺に金を返せば良い。金利も下がるし元金だって減る!それで落ち着いたら仁流会に行こう。竹中は汚い奴だから、俺が吉良を買っても何をしてくるか分からない。内紛に手を貸すのかは分からないが、会長補佐に就いた男がかなりの変わり者で、それで組織全体がかなり変わったらしい。だから手を貸してくれる可能性は高い。でも、その前に俺はこの仕事を成功させて、オマエを買わないと。吉良、オマエにはもう後がねぇんだ。俺が仕事を成功させてもムショに行く事になる。俺が外に居れるうちに、俺を安心させてくれ!」
思い詰めた様な、必死さの伺い知れる顔だった。藤堂は本気なのだと静は思った。
「成功、するのか?」
「分からないけど、させる」
「本当に極道って馬鹿だよな」
「本当にごめんな」
藤堂は静を抱きしめると、ただ呟いた。静はそんな藤堂の胸に耳をつけた。心臓に血液を送る音が聞こえた。
きっと、あの竹中とも流れている血は同じはずなのに、竹中の血は赤くはないだろうと静は思った。藤堂が自分に何らかの感情を持っている事は気がついていた。
だが静には答える事が出来なかった。極道である藤堂は好きではないが、藤堂の人間性は好きだ。
では、極道をやめた藤堂は?自分と同じ、同性の藤堂は?そしてそれは、藤堂が静に抱く感情と同じなのか?
静は分からなかった。そんな事を考えていると顎に手をかけられ、唇に少し固い暖かい唇が重なった。ちゅっと吸うようにして唇が離され、またぎゅっと抱き締められた。
「絶対、成功するから」
藤堂はそう言って、しばらくの間、静を抱き締めていた。そして静もおずおずと藤堂の背中に手を回した。

翌日、大学の食堂で読んだ朝刊に小さく暴力団の抗争か?と書かれた記事を見つけた。藤堂 麻人(28)が撃たれて死亡と書かれていた。
「28だったのか」
静は誰に聞こえることのない声で呟くと顔を机に突っ伏した。数回、頭を机にぶつけ必死に唇を噛んだ。
だが抑えることの出来ない涙は次々と溢れ、零れた。
あの時、藤堂を止めるべきだったのか。きっと、竹中に上手い事言われて鉄砲玉に使われたのだろう。竹中には藤堂が静に対して特別な感情を持っている事が分かっていたのだ。
極道には必要ない、情を深く持つ男だった。静を売るにしても何にしても邪魔な存在だったのだ。
藤堂がこの仕事を成功したとしても、静は藤堂が買い上げる事など出来なかったのだろう。藤堂は優しすぎ、そして疑う事を知らなかった。そして藤堂は死んだ。
もう自分と気兼ねなく食事が出来る人間は居ない。静は机の下で握った拳を握りしめた。
誰か、助けてくれ。
ただただ、本気でそう願った。