14. Une tasse de thé

花series Extra Shot


土曜の昼下がり、オープンカフェのテーブルで優雅なティータイム。聞こえはいいが、居心地は最悪。
長身な身体を纏うリクルートスーツは、どうも着心地が悪い。安いからとか生地が悪いとかじゃなく、自分に不釣り合いすぎてたまらない。
黒ぶち眼鏡に黒く染めた髪。変装と言えばまだ格好がいいが、なんだか変質者のような感じが否めない。
「あかん、吐く」
成田は呟いて、一口も口をつけていないアイスコーヒーを見つめた。長い時間放置していたせいで氷が溶け、上の方が水っぽく見える。
こんなはずじゃなかった。今更、後悔してもどうしようもないが、こんなはずじゃなかった。
恋人であり同じ舎弟仲間の崎山が、どうしても外せない案件があるからと成田に一つ仕事を回してきた。崎山が仕事を回してくる事は珍しいことだ。
成田に頼むほどに切羽詰まっているのかと、成田はそれを受ける事にした。
簡単な調査。ただ人に会うだけと言われ、相手の素性も何も聞いていない。まぁ、逢うくらいならと安請け合いしたはいいが、仕事の条件として提示されたのがこのコスプレみたいな格好。
誰に会うのか何の調査なのかも言われぬままに放り出され、やっぱり無理ですなんて言う暇さえなかった。その時その時で立ち回れる崎山に比べれば、成田はずぶの素人。使い物にはならない。
そんなことを誰よりも知っている崎山が回すくらいだから、本当に簡単な仕事なのだろうが、万が一失敗なんてしようものなら何を言われるか考えれば考えるほどに辛さが増す。
大体、カフェってなに?しかも、ただのカフェでもない雑誌で特集を組まれるほどにケーキが人気なカフェ。
無論、成田以外は客層は若い女の子が圧倒的な割合で席を占める。ポツポツ居る男は女連れで、男一人は成田だけだ。まるで罰ゲームのようだ。まさか本当に罰ゲームか?
わからないことだらけの現状が成田の思考能力を余計に混乱させた。
「成田さん?」
不意に名前を呼ばれ、来た!と顔をあげ、口を開けた。
「は?」
「あなた、成田さんよね?」
成田に声をかけたのは、滅多に見ないような造形の美少女と呼ぶに相応しい女子高生だった。
艶やかな長い黒髪にセーラー服。メイクを施さなくても卵のようにつるんとした肌が綺麗で、若さという最強の武器が彼女に更なる磨きをかける。長い睫毛に芯の強そうな瞳。ぷるんとした小振りな唇…。
いや、誰?これが調査対象者?いや、女子高生ですけど。いや、実はどっかの組の組長の孫娘的な。いや、それはそれでもっと意味不明。
あんぐり口を開ける成田の前に少女は躊躇いなく座った。
「え?は!?なに?あ、いや、えっと」
「成田久志さんでしょ?」
「は、は、はい」
思わず背を正すと、それをプッと笑われた。
「初めまして。私、新藤涼子です」
「…新藤?」
聞いても分からずに首を傾げると、また笑われた。
「吉良涼子っていえば分かるのかしら?」
「…き、吉良?ああ!!静さんの!」
「妹です」
にっこり微笑まれ合点納得。芯の強そうな目が、どこかで見た様な気がしたのだ。そうだ、静にそっくりなのだ。
「双子でしたっけ?」
思わず声に出すと、また笑われた。双子な訳がない。相手は女子高生だ。どんな勘違いだと成田は頭を掻いた。
「そんなに似てる?」
「あ、はい」
「似てるとは言われてきたけど、双子って言われたのは初めてよ?」
「ああ、そうなんや?あ、なんか頼みます?」
「ここ、ケーキ美味しいのよ?成田さんは?」
「いや、俺は…あ、ほな甘すぎひんやつ」
「じゃあ、チーズケーキにしましょうか?」
涼子は笑うと店員を呼んだ。
本当の美人というのに初めて逢った気がする。もちろん異性で。
真の美人は何をしても鼻につかない。周りの視線が涼子に降り注がれても、それに優越感に浸る訳でもなく嫌がる訳でもなく、ただ自然体。慣れなのか、そういう性格なのか。
いや、それよりも何よりも、成田の胸中は自分の立ち位置だ。
こんな変質者みたいな格好をしろと要求してるくらいだから、極道というのを隠しているんだろう。なら肩書きは?まさか、弁護士なわけないし。
「本当に関西弁なんだ?」
「え?あ、はい。って、俺のこと知っとるんですか?」
「いつも会いに来るのは崎山さんなんだけど、今日は忙しいから同僚に行かせますって。関西弁の背の高い男ですって」
「あ、はい」
崎山の同僚ということは、弁護士か。まさかの無茶ぶりだなと、成田はひきつった笑顔を見せた。
「ずいぶん背が高いんですね」
「ああ、はぁ」
「うちは、兄も父も背が高い方じゃないから。ほら、崎山さんも兄と同じくらいだし」
「ああ、せやねぇ」
「ふふ…」
急に笑われてハッとなる。何だかおかしなことをしたかと、思わず目を泳がせた。
「あ、ごめんなさい。緊張してるのかな?って思って」
「え?あ、まぁ、その」
身元が定かでない分、後ろめたさがあるんですとも言えずに苦笑い。それに、涼子は笑う。
笑うと益々、静に似ている。真っ直ぐ素直に育った感じが表情に出ていて、好感が持てる。
落ち着く場所のない手をパタパタ動かしていると、ちょうど注文した品が運ばれて来て成田は手を伸ばした。妙な緊張感からか、喉が異様に乾く。
「何だか意地悪してるみたいね」
「は?」
「えーっと、あなたは舎弟?」
ブッと、飲んだコーヒーを吐き出さなかっただけ賢いと褒めてほしい。健康的なぷるんとした唇から紡ぎ出された言葉が、あまりにも不適切過ぎて目を丸くする。
「しゃ?」
「やだ?間違ってる?何ていうのか、よく分からないの。えーっと、チンピラ?」
「いやいやいや。ちょっと…」
何を言い出すのかな、この子は。舎弟とかチンピラとか。正解ではあるけれども、正解ではあるけども!!
わたわたと慌てる成田を見て、涼子がプッと吹き出した。
「ごめんなさい。狼狽えてるところが可愛くて意地悪しちゃった。崎山さんから聞いてて、知ってるの。鬼塚組の人でしょ?」
ちょっと待てー!と叫びたかったが、一気に毒気を抜かれた気分。涼子の口から聞く、まさかの事実。
「崎山から、聞いてる?」
「そう。崎山さんからはね、名刺もらったの。えっと、何ていうの?裏の方って言い方しても大丈夫?それとも本業って呼ぶの?名前を出すべき?鬼塚組って」
「待て待て待て。嘘やろ、マジで?」
「マジで」
うふふと笑う涼子は、ケーキを一口頬張るとにっこり笑った。
「間違えてはないでしょ?同僚に行かせます」
「ちょっと」
吉良やのうて崎山って苗字でしょ、あんた。と言いたくなるくらいに覚えがある性格。こちらの出方を楽しんで見ていた鬼畜ぶりに頭痛がした。
「本当はもっと意地悪しちゃおうかなって思ったけど、成田さん見てたら可哀相になっちゃった」
女子高生に可哀相って言われる俺が可哀相と思いながら、成田は目の前のチーズケーキを見た。
緊張が一気に解れたのか小腹が減る。成田は添えつけられたフォークを手に取り、チーズケーキを口にした。
「崎山とはよく?」
「三ヶ月に一回くらい?たまに勉強をみてもらうの」
「は?俺は無理やで、反対に教えてもらわなあかんわ」
「そうなの?」
「崎山は秀才やから」
「勉強が全てじゃないでしょ?そうね、例えばうちの学校にいつも一言余計な事を言ってしまう教師が居るの。あたしから言わせてもらえば、成田さんの方が人生を謳歌してそうよ」
それは、ようはスゴく厭味な教師ってやつか?公務員という将来が安定した職に就いた、ちょっと厭味な教師よりも明日明後日がどうなるか分からない極道者の成田の方が人生を謳歌している?
「明日には新聞に載るかもしらんような俺が?」
「そうよ。成田さんみたいに素直だったら、あたしも可愛気があるのになぁ」
女子高生に素直と言われる極道ってどうなの?というツッコミは敢えてせずに苦笑い。
確かに、びっくりするくらいに美人だけども、美人過ぎる類いかもしれないけど。で、その悩み?
「可愛気ちゅうんは、好きな奴の前だけで出せばええやん。誰彼構わず安売りするもんやないやろ」
「あら、素敵。そうね。でも、あたしね、見た目がこんなんだから誤解される事が多いの。まぁ、わざとしてるときもあるけど、反省してないとかは良く言われるわ」
「わざと?」
「反省する必要がないと自分が判断したら、反省しないでしょ?」
にっこり、今日一番の微笑みを浮かべられ、思わず青くなる。
強っ!益々、崎山の血縁が濃厚。崎山に勉強なんか教わるから、性格も似るんじゃないかと思うほど。
静も気の強いとことはあるが、実直な素直さだ。兄妹って、ここまで違うものなのかなと自分を思い起こしてみるが、男同士の兄弟とでは比べる対象にならないなと思った。
「成田さんって、すごく素直でしょ?」
「素直でこないな商売するかー?」
「後悔がないなら、間違ってはいないわ」
あ、真っ直ぐだ、吉良の血だ。と、成田は思った。
静の突き抜けるような真っ直ぐな精神。例え、相手がアウトローを気取っても、それに怯えを見せることなく、ただ只管中身を見ようとする。
魂と魂のぶつかり合い。臭い台詞で言えば吉良静はそういう人間だ。そして、そんな兄を見てきた妹もまた、その精神を受け継いでいた。
「崎山は好き?」
「好きよ?成田さんも」
にっこり澱みない笑顔を向けられる。悪い気はしない。
妹ってこんな感じかなと、兄しか居ない成田は崎山が忙しい合間を拭ってまで涼子に会いに来る心情を思う。
「崎山さんって、お兄ちゃんに似てると思わない?」
「え?そう?」
腹黒いよ、恋人の自分が言うのもなんだけど、辛辣で情け容赦ないし。
「ムキになるとこ」
「あ、分かるわかる」
ムキになるとこというか、頑固。ダイヤモンド級の固い固いあの頑固さは、もうこっちが折れないことにはどうにもならない。
「ま、ムキになるってか、」
「わがままよね、あれは」
「そー!そーなんよ!」
成田は思わずゲラゲラ笑った。あまりに大きな声を上げたので、周りの視線が痛くなり直ぐに口を塞いだ。
頑固というのは、とどのつまり我が儘なのだ。不思議なもので、何だかそんな頑ななら、もういいよと思ってくるのだ。
何だか理不尽だなと思っていても、あの巧みな話術で騙されてしまうし、それを嫌だとは思わない。
我が儘だなー、もう。なんて本人には言えないが、そんな仕様がないなぁという感じになってしまうのだ。
「長男だから?」
成田がボソッと呟くと、涼子がそう!と同意する。
「お母さんもお父さんも、お兄ちゃんを甘やかしてたと思うの。厳しくしたとか言ってたけど、あの頑固さは結局、あたしからしたらただの我が儘だもの」
「やんなー。俺も兄貴おるから分かるわかる」
「お兄さんがいるの?」
「長いこと会うてないけどな」
「そうなの?」
「でも、こうして話してたら崎山も静さんもただの我が儘ってやっちゃなぁ」
何だこれ、楽しいと成田はアイスコーヒーを口にする。
そういえば崎山のことをこうして誰かと話したことはない。相川は日頃の恨み辛みで成田は聞く側だし、橘なんて崎山を何だと思っているのか怯えて話にならない。
雨宮や高杉などは他人のことはどうでもいいタイプだし、心に至っては本当に組長やる気あるのかというくらいに組員に興味がない。というか、関心がない。
まぁ、心や組連中と崎山との何を話すのか、反対に聞かれると返答に困るが…。
「ねぇ、成田さん。ケーキ、もう一個いい?」
にっこり涼子が微笑んだ。あ、そっか。この兄弟、胃袋は同じかと成田はプッと笑った。
「かまへんし。何個でも好きなだけ食え」
この年頃の子は周りの目を気にしてそんなに食べたりしないのかと思ったが、涼子はやはり違うようだ。
食べたいから食べる。すごい食べてると、周りが笑おうが何を言おうがお構いなし。最強美人だなぁと成田は笑った。

「お、結構、話てもうたなぁ。そろそろ帰るか」
涼子との会話は楽しく、気が付くとかなり時間が経っていた。崎山の話や静の昔話や成田の話、涼子の学校での話など、そのネタは尽きる事はなかった。
初めの緊張はどこへやら。ただ、楽しい時間だけが過ぎた。
「次は、髪の毛、普通で来てね」
涼子がニッコリ笑う。この罰ゲームのような格好の事だろうが、確かに次回があるのであれば普通の格好で来たい。
「ってか普通の格好で来たら、俺、援交してると思われそう」
「そう?平気よ。でも成田さんって、本当に聞いたままの人で初めて逢った気がしなかったわ。自分の我が儘を一番に聞いてくれる恋人って本当ね」
「…は?」
恋人って言いましたか?今。
「付き合ってるんでしょ?スゴく長いんでしょ?」
「え、ちょっと…」
何これ、最後にデカイトラップ来た!!
「いや、え?崎山に?」
「そうよ?あ、平気よ、私、そういうのに偏見は持たないから。それに、聞いた通りの人だし。あ、いつもね、崎山さんと逢う時、成田さんのこと話してるの。だから、今日は私のわがままで成田さんに会いにきてもらったの」
「は?さ、崎山が?え?俺の事?な、なにを?」
「知りたい?」
「し、知りたい」
「じゃあ、秘密」
唇の前で人差し指を指す少女は、少女とは思えぬほど妖艶に笑った。だが、その姿の向こうに崎山を見た様な気がして、成田はぎょっとした。

「やっぱり、崎山の血縁だ」

成田は涼子に聞こえぬ様に、小さく呟いた。