ブルブルと振動するスマホ。机の上で、これでもかと自己主張しながら、その身体を震わせている。
これで何度目だろう。切れてはかかってくるを何度も繰り返しているスマホは、再度、長い振動の末にようやく切れた。
静はその瞬間にはーっと息を吐いて、ソファに寝転がった。テーブルの上に転がっているスマホは心の物だ。基本的にものぐさな男は、こういうものに縛られるのを嫌う。
何をするにも自分がしたいときにして、したくないときは誰であろうと何かを強制する事を許さないというスタンスの持ち主だ。
唯我独尊、ここにありみたいな男だが…。
「だからって、置いていくのやめてくれよな」
久々にゆっくりした休日、静も心も互いに休みは珍しい。そんな時、相馬が呼んでいると崎山が呼びに来た。
心は面倒くさそうな顔をしていたが、崎山が一言二言、何かを言うと、その顔が難しい顔に変わった。心が呼ばれるという事は、組の方のことだろう。何かトラブルかもしれない。
それが何となく分かっているのに、電話鳴ってるよとそれを持って心の元へ行くほど空気の読めない人間ではない。
「あ、そうだ、留守電にしてやろ」
いつまでも鳴り続けるのは、留守電に切り替わらないからだ。
普段から持ち歩かないくせに、留守電にも設定していない。スマホは固定電話じゃないんだぞ、と心のスマホに手を伸ばした。
だが手に取って思いとどまる。人様のスマホを勝手に弄くり回すのは、どうかと思ったからだ。
「うーん」
過去に人様のスマホを勝手に弄り回した事がある。あれは緊急を要していたが、さすがに後ろめたかった。
別に電話帳を探るとかメールを見るとかをするわけではないものの、人の鞄に勝手に手を突っ込んでいるみたいな気がする。
何か、どっかのボタンとかタッチで留守電の設定って出来ないのかなと、静は上部にあるスイッチを押した。と、写った画面は意外にも車の画像だった。
「へー、こういうのは年頃じゃん」
購入した時のまま、触りません!みたいなキャラのくせにとフッと笑う。
「これ、見た事ない車だな。次に狙ってる車か?」
静はそこに写る車を何気に触ってみた。と、パスワードを入力と出てきたので、おっ、と声を上げた。これまた意外。パスワードとかかけてる。
「ま、物騒な電話帳とかメールとかギッシリだもんな。そりゃ、パスワードは必要だよな」
と、人様のスマホをこれ以上弄れないと、テーブルに戻そうとしたとき、再びスマホが振動して静はビクッと身体を震わせた。
「あああ!!」
だがスマホを見て、ギョッとした。指が触れてしまったのか、通話中になってしまっている。それに、わたわたと慌ててソファから飛び起きた。
切るか!!と思った瞬間、声が聞こえた。思いっきり、もしもーし?と連呼している。
「く、くそっ!」
人様のスマホを弄くり回した罰だと、静は意を決してスマホを耳に当てた。
「もしもし」
『あ?心…やないなぁ。あんはん、どちらはん?』
関西弁!しかも、これ、京弁だ!!!
その言葉に良い印象のない静は、バッと耳からスマホを離して画面を見た。だが登録されている番号ではないらしく、そこには番号の羅列のみ。
何か、ややこしいのに出ちゃったなと静はしてしまったことに後悔をした。
「あの、もしもし…、えっと、鬼塚は席を外しておりまして」
『そうなん?えーっと、あんたは?』
「部下です」
迷わず言い捨てた。訳の分からない事を言って、妙なことになりたくない。
顔の見えない電話であれば、静がどんな外見なのかも分からないだろうし何とでもなるだろうと思った。
『部下?心の?』
「はい」
他に誰が居るんだと逡巡して、あっとなる。相馬さんのって言っとけば良かった!と。
心の部下ということは、かなりの幹部ということだ。相馬の部下であれば、舎弟でも通じたのに!ヤバいと思ったが、ここで訂正するのもおかしいと静は口を噤んだ。
「あの、たまたまスマホをお預かりしておりまして。鬼塚は席を外しておりますので、折り返し、ご連絡をいたします。申し訳ございません。では…」
たまたまってどうよと思いつつ、とっとと切ってしまえと静は折り畳む様に捲し立てる。長話なんてすれば絶対にボロが出る。
『なぁ、ほんまに心の部下なん?あん人、部屋付きとか入れてへんやろ?あんた、名前なんていうん?』
「え!?あーっと、ま、松岡です」
吉良とはさすがに名乗る気になれず、ぱっと頭に浮かんだ雨宮の過去の偽名を口にした。
『松岡?そんなんおったかいな。まぁええわ。なぁ、あんた、裏ビデいらん?』
「……は?」
相手の言葉に耳を疑った。
「え?あの」
『裏ビデ。よぉさん回収してんけどなぁ、余ってもうてしゃーないねん。眞澄に押し付けてんけど、あれから臍曲げてもうて電話出らへんのんよねぇ。あ、あんた、眞澄知ってるやんな?』
「鬼頭組の…」
『せやねん、あいつなぁ、短気すぎへん?カルシウム不足やんなぁ?』
なんだコイツ。静はスマホを耳から外して見た。
眞澄、鬼頭眞澄に厄介な物を押し付ける事が出来るということは、そこそこ名のある極道なのではないだろうか。どこのかは知らないが…。
「あの、」
『あ、色々あんで、人妻とかカテキョとか教師とか』
人の話聞けよ、お前。何なんだ、こいつ、マジで。
静は呆れて息を吐いた。構えていたのが馬鹿馬鹿しくなるほどに、電話口の相手は自由人だ。
『SMとかはやめときやー。あれは好かんわあ。いたぶって勃つってなぁ。ケツ叩かれてキャンキャン言われても萎えるだけやあらへん?』
「…はぁ」
『あんまりコアなんはあらへんねんけどな。せやけど、素人もんはあんで?』
「いえ、あの…結構です」
中途半端な押し売りよりも質の悪い男だ。全くもって人の話を聞かない上に、自由に喋って自由に解釈する。
仁流会、大丈夫かと先行きを心配してしまうほどに、ろくなのが居ない。
『え?なんで?』
「どうしてって…。あ、叱られますので」
子供か!と思ったし、当然、電話口の向こうでは大笑いしている声がする。
天下の仁流会鬼塚組の組員が叱られるとは何事か。言って、自分でもそれはないだろうと頭を掻いた。
『なんね、あんた楽しいなぁ。えーっと、誰やっけ』
「え?きら…」
『きら?嫌い?』
「いえ、松岡です」
調子が狂う男だ。というか、こいつ、本当に誰だ。
「あの、すいませんが、その、裏ビデとかそういう類いは組では禁止されておりまして」
『え?でも御園が相馬に送ってるんやろ?』
「…は?」
何それ、ちょっと、聞いちゃダメなんじゃないの、そこ。
『ほんま、最近のガキは裏ビデとかいらんねんでー。そんなんせんでも、インターネット…いだ!!!』
『会合や言うとんのに、何をさらしとんじゃ!!!』
地を這うような怒声が耳を劈く。それに静は驚いてスマホを落としてしまった。するとその衝撃で通話は切れてしまい、画面も暗くなった。
「…な、何なんだ。あ!やべ!!誰か聞くの忘れた!!」
静は慌ててスマホを拾い上げたが、その画面には無情に”パスワードを入力”と映し出されている。
これはもう、どうにもならないなとスマホを見つめていると、それがひょいっと手から離れた。
「あ…」
振り返ると、いつの間に戻ってきたのか心と相馬が立っていた。
「何してんねん」
「あ、違う!別に勝手に見ようとか!いや、見てたけど!」
「はぁ?」
慌てふためく静に心は蛾眉を顰めて、そのまま定位置のソファにゴロンと転がってしまった。
「違うって!マジで!」
「何も言うてへんし、別に見たけりゃ見ろ」
「違うって!めっちゃ電話かかってきてたの!それで留守電にしてやろうと思ったら、通話になっちゃて」
「は?話したんか?」
「うん」
ばつが悪いとはこの事で、本当に人様の物を勝手に触ってはいけないと静は猛省した。心は徐にスマホを弄ると、着信履歴を確認して首を傾げた。
「誰やこれ。知らん番号」
「すげーかかってきてるだろ?だから、留守電にしようと思ったの」
「番号、見せていただいて構いませんか?」
相馬がそう言うと、心がスマホを相馬に放った。だが静は相馬を直視出来ずに、妙な顔をして心を見ている。心はその顔を見て、益々、蛾眉を顰めた。
「ロックかかってますよ」
「0512」
心が煙草を銜えながら言った番号に聞き覚えがあり、静は何だっけなと考える。どこかでというより、よく見た様な…。というか…。
「静さん、この相手、どういう感じでした?」
「え?どういうって、ああ、男の人。で、京弁だった。しかもさ!人の話全然聞かねぇの!ビックリするくらい会話になんない!」
静は、何あれ、あれってどうなの?と相馬に訴える。相馬はそれを聞きながら心に視線を移した。
「何で、俺の番号知っとんねん」
静のその印象で誰かを察した心は途端に不快な顔をした。まぁ無理もないかと思いつつ、相馬はフッと笑った。
「あなたね、曲がり形にも仁流会会長補佐っていう立派な役職をいただいているんですよ?あなたの連絡先を大阪統括長が知らない訳ないでしょう?」
「え!?そんなエラいオッサンなの?でも、若めの声だったよ?」
「ああ、その電話の方はその統括長の部下になるんですけどね。ところで、この男、何を言ってました?」
「え?あー、いや、別にー」
視線を泳がせると、そにに気が付いた心がギロリと静を睨んだ。静はそれに気が付き、何だよーと唇を尖らした。
「怒んなよ」
「ああ?」
「あー、裏ビデいらねぇかって」
「はぁ?」
「何かー、手元に回収したのがたくさん余って仕方ないって。眞澄に押し付けたら怒って電話に出てくれなくなったって」
「それだけが原因ちゃうやろ、相変わらずアホやな、あいつ」
心は呆れて灰皿に煙草を押し付けた。
「でも、うちにもあるんだろ?」
「は?あらへんわ。第一、そんな回収も他の組が絡んでなかったらせんわ」
「だって、相馬さん、御園さんと裏ビデの回し合いしてるんでしょ?」
言った途端、部屋の空気が凍り付いた。笑顔のまま固まる相馬と、きょとんとした顔をした心を見て、静は”あ!”と口を塞いだが後の祭り。
その空気を切り裂くかの様に心が声を上げて笑い出し、相馬は手に持っていた書類を握り潰していた。
静はいつもの笑顔とは違う相馬の微笑みに背筋が寒くなり、こっそり心の方へ近付いたのだった。
後日、雨宮にそれを店で話すと、頭に手刀打ちをされた。
「お前な!それ言うか?普通?」
「痛いー。だって、誰か分かんなかったんだもん。ちょっと変な人って感じ」
なかなか容赦のないお仕置きだ。じんじんする頭を押さえて、本当に変な人だったんだと訴えた。
「そりゃ、変な人だろうな。それ、多分、明神組の若頭だ」
「若頭?えー、でもなんかふざけた人だったよ?そんなエラい人には思えなかったけど」
「ふざけた人間なんだよ、マジで。何もかも出鱈目な人間なの。明神組は仁流会の中でも武闘派で通ってて、仁流会の牙みたいなんなんだけどさ」
「ふーん、そうなの?でも悪い人じゃない感じだったよ?」
「お前、馬鹿じゃねぇの?」
雨宮の冷たい視線に、静は空笑いをした。
「あ、いたいた、信長様」
芝浦が静の名前ではないそれで呼ぶ。それに静は首を傾げた。
「何ですか、それ。信長様?」
「早瀬さんに頼まれてさ、履歴書のファイリングしてたの。吉良君さ、織田信長じゃん」
「なに、言ってるんですか」
全く意味が分からない。思わず、大丈夫か、お前。という顔をしてしまう。
それに芝浦は得意気に笑って雨宮を見た。
「分かる?信長様の意味。俺、感動しちゃった。吉良っていう苗字もだけどさ、信長様だもん」
「誕生日すか」
「そうだよ!それ!!」
普段は雨宮が怖くて話しかけたりしないくせに、今日の芝浦は妙に饒舌だ。だが、やはり意味の分からない静は、何の事だと雨宮を見上げた。
「お前の誕生日と織田信長の誕生日、一緒なんだよ」
「え?そうなの?誕生日とかあるんだ、織田信長」
「そう!昔はさ、そういう誕生日だ!おめでとうー!みたいなのはなかった訳!そもそも、戦国時代は旧暦の暦しかなかったから、5月12日は太陰暦での誕生日なんだけどね…」
あまりに熱く語り出す芝浦に、静のみならず雨宮までもが引き攣った顔をしている。
これは歴女ならぬ…歴男??パティシエの職業のせいか、その見た目のせいか西洋気触れの男の様な芝浦からは想像出来ない趣味だ。
「…あ」
誕生日を思い出し、静はある番号を思い出した。”0512"。心のスマホのパスワードだ。
何だ、可愛い事してくれるじゃないかと静はどこか嬉しい様な、くすぐったい様な気持ちになり、熱く語る芝浦の歴史というか織田信長の話を始就業時間まで延々聞いていた。