20. admirer la lune

花series Extra Shot


何だか朝からバタバタと騒がしいなと心は思った。目が覚めると隣に静はおらず、だがどこかに行くとは聞いてはいなかったので屋敷の中には居るのだろう。
また何を始めたんだと思いながらも、さほど気にする事なくそのまま再度、夢の中に堕ちた。

ゆさゆさと揺さぶられる鬱陶しさで目を覚まし視線を移すと、その目覚めの悪さに疲弊して、もう一度目を閉じようとすると頬を抓られた。
「子供の様なことをしないでください」
「…母親みたいな起こし方すんな」
「こんな出来の悪い息子はごめんです」
相馬は悪態をつくと、早く起きろと急かしてきた。寝覚め最悪と身体を起こして、首を回す。ポキっと骨の鳴る音がして、覚醒しきらない頭を振った。
「静は?何か、うるさい」
「今夜の準備ですって。雨宮と朝から忙しそうにしてますよ?」
「今夜?」
心はナイトテーブルに置いていた煙草を取ると、相馬と共にリビングへ向かった。デジタルのカレンダー時計を見て今日の日付を確認してみたものの、何も思い浮かばない。
今日、何かあったかなという感じだ。というのは日々のことで、心は自分のスケジュールを把握する様な力量は持ち合わせていないので、今夜の準備が何の準備なのかは皆目見当すらつかない。
「お前が部屋に来るとか、何?」
「仕事です」
満面の笑顔で言われると、ゾッとする。
仕事で部屋まで来るなんて、そんな急ぎなのかとソファに座って煙草に火を点けると、相馬が書類の束を早速テーブルに並べてきた。
「俺、起きたばっか」
「ええ、あなたを起こしたのは私ですから、分かっていますよ。あなたがスヤスヤ眠っている最中にも、私は馬車馬の様に働いていますからね」
「あ、っそ」
もう言うだけ疲れると、心は書類に手を伸ばした。

「終わった??」
それから数時間して、静が部屋に顔を出した。相馬と一緒だと時間が経つのが異様に早く感じるのは、この男が異常な仕事量を詰め込んでくるからだろう。
誰もが皆、自分と同じワーカーホリックだと思ってやしないだろうか。だとすれば迷惑な話で、それは勘違いだと諭してやりたい。
「もう、終わりますよ。そちらのそろそろですか?」
「うん、もうすぐだから、また呼びに来る」
どこかはしゃいでいる様に見える静を見ながら、一体、何をしてるんだと相馬をジッと見た。
「今日は、お月見ですよ」
それに気が付いた相馬はノートパソコンを操作しながら、そう言った。
「は?」
「中秋の名月ってやつです。今日は天気も良いし、綺麗に月が見えるそうですよ」
「ふーん」
月が綺麗だから、お月見をするのか?お月見で、何をそんなに忙しくする事があるのか心には分からず、ぼんやりと煙草を燻らした。
それを相馬が仕事がまだ残っているんだと咎めてきたので、お月見って願い事の短冊とか書けたかなと思った。

「では、そろそろ終わりましょうか」
相馬は持ってきた書類の束を片付けながら、にっこり笑った。そろそろというよりも、いい加減もういいだろうというのが心の感想だ。
無理矢理起こされてから日が落ちるまで、ずっと書類と相馬との睨めっこは相当なストレスが溜まる。
これもフロント企業であるイースフロントに顔を出さないことと、本業である組の本部へも顔を出さないことの皺寄せであるが、だからとて、よし行こうという気にはなれない。
やはり何もかも向いてないんだろうなと、今更なことを考えた。
「庭へ行きましょう。もう始まってますよ」
「始まるってなにが」
「あなた、お月見って何をするのか知らないんですか?」
相馬が意外そうに目を丸くする。だが、知らないものは知らないのだ。
「イベントもんか?余計知らんわ」
「子供の頃とか、しませんでしたか?」
「お前、本気で聞いてんの?彪鷹やぞ、親」
「そうでした。愚問でしたね」
相馬はフッと笑った。本当に、まさしく愚問だ。

中庭へ行くと賑やかだった。庭の真ん中にテーブルが置かれ、料理が置かれている。その中で目を引くのが白い団子だ。
「何で団子…」
「あ、おせぇ!」
静は心を見つけると少し拗ねた顔を見せたが、すぐに腕を引きに来た。
「何これ、バーベキュー?」
「は?バーベキュー?ああ、まぁ、料理がそんなんかも。団子だけにしようかなって思ったけど、何かみんなが色々と持ってきちゃって。テーブルの上、訳分かんなくなっちゃった」
確かにテーブルの上は寿司やらチキンやらピザやら、やりたい放題だ。さすがの心も、これ間違えてるだろと思う悲惨な有様だが、庭に集まる連中の顔を見て、まぁ、これもいいかと思った。
「おー、来たな、馬鹿息子。お月見やて。極道の家で」
「なぁ、何で団子?」
「えー、お前、そんなん知らんのー」
彪鷹が馬鹿にしたように言ってきたが、そういう文化を教えて来なかったのは彪鷹自身だ。なので悪いのは彪鷹だと思う。
「今日は十五夜やぞ。まぁ、収穫祭っていうんかな。秋の稲の収獲が上手くいきますようにみたいな。そのススキは魔除け。ほんで団子はお月さん。関西はこれをこしあんで巻いてるんが多いなぁ。あれ、美味いねん」
「ふーん」
「吉良は、ええ家で育ったんやろな。こういうのをきちんとしてくれてたんやわ、親が」
彪鷹は俺はダメ親父やからなーと心にもない事を言いながら適当に料理を皿に取ると、それを持って縁側に腰掛けた。庭では相川と橘がビールを飲んで騒いでいる。
その向こうで成田がどこからかバーベキューセットを持ち出してきて、用意をし始めていた。
「何か、飲みますか?」
雨宮がぼんやりする心に、仕事をしているスタイルのままで客に注文を聞く様にして尋ねてきたので思わず笑った。
「何でも出るんか?」
「まぁ、一通りは…」
「さすがやな、まぁ、ビールでええわ」
心はテーブルの横に用意されていた椅子に座ると、目の前にあった寿司を口にした。
池の近くに置いた縁台に相馬と崎山が座って、やはり難しい顔をして話をしている。どこまでも仕事癖の抜けない連中だ。遅れてきて高杉と佐々木が現われたが、その手には炭の箱があった。
「なぁ、お月見って、バーベキューもするもんなんか」
ビールを持ってきた雨宮に聞くと、雨宮は肩を竦めた。
「お月見にバーベキューはないっすね。バーベキューセット、相川さんがパチンコで当てたらしくて。それ車庫にずっとあって、どうせだしやろうって」
「バーベキューとか、したことないわ」
「そうなんすか?」
そういうの、本当に縁がなかったなと思う。そういうことをするタイミングがなかったし、したいと思った事もなかった。
「こういうんも、なんかええな」
心はフッと笑った。と、後ろの方で静の声が聞こえるので振り返ると、鷹千穗の腕を引いて歩いてきていた。
あそこにも一人、こういうのに縁が全くない人間が居た。というよりも、ここに居る連中は、ほとんどがこういうのに縁がない連中なのかもしれない。
「やっぱ、あいつ最強やな」
心はそう言って笑うと、黄金色に輝きを放つ満月を見上げた。

その頃、関西でも立派な満月が夜空に浮かんでいた。黄金色の満月を見ながらビールを飲むハルは、何で毎回こうなるかなと思った。
「ほれ、お食べ」
皿に綺麗に並べられた団子。俵型の白い団子に布団を被せる様にして、あんこが付いている。
それを持ってきた梶原の顔はどこか申し訳なさそうだが、そんな顔をするくらいなら始めから呼ばないでほしい。
ここは風間組の風間龍大の家であり、同級生の渋澤威乃との愛の巣みたいなものだ。何かとイベントごとがあると召還されるのだが、もう二人でやれば?と思う。というか、やってくれという感じ。
毎回梶原を呼びつけ、梶原が一人では居心地が悪く居た堪れないとハルをバイト先などから拉致る。もう、バイト先でのハルの立場はエラい事になっている。
「ハル、それ、俺が作った餡!」
台所から威乃が顔を出して得意気に言うが、この団子を作ったのは龍大だ。二人の共同作業作品。
「胸焼けパネぇ!!」
「まぁ、そう言いなさんな」
「ってか、梶原さん、いい加減断れば?あんたのが年も上だし、風間かてあんたに無理強いしたりせんやろ」
「いやー、何か、折角呼んでもらってんのになー」
なにそれ、こんなところでノーと言えない日本人なの?極道はノーって言ってなんぼでしょうよ。
ハルは呆れてものが言えなくなるが、こうしてここに自分が居る事も、やはりノーと言えないダメヤンキーなのかと思う。
台所で新婚生活よろしく、花でも飛んできそうなほどにというか、お前、そんなキャラだったの?と聞きたいくらいなほどのイチャつきぶり。ここに幼馴染みと部下が居ますよー見えてますかー?と聞きたいが、そんなもの目に入っていない。まさに二人の世界。
「恐ろしい、リア充」
「りあ?」
「梶原さん、女、紹介してよ」
「商売もんしか知らんけど、ええ?」
高い!!高く付く!!!そんな女、反対に遠慮する!!
「なー、まさか思うけど、クリスマス会とかせんよなー」
「あ?そりゃないやろ。クリスマスは本業が忙しい」
「え、それって」
一人になった威乃の子守りがあるってことじゃないの…。どっちにしても、そうなるのかとハルは大きく息を吐いた。
月ではウサギがせっせと餅をついている。ここではせっせと龍大と威乃が餅に餡を付けて、それを梶原がハルに運んでくる。
「カオス…」
ハルは独り言を呟くと、生温くなったビールを一気に流し込んだ。

そして同じ関西の月の下、数台の黒塗り高級車が颯爽と街を駆け抜けていた。その真ん中のBMW M6の後部座席に座る万里は、自分の目の色と異なる黄金色を見上げながら、息を吐いた。
「今日はお月見」
ボソッと呟いたが助手席に座る神原は返事をしない。小山内はもともと口数の少ない男なので、やはり返事はない。万里はそれに頬を膨らませて、助手席のヘッドギアを掴んで揺らした。
「今日はお月見やて!」
「揺らすな!アホ!!今から会合じゃ!!」
バシッと頭を叩かれて、万里はますます膨れた。だが神原も殺気づいているので、それ以上は何も言わない方が身のためだと思った。
「会合やゆーてもな、爺どもはあれやこれや無理難題ばっか言うてきよる」
「そりゃ、お前の実力試すためやろうが。飾りやないんやからな、明神組若頭っていうんは」
「そやけどー!」
あいつらの言いなりになってるようなのが、どうも好きになれんとムーッとする。
傘下組のくせに古参というだけで威張る。確かに万里は若いし、戦略と言えば猪のように突っ込んで破壊するだけ。いくら武闘派とはいえ、それでいつまでも生きていけるとは思ってはいない。だが要求されるのはそこばかり。
ならばそれに応えて出来ないことはないと、今は見せるしかないのだ。
「お月見もせんまんまとか、何や風情がない」
「極道に風情求めんな。…チッ、煙草が切れた」
「俺の吸う?」
「そんなろくでもない煙草、吸うか」
神原は息を吐いて小山内に目配せした。小山内は何も言わずに前を走る弾除けにパッシングして、通りに見えたコンビニに車を入れた。
「買ってきます」
小山内が外に出ようとしたが、神原がいいよと言って先に車を降りてしまった。
「ほっとき。あん人、めっちゃストレス顔やし。なんせ会合で矢面に立たされんのは俺やのうて神原やもんなぁ。あいつんが口立つし」
「はぁ」
数分して、神原が煙草を燻らしながら戻ってきた。少し気分転換になったのか、ストレス顔が若干マシに見える。
本当に極道が嫌いで仕方がないんだなと万里は思った。
「お月見なんて、農家やあるまいし」
神原はそう言うと、万里に掌サイズほどの箱を投げた。箱には仲良く並んだ団子が二つ。万里は、おお!と声を上げてパックをいそいそと開けだした。
「お前はそういうのが面倒や。ひな祭りにちらし寿司食いたがるとか、節句の日にちまき食いたがるとかな」
神原はそう言って嘆息したが、団子に夢中な万里の耳には何も届いていなかった。

そんな物騒な会合へ向かう車もあれば、同じ関西のある屋敷では盛大なお月見が執り行われていた。
あー、俺、絶対染まってるよねと宮川は莫大な敷地に立てられた屋敷の縁側に腰掛け、大きな満月を見ながら思った。
庭では敷物を敷いて、飲めや歌えやの宴会騒ぎ。見るからに貫禄のある男達は、誰も彼もがその筋の人間であるのは明らか。一昔前の宮川ならば半べそかいて、どうやってここから脱出しようか試行錯誤しているはずなのに、今では暢気に団子を頬張る余裕を見せている。
人間、慣れって怖いよね。
隣には不細工な猫が座布団に座り、宮川と仲良く月見の最中。虎之介の母親とも普通に会話をして、なんなら団子作るの手伝ったりとかして、何ならお家の人に持っていきなさいとタッパに団子入れてもらったり。
これって賄賂にならないのかな。
虎之介と秋都は、酒が無くなったからと近所の行きつけの酒屋に注文をしに出たまま。一昔前なら、置いていくなと号泣してたよね。
今はこの家のどこにどの部屋があるのかさえ把握しているのだから、何だか笑える。とはいえ、さすがに虎之介の父親である咲良組組長とは言葉を交わす器量はない。そこまでいったらもう、宮川家を追放してもらうべきであろう。
「人間、こうやって絆されてダメになるんかな」
宮川はぼそっと言って、ポチを持ち上げると膝に座らせた。ブヒブヒ、鼻が豚の様に鳴く。頭や身体を撫でていると、ゴロゴロと雷の様な音が響いてきた。
豪華な庭の見える縁側で、極道の宴を見ながらの月見。
「酔狂やな…」
少しだけ、涙が出た。