21. パブロフの犬

花series Extra Shot


「女を紹介してやろう!!」
久々に事務所に顔を出して高杉と談笑していると、部屋に入ってきた相川が開口一番言い放った。
それに成田は呆れた顔をして、高杉は隠す気なんて一切ないほどの侮蔑を見せた。言うなれば、アホがまた何か言っているぞという感じの顔。
「っていうかよー。お前、なんだぁ?その面」
高杉がククッと笑う。笑われた相川は少し膨れっ面をしたが、実際、相川の顔は見るも無惨。もう一回、プロ目指すためにリングに立ったのですか?と聞きたいほどの痣と腫れ。
口の横なんてどす黒く変色していて、見ているほうが思わず自分のそこを撫でてしまう。
「どこの組の奴とモメてん」
お前ほどの腕を持ちながら。
頭と下半身は軽い男だが、その腕は鬼塚組の幹部を名乗るほどなのでかなりのものだ。それに成田や他の連中と違って相川はその道、ボクシングで一度は世界を確実に獲れると約束されていた男。いや、世界の頂点に君臨した事がある男。拳は凶器扱いなのだが…。
「いいから!お前には女を紹介してやる!」
成田の心配や高杉の侮蔑を他所に、相川は成田達の前のソファに腰を下ろして鼻息荒く言う。
一体、何なんだと高杉と顔を見合わせたが、根っから他人に興味も関心も示さない高杉は面倒臭いとばかりに席を立って佐々木のもとへ行ってしまった。
「もー、何やねん」
高杉の様に素知らぬ顔でそこを去れればいいが、性分なのかそうもいかない。八つ当たりか?面倒くせぇと思いつつ、煙草を銜えてソファに深く座る。
今日は心も早々に屋敷に引き上げていったので成田は身体が空いた。久々に事務所に顔を出すかと思ったらこれだ。
「お前はね、趣味が悪い!」
「はぁ?」
女紹介発言の後に趣味が悪いとは何事か。お前に言われたかねぇわと思いつつ首を傾げた。
「趣味がってなに?」
「悪い!悪過ぎる!!!お前は奴が悪魔の申し子と知って付き合って…!!」
最後まで言いかけた相川の口を、相川も驚く様な瞬発力で塞いで息を吐く。そして銜えた煙草に火も点けず、そのまま灰皿に押し潰した。
「お、お前…」
ギロッと睨めば、相川の目が弧を描いた。そして、ゆっくり頷く相川の口から手を離し、成田は立ち上がった。
「高杉ー、このアホ連れて出るわー」
成田は相川のスーツの首元を後ろから猫を掴む様に掴んで、高杉を呼んだ。
「連れていけ、連れて行け。序でに、去勢手術でもしてやりゃあいいんだ」
「去勢!」
高杉のそれに、佐々木が笑う。和やかなムードの中、成田の心中だけは穏やかではなかった。

事務所から相川を引き摺る様にして引っ張り出し、停めてあった愛車に放り込む。助手席の相川は引き摺られたときに首が擦れたのか、痛いと連呼していたが、そんなことお構い無しにその軽い頭を叩いた。
「お前!!」
「何よ、俺は悪魔の申し子って言っただけじゃん。誰も崎山とは言ってないけど?」
「はぁ!?喧嘩売ってんのんか!?」
「俺だってなぁ!!一生懸命なんだからな!!」
「…は?」
「俺だって、俺だってー!!」
今にも泣き出しそうな相川に成田は戦意喪失。大きな息を吐いて、スロットルを回した。途端、エンジンが重低音の唸りを上げる。
一体、何がなんなのかさっぱり分からない。とりあえず落ち着いて話そうと車を走らせた。

「…崎山なん?」
二人して訪れたのは組の経営するバーだった。個室もあるそこは、少しくらい立ち入った話をするなら持ってこいの場所だった。バーに来たのに車だよ、ツイてねぇ。と成田は烏龍茶を口にしながら、つまみを口にした。
「悪魔の申し子です」
相川は不貞腐れた顔のままビールを豪快に口にする。そんなに強くないくせに飲みっぷりだけはいい。何が崎山かというと、その、不貞腐れた相川の無惨な顔。そうしたのが崎山だというのだ。
なるほど、崎山ならば相川をここまでするのは可能だ。強さもさることながら同期だとかツレだとかの遠慮が一切ない。ほんの一握りの情け容赦も無く、遠慮無しの制裁を喰わえてくれる。清々しいほどに公私の区別をつけてくれる。
「でもな、そうされる理由もあるんやろ?原因はなんや」
暴君ここにありと言われるとしても、意味も無くここまですれば崎山は暴君ではなく異常者だ。
成田もその鬼畜っぷりは知ってはいるが、多分、恐らく、意味も無く同期を叩きのめすという異常さは持ち合わせてはいなかったはず。
多分。
「回収がな。いや、期限は迫っとったし、そりゃ無理じゃね?ダメダメーって、俺も心を鬼にした訳よ?」
「女やな」
「まったさー、超可愛いの!なんつーの?妖精?いや、天使?ハニーちゃん的な!っぱねぇの!分かる?」
分かんねーよと呆れて煙草を灰皿に押し付けた。何だ、結局自分が悪いんじゃないかと来ただけ損したと、烏龍茶をがぶ飲みする。
「あの腰の曲線美!脱いだときのエロさ」
「お前なー。ほんまにマジで、いつか病気貰うで」
「何言っちゃってんのー。ゴムはマナーでしょう。ゴムを付けない奴は挨拶が出来ないのと同じって、AV界の巨匠も言ってたしな!」
お前が言うと、そのゴムも頼りなさげに思えるのは何故だ。
「結局、そのねーちゃんとヤル代わりに、期限伸ばしたんや」
「ヤル代わりって!下品な!」
「いや、まさにそれやし。アホか。で、それが崎山にバレたんかい」
「そう!!もうね!暴君の襲撃?俺、顔、靴で踏まれたの初めてだからね!マジでパネぇから!どういう教育してんの!?」
お前がなと口に出さずに、そっと息を吐いた。何これ、俺、何しに来たの?馬鹿馬鹿しくなってきて、成田は目の前のナッツやクラッカーを頬張る。
「なぁ、お前ってな…女やったら何でもええの?」
素朴な疑問。生物学的上、女、または雌だったら、もう虫とかでもいいってくらいに見えるけど、実際はどうなのだろう。
成田だって女の子の身体は大好きだった。十代の頃、男が一番初めに”猿”に変貌する時だ。覚えたてのセックスはドラッグの様に病み付きになって、暇さえあれば女の子の身体を貪った。
だが、それはすぐに飽きて来るものだ。付き合って”彼女”なんていうポジションに納まられれば、逃げ場無しのサバイバルの開始になる。
映画で観る様な君だけが好き。永遠に君しか要らないなんて所詮、絵空事なわけで。縛られれば縛られるほど他の子に磁石の様に吸い寄せられてしまう訳だ。そしてそれがバレて、大モメになって…。
「お前て、ほんま物好き。よぉ、二股とか三股とか」
「何言ってるかなー。俺、めっちゃ誠実ですから」
「どの口が言うねん」
「だってさぁー、俺、一途やし」
「はぁ?」
「一人、好きな子が出来たら、その子といい感じになるまではすげぇマメな男って感じ?でも、その子が彼女になるとさー、何故でしょう?次に好きな子が出来ちゃうの」
驚愕とはこの事で…。一途って、使い方、間違ってるけど…。開いた口が塞がらない。崎山が暴君っていうか、お前がただのアホじゃねぇか…。
「じゃあ、その彼女を捨てて、そっち行くんかい」
「え?俺、振った事ないけど?」
「…え?」
「そんな、女の子傷つける様な事、出来ないじゃん?」
いや、言ってる事はめっちゃカッコいいけど…。お前、二股とかしてる時点で、すげー女の子傷つけてるけど。何だ、こいつ。お前の恋愛常識が世間の非常識ってことか。
成田は益々理解不能になってくる相川に首を傾げるばかりだった。
「みんなに100%の愛情注いでるんだけどさー。あれって何?野生の勘なの?浮気してるでしょ?って」
「まぁ、女は鋭いわなー。そこで嘘つくから、余計におかしなるんやて」
「え?嘘とかつかねーし」
「は?」
「浮気はしてないよ?みんなに本気って言うと、100%殴られるんだよねー」
あ、アホだ。ここに世界最強のアホが居る。成田は呆れを通り越して、尊敬しそうになった。馬鹿正直とかそういうの以前の問題で、こんなアホがこの世の中に存在していようとは。
崎山が相川を鬱憤の捌け口にしているのも分かる気がする。崎山はどちらかというと潔癖性だ。こういう事に関しては。
なので、こんなあっちの穴もこっちの穴も、呼ばれればヤドカリの如く移動していく相川が性的に無理なのだ。
「あー、のー、さぁ?ほなさ、お前が反対やったらどないする?」
「反対?何が」
「相川くんにも本気なの。でも、成田くんにも本気なのって言われたら」
「え!?マジで!?」
「いや、アホか!」
「うーん、それは仕方ない。ぶっちゃけ、3Pでもしてみる?みたいな感じ?」
もしかして現役の時に頭をボコボコに殴られて、ネジの一つか二つか三つ、ぶっ飛んだのではないだろうかというくらいの成田の考えの遥か斜め上をいく回答。なぜそこで3Pの単語が出てくるのか。
いや、自分は良くても相手はダメと言われるのもどうかと思うから、これはこれで有りなのか?
「お前と話しとったら、価値観狂いそう。でも分かった。俺な、」
「うん」
「お前が崎山に嫌われるの、めっちゃ分かるわ」
「え!?俺、崎山に嫌われてんの!?」
「お前、ほんま」
救い様のないアホや。と言うのも馬鹿らしくなった。日々の崎山の相川への態度を見れば、誰でも分かることだ。
きっと、組員とそこまで接点を持たない心でさえも知っていることくらいに、崎山の相川への態度は酷い。崎山の隠す事の無い嫌悪は、相川への暴力という形で訴えられている。それを肌で感じているくせに…。
「嫌われてへんのやったら、お前への風当たりの強いんは何やねん」
「え?愛のムチ?」
「死ね」
マジで。
「あ、でもさ、お前は気をつけたほうがいいし」
「何が?俺が何を気をつけんねん」
「雨宮」
「雨宮?雨宮が何かあんのか」
「アイツ、絶対、崎山に気があるね!!俺の勘!!」
「……」
殴って、いいかな?と聞かずに、成田は目の前のナッツを相川に弾き飛ばした。

結局、相川の聞いても一文の得にも為にもならない持論を聞いて、相川が満足したところでその意味の分からない宴会はお開きになった。
高杉に言われた通り去勢でもしてやるのが相川にとっては一番の幸せかもしれないと考えながら、屋敷に戻ると本家から出て来る雨宮に出くわした。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいまー。どっか行くんか?」
「ちょっと崎山さんに頼まれて…」
雨宮は小さく頷いて、そう言った。”崎山に気がある!”相川の戯れ事が急に蘇り成田は雨宮をジッと見た。
目付きはかなり悪い。本当に眼力で人でも殺しますか?と言わんばかりに悪い。だが高い鼻と少し上唇が尖った感じのそれと合わさると、かなりの美丈夫なのだ。
じーっと観察されているのに我慢が出来なくなった雨宮は、その不快感を露骨に顔に出した。
「何すか?顔になんか、ついてますか?」
「いやー、さ、お前な。相川が言うててんけど、お前、崎山好きなん?」
その鋭い目が一瞬にして真ん丸になった。あ、こういう顔をすると結構、可愛いかもしれない。
「は?誰を?俺が?つーか、俺にも選ぶ権利はあると思うんですけど?」
「いや、それ崎山に失礼」
そして、俺にも!!
「俺、優しい子がいいです」
意外な好みだな!と今度は成田が目を丸くした。雨宮から優しい子が想像出来ないからかもしれない。
雨宮は見た目同様、とてもサドっ気があるように見えたからだ。いや、サドとサドじゃあ、どう転んでも上手くいかないか。
「お前は年上のお姉さんとかがええで。やて、我が儘そう。それにやな、ああ見えて崎山優しいで」
「優しい?崎山さんが?俺、この間、同僚の顔を躊躇い無く綺麗に磨き上がった革靴で踏みつけるところを見たところなんで、優しいと結びつかすのは難しいっすね。それにね、根本、俺、ゲイじゃないんで。でも、どうしてもって言うなら、考えますけど?」
「あ、アホか!相川の戯れ事や!」
「戯れ事もほどほどに」
じゃあ、っと雨宮は屋敷を出て行った。成田はその後ろ姿を眺めながら、一瞬、俺って趣味悪いかな?と考えた。

「相川が泣いてたで」
離れの住居に戻ると、崎山がリビングのソファですっかり寛いでいた。風呂も入ってさっぱりした様子で、成田はその濡れた髪にキスをして序でにその身体を抱き上げてソファに腰を下ろした。
「ただいまの前に、それ?」
「ただいま」
「相川が何?泣いてた?」
崎山はソファの前のセンターテーブルに手を伸ばして、その上に置いてあったグラスを手に取った。仄かな香りがウイスキーだと告げる。
崎山はグラスを成田の口に近付け、少しだけ口に含ました。
「お前、あれはヤリ過ぎ」
「あれって?どれのことだろうね?」
どれって、どれくらいあるんだろうね?と聞きたくなったが、聞いてしまうと相川が不憫になるので敢えてそこは聞かずにいく。
すると崎山が淫靡に笑って、成田の唇を猫の様に舐めた。
「俺ね、犬好きなんだよね」
「…は?」
「順応性が高いし、調教次第でどこまでも育つ」
いやいや、相川は人間ですけど?というか崎山にしては珍しく、駄犬が着実な成長を遂げていて、全くもって名犬になる様子はありませんけど?あれは調教途中なの?失敗作なの?いつかは名犬になる予定なの?
「調教…間違ってない?ほれ、暴力は躾じゃありませんみたいなん」
「はっ、暴力は躾だよ。というか俺なりの愛情だよ?アイツ、今は回収の要だけどさ、最近は彪鷹さんの側近付き警護みたいになってるでしょ?彪鷹さんもさ、一応、若頭だし、外に出る機会も増えるんだよ?その側近があれなんだから、どこに出ても恥ずかしくないようにしておかないと。ただでさえ馬鹿で下世話で教養もない上に女だったら犬のケツまで追いそうな下半身脳な男なんだからさ、舐められるでしょ?」
散々な言われようだな、おい。
「でも、腕は確かやん?」
「俺に勝てなきゃ意味ないじゃない」
まるで、何言ってんのと言わんばかりに言われて、お前に勝てる奴なんて、組長と若頭だけだろうよと相川の代わりに心の中で訴える。
でも相川が崎山に勝てないのは長年、崎山によって蓄積された”絶対的支配”のせいだと思う。
崎山イコール殴られるみたいなのが相川には刻み込まれていて、そしてそれに絶対に逆らってはいけないみたいなのがプラスされているのだろう。
「パブロフ相川」
「は?」
「いや、何でもない」
妙な事を口にした成田を怪訝な顔で見る崎山に成田は笑う。趣味が悪いだ何だと言われたが、こんな美人が膝の上にずっと座っていてくれるのなら、何でもいい。
かなり気難しくて、かなり手のかかる恋人ではあるけれど。
「俺って、かなり趣味ええよなー」
「はぁ?酔ってんの?」
まるで意味が分からないという顔をする崎山をぎゅっと抱き寄せ、その頬に、成田はキスをした。