どうしてこうも、品がないのだろう。
涼子は目の前で下衆な笑いを浮かべながら、まるで品定めするかのように自分を観察する男を見て思った。
その涼子の隣を過ぎ行く人は、誰もがみな我関せずで通り過ぎていく。これが兄の静ならば迷うことなく男に声をかけるだろう。「なにやってんだ」と。
「なぁ、いーじゃんかよー。ちょっとだけ遊ぼうぜぇ」
男二人は何故そうしてるのか分からないがズボンを腰より下に履き、蛍光色のパンツを股間ギリギリのところで見せている。
これがよく聞く腰パンなのだろうか？女子校に通う涼子は、それに形の良い眉を上げて息をついた。汚い…。
「私、時間がないんで」
「まぁまぁ、少しだけだから」
前と後ろから挟まれ臭い香水が鼻を掠める。瓶ごと頭から被ったのかと聞きたくなるほどに不快な強い匂いだ。
「いい加減にして…」
「なにやってんだ」
涼子がいい加減、声を上げようとしたとき、兄ならばそう言うだろうと思っていた言葉がそのまま聞こえた。もちろん声の主は静ではなく、もっと怒気を孕んだ低い、でも心地いい声色。
その声の方を三人で向き、涼子以外、即ち下衆な男二人は一瞬にして顔色を青くした。長身で鍛えられた身体というのがTシャツの袖から伸びる腕から分かる、とても目つきの悪い男だった。
どちらがワルだか分からないような外見の男はジーンズのポケットに手を突っ込んで、涼子と男二人をじっと見て、フーッと息を吐いた。
「それ、俺の女。何か用か？」
「え！？」
男の言葉に二人は飛び上がらんばかりに驚いて、涼子を見た。それに涼子は返事の代わりに頷いてみると、男達はすいませんでした！と大声で言い、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。
やべぇ！と連呼しながら、走って逃げるその姿に涼子は呆気にとられたが次にはフフッと笑った。
「ありがとうございます」
涼子が丁寧に頭を下げると、助けた男は返事もせずに代わりに欠伸をした。
「あー、あんた、吉良の妹だろ」
「あ、じゃあ、あなたが雨宮さん」
涼子は手を合わせて、良かったと笑った。
「約束の時間に遅れそうだったから、丁度良かった。ありがとうございます」
「いいよ、別に。俺の女って一回言ってみたかったし。行くか」
無愛想。緊張しているとか困ってるとかじゃなく、面倒だなという感じが読み取れる。あからさま過ぎるとは思うが、でも、嫌いじゃないと涼子は思った。
崎山と何度か訪れたことのあるカフェに着くと雨宮はオープンテラスを指差した。店員が二人を案内すると雨宮は涼子を右側の席に座らせた。
「改めて、初めまして、新藤涼子です」
「ああ、雨宮…雨宮或人」
雨宮はつっけんどんに言うと、オーダーを取りに来た若い学生風の店員にアイスコーヒーを注文した。そして涼子を見ると、あんたは？と聞いてきた。
「ケーキセット、アイスティーで」
にっこり笑うと、店員は少しだけ顔を赤らめた。がやがや賑やかなのが好きではないのか、少し鬱陶しそうに周りを見て出された水を口にする。そして数粒の氷を口に入れてガリガリと噛んだ。
「で、なんだっけ？吉良の周りの人間の面接だっけ？」
「面接？いえ、会っておきたかっただけです。兄の周りにどういう方が居るのか」
「へぇ…」
物好きだなと雨宮は笑った。笑うと少し厳しさが和らぐ。だが鋭い眼光はすぐにそれを隠してしまった。
「雨宮さんは、また違う人なんですね」
「違う人？」
「えーっと、組の人じゃない。あと、あたしを知っている」
涼子の言葉に雨宮は一巡して、眉を上げた。
「なんで？」
「今まで会った人は何で自分は女子高生と逢ってるんだろうって、少し混乱している感じで。それにあたしが吉良静の妹だって言っただけで、とても狼狽えたの。なぜかは分からないけど。でもあなたは会ってすぐに吉良の妹だろ？って聞いてきた。崎山さんはあたしに会わしてくれる人には、あたしの事を説明もしてなかったし女子高生が来ることも告げてなかった。でもあなたは全部知っている」
「崎山さんが言ったのかも」
「それはないわ」
「言いきるのか？」
「だって、あたしも崎山さんも意地悪だもの」
雨宮はなるほどねと納得したのか、それ以上何も言わなかった。
「煙草」
雨宮がパンツのポケットから煙草のケースを取り出して見せるので、涼子はどうぞと笑った。不愛想だが律儀だ。そして気遣いが出来る。
涼子が座った席はちょうど風上だ。煙は涼子には来ずに反対側に舞っていく。近いところに居る分、全く匂いを感じないわけではないが煙たいというほどでもない。
店で席を指定したのも、涼子をこちら側の席に座らせたのもそれを考えての事なのだろう。
「あんた、物好きな女だな」
雨宮がぽつりと言うと、同じタイミングで店員がメニューを運んできた。今日はシフォンケーキ。涼子はぱっと嬉しそうな顔を見せ、雨宮はそれに笑った。
「食い物見る目が、兄貴と一緒」
「お兄ちゃんも食べるの好きだから」
「そうだな」
「もの好きってどういうことですか？」
「あ？ああ、そのまんま。俺なら…そうだな、兄貴の身辺調査はしない」
雨宮は一緒に運ばれてきたアイスコーヒーに何も入れず、そのまま口にする。見た目通りだなと涼子は思った。
「しないかなぁ？うーん、そうかなー。そうかも。迷惑でした？」
「いや、面倒なだけ」
「ストレートですね、雨宮さん」
「あ？まぁ、あんたに遠慮しても仕方ないしな」
本当にストレートだ。女の子だからとかそういうのが一切ない。変に取り繕ったりせずに自分の思ったことを言う。それは恐らく涼子と何の関係もなく、そして涼子に興味がないからだ。多分、そう。
静の妹だからというより、多分、この男は自分と二度と会う気はないんだろうなと涼子は漠然と思った。
「崎山さんが逢えっていう人って、不思議な人ばかり」
「あの人が逢えって言ってるのか？」
初めて雨宮の表情が出た。意外だったのだろうか。崎山が逢えと言ってる事が。
「女子校育ちだから、色んな男と逢ってみて話せって。元々はお兄ちゃんの周りに居る人に逢いたいって言い出したのはあたしだけど、今は崎山さんがキャスティングしてくれてるの。ただ崎山さんが次はこの人って名前だけしか教えてくれないから、だから、あたしも名前と特徴くらいしか知らないんです」
「あの人、馬鹿じゃねぇの？」
雨宮は呆れたように言って２本目の煙草を咥えた。なかなか火を点けないのはベビーカーが横を通ったからだ。
「優しいんですね」
「あ？何が？あんたもさ、兄貴のこと心配なの分かるけど、こうやって見ず知らずの、それもあんまり胸張って言える職業じゃない人間と逢うのやめれば？」
「別にお兄ちゃんのことは心配じゃないわ。何かに流されるような人間じゃないし、ああ見えて男の子だもの」
「ま、威勢はいいけどな」
雨宮は何かを思い出したのか、緩やかに笑った。多分、今まで崎山に逢えと言われた人の中で、一番、静に近いところに居るんだろうなと涼子は感じた。
話している感じからして、多分、そうだ。
「あたし思うんです。どんな出会いでも大切にしないと。見た目や職業で決め付けちゃいけないって」
「一期一会とか言うのか？」
「ですね」
涼子がにっこり笑うと、変な女だなと雨宮は眉を上げた。
「で、あとは誰に会うつもり？」
「うーん、崎山さんが逢えっていう人に逢ってるだけだから、あと誰っていうのは分からないんです。あたしから言うにしても、全然分からないし」
「あと二人じゃね？」
雨宮はそう言って、煙草を灰皿で圧し潰した。
「え？」
「居るとすれば、あと二人。俺よりも大人で棒ッきれみたいに背が高い人と、熊みたいにデカいやつ」
「どうして二人って断言出来るんですか？」
「あとは逢わせれるような人格者じゃねぇもん」
雨宮はそう言うと、困ったように笑った。逢わせられるような人間ではないというのは、それはそれで興味があるなと涼子はケーキを頬張りながら思った。
「それって、イメージ通りの悪みたいな人ってことですか？」
「あ？違う。一人はコミュニケーション能力が欠落してるし、こんなカフェとかより地下に居たいタイプの人間。あともう一人は、人じゃないから」
人じゃないってどういうことだろうと首を傾げると、雨宮は愉快そうに笑った。
「見た目で判断しないって、あんたはそういうの持ってるみたいだし兄貴もそうだから、まぁ驚いたりしないだろうけど。でも、会話には困ると思うぜ」
「そうですか」
驚くってどういうことだろうと、涼子は益々、それに興味が沸いてきた。だが恐らく崎山が逢わせないだろうなとも思った。
崎山が涼子のことを思って、色んなタイプの人間に逢わせているのは分かっている。とはいっても、全て涼子にとって害のない人間ばかりだ。
きちんと自分の立ち位置と涼子の立場を理解出来、尚かつ、涼子が不快な気分にならないように出来る人間。それが残り二人なのだろう。
「あんた、崎山さんのこと、信頼してるんだ？」
「え？もちろん、兄がもう一人出来たみたい」
「あんたの兄貴は崎山さん苦手だけどな」
「でしょうね」
「へぇ、意外。そこは分かってんだな」
「兄弟ですから」
にっこり笑うと雨宮はそうだなとどこか寂しそうな顔を見せた。
崎山も時折、涼子を見ながら寂しそうな顔を見せる。それが何なのかは涼子には分からない。だが、少しでも自分の存在で崎山が寂しさを感じなくなれば良いなと、涼子は常に思っていた。
「崎山さん、過保護なところあるけど、素敵な兄ですよ」
「そうだな、あんたの存在が結構、あの人の中で大きいかもな」
素直じゃないから、言わないだろうけどと雨宮は付け足して笑って、それに涼子も微笑んだ。