29. 因果

花series Extra Shot


「なぁ、墓参りは?」
朝、唐突に静に言われて、ソファで寝転がる心は首を傾げた。
「誰か死んだんか」
「は?死んでねーよ、お前の親父さんだよ」
静が呆れた顔を見せたが、心はもっと呆れた。
「行くわけあらへんやろ。行ったことあらへんわ」
「は!?ないの!?」
「あるわけないやろうが、誰が行くか」
「ダメ!」
急に大声を出すものだから、心は顔を顰めて静を見た。瞬間、寝転ぶ腹の上に思いっきり乗られて、思わず、うっと声をあげた。
軽いと言っても女の軽さとは違う、強さがあるのだ。勢いつけて飛び乗られれば、さすがに声が出る。だが、それを咎める事なく、心は静の身体が落ちない様に片手を腰に回した。
「どうせさ、でっかい立派な墓があるんだろ?」
「せやな。趣味の悪い墓や」
「え?行ったことあるんじゃん」
「納骨にな」
「あ、なるほどね。じゃあ、行こう。お前、暇そうじゃん」
「行かへん。暑い」
即答。絶対に行きたくない。部屋の中に居ても分かるほどに、ミンミンとけたたましく蝉が鳴いている。こんな中を何の因果で墓参り。
墓荒らしに行くなら未だしも、故人を偲んで墓参りなんて行く理由が見当たらない。そもそも、その故人を偲ぶほどに生前、面識が逢った訳であない。父親だと言われたところで、きちんとした会話もしたことがないので実感は皆無だ。
なのに、墓参りにいけなんて、ただの嫌がらせだ。
「どうしても行かないの?うーん、じゃあ、俺が一人で行く」
「はあ?」
お前こそ、行く理由がないだろうと心は蛾眉を顰めた。その顔を静は上からしたり顔で見下ろす。
最近、何か悪巧みをした子猫のような顔をするようになったなと思うが、もちろん、口にすることはない。人の事をとやかく言うが、静もそこそこ面倒くさい性格をしている。
実はお互い様なのだ。
「お前がどうしても嫌だって言うのなら、俺が愚息の代わりに墓参りに行く。でもなー、俺、帰ってくるか分かんないならな。もしかしたら、そのまま母さんとこ行って戻らないかも」
ああ、これが悪巧みか。言うだけで店のこともあるし、そんな事をやる訳はないと分かっていても、やり兼ねないところもある。
そんな事、する勇気もないくせになんて言ってしまえば、確実に実行するだろう。妙なところで負けず嫌いなのだ。
心はどうしようもないなと舌打ちすると、静を手で払う仕草を見せた。

「山だねぇ」
静は心の愛車のH2の助手席から顔を出し、山の空気を堪能した。
鬼塚組組長の墓だ。どうせ都内の一等地の墓なんだろうなと思ったものの、まさかの隣県。しかも、街中を抜け、峠を抜け、山を登る今、周りを山々に囲まれた道を直走る。
一体、どこへ向かっているのか。車が車なだけに、サバイバルをしている感じだ。
「ったく、やから来たなかってん」
心は煙草をゆっくり吸う暇もないのか、苛立ったように言う。じゃあ運転変わるよと、軽々と言ってやれないのは申し訳ないところだ。
チラッと横を見れば、傷だらけのガードレールとその向こうには先が見えない鬱蒼としげる木々。落ちたら終わりだろうなと感じた。
「こんなところにあるなんて」
思ってもなかったし、納骨大変だったでしょ?とその光景を思い浮かべ、少し笑う。
恐らく幹部連中や傘下組の組長連中が参列したのではないだろうか。ただの故人の納骨とは訳が違う。横幅の大きな高級車が、ここをトロトロと走って山を抜けたのかと思うと、コメディーだ。
「極道みたいな連中が、墓の中では一般人になれるわけあらへん。死んでも厄介者や」
「そんな言い方、すんなよ」
以前は静だってそう思っていた。極道みたいな連中、この世から居なくなれば良いと。でも、今は違う。
心を初め、静にとって大事だと思う人間はみんな、極道だ。調子がいいかもしれないが、失いたくないと思う極道連中なのだ。
「辛気くさい顔すんな、もう着くぞ」
心がギュッとハンドルを切ると、一気に道が開け、寺が現われた。
「うわ、すげぇ」
静は声を漏らした。まるで時代劇にでも出てきそうな、古びた寺だった。全体的に柱や壁は黒ずんで見え、どこか禍々しいようにも思える。
その両脇を樹齢何百年もありそうな大きな御神木が、寺の傘のように寄り添っている。
「相変わらず、何か出そうやな」
心はようやく一息と煙草を銜え、車を降りた。
「おい、こんなとこに停めんの?」
入ってすぐ、寺の真ん前に斜めに停まった状態で車は停車している。誰かが来たら、間違いなく邪魔な迷惑な車だ。
「こんなとこ、誰も来ん」
「えー」
本当かよと思ってものの、ここに来るまでの道中で人っ子一人にも逢わなかった。山道というのもあったが、民家もなければ標識もなく看板もない。誰も来ないと言われると、納得してしまいそうな場所だ。
「本当だろうな」
静は訝しみながらも、渋々車を降りて、後部座席からお供えの花を取り出した。
「…なぁ、これ、本当にいいの?」
静は車に凭れて煙草を燻らす心に尋ねた。静が持つ花束は、お墓にお供えするには気が引けそうなほど豪華な花束だ。
とりあえず派手、なのだ。オレンジやら青色やら、お供えすると怒られそうな大きな花束。それを持つ静は場違いこの上ない。
花束を供えるのがダメということはないだろうが、でもこれは何か違うんじゃないかと思う品種だ。
「ええの、それで」
心はそう言って携帯灰皿に煙草を詰め込むと、すたすたと歩き出した。
寺の横に細い道があり、そこを二人で歩く。寺の中に人の居る気配はなく、蝉の鳴き声と風が揺らす木々の音だけが聞こえてきて静は少し不安になった。
「は、迫力なるよな」
「怖いんか」
心がからかうような顔を見せたので、静はその背中を叩いた。
ちょうど寺の裏に当たるところに柳の木が並んでいて、墓石が姿を現した。まさに墓地という情景に、静は一歩だけ心に近付いた。
「結構、あるね」
もっと少ないものを想像していたが、静が思ったよりも墓石の数は多い。こういうところにくると、暑さが吹き飛ぶなと思う。
「どの辺やったか、覚えてへん」
心はチッと舌打ちして、辺りを見渡していた。確かに墓石ってどれも長方形で色合いが少し違う程度で、なかなか特徴的なものは少ない。
1度来たくらいでは、覚えていないのも無理はないかもしれない。しかも、心だ。
「奥とか、覚えてねぇの?」
「奥やったような、手前やった様な」
「おいおい、それも曖昧なの?ここの管理人の人とか居ないのかな…。あ、あそこ、人が居る」
静が奥の方に見える人影を指差した。墓地の真ん中あたりに大木があり、その横に人が見えた。
「鬼塚の墓だよね?聞いたら分かるかな」
「分かるやろ。大体、ここの管理人…」
話ながら前を歩いていた心が急に立ち止まるので、静はその背中で額をぶつけた。
「ちょ!何で止まるの?」
静は心の横から顔を出して前を見て、げっ!と声を上げた。それに気が付いた相手も、静と同じ反応だ。
何の、因果だ、これ。互いに腹の内は同じだろう。まさかこんなところで逢うなんて、夢にも思ってなかった。お互いに。
「き、鬼頭、眞澄」
静はゆっくりと心の後ろに姿を隠した。
一気に天候が禍々しくなって、雷鳴が轟いても驚かない。この二人がこんなところで逢うなんて、ご先祖様が何かを予兆してるんじゃないのかと空を見上げてみる。,br> だが空は快晴。雲一つない、清々しいほどに晴れ渡った青空だ。
「何をしとんねん」
初めに口を開いたのは眞澄だった。黒のタイトなスーツにサングラス。
それ、お墓参りの格好じゃないですよと注意したくなるほどの、場違いな格好の男は心を忌々しげに見て、クソッと何度も舌打ちしている。
「何って、墓参り。お前こそ、何や」
「ああ?俺は…」
「あら、あらあら、どないして?意外な人と逢うたねぇ」
ビシビシと二人の間に見えない何かが飛び交う中、一気に気が抜ける声がして3人してそちらを見た。
静と心はそこに立つ男を見て、やっぱりお前かと項垂れた。御園だ。線香を持って、心と静を嬉しそうに見ている。このシチュエーションを唯一喜んでいるであろう男は、眞澄に心やで!と分かりきった事を言って怒られていた。
「今日はね、御参りしに来たんよ。眞澄は先代に可愛がってもらったさかいにねぇ」
御園は線香を立てるとにっこり笑った。心はそんな御園を見て、静の持つ花束を受け取ると墓に供えた。
「あんはん、故人にくらい優しいしたったらどない?」
御園はそれを見ると、呆れた顔で心を見上げた。
やっぱり、その花束ダメだよね!!分かってる!分かってるけど!!コイツ、聞かないんです!!と、静は心の中でその故人に謝罪した。
「コイツのしそうなことやし」
眞澄が言うと、心は鼻で笑った。そして、ゆっくりと4人で手を合わせた。
不思議な感じだった。心と静と眞澄と御園。歪み合った時もあった男達がこうして並んで手を合わせる。溝はまだまだ深いものかもしれないが、それでも今こうして並べていることが成長した証ではないだろうか。
「おや、まぁ、何ですのん、これ」
4人で手を合わす背後から驚きを含んだ声がして振り返る。そこには正真正銘の坊主が袈裟を着て立っていた。
「心と眞澄が一緒やて」
坊主が心達を呼び捨てにして声を上げて笑うので、それに静は驚いた。何者だ、このお坊さん。と。
「ええ男に成長しましたなぁ。まぁ、お上がりなさい」
坊主が手招きすると、心と眞澄は仕方がないと息を吐いて坊主の後を続いた。それに静は益々、訳が分からなくなった。
「なに…」
「あれねぇ、先代の右腕やった男やねんで」
「え?」
静の横に御園がすっとやってきて、コソッと耳打ちする。先代、あの墓の中に入る男、仁流会鬼塚組組長だった男の右腕。即ち…。
「若頭…」
マジかよと、静は先頭を歩く坊主を遠い目で見た。

境内には大きな大仏が鎮座していた。お香の香りが身を引き締める。やはり人気もないそこは、冷房が効いているわけでもないのに涼しく感じだ。
「えーっと、斎門と眞澄と心は分かるけど、あんた、誰かいな」
坊主は静を見ると、どこかで逢うたことあったかいなと首を傾げた。それに静は慌てて頭を下げた。
「吉良 静です。初めまして」
「吉良?吉良上野介の?」
「あ、いえ、そことは一切関係ないです」
久々に言われたなと思っていると、坊主は益々、訳が分からないという顔をした。
「この子は堅気やで、原田はん」
「堅気の子が、どないして?」
「俺のんや」
心が言うと、坊主、原田という名らしいーは、驚いた顔をして静を見た。それに静は慌てて心の背中を叩いた。
「俺のって、俺は物か!もうちょっと言い方あるだろ!馬鹿!」
「言い方ってなんやねん、女やいうんか」
「女じゃねぇだろ!!」
「じゃあ、どないやねん。彼氏か」
「なわけねぇわ!!!」
小声で言い合いをしているつもりが、最後には静の怒声が境内に響いた。さすがにこのやり取りには、眞澄も呆気に取られていた。
「あ、すいません」
なんて恥ずかしいうえに常識のなさ!大仏様の前で道徳観に反する言い合い!!静は顔を真っ赤にして、俯いた。それに原田が大声で笑いだした。
「眞澄、これは奇跡やの!?ええぞ、ええぞ。えらい人間臭い顔になった思うたら、そうか、これか」
何の事だかさっぱり分からない静は、心と原田、そして御園達の顔を見合った。が、呆れる眞澄とやはり嬉しそうな御園、そして当事者のくせに他人事と言わんばかりの心達は何も言ってくれずに静は妙な汗を掻いた。

それから原田と5人で世間話に興じた。世間話といっても、心と眞澄がこうして仲違いしなくなったことが、仁流会にとってどれだけプラスになるか言い聞かせる様な原田の話だ。
その話を諦めた様に聞く心と眞澄を見て、まるで双子みたいに似てるなぁと改めて思う。
双子というか、兄弟というか。従兄弟なので血縁関係があるとはいえ、従兄弟とここまで似るものかなと自分に置き換えてみる。
確かに眞澄の方が服装など派手だし、髪の色も黒豹のような心と違い綺麗な亜麻色に染めているしスタイリングもしっかりしている。それでも似ていると思うのだから、眞澄が黒髪に戻せばもっと似ているだろう。そして、プライドの高さと傲岸不遜さが滲み出た鋭い双眸は、特に似ている。どうせならもっと仲良くなればいいのにと、静はそれを勿体なく思った。
「何や、今日はほんまに妙な巡り合わせやねぇ。ほな、先代のために久々に…」
御園が徐に立ち上がると、本来は原田が座るであろう祭壇の前にちょこんと腰を下ろした。
何をするのかと思いきや、数珠を手に取り、普段のやる気のなさとは別人の様に力強い目をして凛と背を正す。それを見て、静も慌てて背を正した。
御園はすぅっと手を合わすと、ゆっくりと木魚を手に取り、経を唱え始めた。
ゾッと肌が粟立った。普段の御園からは想像もつかないほどに、力強く澱みない経。御園の周りが神々しく見えるほど、それくらい大袈裟に言ってもいいくらいに、その経は素晴らしいものだった。

「はー、久々やると緊張するねぇ」
御園は深々と大仏に頭を下げると、振り返り笑った。その顔はいつものあの御園で、静は知らずに入っていた身体の力を抜いた。
「すご…」
思わず声が漏れた。ふと視線を感じて目をやると眞澄が鬼の形相で静を睨みつけているものだから、驚いて心の身体の影に隠れた。
「さすが、崋門くもんさんのお孫さんやなぁ」
「ふふ、しごかれたさかいにね」
御園は懐かしそうに笑った。
「ああ、そういえば、お茶菓子があったなぁ。あんたら手伝うてくれるか」
原田はよいしょと腰をあげて、奥へ向かう。静は迷った様に心の顔を見たが、そんな静の腕を掴んで御園が原田の後を追った。
「折角の従兄弟の再会やし。仲良うしてもらおうな」
こそっと御園に耳打ちされ、静はなるほどと頷いた。だが本堂に残された二人は、面倒な奴と二人になったと互いに息を吐いた。
「…お前、最近、万里に逢うたか」
「あ?逢うわけあらへんやろ。頼まれても嫌や」
それは同感だと、眞澄も思った。
「あいつ、最近、動きが派手や。そのうち、でかい事起こすぞ」
「ふーん」
「他所もんとモメ始めとる」
「アホやな、相変わらず」
心はくつくつ笑って、ゴロンと身体を転がした。それを見て、眞澄は呆れた顔をした。
「お前はどこでも猫みたいに、ゴロゴロゴロゴロ」
「お前は相変わらず、あれに関しては狭量やな」
「ああ?」
「御園が経唱えたんが、そんな気に入らんのか」
「何が言いたい」
「昔、御園が自分のもんやなかったときにこと思い出して、腹立つねん、お前は」
心がふっと笑ったと同時に、眞澄は心に手を伸ばした。それを寸でて避けて、心は身体を起こし眞澄と対峙した。
「鬼塚組の組長が護衛もつけんと、今、ここでワシに殺られてもしゃーないことやで」
「護衛もつけんで、ここまで来さすと思ってんのか、相馬が」
二人してゆっくりと立ち上がり、すっと拳を握る。もう準備万端、あとはゴングを待つばかり。
やはり血の繋がりがあったとしても、この男とは相容れない仲なのだと互いが再認識する。何なら仁流会を解体して敵同士になったほうが何かと上手く行くかもしれないと真剣に思うほどに、プラスとプラス、マイナスとマイナスという具合に反発し合う。
何なら、生まれてきた時代が間違いなのかもしれない。
「お前、犬小屋で手痛くやられたらしいの」
「はっ、あないなもん、どないでもあらへんわ。お前と一緒にすんな」
ゆっくり間合いをつめ、互いの隙を狙う。もう、とっくにゴングは鳴ってしまった。あとは気が済むまで殴り合うだけ、と間合いを詰めたその時、雷鳴の様な怒鳴り声が聞こえハッとした。
原田だ。仏の道に入る前、極道の頃を彷彿させる様な怒りに満ちた顔で、綺麗に剃り上げた頭には角が見えるような気がする。
「やべ…」
二人してスッと拳を下ろしたが後の祭り、二人は本堂に正座させられて懇々と原田の説教を受けた。
「心はんと眞澄と、あともう一人、厄介なんがおるんやけどな、この3人が仁流会のアキレス腱やて原田さんの口癖なんよ」
「アキレス腱?」
「三人が三人とも仲悪い。お互い認め合って手ぇ組んだら、仁流会は今以上に成長するんやて。せやけど、この三人のバランスが一瞬でも崩れたら、仁流会は崩壊する」
「え?崩壊?でもさ、俺、極道のことはルールとかよく分かんないけど、下手なことしない監視役も兼ねて若頭とか若頭補佐っているんだろ?まぁ、うちは相馬さんだけど、そういう若頭同士がしっかりしとけばいいじゃん」
「せやねぇ、まぁ、言うてみたら、そこも仲悪いんよねぇ。あ、俺は仲良うしたいんよ。でも、あとのんが俺をかなんって言いよるんよぉ」 うん、分かるわ、それ。静はそう思いながら、なんでやろうねぇと言う御園にフッ笑った。
「ああ、せや、心はんの花束、次はやめときなはれ。可哀相やわ」
「え?」
どういう意味?豪華過ぎるから?と疑問に思った静は、屋敷に戻ってから心が用意した花束の花言葉を調べ、心に本を投げつけていた。
リンドウ、オニユリ、スノードロップ。何だか妙にアンバランスで花束に向いていない様な、無茶苦茶な組み合わせを無理に花束にしたようなもの。父親が好きな花だったのかなと思ったが、何の事はない。花束に込められた、呪いのメッセージだったのだった。