05. 誰も敵わない

花series Extra Shot


株式会社イースフロント。一等地に見上げれば首が痛くなる程の馬鹿でかいビルを建て、働く人間はほぼ有名大学等を卒業した言わばエリート。
だが、彼らは知っているのだろうか?ここが鬼塚組のフロント企業だということを…。
鬼塚組フロント企業の、一番の要だということを…。
成田久志は脇に抱えた書類を一瞥すると、溜め息をついた。
”忘れたから持って来い”このビルの最上階部分で秘書室室長なんていう肩書きを持つ恋人は、電話で素っ気なく言うと久志の返事を聞かずに電話を切った。
久志はこのビルが苦手だった。何と言うか、ここで働く恋人である崎山雅を見ると、改めてこんな極道世界に雅を置いていて良いのかという、今更ながらの迷いが頭を過るのだ。
「チッ、しゃーないか」
これを言ってしまうと、雅の機嫌の悪さはとんでもないものになる。それを宥めるのは、容易ではない。
入り口の大きなガラスの自動ドアを潜ると、過ぎるほどに広いロビーには様々な人が溢れていた。
皆、スーツをビシッと身に纏い、その顔は気品に満ちている様に見える。
黒のスーツに、如何にもの装いの自分は大分と浮いているなと思いながら、モデル顔負けの受付嬢が座るカウンターに近づいた。
「こんにちは。本日は、どちらにアポイントをお取りですか?」
ニコリと微笑まれれば、悪い気はしない。でも、雅の方が美人だなぁと思う久志は、どこまで雅に溺れているのかと自嘲した。
「えーっと。副社長付きの、秘書室室長の崎山に逢いに来てんけど」
「副社長付きの崎山でございますか?何か、お約束をされておりますか?」
少しの疑念。さすがに自分のような人間が、崎山に用があるのはおかしいのか。だが相好を崩さない受付嬢に、思わず苦笑いをする。
どう考えてもこの場所に不似合いの自分に何の疑いも持たないということは、やはりここがフロント企業だというのを承知なのか。
ふと視線を感じて、顔を向けると隣の受付嬢が赤い顔をして久志を見ていた。何か変だろうか?いや、何もかも変だろうな。
とにかくアポイントは取っていないし、ここにいつまでも居るのも居心地が悪い。久志は、脇に抱えた書類をカウンターに置いた。
「これ、持ってくる様に言われてん。あんたから渡しといて」
「え?これをですか?」
先程まではにこやかな表情を浮かべていた受付嬢も流石に驚いたのか、表情が変わった。
「そう。成田が来たって言えば分かるから」
そう言うと同時にカウンターの電話が鳴り、受付嬢は慌てて電話に出た。久志は”ほな”と一言言うと、踵を返した。
「あ!成田様!!!」
成田様って…。言われ馴れない呼び方に振り返ると、顔を赤らめていた受付嬢が慌てて駆け寄って来る。
制服の上からも分かる撓わな胸元に、”尾崎”と書かれたネームプレートが飾られていた。小さくて、それこそ男が守ってやらなければいけないと思わせる様な女だなぁと、久志は思った。
「申し訳ございませんでした。室長がお呼びです」
「えー。上がるんか」
成田は渋々、尾崎の後に続いた。
エレベーターだけで6台。それに列をなすスーツを他所に、尾崎は更に奥に入って行く。
一体、どこに行くのかと思っていると、警備員の立つドアの前で止まった。
尾崎は手に持っていたカードを壁に設置されている機械に差し込み、その横の指紋認証システムに親指を押し付けた。”ピピッ”と機械的な音が鳴り、ドアが開く。
「おいおい」
思わず突っ込みたくなるような設備だ。ドアの向こうには、また警備員。
黒服のいかにもの出で立ちの男は、久志を見ると頭を下げた。尾崎は奥に進み、大きなエレベーターのボタンを押した。
「ここ、そのカードあったら誰でも入れるん?」
尾崎の手に握られてるカードを指差すと、尾崎は顔を赤らめ頷いた。
ああ、そうか。久志は覚えのある反応に、肩を竦めた。自分が思っている以上に久志はモテるので、この手の反応は珍しくない。
だが、だからとて連絡先を聞く様な無粋な真似はしないし、しようとも思わない。
久志は元々は、女に一切興味がないゲイというわけではない。雅に逢うまでは、男には敵対心しか抱かなかった。
こういう尾崎の様な女のタイプも嫌いではない。だが、今は何も感じない。何も衝動が起こらなかった。
それくらい、久志には雅しか居ないのだ。
「このカードは、限られた人間しか持っていません。私もここに入るのは初めてです」
「ああ、そうなん」
エレベーターが到着して、久志と二人乗り込む。何人が一気に乗り込めるだろう。
しかし、秘密防衛なんとかを彷彿させるようなセキュリティーは地震が来たら、どうやって逃げるのだろう。
高速で上がるエレベーター。気圧の変化で耳がおかしくなる。目的の階に着くと、久志はエレベーターを降りた。
「真っ直ぐ行かれれば、部屋があります」
「え?あんた行けへんの?」
「はい。一般社員はここから先は立ち入りが禁止ですから」
ニッコリ微笑み、尾崎は頭を下げた。
靴音さえ消される毛の長い絨毯。真っ直ぐというが、とんでもなく先が長い。
とりあえず、真っ直ぐ進むと人の話し声が聞こえて来た。
「ん?」
久志は立ち止まり、耳を澄ました。話し声?
『ああん!!あっ!!イイッ!!』
「喘ぎ声?」
久志は立ち止まり、そこで足踏みした。もしかして、心が来ているのか。
あまり聞いた事は無いが、女を連れ込んでいるのか。と、いうよりも雅は何処だ。まさか、強要されて3Pとか。
めくるめく妄想は止まる事を知らず、とりあえず悪い方へ妄想は膨らんで行く。久志は意を決して歩を進めた。
『ああああん!!そこー!!!そこー!!!イイー!!』
進めば進む程大きくなる喘ぎ声。自然と心拍数があがる。
もし3Pとかなら、何も分からない振りをして雅を連れ出さないと。
心はというより、組の連中は誰も久志と雅の関係を知らない。勿論、雅が女がダメだということも、久志しか知らないだろう。
『いやっ!!!いやああああ!!!ああああああ!!!!!』
さっきの女が居なくて良かったと胸を撫で下ろし、社長室と書かれた部屋の前で止まる。
声は間違いなくそこから聞こえた。ドアにそっと、耳を押し当てる。
『この辺じゃないですか?』
雅の声と、女の悲鳴にも似た喘ぎ声。
『やだぁぁぁぁああ!!!』
『そうだね。この辺かな』
もう一つの声に、成田は声をあげそうになった。若頭!?
間違いなく、若頭の相馬の声。
あのビジュアル的にも雅と似た少し神経質そうな、それでいていつも微笑みを絶やさないが、その微笑みの裏にある冷酷無情な男と雅の3P!?
『もう一個、入れてみます?』
雅の声に、久志は思わず手をノブにかけた。
何を入れるちゅーねん!!!!!!!!!!!!
「失礼します!!!!!!!」
挿入なんかしてたら、きっと殺してしまう。そう思って勢い良く、ドアを開けた。
『イッちゃうーーー!!!!!』
女の五月蝿いくらいの大きな声が、部屋に響いた。
「……え」
「おう、お疲れ」
広い部屋。壁は全てガラス張りで、街を見下ろせる見事な情景。
大きなデスクに相馬が凭れ掛かり、その前にある応接セットのソファに雅が座り、その前に置かれた大画面のTVには吐き気を催すくらい大きく映された、女の性器が映し出されていた。
「…ビデオ」
二人で鑑賞?
「もっかい巻き戻せ。さっき顔が見えた」
低い声が耳に響き、自然に背筋が伸びる。
応接セットの長ソファに、鬼塚組組長の鬼塚心が転がっていた。
「組長!!!お疲れさまです!!!」
「成田、ここでは代表取締役ですよ」
相馬がクスクス笑いながら、応接セットのテーブルに積み上げられたDVDを手に取った。
一体、何がどうなっているのか。
「オマエも見ろ」
「ええええ!!!????」
心の言葉に、思わず久志は声をあげた。
何パーティー!?何の集い!?
「ね、勘違いしてない?」
雅の冷めた視線が、久志に突き刺さる。
「へ?」
「これね、うちの島で売りさばいてた輩が居てね。それがこの女が、どうも素人みたいなんだよね。クスリ打たれて飛んでるように観えるから、恐らく強姦裏ビデオってやつだと思うんだ。それでこの女を輪姦してる男達が、たまに顔がチラチラ見えるんだよ。だから見覚えがないか、オマエにも見てもらおうと思って」
相馬はそう言って、優雅にコーヒーを啜った。
「…裏ビデ」
ハハッと久志は笑った。

「今日の、絶対勘違いしてたよね?」
ベッドで息を吐きながら、雅は自分の身体に口づけを落とす久志の頭をコツンと叩いた。
「もう…しないって。壊れる」
「あんな大音量で、見るもんでもあらへんやろ。もしヤッてたら絶対許さんかったわ」
白い肩口に、傷がつかないように軽く歯を立てる。何度抱いても足りないと思うのは、どうしてだろう。
「勃つわけないだろ。女相手に」
「分かってるけど、でも嫌やの」
「あんな大画面であんなもん見せられて、気分悪くなっちゃった」
「立て続けに10本も見さされた俺のほうが、気分悪いわ」
結局、あれから相馬も雅も本来の業務があると仕事に戻り、あろうことか心と二人でAV鑑賞という有り得ない事態に陥った。
大画面で、ほぼ飛んだ女が次々と輪姦される。画面に映し出される勃起したペニスと、モザイク無しの結合部分は目眩すら起こした。
しかも、隣には煙草を燻らす心。下半身の赴くままの年頃のはずなのに、心は顔色一つ変えずに煙草を燻らし、眠そうな退屈そうな瞳でそれを眺めていた。
脱帽。一瞬、心はいくつだったかなと真剣に思った位だ。
「でも、男分かってよかったじゃないの?ん?」
雅の言葉に、久志は頷いた。
10本目に出ていた男の入れ墨に、久志が見覚えがあったのだ。
歌舞伎町付近で、クスリを売っている男で前々から目をつけていた男。最近は姿を見なくて遂に死んだかと思ったが、DVDを解析したところ撮影の日付はごく最近。
クスリだけでは物足りなくなったのだろう。稼ぐために素人の女を攫って、輪姦。ご丁寧に無修正の裏DVDにして、女はクスリを打って意識を朦朧とさせて記憶は曖昧に…。
足がつかない様に男の顔は映さずだが、売り捌く島が悪かった。
ああいうバックに誰も持たない人間は、その土地がどこかの組の島だなんて案外想像もしないようだ。
「明日佐々木達が動くって」
後ろから雅の火照りの引かない身体を抱き、吸い付く様な肌理の細かい肌に手を滑らせると、パチンと叩かれた。
「触るだけやん」
「受付の女に、鼻の下伸ばしてたくせにね」
「…受付?」
白く細い首筋に吸い付きながら、考える…。
「え?」
「一回のロビーの監視カメラは、あの部屋で見れるんだよ」
ああ、だからフロントの内線が鳴ったのか。タイミングが良いと思った…。
「妬いてるん?」
ニヤリと笑ったのを気が付かれたのか、前に回した手を雅がガリッと噛み付いた。
「いた!!!!」
「誰が妬くか」
「鼻の下伸ばしてたんちゃうで。やっぱりちゃうなーって思って」
「はぁ?」
「べっぴん度合い。雅に敵う奴はおらんって思って」
柔らかい黒髪に鼻先を埋め、香りを堪能する。
強気の消えない双眸も、その下の二つ並んだ泣きぼくろも、薄い唇も快感に弱い身体も喘ぐ声も全部。
全部、誰も敵わない。
「馬鹿じゃないの」
飽きれた様に言う雅だが、後ろから見た耳たぶが赤いのが見えて、久志はぎゅっとその肢体を抱き締めた。
「もーいっかい」
「ヤダよ!馬鹿!」
言いながら、貪る手を止めない久志に、雅は抵抗する事はしなかった。