08. 縁

花series Extra Shot


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畳の香り。それに混じる香の香り、鳥のさえずり、鹿威しの音。此処に来るのは何回目かな?
自由奔放。明日の予定も明後日の予定も、言うなれば一年先まで空白の予定。
明日のことは明日決めようなんて自堕落な生活をしていたのに、急な呼び出し。
着の身着のままな生き方。呼び出しなんかくそくらえ…思っていても、現実はそれが罷り通る相手ではなかった。
「久々やなぁ」
少し嗄れた、だがビリビリと重たさを感じる声。年は自分より二回り以上も上なのに、全く衰えすら感じさせない人を刺すような強い双眸。
年を取れば身体が小さくなると聞いたが、着物の隙間から覗き見える胸板は屈強だ。
やだやだ、こんな爺ぃにはなりたくねぇなぁと彪鷹はククッと笑った。どうせなら、縁側で猫と寝転がる様な爺ぃになりたいもんだ。
「お元気そうでなにより」
彪鷹は、部屋に入って来た風間龍一を見てニヤリと笑った。
「で、どないしはりましたん?会長直々に俺を呼び出すなんて」
「てめぇの息子が派手にやらかしてんぞ」
龍一の後に入って来た梶原に、軽く頭を下げる。だが唐突に放たれた言葉に、思わず復唱した。
「…息子」
惚けるには相手が悪いと、頭を掻いた。
ここに呼び出された時に、何となく勘付いては居た。それ以外に、呼び出される原因がないと言えば、ない。
「心が、何かしらやらかしましたか」
「眞澄と一悶着起こしよった」
「…眞澄?」
聞き覚えがある様な、ないような。人の顔や名前を覚えるのは得意ではない。
彪鷹は考える素振りを見せるが、その思考は”あ〜、面倒”だ。
「鬼頭の倅や。で、鬼頭組の若頭」
龍一の隣に座っていた梶原が、一枚の写真を彪鷹の元へ持ってきた。
写真を見て、ああ、居たな。と思い出す。心の従兄弟で心に良く似た男だ。
「あれ?鬼頭ってことは内紛?あれ?鬼頭組って、京都統括長やったはずやないんですか」
京都統括長の鬼頭組の若頭が、会長補佐である鬼塚組の組長と一悶着?
何だか意味が分からない。結局、愚息は何をやらかしたのか。
彪鷹は眞澄の写真で自らを仰ぎながら、うーんと声を出した。
「眞澄が心のイロ拐いよった。やから、心がキレた」
梶原がようやく話した簡潔な説明に、彪鷹は顔を顰めた。
「イロ?あのアホ、そんなもんに現抜かしてんの?」
「まさに憂き身をやつすってやつやな。非生産的な男や」
「まあ……男やさかいしゃあないか。年だけはやりたい盛りやし」
今はいくつだったのか、正直覚えてないが若いのは確かだ。
「ちゃうわ、ボケ。イロが男や」
「…は?」
「吉良静。大学生で年上や。大多喜に集られとった」
また写真を渡され、手に取る。驚くほど綺麗な顔をした男で、だが、芯の強そうな目が印象的だ。
それを見て、また首を傾げた。確かに、中性的な顔をしている。だが、やはり男だ。あれ?
「…ゲイやったっけ?」
思わず声に出した。
いくら中性的な顔をしていても、譲れないことはある。好み然り、性格然り、価値観然り。
一番重要なのは、性別然り。
「お前の育てかたが悪かったんちゃうんか」
梶原に言われ、ぎょっとする。まさかの子育て責任の追求かと。
「いやいや、何言うてんの。がっちり仁流会のイロハ叩き込んだわ。シモのことまで責任持てるか」
「何もかんも彪鷹そっくりや。無軌道で自堕落。何にも感心持たんで、会合総会は滅多と出らん。出不精はお前を上回るから、他所の組じゃあ鬼塚心は架空の人物やって専らの噂や」
「…え?なに?ほんまにシモ事情で呼び出し?俺」
お門違いも甚だしい。やめてよ、そういうの。
大体、自堕落で無軌道で無関心なのは持って生まれた性格だろう。そこはDNAの問題なので、自分は無関係だ。
それに架空の人物で良いだろう。顔を売り歩いても、ろくなことがないのは極道でなくても良くある話だ。
「…眞澄の一件片付いてなぁ」
龍一が口を開き、思わず背を正す。
龍一が心のシモ事情を何とかしろと言うならば、従うしかないだろう。息子より親が絶対な極道だ。
だがどちらにせよ、こんな呼び出しを喰らう羽目になった原因の息子には鉄拳をくれてやろうと彪鷹は思った。
「眞澄は入院して、そのあとに犬小屋で生活しとる」
「はぁ…」
あ〜あ、犬小屋かと彪鷹はほくそ笑む。
心も手痛くやられたと聞いた。とは言っても、彪鷹の拳に比べれば取るに足らない退屈な場所だったに違いない。
「ところが、心はその吉良静を手離した」
「…ん?」
手離したのなら、いいんじゃないの?と思い梶原の顔を見る。
何故、呼び出しを喰ったのか、皆目検討がつかなくなってきたのだ。
鬼塚組組長が男に走った。跡取りの問題もあるから、それをどうにかしろ。じゃないの?
「神童が…心の周辺をかぎまわっとる」
梶原の言葉に、彪鷹は眉を上げた。
「…生きてましたんや」
クツクツ笑う。何だ、しぶとさはゴキブリ並みかと、懐かしい顔を思い浮かべた。
「来生と手ぇ組んでな。まぁ、それもどこまでほんまかは分からん。なんせ、悪党同士やから仲良しこよしなわけもあらへん。心は吉良静を手離しとるけど、来生らが吉良静の事を知って手ぇ出せば、あのアホは一人でも乗り込んで行きよる。神童は心が狙いやし、来生は仁流会が狙いや。利害が一致して手ぇ組んだんやろけど、心は及川ゆう犬に目ぇつけられとる。なんぞやらかしたらパクられるか、神童らに殺されるか。どっちにしても、うちには痛い話や」
梶原の話に、随分と息子はモテるんだなと彪鷹は顎を撫でた。だが聞きたくない名前ばかりで、うんざりもしてきた。
「俺らん時は、別のおぶけやったなぁ。名前なんってったっけ。あれ、定年したんか?なら部下の杉山ってのがおるんやないの?」
「そのお前の言う、高橋っていう警部はもう定年。引き継いだんが杉山。で、それの部下が及川や。部下いうても警視正から降格した変わりもんらしい」
ぶつぶつ、彪鷹の独り言に梶原が答える。
よくもまぁ、関東の警視庁まで事細かに調べてるもんだと感心する彪鷹に、梶原はまた一枚の写真を渡した。
「は?」
写っている男の顔に、思わず声を上げた。
警視正から降格したと聞いたから、さぞかし気難しい年配者かと思いきや、写っているのはどこかの雑誌モデル並みの美男子だ。
序でに言えば外人。アジア系の外人ではない。思いっきりスターズ アンド ストライプスを背中に背負ってそうな、欧米系。
「あの」
写真、間違えてませんか?これ、所属は間違いなく警視庁ではなくFBI。それくらいの間違い。
「ハーフだと。及川信長」
思わず吹き出しそうになる。この男の両親のネーミングセンスを疑いたくなるほどだ。
マイケル、ジョニー。何ならトムでもいい。とりあえず、そっちが自然で信長というのは不自然極まりない。
「この及川は、やり手やで。何個か組潰しよった。で、心は心で自分の島広げだしよってな」
「はぁ?…島を?」
「派手に動き出しとる。今の心は仁流会の地雷や」
「…え?消すの?」
「あほか!」
え?なんなの?地雷なら踏む前に撤去じゃないの?
何が言いたいのか、さっぱり分からないんだけど!?要点が見えないんだけど!?
あ〜、こういう汲み取れっていうの苦手なんだよなぁと、思わず唇を舐めた。煙草、吸いたい。
「ちょっと灸据えたれ」
龍一が静かに言った。
「ああ…なるほど」
そういうことなら、初めっから言ってくれればいいのに。回りくどいよ。本当。でも、難しいな。
「俺ねぇ、匙加減下手でね。ちょっとっていうのがねぇ。うちの家訓でね、やられたら倍返し。やるときは百倍ってあんねんけど?」
「好きにしたらええ」
ああ、それくらいに目に余る行いをしているということか。彪鷹は肩を竦めた。
「しゃーないか。ほな、何人かコマ貸して。バカ息子に面割れてへん奴」
「梶原」
「あ〜」
龍一が梶原に目を向けた。それに、頷きながらも言い難そうな梶原に首を傾げる。
なんだ、誰を寄越す気だ。
「龍大を」
「……っ!!!!」
そこか!と声に出そうなのを抑えた。
「ちょお待って、龍大は面割れてるでしょ。え?逢うたことあるよね?」
初対面なわけがないことくらい分かる。いや、そもそも面が割れてる割れてないの前に、いくらなんでもそれはそれで面倒じゃないか。
彪鷹は必死に断る言葉を探した。と、龍一が煙草盆を取り寄せ、煙管を手に取った。
煙草盆の炭火に煙管の雁首を近づけて、火を点ける様を見ていると何だか別の時代に来た気分になる。
途端、ふわりとバニラの香りが鼻を擽った。幻嗅だ。
ジーンズのポケットに捩じ込んだピースを、吸いたくて仕方がない欲望が起こした幻臭。
あ〜煙草吸いたい。
「龍大は次期風間組当主や」
龍一の煙管をジッと見ていたのを気付かれたのか、それをゆらゆら揺らされる。
フッと顔を上げると、龍一の鋭い眼光と目が合った。
「まあ、心みたいに若い年では継がさんけどな。せやけどなぁ、彪鷹。心を称賛するわけやないけど、心は強い。あいつは仁流会の中では、全てにおいて優れとる。じきに心を追って眞澄や、明神とこの万里が組を継いでいく。うちの龍大が最年少なわけや」
「眞澄や万里に示しがつかんと?」
「龍大が心の上にいかんことには、仁流会のバランスも崩れよる」
「せやけど、龍大は心に勝てませんで。あれ育てたん、俺やし」
自分でも無茶苦茶をしたと思う。だが、心にはそれを受け止める度量があったし、肝が据わっていた。
その結果、心は仁流会になくてはない存在になっている。
それって、俺の功績でしょう?と彪鷹は笑った。
「その点では、鬼塚は賢かった」
いや、大博打やったと思いますよとは言わずに、ふっと笑った。
「龍大ねぇ。どんくらい育ちました?今、いくつやろか?まぁいいや。連れていきましょ。無傷で帰せるか分かりませんよ?」
「構わん」
あ〜あ、子守り付きかと内心悪態付く。
だが、彪鷹は楽しみでもあった。心に会うのは何年ぶりか。鬼塚になってからは逢っていない。
組を継いで、成長したかと思いきや…。
「風間のオヤジィ…。ガキはいつまで経ってもガキやな。あ、煙草よろしい?」
彪鷹はそう言って笑った。