10. 彼とスーツ

花series Single Shot


「電車なんか乗るん久々やな」
久志はいつかの記憶を手繰り寄せながら、その頃とは劇的に変わった構内を見渡した。
「ね、田舎者丸出しだからやめて?」
横に立つ雅は呆れたように言ったが、だが、カルチャーショックのような気分が否めない状況の中、落ち着けと言われても無理がある。
第一、こっちに来てから電車を利用したことが片手で足りるほどしかないのだから、何もかもが真新しく異次元に放り込まれた感じなのだ。
「やてさ、改札通るのに財布当てるだけなんやで?」
「前に説明しただろ?なんかあったときに使えって」
「やけどさー」
今日は、心と彪鷹をそれぞれ乗せて総会が執り行われる風間組支部へ向かったのだが、総会終了後、駐車場で車をぶつけられるまさかのトラブル。フロント部分を激しく損傷したのだが、良いのか悪いのかぶつけてきたのが風間組の人間なので強くも言えず。
しかも、残った車が2シートのAMG。誰が残ると言うまでもなく…。
「あれ、直る?」
「え?ああ、まぁグリル取れてもうてんのと、曲がった足廻り直せばええけど、組長はもう乗らんやろうなぁ」
「全く、やってくれるよ」
雅は息を吐いて、ホームから見える空を見上げた。雨でなくてよかった。
ふと、前を見ると向こう側のホームで反対方面へ行く電車を待つ女子高生がこちらを見ているのに気が付いた。
こちらを見ながら、きゃあきゃあと盛り上がっている。ちらっと隣を見ると、総会ということで雅が着せたスーツを纏った久志がきょろきょろするなという言い付けを守って電車はまだかと電光表示板を見上げていた。
アリストンの生地を使ったオーダーメードのスーツは、雅が贔屓にしているテーラーに丸投げげしてフルオーダーで作らせた代物だ。
心もそうだが、久志も長身で手足が長くオーダーメードのスーツでないと、見ているこっちが着心地の悪そうな印象を与えられる。
アリストンの生地は、同じ物は二度と出回らないと言われ、その価値は高い。だが、少し光沢があり華やかさのある特徴が着る人を選ぶところがある。
黒をベースに極細の白ラインの生地は、彪鷹なんかが来てしまうとその道の人と見られそうだが、白のワイシャツにダークブルーのネクタイをチョイスしたおかげで、かなり落ち着いて見えた。
女子高生がはしゃぐのも無理ないことだなと思いながら、どこか面白くない。上から下までコーディネートは雅がしたわけで、それに歓声を上げられることは本来であれば喜ばしいことかもしれないが、何だか腑に落ちないと雅は半歩、右に離れた。
「は?なんよ」
「別に」
途端、不機嫌になった雅に久志は、はぁ?と首を傾げたが雅はそっぽを向いて電車を待った。

これだけ技術が進んだこの世界で、未だに耳を劈くような鉄の擦り合う音は健在かと久志は眉を上げた。
この騒音がなくなるには、どこまで人は進化しないといけないんだろうなと、どうでもいいことを思いながら開いたドアの向こうにギョッとする。
ラッシュだ。朝でも夕方でもないのに、人がすし詰め状態で入っている。
隣で不機嫌スイッチオンになった雅も、さすがにウッとした顔で久志を見上げた。久志はそれに息を吐いて、背中を向けて中に乗り込み雅の腕を引っ張った。
『お客様にご連絡致します。人身事故の影響により、ダイヤが乱れており、ご迷惑を…』
ドアが閉まる頃に聞こえた無情なアナウンスに、げんなりする。そして、二人して、何故タクシーにしなかったのかと後悔した。
たまには電車もいいよなのノリで来てしまったものの、やはり日頃の行いのせいか、こういうことになるのだ。
雅の両側に手を付き、揺れのたびにのし掛かる人の重みに耐える。周りに視線を向けると、同じような体勢で彼女を必死に守る学生が居て思わず笑った。
「なに?」
不機嫌スイッチオンの雅が、ギロッと睨み付けてくる。混んでるからとか、息苦しいからとかの不機嫌さではないなと感じながら、思い当たる節がないだけにどうにもできずに空笑いをした。
「こっち向いてぇな」
「は?なんで」
「いいから」
な、としつこい久志に根負けしてという感じで、雅が渋々と久志の方を向くとそれに満足したような笑みを向ける。
「なに?」
「壁ドン」
は?と、久志の言ってる意味が分からないと雅が首を傾げたが、次の瞬間には今日一番の溜息が聞こえた。
「こーいうシチュエーションでしか出来ひんやん?」
「呆れる」
雅の氷の様に冷たい視線も、今のこの状況を楽しめるのなら辛くない。
ガタっと大きく電車が揺れて、雅が慌てて久志の腕を掴んだ。それが腹立たしいのか、ムッとした顔を向けられたが、それすら可愛く思う。
なかなか密集したところに二人して放り込まれることはないよなと、この珍しいシュチュエーションに顔が緩む。
ふと、視線を感じて目を向けると、久志と変わらぬ年齢のサラリーマンが雅を凝視していた。所謂、ガン見。
組では知らぬ人は居ぬというほどの冷血鬼畜な雅も、外に放てば老若男女を狂わす容貌の持ち主だ。惑わすという言葉がピッタリはまりそうな、ただならぬ色香を醸し出し、ノーマルの男ですら狂わす。
ただ見られてる、若しくは見とれているだけのようだが、それすら許せないと久志は殺気を含んだ視線を男に向けた。
その尋常ではない刺すような視線に気が付いた男は、久志と視線が絡むとまさに顔面蒼白となりすし詰め状態の中、無理矢理に久志達に背を向けるように身体を翻した。
もちろん、周りからは反感もので、何してんだと文句が飛んだ。
「ざまぁ」
「は?なにが?」
「こっちの話」
と、電車の揺れに紛れて片手だけ雅の腰に回すと、案の定、抗議の声が上がった。
「揺れとんねん」
らしいことを言って、耳元に唇を寄せ、話し掛ける振りをしながらキスを落とすと、さすがに足を踏まれた。
「たまには電車もええな」
「二度と乗らない」
そっぽを向きたくても久志に囲われた状態の中、身動きが取れるわけもなく、だがこの守られてる感はいいなと思ったのは雅だけの秘密だ。