いつものように4杯目となるラーメンを啜りながら、静は珍しく昼食を食べにきた心に目をやった。
ここは鬼塚組本家のキッチンである。キッチンというには無駄といわんばかりの広さがあり、6人ほどが座れるテーブルもある。
そこで同じように雨宮が作ったラーメンを啜っているが、何だか似合わないなぁと静は思った。
でも、ハンバーガーも似合わないんだよなぁ。そういえば、パンとか食べてるの見たことないな。
「なんやねん」
じろじろと見られていることに気付いた心は、静を見ずに文句を言ってきた。
「うーん、心さ、パンとか食べるの?」
「はぁ?お前、まだ食う気か」
心はさすがにないだろうという顔で静を見た。
「まだ食う気って、まだ4杯しか食べてないもん。じゃなくて、パンとか食べる?」
「食わん」
両断。いや、パン屋さんには悪いけど、ありがたいことだと静は頷いた。
心がメロンパンとか齧ってたら、やはり笑ってしまう。似合わないというか、いや、似合わない。それしかない。
「好きなもんってあるの?」
「今更か」
本当にそれなと、自分の分のラーメンをテーブルに持ってきて座る雨宮にも呆れ顔をされた。
「いや、だって…。雨宮さん、知ってる?」
俺に振るな!と雨宮が思いっきり睨みつけてくる。あ、やっぱり知らないのかと勝手に納得して、少しだけ考えた。
「あ、わかった。お好み焼き…いだ!!」
言い終わる前に心に柔らかい頬を引っ張られ、思わずその手を叩く。
「関西人への挑戦か?お前は。関西人イコールお好み焼きみたいなやつだろ、あ?」
「ごへんはさ…」
ひりひり痛む頬を擦りながらとりあえず謝ったが、だって美味しいじゃないかと反撃したくなる。お好み焼きとご飯を一緒に食べるのには衝撃を受けたが、これがまた恐ろしいまでにご飯が進むのだ。
あれをやろうと決断した関西の人、本当に賢いと思った。
「うーん、だってさぁ、心が何か好んで食べるとか想像がつかない。そういえば、料理とかすんの?心が料理してるとか想像つかないんだけど。崎山さんとかならまだしも」
ぶつぶつ言う静を、雨宮と心がじっと見た。
「え、何」
「崎山さんは…」
言いかけた雨宮の前に、心が指を立てて見せた。
「お前こそ、料理とか出来るようにちょっとはなったんか。食う専門ばっかやけどな」
「いやいや、バカにするなよ。すげぇ出来るし。か、カレーとかシチューとか、ハヤシライスとか…」
ルー変わっただけ!と雨宮が吹き出した。さすがに心も笑ってしまう。
「大量食い出来るやつってとこが、静らしいな。じゃあカレーでええわ。作ってみろや」
「え!?やだよ!」
「やっぱ、料理とか出来んのやろ」
いやいや、これ誘導だろ。静の負けず嫌いの性格を熟知している心の誘導じゃんと、雨宮はラーメンを啜りながら自分のところに火の粉が飛んで来ませんようにと祈る。
「出来るし!よーっし、やってやろうじゃん!…え、雨宮さんのヘルプは?」
「雨宮のヘルプは卑怯やろ。あー、崎山でええやん」
「え!?」
心の提案に静も、そして雨宮も声を上げた。
「お前、崎山苦手なんやろ。友好関係築いたらええやん」
心が珍しく他人の関係を気にしている!と思った静は、そうだな、頑張る!なんて意気込んで見せた。
「しょーもないこと提案してくれるよね、本当」
やっぱり、これは友好関係云々よりも、相性の問題なのではないだろうかと静は目の前の崎山相手に小さくなっていた。
ラフな格好で現れた崎山は、静が見ても相当ご機嫌がよろしくないようだ。やっちゃったなーなんて思いつつ、いや、これも友好関係!と唇を噛み締めた。
「いや、仕事忙しいのも分かるけど、たまには二人で何かをしたいな!って」
「ね、俺と君で、料理とかしちゃうの?」
空笑いされたが、静はめげずに頑張りましょう!と笑った。
「ね、どうしてカレーなの?」
「え、カレーが大人数分作るのに、一番いいでしょ?」
子供の頃の大人数の定番ってカレーかBBQって感じじゃない?と静はじゃがいもを崎山に手渡した。
「これ、お願いします。俺、ご飯しかけるんで」
二人でやればあっという間ですね!と何とか笑顔を見せて、静は用意していた大量の米を洗うべく、この日のために用意した大きなザルを手にした。
大型キッチンってシンクが二個あるからいいよなーと、隣の崎山を見て悲鳴を上げた。
「なにしてんの!?」
「え?皮、むくんでしょ?」
「いやいやいや、ちょっと待って、そうじゃないでしょ、いや、何、どうした」
静はそっと崎山の包丁を握る手を掴んだ。
どうして刃が外側を向いているのか。どうしてその先に左指があるのか。
「これ、皮剥くと同時に…指、飛ぶよ?」
タチの悪い冗談か?こんなことになったことを怒っているのか?と思っていると、崎山は、なるほどと納得したような顔を見せ、徐にジャガイモを真っ二つに切った。
それも、まな板の上にじゃがいもを置いて、桃太郎の桃でも割るかのようにかち割ったのだ。
「きゃあああああ!!!何!?ちょっと!」
「ね、何はそっちなんだけど、皮剥くと指が飛ぶんでしょ?皮は剥かなくていいんでしょ?」
え、これ、何が起こっているの…。静はしばらくの間、崎山の顔から目が離せなかった。
いたって真剣である。ふざけているようにも見えないし、そもそもそういうキャラでもない。
だとすれば、可能性は一つ。
「え、料理とか…普段、しないんですか…」
「ね、バカにしてるの?」
「あ、ですよね」
「卵は割れる!」
料理じゃねぇじゃん!!ドヤ顔で何を言ってんだ、この人!!
「え、ちょっと待って、いつも飯ってどうしてるんすか?」
「成田が居るじゃない」
そこかよ!!!同居人のそれかよ!!つうか、甘やかしすぎだろ!卵しか割れない人ってなんだ!!
「こ、米は…洗ったこと」
「出来るよ、失礼だな。じゃあ、俺が米やるよ」
「あ、ああ、じゃあ、そうしましょうか」
包丁を持たせると、絶対にダメなやつだ。流血コース一直線だ。
静はザルを崎山に渡すと、無残に真っ二つにされたジャガイモを手にした。あの綺麗な指がぶっ飛ばなくて良かったと安心して、横目で崎山を見た瞬間、その手を思いっきり掴んだ。
「いた!!」
崎山の抗議も無視して、とりあえずその手に握られている食器用洗剤を取り上げだ。
「何を、しようとしてるんでしょう?」
「何って、米洗えって言ったの、君でしょ?」
「マジでか!!!!」
思わずその場に崩れ落ちる。食器用洗剤で米を洗うバイトが居て、米がダメになったと暁に聞いたことがある。
そんなのネタじゃん!と笑い飛ばしたが、マジで居た!ここに居た!!
「崎山さん…一人暮らし経験ないんすか?」
「あるよ、失礼だな」
「じゃあ、そのとき、何を食ってたんですか?」
「そうだなぁ…賄いとコンビニ弁当かな」
一人暮らしあるあるじゃん…。静はゆっくりと立ち上がると、崎山の両手を握った。
「成田さんのためにも、少し料理出来る男になりましょう!!!」
謎の意気込みに、崎山は思わず頷いた。
ぐつぐつと煮込まれるカレーを見ながら、静はこんなにも気力のいる料理は初めてだと思った。
米の洗い方からジャガイモの切り方。皮は恐ろしくて剥かせられず、玉ねぎは目に沁みることにブチギレた崎山が鍋に投入してしまい、ほぼ丸ごとだ。
カレーのルーは静が分量を間違えてしまい、恐ろしく濃いドロドロのカレーとなってしまい、水を足していたら今度はルーが薄くなり、またルーを足してとしていたら鬼が食べるような量となった。
いや、量はどうでもいい。食べるから。
ただ、全てにおいて完璧な人間がここまで料理が出来ないというのは、苦手とかしたことがないとかそういう問題ではなく…。
「センスないやろ」
無心でカレーを混ぜ続けていた静に囁くような声が聞こえ、ハッとして見ると仕事帰りの成田が立っていた。
「な、りたさん。お疲れ様です」
「いやいや、自分のほうがお疲れさんやろ。崎山に料理教えるとか、無謀やで」
成田は小皿を取ると静からおたまをもらい、そこへカレーを少し落とした。
「俺もな、出張とかでおらんときあるから思うて料理教えよう思うてんけど、あれ、全てが完璧やけど料理っていうヒューズが飛んでもうてるんやろうな、絶対」
「教えようと、思ったんですか」
つうか、米くらいどうにかしようと思いませんでしたか?
「いやー、卵を割らすのになんぼほどかかったか。毎日卵料理もきついでな。殻入りやし。お、美味いけど、ちょっとええ?」
成田はそう言うと、棚から小瓶を取り出して追加しだした。そして器用に混ぜていると、大きな塊をおたまで掬い上げた。
「うっわ、玉ねぎが!!」
「崎山さん、玉ねぎにキレて…」
人に料理を教わりながらブチ切れる人、初めてだよと近くにあった椅子に腰を下ろした。
「調理実習とかあるじゃないですか、子供の時」
「ああ、崎山って調理実習のたびに熱出したりタイミング悪かったらしくて、参加したことあらへんねんて。修学旅行とかの飯盒炊飯も班長とかで別の動きしてたらしくて、とことん料理に縁がないんやわ」
「人に料理教えるって大変ですね」
「いや、あれは崎山やからやろ。つうか、その崎山は?」
「カレーをね、焦げないように混ぜてもらってたんですけどね…。どうやったらそうなるのか、あちこちに飛ばしまくって…。髪の毛につくわ、顔に飛ぶわで散々で、風呂に行ってもらいました」
「いやー、ほんまお疲れやん。でも、崎山の料理センスなしは組の人間やったらほぼ知っとるしな」
「……え?」
「え?」
「心も知ってるの?」
「ああ、組長は崎山が卵をレンチンしようとして、止めた人間やもん」
「…へぇ、そうなんだ」
この後、心は静に口を利いてもらえず、そして散々レクチャーしてもらったにも関わらず、崎山の料理の腕は微塵も上がらなかったという。