8. しゃっちょーサン

花series Single Shot


「あ、的場のやつ、また回収行かないといけないじゃん」
相川は、組事務所でパソコンのモニターを見ながら呟いた。
最近、裏の世界も表舞台同様不景気の煽りを食っている。やはり表が回らなければ裏も景気が悪くなるわけで、相川達、回収組の頭の痛いところだ。
だからとて、その手を緩める訳にはいかない。
「なんかさ、木戸組の回収してた蜷川ってのが飛んだらしいねぇ」
隣でコーヒーを啜る佐々木は、ひょろひょろと長い身体を椅子に預けて新聞を読む。何だか気の抜ける話し方の男は、相川と同じ回収組に所属している。
組に入ったのは変わらない時期だが、年が6つほど上。一重の切れ長だが、目つきが悪い訳ではない。
巨漢でもなく、鋼のような身体を持っているわけでもない、中肉中背。どちらかと言えば、少し痩せ気味。いや、かなり痩せ気味。
唯一目立つところといえば、身長。190cm。でか過ぎ。
背が高くひょろっこい男という、そこだけ見ればどこにでも居そうな優男という感じで、極道になったのが不思議なくらいに普通。
だが、普通で幹部クラスに居る訳ではない。佐々木はマネー・ローンダリングの強者だ。
噂によれば証券会社に居たエリートで、ヤバいものに首を突っ込んで危うく殺されるところを拾われたとかなんとか。
あまり過去を語りたがる人間は多くはなく、佐々木もその一人なのであくまでも噂。嘘か信かは謎。
言ってしまえば相川だってそうだ。元ボクサーでタイトルも取った元チャンピオン。
だが、女好きはこの世に生まれ落ちた瞬間からで、手を出した女が極道の女で殺されかけたが、そこはボクサー。返り討ちにしたが、事が公になり追放引退。極道に成りさがる。
これも、嘘か信かといえば微妙。一部は正解、一部は捏造。それがどこかは相川しか知らない。
結局、全て引っ括めて言える事と言えば、みんな脛に傷があるということ。
「聞いるの?相川」
「聞いてるって。ってかさぁ、蜷川、バカじゃね?ってか、究極アホ?鬼デンした?」
「は?鬼?ああ、そうねぇ。保険かけてバラされるのかなぁ。あ、今は保険もうるさいんだよねぇ」
「え?マジ?それ。えー、マジでー。ないわぁ、それないわ。的場飛んだら殺されちゃうよ、俺」
「え?誰に」
「崎山に」
的場と一緒に、間違いなく殺される。
もしかしたら、海の藻屑にもしてもらえないかも。
もしかしたら、霧くらいのものにされるかも。
相川の同期で、同期の中でも一番の出世を成し遂げた崎山雅は謎だらけの男だ。
冷酷無情で残忍だが、住む世界を明らかに間違えた感じ。迷子にしては危険因子。危険因子にしては脆い。
見た目のそれに騙されて、組の人間が幾度となく病院送りになったことか。
男が男を狂わすだなんて馬鹿みたいな話でも、ボクサーという男社会に居た相川は何となく分かる。
相川は生粋の女好きだが、減量と禁欲の極限状態の中、あんな妖艶極まりない男が投げ込まれればどうだろう?きっと、組み敷いただろう。
別に、組の中で減量や禁欲をしている人間が山ほど居る訳ではないが、右も左もむさ苦しい男ばかりで、どれもこれも昔取った杵柄自慢に明け暮れ、やれ舎弟だ弟分だなんだというなか崎山登場。
今も何だか年齢不詳のよく分からない容姿だが、出逢った頃は本当に妙に影のある、独特の雰囲気を醸し出す少年っぽさを残す外見で、誰もが息を呑んだ。
新人として崎山を紹介された相川は、これは3日も保たぬ間に人間便器だななんて思ったものだ。
だが、3日経つ頃にはdangerのシールでも貼られてるのかというほどに、誰も彼もが崎山に距離を置いた。
何故か。なんて事はない。崎山は舎弟クラスの人間を全員病院送りにしていたのだ。ご丁寧に、全員関節の一部を潰して。
崎山を拾ったのが幹部、しかも親である風間組の大幹部だったので処分こそは免れたものの…。
「暴君なんだもん」
「まぁ、崎山はねぇ」
「フロントが忙しいくせにさ、鬱憤溜まったらこっちにきて掻き回すのやめてくんないかなぁ」
「おや、掻き回されたのか?」
掻き回されたなんてものじゃない。相川ははーっと嘆息した。

先週の話。いきなり事務所に現れた暴君崎山に、そこに居た舎弟若衆は青くなった。
別に、何も失敗をやらかしたわけでもない。だが、崎山が事務所に来る時はとてつもなく機嫌が悪いときか、何かあったとき。その二つしかない。
とりあえず、ご機嫌で”頑張ってるか?”なんて手土産を持って現れたことなんて、今まで一度もない。
言うまでもなく、にこりと笑って労をねぎらう…ということもだ。
何事かと怯える舎弟若衆を他所に、胸倉を掴まれ事務所を引き摺り出されたのは相川だ。
「どうして!?なに!?」
「美東建設行くぞ」
「えええ!?」
美東建設は相川の回収先だ。タヌキの様な男が社長をしていて、回収を渋る。最終的には払ってくるが、とにかく面倒くさい男なのだ。
崎山に言うと面倒なことになるとひた隠しにしてきたのに、どこから漏れ伝わってしまったのか。多忙な男は裏のことも熟知しているのか。
でも、どうやって?まさか盗聴器!?なんて畏怖して、思わず着ているスーツを慌てて手で擦る。
「相川さ、やっぱ馬鹿だよね」
崎山の影、やはり素性が謎の雨宮がハンドルを握るAudi A8 L W12 quattro。その後部座席に放り込まれて第一声。
ぐうの音も出ないのが悔しいところだが、一つ言い返せば拳でも飛んできそうな暴君に反論するほど馬鹿じゃない。
「あの、美東は…俺がさぁ。ってかさ、まだ期限じゃねぇじゃん?」
「優良企業社員か、オマエは。ね、大体さぁ、オマエに任せてられないでしょ?ナメられてるじゃない」
にっこり、悪魔が微笑む。
後部座席で隣同士。同期ならば談笑したりして和やかな雰囲気があってもいいのに、さっきから俺の足、踏んでるよ?とも言えないくらいに恐ろしい。
存在がもう、恐ろしい。同期なのに、同じ年なのに、どうして?
ぎゅっと踏んでくる足の下から逃れる事も出来ずに、そのご機嫌さに身震いする。
崎山の笑顔ほど、恐ろしいものはない。
「いや、俺がさ…」
「猶予、あげたでしょ?気が付いてないの?」
「ゆ、猶予?」
ハッと運転席を見る。バックミラー越しに雨宮の鋭い眼光と視線があった。
「ま、また内偵かー!!!崎山にチクる前に言えよ!!!」
「いや、それじゃあ、俺が殺される」
雨宮の座る運転席を揺さぶりながら喚くと、ごもっともの返事。きっと、相川が受ける制裁よりも雨宮の受けるそれの方が酷いのだろう。
「なんだよ、もー。これって何?俺が同期に内偵って、マジウケる」
ガシガシと頭を掻いて、舌打ちをする。腑甲斐無い自分が悪いのか、タヌキの美東が悪いのか。
どちらにしても崎山はウキウキだ。鼻歌でも唄いそうなくらいに、上機嫌。
お、恐ろしい。
足を踏まれたまま数十分、ようやく美東建設に着いた。結構なビルを構えていて、建設業界が泣いている割には羽振りが良い。
裏で結構あくどい事をしているという噂を聞くが、そんな事は関係がないし極道ものの鬼塚組に上納金を納めなければならないような事をしているのだから、結局はグレーの会社なのだ。
正面玄関のガラス戸を開け、崎山と二人で中に入る。雨宮はこういう時、いつも車で待機だ。
裏鬼塚の人間である雨宮は、滅多な事がないと表側の相川達と一緒には行動しない。
面倒な立場の奴、俺なら絶対に無理と思いながら、受付の女の子に思わず顔が緩む。何度か寝たその女は、相川には目もくれずに後ろの崎山に顔を赤らめていた。
「こんにちは」
「よぉ。社長サン居る?」
「今日はお約束はされていますか?」
「いやー」
してないんだけどねぇ。ちらり、後ろを伺ってみるが崎山は微動だにしない。女嫌いは相変わらずか。
「社長サン、忙しいのかな?」
「崎山が来てると言え」
低い声で唸られて、女の子の赤い顔が青くなった。
そうそう、暴君なんだよ。女子供情け容赦なしだからね。
いつもは待合室で15分から待たされるというのに、今日はあっという間に社長室に通された。
鬼塚組若頭相馬北斗の右腕と称される崎山の名前は、極道に関わりのある人間ならば聞いた事がある名だ。だが見た目が見た目なだけに、舐めてかかってくる人間も少なくはない。
雨宮みたいな顔なら、また全然違うんだろうなぁ。あの極悪人面。
相川は思いながら、煙草を銜えた。
「あ、これはこれはお揃いで」
50半ばのタヌキこと、美東建設の社長の美東信二は口元を厭らしく歪めて笑う男だった。
ダイヤの埋め込まれた金のロレックスに、小指に嵌った金の指輪。ご丁寧にそれにもダイヤが埋め込まれている。
これで金歯でも埋まってたら、まさしく漫画に出て来る成金だと相川はいつも思っていた。
「期限、ちょっと早いけど」
相川は煙草を燻らして言うと、美東はへへへと笑った。
「いやぁ、最近は不景気で。期限もねぇ、分かっているんですよ?」
嘘付け。思わず口をついて出そうになる。不景気の割に、会社の隣の駐車場に停めてあったベンツがグレードアップしていた。傷一つない、新車だ。
あんな物をこれ見よがしに停めておいて、よくもぬけぬけと不景気だなんて言えるものだ。忌々しい。
「あー、まぁ、不景気なのはそうだけどさ。でも、それってこっちには関係ないでしょ」
「へぇ、それは分かってますわぁ。でも、期限は来週でしょう?一週間違うっていうんはまたねぇ」
「で、どうする?」
ぽんと吐き出された言葉に、相川も美東も目を丸くした。崎山の唐突な言葉はどうする?だ。
何を?
「そういえば社長さん、お酒、好きですか?かなり嗜まれる方で?」
「は?酒?いやいや、そないに。晩酌程度ですわ」
「煙草はどうですか?」
「いやぁ、それはおかげ様で、30の時にさよならしたんです」
「最近、体調はいかがですか?」
次々と出る質問に、相川も目を丸くする。ここは病院か、オマエは医者か!そんな感じ。
「た、体調はいいですけど?え?なんですか?」
「私、崎山と申します」
「ええ、知ってますとも。鬼塚組の崎山さんを、知らない訳がないでしょう」
「待たされるのも、待たすのも嫌いなんです」
「は?」
「ね、美東さん。あんた、立場わかってんの?」
ずぶずぶと身体を飲む混むソファに座っていた崎山の足が、ドンッと目の前のアンティークテーブルに投げ出された。
突然の豹変ぶりに、相川までもがあんぐり口を開けた。
「え!?は…は?」
「いつも期限ギリギリ、のらりくらりくっちゃべって。ね、俺、その趣味の悪い指輪と時計を見てるだけでイライラする」
「え?あの」
「ね、知ってるか?今はね、足の指から耳まで全部、綺麗に売り飛ばせるんだぜ?ね、どこからにする?耳か、目か、腎臓か、肝臓か、心臓か、脳か。安心しろ、肥えた豚ほど臓器は健康優良児だ。上納金の前倒しってことで受け取ってやるよ。ね?しゃちょーサン」
ガタガタと震え出す美東。それに満足したのか、崎山はふっと笑った。
綺麗で妖艶な男ほど、不敵な笑いが不気味なものはない。死にそうだった。見てるだけで。
それが先週の話。
「あの時はまさに、社長室が貞子到来並みに寒くなったね!!!Bダッシュで部屋から出て行きたかったっての!俺的には、隣に居るのは人間の皮を被った悪魔だと思ったもん!!!ヒキニートになろうかなぁ、俺」
「え?Bダッシュ?ヒキ?お前の言葉、たまに分かんないねぇ。でも、よかったでしょ。それで美東、すごい期限厳守してるって聞いたよ?」
「何言ってんの!!!あいつ、金額も3割アップしたんだからな!!!回収するの俺よ!?」
「まぁ、ほら、自業自得だって。美東も相手が悪かった」
「でもさー!!!ってか、こんなのなくね?どーして俺だけ!?何で俺だけ?俺の得意先ばっか!!なくね?有り得なくね?超文句言いてぇー!!!」
「じゃあ聞いてやるよ」
ぎゃんぎゃん喚く相川の背中に凶器の如く突き刺さる声。今、まさにこの瞬間に血飛沫が舞い、臓器を貫いた!とばかりの凶器。
あまりの恐ろしさに、相川は前を見据えたまま動けなくなった。
「あら、お疲れちゃーん。今日はなに?どしたの?」
相川の隣の佐々木は、その凶器を発した崎山に暢気に話しかけているが相川は今すぐ脱兎の如く、世界最速の男をマッハで抜きさることが出来ると確信するほどに逃げ出したい状態で。
そろりと立ち上がり、それこそこのまま逃げようとした相川の背中に、本物の凶器ならぬ崎山の足がドンッと置かれた。
「…あ、お疲れぇ」
恐る恐る振り返れば、どこかで見た事がある笑顔の崎山。つい最近見た笑顔。
「あの…>」
「超、文句、聞いてやるよ。ね?」
相川は自分の命は、近いうちにこの男に取られるんだろうなと確信した瞬間だった。