オープンテラスのカフェ。まだ出来て間のないそこは少し立地が悪く、この時間にしては客足はまばら。
だが珈琲の味はよく、ゆっくりとそれを楽しむには丁度いいなと暁は思った。
しかし今日の珈琲はいつもよりも格別だ。同じ味ではあるが、大事な人と一緒に居るというスパイスが効いているのだ。
自分も殊勝な人間だなと思いながら、目の前に座る北斗を見て顔が綻ぶ。
珍しく時間が空いたという北斗に合わせて、こうしてゆっくりとした時間を一緒に過ごせるのも学生の特権だなと思う。
ただ遊んでいるわけじゃなく、きちんと日々、悪魔のような教授に尽くしているから許してと心の中で両親に詫びつつも、幸せを感じた。
「どうかしましたか?」
北斗がにっこり穏やかな表情を浮かべると、暁も釣られてにっこり笑う。暁は北斗の笑顔が大好きだった。
「ちょっと愉悦に浸っていました」
「ふふ、それは私もですよ」
見事なまでのバカップルだなと思いながら、同じような気持ちだと言われると嬉しい。
暁は素直に喜んで笑った。
「あ、仕事、大丈夫?こんな時間に仕事が空くって珍しいですね」
「そうですね。君の顔も見たかったし…。何よりも、私がいると仕事をしない上司が最近一人増えましてね」
「そうなんだ?北斗の上司ってことは、弁護士仲間ってことになるのかな?すごいなぁ、弁護士」
暁は大変そうと言いながら、焙煎仕立ての店のオリジナルコーヒーを口にして、空を見上げた。
弁護士ってことは、テレビで観るような事件の容疑者を弁護したりするんだろうか?付き合っているとはいえ、あまり北斗の仕事内容をよく知らないなと暁は思った。
「あまり、仕事のこととか聞かないんだね?」
北斗は時々、心が読めるのではないかと思う。自分が馬鹿正直に顔に出してしまっているのか、今考えていることを読み取って言葉にしてくれるのだ。
「え?ああ、だって、弁護士さんって守秘義務があるでしょ?俺の大学の同期にも弁護士になった奴がいて、色々と大変そうだから」
「へぇ、弁護士になった子がいるの?」
「まだ勉強中の卵ですけどね。事務所で雑用ばかりしてるって言ってました」
暁はふふっと笑った。弁護士なりたての頃はパラリーガルとほぼ変わらない、下手すればそれ以下の仕事しかなく、こんなはずではなかったのに!となることが多いらしい。
暁の友人も、たまに電話をしてきてはこんなはずじゃなかったのに!と愚痴を言ってくる。
相馬にもそんな時代があったのかなと考えたが、これがまた全くもって全然想像出来ないのだ。
「君、嘘はどう思う?」
「え?」
唐突に聞かれ、うーんと考えた。嘘は好きではないが、嘘をついたことがないかと言えば、答えはノーだ。
現に今、こうして北斗と居るわけだが、ゼミを抜けるときに家族が近くまで来てるから抜けると嘘をついた。
小さな嘘だが罪悪感は感じたので、自分自身も悪いことだと思っているということだ。
「嘘はダメ、かな。嘘をつくと、嘘をつかれた人はその嘘に気が付いてなくても、いつか絶対にバレると思うんですよ。それに嘘をつく人間も、辛いんじゃないかなって。でもね、その人のための嘘ならば仕方がないかなとも思う」
「その人のため?」
「そう…例えば、本当のことを言うと相手が苦しんでしまうから仕方なくつく嘘。そういう相手のためにつく嘘は、悪いことじゃないと思うんです。あ、でも自分に利益になるような嘘はダメ」
君のためと嘘で偽り、愛の言葉を囁く結婚詐欺師とかは論外だ。犯罪でなくても、相手を縛り付けるために言う嘘もダメだと思う。
北斗は少し考える仕草を見せた。珍しいことを聞くなとは思ったが、何か思うことがあるのだろうと暁は北斗の次の言葉を待った。
「じゃあ、自分には利益はないけど、相手の苦しみや辛さを取り除く嘘ならば仕方がないってこと?」
「まぁ、極端に言えばそうですね。でも、人それぞれ価値観って違うから、その嘘が善か悪かなんて分からないけど」
「なるほどね」
北斗がどこかスッキリした顔をしたように見え、暁は首を傾げた。
「守秘義務のある仕事って言ったよね?」
「北斗の仕事?弁護士はみんな守秘義務があるでしょ?」
「まぁ、弁護士に限らず、企業に勤めればどこにでもあるんだけど、今、私が携わっているのは個人の仕事じゃないんだ」
「え?個人じゃないの?」
「そう、企業だよ」
「ああ、企業内弁護士か」
それなら多忙でも仕方がないよねと、暁はうんうん頷いた。
「イースフロントって知ってる?」
「え、知ってる。バカみたいに大きな会社でしょ。あそこまで規模が大きくなったのも、ここ何年かっていう」
確か、大学の同期が落とされた会社だ。入れれば奇跡と言われるほどの難関で、その奇跡を掴むことは出来なかった。
院に進む暁は屍になった友人を見ながら、就職って大変そうだなと他人事のように思ったものだ。
「ああ、そういえばチェコ文学とか世界の貴重な蔵書を扱う博覧会があって、その主催がそこだ」
そうだ、充磐のところにもメールがきていた。そういうメールの管理も暁たちがするのだが、本を貸すのを充磐が渋るものだから面倒臭いことになったのだ。
「へぇ、そうなの?」
「結構、大きな展覧会でうちの教授の秘蔵品も貸し出しするみたいで…。そのイースフロントが?」
「私が携わってる企業だよ」
「え!?そうなの!?」
「そこでね、渉外弁護士を兼ねて働かせてもらってるから、どうしても時間が取れなくてね」
「渉外弁護士…」
「知ってる?」
「あの、外国企業との交渉とか買収とかの案件を扱う…」
「そうそう、さすが賢いね。それなんだよ」
「はー…、すご…」
なるほどね。相馬がカイエンに乗れる理由が分かったと、暁は一人、頷いた。
イースフロントの渉外弁護士ともなれば、エリートの中のエリートだろう。年収も桁違いで、恐らく北斗のことだから重要なポストに就いているのだろう。
改めてすごい恋人を持ったもんだなぁと、自分で自分に感心してしまう。
「え?で、嘘って?」
そうだ、嘘から始まった話だった。今の話のどこかに何か答えがあったか?と、暁は思わず身体を前のめりにしてしまった。
「君に仕事のことをきちんと話をしようと思ってたんだけど、どうやってどこまで話せばいいのかって思っててね」
「ああ、守秘義務があるから本当は話しちゃいけないけど、話しちゃったこと?」
何かあれば、会社のことは何も話していませんとか上司の人につく嘘のことかな?
暁は特に疑うこともなくそう解釈し、相馬がイースフロントの渉外弁護士ということは黙っとかないといけないってことだなと、ひとりごちた。
「あれ?じゃあ吉良のときは?」
そうだ、暁が北斗を個人相手の弁護士だと思っていたのは、親友の静の件があったからだ。
イースフロントの弁護士である北斗が、なぜ静の件をと暁は疑問に思った。
「静さんは、イースフロントの…重役の人間がたまたま知り合って、その伝手でね」
「そうなの!?本当、その重役の人に感謝だね」
暁は満面の笑みを浮かべ、顔も知らぬ静の救世主に感謝をした。
「でも、俺に話しても良かったの?」
「大丈夫、いつかは話さないといけないと思っていたし、これからも君を守るためですよ」
「俺を?」
「そう、何があっても私から逃げないように」
「逃げるの?俺が?逃げないよ」
暁が屈託なく笑うと、相馬はにっこり今日一番の笑顔を見せ、そっと暁の手を握った。