涙

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しとしと降る雨は窓ガラスに当たり、するっと垂れて消えていく。丸い形から涙の雫に姿を変えて長い尾っぽを付けたまま、するすると下へ流れていくのだ。
万里は瓶のまま酒を喰らい、それをぼんやり眺めていた。今日は降らないと言ってたのに、最近の天気はあてにならないな。
屋敷の大広間では、その静けさを台無しにするほどの大音量で昭和の名曲カラオケの真っ最中だ。地味に音程がズレてるから叔父貴だなと万里は笑った。
中庭が一望出来る縁側に座って、万里は煙草を咥えた。だが、どのポケットにもライターがなく、あーあ、と落胆した。
サングラスを外して、どうしようもなくなった煙草を唇で弄びながら、ガラスに写り込む自分の顔に気が付いた。
柔らかな照明が万里を照らし、異質な赤い目もはっきり写る。片目を瞑って隠してみても、一度見た赤い目の印象は消えない。
何となく今度は掌で片目を隠してみた。すると後頭部に激痛が走り、その反動でガラスに頭をぶつけた。
「痛い！」
「なにをしとんねん、どあほうが」
神原はネクタイを緩めて万里の隣に腰を下ろすと、万里が唇で弄ぶ煙草を取り上げた。
「演歌って、下手が歌うと救いようがないし、聞く方は拷問やな」
「叔父貴のサブちゃん」
「ズレてますって、お前言えや」
神原は煙草に火を点けると一吸いして、万里の唇に戻した。万里はそれを吸い込んで息を吐くと、神原を見た。
「なんや？」
「目ぇ、キモい」
唇を尖らして呟くと、神原は心底鬱陶しそうな顔をして万里の頭を叩いた。
「痛い！アホになる！」
「キモいに決まってるやろ！片目だけ赤いんやからな！」
「あんた、元も子もないことを…」
そんなはっきりと追い打ちをかけるような事を、サラッと言う神経が信じられない。愕然とする万里に神原はついでに舌打ちまでした。
「やけど、両目が黒いお前なんか、何の箔もない、ただのチャラいだけの男や。下半身も緩いし、あっちやこっちゆるゆるや、ほんまにその本能の赴くまま行動すんの止めぇ」
「ろくでなしみたいな言い方やな」
「ろくでなしやないか」
「えげつないなぁ」
万里はブツブツ文句を言いながら、ぽてっと身体を神原の方へ倒した。
「固い膝ー」
膝枕には不向きな膝だ。格闘に長けてなくても、この辺は男だなと当たり前ことを思った。
「なんや、何かあったんか」
下から見上げてみると、顎の下から首にかけて綺麗なラインが見えた。万里はそのラインをそっと撫でて、両手を広げてみせた。
「なぁ、チュウして」
「死ね、ボケ」
バチンと思いっきりその手を払い除けられる。ジンッとそこが痛んで万里は唇を尖らせた。
「けちんぼー。別に、大した事あらへん。まぁ、雷音が俺ともう逢いたぁないって言わはったことくらいかいな」
「そうか」
神原はそう一言だけ言って、ゆっくり上体を倒すと、その唇にキスを落とした。
「酒クセぇなぁ」
「やて、会場おったら、次々注いできよる」
「断る術も覚えろ、アホが。お前はそこがあかん。その、まぁええかってとこ…」
「なぁ、俺、傷心やねんて」
今日は説教をやめにしませんか？そういう気分じゃないんですけど。
「チュウしたったやろ」
「あないなん、お子たちのチュウやん。ほんなら、もっと濃厚なんがええわ」
「和花のとこに、あのホスト、顔出したらしいぞ」
「あらら」
万里はそう呟いて、またガラスを濡らす雨の雫に目をやった。ポロポロと涙の様に流れるそれは途切れる事はない。
「あーあ。さぁて、そろそろ戻ろうかいな。親父が拗ねよるもんねぇ」
万里はヘラッと笑うと、サングラスをつけてガラスを軽く叩いた。すると、ズルッとそこにしがみついていた涙の雫が一気に流れ落ちた。
雪崩のように、滝のようにダーッとガラス面を走り大きな塊となって水の足跡を作りながら、つるっと姿を消した。
「最近の天気は当たらんなぁ」
神原は万里に返事をせずに床に置かれた酒瓶を取るとその残りを一気に喰らった。そして万里の煙草を取り上げ、その中に落とした。
「親父の秘蔵の酒、あれ、開けへんかな」
「ないない、あれは開けへんで」
万里は笑いながら先を歩く神原の後ろに抱きついた。神原は歩きにくい！と怒鳴ったが、腰に回った手を解こうとしなかったので、そのまま背中にくっついたまま大広間に行った。
もちろん、みんなに大笑いされたし、父親にはいつまでも甘えたで困ると怒られた。