花となれ

花series second1


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若いとか、そういう問題ではない。心の年齢で企業する人間も多く居るし、そこに拘るつもりはないが…。
「あの態度で年下なのが、許せねぇ」
「まぁ、まさか鬼塚組の組長が、あんな若い男だなんて誰も思いもしないでしょうからね。元々、出不精な人間なんで実は鬼塚を知らない同業者がほとんどなんですよ」
そりゃそうだろうと、静は呟いた。
心の年ならばチンピラ止まりが良い所だ。幹部になるのは難しいだろう。だが組長。
俄かに信じがたい話だ。
人の、極道の頂点に立って荒くれ者の組員を纏めるには、とてもではないが若輩過ぎる。
それでもこうして名を馳せているところを見れば、やはり心の器量は徒者ではないのだろう。
「相馬さんも若いよね」
相馬に視線を向けると、相変わらず柔らかい表情で静に視線を返した。
「そうですね。私も若頭としては若い方ですが、詳しい事情は置いておいて鬼塚組の組員の年齢は全体的に若いんですよ」
「ちょっと待って。え?相馬さん…若頭なの?」
「ああ、言ってませんでしたね。失念しておりました。鬼塚が組長を襲名したときから若頭に就かせていただいております。本来は若頭は組長の子、鬼塚の子供の長兄が受け継ぐのですが、鬼塚は結婚はおろか子供も居ませんし鬼塚とうちの家は長年繋がりがあって、鬼塚のことも小さい頃から知っているんです。それで私が一番都合が良い様で。それに、あの様な性格ですからね、鬼塚は」
誰に対しても敵対心を露にし、容赦なく牙を剥く。
極道のそれとしては見慣れた光景なのかもしれないが、心は組長である。組長自ら敵ばかり作る上に、相馬から言わせてもらえば愚鈍な男だと思っている。
人を敬うなんてことは心には存在しない感情であり、尊敬や敬愛すら失われている。それを補ってフォローしているのが相馬なのだ。
「結婚」
静は相馬の言う結婚ということに、少し戸惑っている自分に驚いた。あの様な地位に居る男ならば、結婚していずれは後継者になる世継ぎを儲けるもの当然のこと。
若いからこそ静に興味を持ち遊びに明け暮れる事も許されるだろうが、今後はそうもいかない。
それに、ここ数日しか心という人間を見てこなかったが、あれほど直情径行な人間はあまり居ないと思う。良い意味でも悪い意味でも、自分の感情に正直だ。
そして、腹の底が全く分からない男でもある。
なので明日明後日、心の気持が急に変わったとしても何ら不思議ではない。
その時、自分はどうなるのだろうか?借金は?母親は?妹は?
やはり、早まった。静は言い様の無い不安で、目眩を覚えた。
「あ、あれ、暁さんじゃないですか?」
目的の場所に近づいた時、相馬が前方を指差して言った。
我に返った静が相馬の言う方向に目を向けると、人混みの駅の改札付近で人待ち顔の暁が見えた。
長身で見た目はモデル顔負けの外見でも、実は人見知りで真面目で人一倍優しい親友。そんなに長いこと逢っていないわけではないのに早く側に行きたいと、静はうずうずした。
「俺、呼んで来る。この辺で停まっておける?」
「ロータリーに入りましょう。少し待って下さいね」
車は緩やかにロータリーに入り、タクシーの後ろに停止した。それを確認すると、静は車を飛び降りた。
帰宅ラッシュで賑わう駅前の人を掻き分けて、静は暁の元へ急いだ。
「暁!」
「あ、吉良。良かったー。あんまり人が居るから、逢えなかったらどうしようかと思った」
目尻に皺を寄せてハハッと笑う暁に、静は思わず飛びつきたくなった。それをどうにかこらえ、暁の服の袖をぎゅっと子供のように握った。
これでよかったのか分からないまま流れる時間に、静は自分が思う以上に気が滅入っていた様で、見慣れた暁の顔を見て視界が歪みそうになる。
「吉良…どうしたの?」
その表情に暁が心配そうに眉間に皺を寄せた。
こんな弱った静を見るのは初めてだった。大多喜組にどれだけ返済を迫られても、拉致され監禁され身体も顔も痣だらけで命からがら逃げて来た時も、決してこんな顔は見せなかった。
なのに借金が全て片付いた今、なぜこんな表情を見せるのだろう。
暁はそれが不思議で、同時に妙な胸騒ぎを覚えた。
借金が急に片付いて戸惑っているそれとは明らかに違う、何かに迷い怯えている様な、暁が今まで見たことがない静の表情。
「あ、何でもない。ちょっと今日、母さんに逢ったから」
慌てて暁から離れる静の顔を、暁が覗きこむ。
「え?おばさんどう?元気してた?体調は?」
ついつい質問攻めに、囃し立ててしまう。
それもそのはず。静の母親は静と仲の良い暁の事を、それは可愛がってくれた。
借金のない時の静の母親は、自分の母親とは全然比べものにならないほど綺麗で有名だった。
静の家によく泊まりに行っていた暁は、その清子の手料理をよく御馳走になったものだ。
綺麗で料理も上手くて上品で、まさに申し分無い女性とはああいう人の事を言うのだろう。
だが借金と静の父親の自殺で一気にやつれ、昔の面影こそはあるものの、キラキラと輝く様な笑顔は二度と見れなくなっていた。
「うん、ちょっとまた痩せてたけど、元気だったよ…」
「そうか…大丈夫?」
「何が?」
「困った事があったら、俺、頼りないけど言ってほしい。何か、吉良って何でも我慢して全然言ってくれなくて、俺、ちょっと寂しい」
暁の言葉に、静は驚いた。
我慢してるのだろうか?自分が。自分でも気が付いていないそのことに、暁は気に留めていてくれたのか。
静はそれが嬉しくて、ギュッと暁の手を握った。
「ごめん、ありがとう。これからは話すよ、本当に。うん。あ、相馬さん待ってるから行こう」
思わず溢れそうな涙をグッと堪えて、静は暁を引っ張って相馬の待つ元へ向かった。

「うわー!!カイエン!!しかもターボS!すごい!本当!!」
暁の興奮は、先程から一向に収まる気配がない。
車好きの暁は、相馬の車を見た時から『マジ!?』を何度連呼したか。こんなはしゃぐ暁を見たことはないし、文学部なのに先ほどから言葉の乏しいこと。
それくらいに暁は興奮しているのだが、車に全く興味がない静はこの車のどこかそれほどまでに凄いのか謎だった。だが暁のあまりの興奮ぶりに、助手席を譲った。
確かにフォルムはカッコいいとは思うが、ここまで興奮するものなのか。タイヤが4本あって、空を飛ぶわけでもない普通の車だ。
「すごいね!550馬力でしょ!?俺、初めて見た。」
「ね、暁、これそんな凄いの?」
呆れて、助手席側に顔を出すと、暁は目を輝かせて”凄いんだよ!”と言った。
「だって、これ、数量限定発売なんだから!北京のモーターショーで初めて顔見せしてさ、あ~そっか、吉良ってば車興味ないもんなぁ」
その通り、静にとって車なんて前に進めば何でもいいのだ。
その静に、この車のエンジンの性能が4.8LツインターボV型8気筒エンジンで550馬力をたたき出すだとか、最高時速は280k/mだとか言ったところで、そんなスピードどこで出すんだとか、550馬力の何所が凄いのだとか言われかねない。
この良さが分からないなんて、残念だなーと暁は唇を尖らせた。
「あ!これでどうだ!このカイエン!値段くらだと思う?」
「え…」
思わず言葉に詰まった。幾らだろう。大体車っていくらするのだろう。
車に興味のない静は、車を一度とて欲しいと思った事がない。なので昨今、車がどれほどの相場で売られているのか皆目検討もつかなかった。
「うう…じゃあ、100万」
その日をどう安く過ごすかを考えて行きてきた静にとって、100万は大金も大金、精一杯の想像出来る金額だった。
「ちょ…!吉良ぁ、そこはガツンといってよ。なんと1,750万!!!!」
「1,750万!!!??」
静は、今までで一番大きな声を上げた。
「相馬さん…あんた」
まるで信じられない様なものを見る目で、静は何事も無い様に運転する相馬を見た。
「はい?」
「詐欺だ」
「フフッ。車が好きと言ったでしょう」
悪戯ぽく笑う相馬を、静は苦虫を噛む潰した様な顔で見た。
この間、心と病院に向かった時、静は後部座席から心の座っている助手席を蹴りあげくっきり足形を残したのだ。
あれは一体、いくらする車なのだろう。今乗っているこれよりも大きく、厳めしい車だった。
静はこの時、無闇矢鱈に車の中で暴れない様にしようと心に決めた。

相馬に連れて来られたのは、中華街の中にある高級中華料理店。
暁が持ち合わせが無いと言うと、相馬はやはりいつもの微笑みで”御馳走したい気分なので”と差し障りのない言い方で、遠慮する暁を納得させた。
店内は落ち着いた雰囲気で煌びやかな赤地に黄金の龍が刺繍された壁紙とチャイナドレスの店員や古筝と二胡(胡弓)による演奏の音楽が耳に入り、ここが日本だという事すら忘れてしまいそうな、そんな店内だった。
ドレスのスリットから美脚をちらつかせる店員に案内され、奥の個室に通される。その部屋に入り、暁と静が思わず”え?”と声をあげた。
それもそのはず、3人が座るにしては大き過ぎる円卓が中央にあり、落ち着いた色合いの照明が部屋を灯していた。これはまさしく、THE 高級の空間。
もしかして場違いなのでは?と、暁は思ったのだろう。どうするんだと言わんばかりの顔で、静をチラリと見てくる。
だが静も思わず戸惑い、そのまま相馬を見てしまう。まるでコントの様な状態。
「どうかされましたか?さぁ、座って下さい。料理は適当に来ますから」
「「はぁ…」」
思わず、静と暁は声をダブらせた。
適当になんていう言葉は、どう考えても似つかわしくない雰囲気の店。店内に居た他の客は誰も彼も正装をしていて、ジーンズ姿の自分達は明らかに場違いだった。
もしかしたら、相馬に恥をかかせたかもしれないと静は猛省した。
「相馬さん、凄いね、よくこういうとこ来るの?弁護士って儲かるんだ」
「弁護士ぃ?」
暁の言葉に静が思わず声を上げる。
弁護士とは誰の事だ。思わずそう言いかけてクスクス笑う相馬に気が付き、”あっ…”と失敗した顔を見せた。
「だって、弁護士さんだろ?静の借金の話つけて綺麗にしれくれた」
そんな話、いつの間にしたのだろう?疑問の残る頭で、静は”そうだよ”と言うしか無かった。
違うと言えば、じゃあ何?と聞かれるだろう。
あんな高級車を乗り回し、こんな高級な店に連れて来てくれる相馬を、ただのサラリーマンと言ったところで通用するかと言えば、する訳が無い。
かと言って鬼塚組の若頭なんて言えば、暁は心配して静から離れなくなるだろう。
最近、暁に隠し事ばかりだと、静はただ申し訳なさに胸を痛めた。
「静さんの関わっていた大多喜組は、極道の世界でも闇金をシノギとして活動していた組でしたので潰すのは容易かったですよ。静さんにも超課金が返ってきますし」
「超課金?」
「違法金利の借金というのには、返済義務が無いのですよ。まぁ、そんな法律が罷り通るような相手ではないので、被害者の方は泣き寝入りがほとんどですけどね」
弁護士らしい、最もな言葉を言う。
病院でも弁護士だと名刺まで出していたが、名刺はともかくバッチまでも…。
もしかして、本当に弁護士なのだろうか。相馬なら有り得そうで、静は背中に妙な汗を掻いた。
まさか、極道弁護士というやつだろうか。いや、でも若頭って言ってたし…。
静の頭の中は、訳が分からなくなっていた。
「本当に良かったよね、吉良」
「…うん」
あれやこれやと相馬には謎が多過ぎて、静は頭が重くなった。
そうしているうちに、どんどんと料理が運ばれて来る。
八宝菜や青椒肉絲、どれも見た事が有るような食品のはずなのに、どこか違う。シーフードクレープの上に載っている、黒い粒、もしかしてキャビアではないだろうか。
それに今、静の目の前にあるのはエビチリはエビチリでも、伊勢エビのチリソース和え。
どれを見ても絶品な料理に思わず生唾を飲み込んだ。
「うわぁ…」
思わず声を漏らしたのは、静だ。
最近、いや、家が借金に追われる様になってからというもの、まともな食事は摂った試しが無かった。
それが今、目の前にある食事は、どれもこれも輝いて見える。静のバイトしていた居酒屋で食べた賄いが、静にとって唯一の高級料理と言えたのに。
「さぁ、いただきましょうか」
相馬の声と同時に、静と暁はいただきますと箸を持った。
食事はどれも美味で三人で食べるにしては量が多いかと思われたが、実は静は痩せの大食いで、それを知らない相馬は少し呆気にとられた。
本当に静は、容姿と中身が相まって無い。性格にしても、あの鬼塚心に暴言を浴びせる根性を持っていて、今に至っては、その身体の何所に入るのか聞きたい位、次から次に食事を平らげて行く。
さすがに食べ盛りな若い暁も負けず劣らずだが、静の前だと普通の食欲に思える。
「凄く…食べますね」
思わず声に出してしまった相馬に、暁がニヤッと笑った。
「驚くでしょ?初めて見た人間は誰でも呆気にとられちゃう。でも、最近は食事もあんまり食べられないから、まだ量は落ちてるけど、絶好調のときは本当に凄いよ。ラーメンとか、大盛りで4杯とか普通に食べちゃうもん。顔に似合わずって言うと怒るんだけどね」
「はぁ…」
それでも、ここまで美味しそうに食べられると悪い気がしない。
もっと食べさせてあげたくなる。
心はどちらかと言えば、あまり食事にも感心が無い。食欲が満たされればそれで良いという考えで、もう少し感心を持って欲しいものだと思ったものだ。
だが静のこれを見れば、心も少しは食事をきちんと摂る様になるだろうと相馬は思った。
結局、残るかもしれないと思われた食事は静の腹の中に全て収まり、至福の表情でカイエンの後部座席に寝転んでいた。
「本当にご馳走様です、相馬さん」
暁は自宅付近まで相馬が送ると言う好意に甘え、車を降りた所で深々と頭を下げた。
「いえ、私も楽しかったです。またご一緒してくださいね」
そういって笑う相馬に、暁は頭を下げて帰路についた。
それを、後部座席の窓から顔を出した静が、手を振って見送る。小さくなる暁を確認して、静はまた寝転んだ。
「お腹、大丈夫ですか?」
「え?お腹?」
「だいぶと召してらしたので、お腹痛くなったりしていないかと思いまして」
「はは、俺の腹は鋼だぜ。そんなヤワじゃないんだよねー」
珍しくちゃらける静に、相馬は小さく笑った。
「ならいいんですけどね。少しは楽しんで頂けましたか?」
「うん…あ、でもごめん、普通の格好で来てなんて言って。あんな正装してる人ばっかりの所に行くとは思わなくて」
「いえ、気になさらないでください。正装しないと入れない訳ではありません。個室でしたし、私が中華を食べたかったんですよ」
あくまでも静に非が無い様に言う相馬に、静は身を起こした。
「ねぇ…相馬さん、詐欺師?」
「は?」
静の思いもよらない言葉に、相馬が驚いた声を出す。
仕事上、詐欺に近い事をしているかもしれない。その事を問うているのだろうか?
相馬はルームミラーで、暗い車内の中の静の顔に目を向けた。
「だって、弁護士なんて嘘じゃん」
「ああ…。ふふ、でもそれは嘘ではありませんよ」
その事かと、相馬はいつもの様に微笑み、声を出して笑った。
「…は?」
「きちんと司法試験も合格しています。弁護士としていつでも働けますよ」
「えええええ!?じゃあ、何で!!」
思わず後部座席から身体ごと乗り出して来る静に、相馬は”危ないですよ”と子供を叱る母親の様に言うと、ゆるりと静の身体を掌で押し戻した。
「若頭なんてしてるのか?確かに不思議に思われるでしょうね。色々とあって、そうなったのですが…。でも、何事も勉強はしておいて損はないでしょう?」
「ぞうだけど、弁護士として活躍してないじゃん」
「顧問弁護士は居るんですよ。優秀な男が。ですので、自分は自分の与えられた役割をこなしているだけですよ」
静は相馬の話に、”そうなんだ…"としか言い様が無かった。