花となれ

花series second1


- 54 -

思わぬ展開だ。静にしてみれば、まさか心に自由にしろと言われるとは思わず。
いや、心はいつだって静の意見を尊重してきた。飼い殺しにするてもりなんて、きっと端からなかったのだ。
静はすっと息を吸った。
「あの…店を…、」
「え?」
「店を…やりたい」
思いもよらなかったのか、相馬は少し驚いた顔を見せた。
「ふーん」
心は大したリアクションも見せずに、煙草を銜え火を点けた。
「いや、あの、店を将来的にやりたいなって思って。でも、いきなりそんなの出来ないから、cachetteみたいなとこで働いて色々と勉強したい」
「店って、バーをやるんですか?」
「バーっていうか。いや、でもバーかなぁ。俺は飲めないけど、いや、普通に嗜む程度なら。でも、彪鷹さんに色々教えてもらって、すごい楽しくて」
「ええんちゃうか。cachetteに戻って勉強したら」
心はくつくつ笑って言った。
「なに笑ってんだよ」
「いや、お前はやっぱりええな思って。飼い殺しにされたあらへん、自立心が高い」
「働くのが基本的に好きなんだよ」
「店やりたいんやったら、早瀬のとこで経営のノウハウを学ぶんやな。あいつはやり手やし」
「…え?」
「早瀬さんは、うちのフロントの人間だよ」
後ろから雨宮に言われ、再度、声をあげ振り返った。
「さ、崎山さんの経営でって!!」
「あ?」
「は、早瀬さんも!!」
グルなのか!?いや、崎山がオーナーと聞いた時点で、そこはそうだと理解しないといけなかったのかもしれないが、あの早瀬までもが鬼塚組の息のかかった人間だなんて。
人は見かけで判断してはいけませんなんて言うけど、中身を見ても分からなかった!
「あー、どこまで崎山さんが事情を話してるのか、俺は聞いてないから知らねーよ。こういう人間が来たら雇えって言われてるだけかもしれないし。ほら、崎山さんって詳しい説明とかしないから」
知らねーよ、そんなこと!!フォローになってねーし!!どっと疲れが出る。
騙されたのか!なんだ!トラップだらけか!どいつもこいつも共犯か!!!
心の与り知らぬところと言えども、あの、これから頑張るぞとcachetteで働いていた自分が何だか道化のようだ。
今思えば上手い話だと思った。シフトも時間もかなり融通が利いたし、時給も良かった。
確かに人手不足なところもあったが店としての人気も高いところで、どうして自分が採用されたのかなと不思議に思ったほどだ。
何て事はない。全てシナリオ通り。何か、すっごい馬鹿じゃん、俺。
「早瀬に教えてもろうて、店出せや。出資くらいいくらでもしたる」
「うーん」
雨宮を睨むのを止め、前の心に向き直る。だが内心、不貞腐れ気味だ。
結局、崎山に追い出され、だが崎山の用意した部屋に住み、そして崎山の店で働く。とどのつまり、そいいうこと。
第三者が聞けば、え?結局、何がしたいの?だろう。静自身、結局、あの時間は何だったの?だから。
「聞いてんのか?」
「え?ああ」
心此処にあらずの静に、今度は心が不貞腐れた顔を見せた。
「いや、出資とかは別に…そんな、すぐな話じゃなくて、ただ漠然とした思いだから。基礎もないのに、店だけ構えても仕方ない」
「まぁ、どっちゃでもええわ。やけど、とりあえずこれからも雨宮を側に置け」
言って、心が雨宮を煙草の穂先で指した。
「これからも、雨宮さんを?」
「雨宮は元々はバーテンです。役に立ちますよ」
相馬に言われるが、いや、そこじゃないと思った。そもそも雨宮の意見は?静が振り返ると、雨宮はなんだという顔をした。
「雨宮さん」
「バーテンだよ、本当に。別に俺は構わねぇよ」
別に、そこを疑ってるんじゃくて。
大体、cachetteでの雨宮の働きぶりは知っている。シェイカーを振る姿は、昨日今日にマスターしたものではない素晴らしいものだった。
「構わないっていうか。雨宮さん、したいこととか…」
「彼の目的は、鬼塚を殺す事ですから他は何でもいいんですよ」
クスクス相馬が笑うが、そこは笑うとこなのか。価値観がやはりおかしいと、静は複雑な顔をした。
すると薄ら聞こえてくる騒々しさに、そこに居た者全てが顔を上げた。
気のせいではない。ガタガタと何やら大きな物音がする。段々と近付くただならぬ音。
それに心は脇に置いてあった灰皿に煙草を押し潰し、ニヤリと笑った。
「…っ!!…!…待たんか!!」
ガタガタという何かがどこかにぶつかる様な音とともに、怒声はどんどん鮮明になり、どんどん近付く。
何事だと静は心を見たが、相変わらず悠然と構えて欠伸なんてしている。相馬もそうだ。全く動じる事もない。
すると、ダンッ!!という衝撃音と共に襖が倒れ、それに合わせて雨宮が立ち上がった。
ゆらり、白い物体。静はそこに幽霊が立っていると思った。
白い肌に白い長い髪。白髪というのとは違う髪色。銀のようなキラキラと輝きさえ見えるそれ。
纏う着物は白がベースで、裾の辺りに赤い牡丹が描かれている。
痩身だか背は高い、だが生気が一切感じられない男。時代錯誤というに相応しい出で立ち、その左手には黒ずんだ様に見える日本刀。
長い髪は前髪も同じで、顔の表情が分からない。
ゾッとした。その出で立ちから、何から何までこの世のものとは思えなかった。
夢か現か…。もしかして妖怪とかそんな類いのもの?なんて、信憑性のないことすら思うほどに男は不気味だった。
息を呑む。どんどん鼓動が早くなる。不安定にも思える、その存在。今にも、ふっと消えてなくなりそうだ。
ぶるっと身震いした。男のその姿だけに。静の中での、生まれて初めての本物の恐怖だった。
「…あっ」
ふらっと、その人間とおぼしき物体が動いたと思った時には心は立ち上がり、床の間の鎧兜の腰に刺さった刀を抜いていた。
「雨宮ぁぁぁあ!!!」
心の怒声に雨宮は静の身体を担ぎ上げた。
「うわっ!」
「くそっ、なんつー人間を中に入れてるんだ!!」
雨宮の悪態が聞こえた。雨宮は静を担いだまま、部屋の角に移動する。
静は雨宮の上で上体を起こし、心の方に必死に顔を向けた。
キンッと高い音。刃と刃がぶつかる、嫌な音がした。
「刀、自分のちゃうと…やりにくいなっ!」
心が状況に不似合いなことを言っている。
相馬はと言うと、静達と反対側の位置に移動して呑気にそれを眺めているだけ。
顔色一つ変えずに、まるで映画でも観ているかの様に二人の攻防を見つめていた。
「雨宮さんっ!」
「暴れんなよ、いてーな」
雨宮は静を下ろすと、相馬と同じように心達を静観する。
刀を合わせた二人は微動だにしない。ギリギリと合わさる刀の音だけが、不気味に部屋に響いた。
「心配すんな、襲撃じゃねえよ」
「え!?でもっ」
動きを見せない二人が動いたのは、まさにその時だった。
心が相手の腹を蹴飛ばし離れた瞬間に、下から掬い上げるように刀を振り上げる。それを男はギリギリのところで、刀で止めた。
「あれが、鷹千穗だ」
「え!?」
心と彪鷹の会話で出た、鷹千穗。あれが。
先ほど現れたときと異なり、不安定さは微塵もない。素早い動きで刀を振るそれは、まるで夜叉だ。だが、その顔には全くと言っていいほどに表情がない。
一瞬でも、顔を歪める事も口元を歪める事も、瞬きさえも見落としそうなほどに人としての表情がなかった。
「鷹千穗!!!」
開け放たれた入り口から、崎山と成田が飛び込んできた。だが、鷹千穗も心もそちらを向くことなく、次々と刀を合わしていた。
時代劇の立ち回りのようなそれに、静は息を飲んだ。
あいつ、強い。
心の強さは眞澄達のことでよく知っているが、鷹千穗の無駄のない動きや二人の攻防を見ていると心と互角に見えた。
「あいつは、裏鬼塚の異端児だ」
静の盾になっていた雨宮が、ため息をついて言った。
「裏?え?」
「俺と同じ、裏鬼塚。でも、裏の裏かな」
「裏の裏?」
「表にも裏にも出せない、野生のライオン。いや、猛獣だな。誰もコントロール出来ねぇの」
「な、なんで」
「鷹千穗っ!」
「やめろ!!鷹千穗!!!」
崎山達の怒声が響くが、二人の攻防に立ち入ることが出来ない。
下手したら斬り倒される。そんな状況にも関わらず、相変わらず相馬は動く気配を見せなかった。
「鷹千穗は口が利けない」
「…え?」
「あいつは、獣だ」
「そんな…」
「鷹千穗よぉ、なんかええ匂いでも嗅ぎつけてきたんか」
次々と当たる刃と刃。心は舌打ちをした。
所詮、鎧兜のおまけの装飾品。真剣には代わりないが、強さがない。
それに比べて鷹千穗の剣は妖刀と伝えられてきた逸品。その昔に人斬りが愛用していたという、妖刀:魔藏(まくら)。
人斬りの呪われた刀は何千という人間の血を吸い、黒くその色を変えていた。
そんな物が相手だ。刃こぼれするのは間違いなくこちら。そうなった時に間違いなく斬られる。
「おいおい…洒落にならんやろ」
心が呟くと同時に、心の読み通り、次々と合わさる刀の音色が変わった。
「…チッ、折れる!」
「鷹千穗…?」
そこに居る全員が聞こえないほどの声。
その小さな声に鷹千穗は時が止まったように、ピタリと動きを止めた。それは刀を振り下ろしたときで、それを受けた心の刀が見事に折れた時だった。
まるで一時停止された映像の様に、鷹千穗はピクリとも動かない。初めは何が起こったのか分からない静は、部屋に現れた男に声をあげた。
「あ、彪鷹…さん?」
静の言葉に鷹千穗は震え、手にした刀を手離した。そしてまるで風のように走り出すと、彪鷹に飛び付いた。
「…あ、…あ、や…あや、あや!」
今まで心に刀を振り下ろしていた人間と同一人物とは思えないほどに弱い、脆く、小さく、儚い声。
聞いた静の方が苦しくなるほどの、切ない、悲しい声だった。
「あーあ、見つかってもーた」
鷹千穗に飛び付かれた彪鷹はそのままひっくり返り、小さくため息をついた。
鷹千穗はぎゅーっと彪鷹の首に腕を巻き付け、動かなくなった。