花となれ

花series second1


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「…ったく、高いんですよ、これ」
相馬は心の手に握られた刀を見て、開口一番言い放った。ぽっきり折れた刀の半分は、畳にざっくり刺さっていた。
「鷹千穗に言えや。大体…お前、普通は鷹千穗が来た時点で応戦やろ」
「冗談でしょ?真剣で立ち回りなんて、普通じゃないでしょ。それに、私は刀を使えませんから」
相馬は呆れた口調で言いながら、鷹千穗の刀を駆け寄ってきた崎山に渡した。
「…いったい、なに」
そこで初めて、静は大きく息を吐いて身体の力を抜いた。

「佐野鷹千穗。彪鷹の弟」
心は片付いたプライベートルームに静と戻ると、ソファに寝転がり欠伸をした。
まるで、そのために持ち込まれたのかと言いたいくらいに、心の長い身体に合わせて作られたような広いソファ。
人間工学のLAAUSER社の特注品で、人間の身体・精神にやさしいデザインを重視しているらしいが…この男にかかれば、そんなものどうでもいいような。
ごろんと出来ればそれでいいような、そんな感じ。勿体ない。
あいつの定位置はここだなと静は思いながら、そのソファの隣の席に座っていた。
静の座るソファもLAAUSER社のもので、一人掛け様というには広いソファは柔らかい黒いレザーの生地。長時間座ろうが、身体が痛くなる事のないソファだ。
「鷹千穗って、変わった名前」
名前だけではない。
眉も長い睫毛も色素がなく、髪と同じ色。目の周りがほんのり赤いのが劣情的で、赤い唇が更にそれを強くした。
高い鼻は意外に華奢で、装飾品の様に美しい銀の瞳はどこか恐怖を覚えた。
「口、きけないのか?」
「彪鷹の名前しかな」
「え?」
「俺は彪鷹を呼んでるのしか、聞いたことあらへん」
心は笑うと煙草を銜えた。
「とんだ引っ越し初日だ」
確かに、先程の部屋は無惨な有り様で、今、成田達が片付けに追われている。
彪鷹は、まるで己の身体の一部になったような鷹千穗と離れに消えた。
心と静の部屋は奥ばったところにあるので、静かなものだ。
「彪鷹さんは、心の父親じゃないのは事実なんだろ?鷹千穗さんが、彪鷹さんの弟っていうのは?」
「さあな。彪鷹も実際は謎だらけや。歳は昔からコロコロ変わるから、今言うてる歳もほんまか怪しい。彪鷹の素性を知っとる人間はおらん。それよりも謎なんが鷹千穗や。どっから沸いて出てきたんか、何で、あんな容姿なんか。俺が彪鷹と逢うた時には、鷹千穗はおったなぁ。あれは昔から彪鷹だけにしか反応せん奴で…彪鷹が俺を引き取ることになったことで、彪鷹と離れる羽目なって俺を恨んどる。やけどその彪鷹もある日消えてもうて、彪鷹を探し回ってた鷹千穗が、ある日突然現れた。俺とおれば彪鷹に逢える思ったみたいで蛭みたいに食いついてきよるから、裏鬼塚に使ってる」
「…裏、」
「あんな容姿やし、感情は死んでるし…。死神って呼ばれとる」
「…あ」
「想像通り。人殺し専門」
心がククッと喉を鳴らして笑った。
「…静」
心が灰皿に煙草を捻りつけ、ゆっくり起き上がると長い手を伸ばす。躊躇いがちな静だったが、そろりとそれに手を載せた。
「俺は、お前にとって癌にしかならんな」
「知らねぇのか?みんな、癌細胞って蓄えてるんだぜ?」
「お前の人生を狂わしてるしな」
「一度しかない人生だ。俺は誰の指図も受けねぇよ。狂ってるかどうかなんて、俺にもお前にも誰にも分からないんだ」
「フフッ…やっぱり、いいな、静は」
重ねた手を握り、グイッと静を引っ張る。静は今度はそれに逆らうことも躊躇うこともなく、身体を心に預けた。
フワリ、羽のように軽い身体が心に跨がる。まだ恥じらいは捨てられないのか、不服そうな顔をする静に心は笑った。
「笑うなよ、ガキのくせに」
「俺は、これからもずっと狙われる」
「…え?」
心は首を傾げる静の腰に手を回し、その胸元に頭をつけた。
「恨まれ、憎まれ、命を狙われる。因果な商売やけど、俺はこの世界でしか生きれん。俺が飽きるまでは、しゃーないからこの世界におる。やけど、静は別や。他の世界でも生きれる」
「何なの?意味わかんね」
「彪鷹は鷹千穗を死神にしたあらへんかった。だから無理矢理、鷹千穗から離れた。ああやって二人を見たら、ちょっと考えた。俺は、静のことになると…」
臆病になる。そんなところかなと静は思った。
手に入れても、側に居ても不安が尽きない。それは静も同じ事だ。
迷い迷って安堵して、また迷って…。苦しさはいつまでも亡霊の様に付きまとう。一瞬の安らぎもない。
でも、それでも、一緒に居たいと思った。心と…。
「…おい」
静は心の髪を掴むとグイッと顔を上に向かす。それに心は驚いた顔をした。
「鬼塚心ともあろう人間が、何言ってんだ。裏とか表とか、そういうので言うならさ、俺も…この世界の人間なんだよ。裏ばっかり見て来て、裏の人間ばっかり相手して来た。今もそうだ。何迷ってんだか知らねぇけど、俺だってお前を恨んでんだぞ」
大多喜組に追い回されているときは、正直、地獄だった。だが今もそれは変わらない。
真綿で包み込まれ、宝物のごとく扱われる地獄。こんな優しさを知れば、放り出された時を考えるだけで不安が過る。
封印して押さえ込んでいた自分が如実にあらわになり、それが腹立たしくもある。
「お前は得手勝手で、唯我独尊で人として最低だ」
「そりゃ、ありがとう」
「更に気分屋だ」
「そうか?」
「自覚がない分、質が悪い。お前のことだから、明日には俺に飽きるかもしれない」
「はあ?何、俺が飽きる事ばっかり考えてんの?そんなに俺に惚れてんのか」
「惚れてる訳ねーわ!!その、だって、俺もお前も男だぞ」
「だからなんやねん。散々ヤッたやろ。満足せんのか」
「違うわ!バカ!!あ、跡取り要るだろ」
「なに、そんなことまで考えてんのか?殊勝な」
心は小さく笑う。静はそれにムッとした顔を見せた。
「お前みたいに何も考えないガキじゃねぇんだよっ!俺は!」
「…跡取りはいらね」
「は?」
「極道なんて、我が子に跡継がす組はすくねぇよ。仁流会では多いけど、他の組はそんなんちゃう。第一、俺はお前と知り合ってなかったとしても、子供はいらね」
「…どうして」
「俺のガキなんて、不幸なだけや」
静は心のその言葉に押し黙った。
きっと、静の知らない心の過去がそう言わしているのだろう。極道の、組長の息子。
平々凡々な日々でなかった事は、確かだろう。
「ガキ…静が生むなら考える」
真顔で言われると、冗談なのかなんなのか分からず、口をあんぐりと開けた。
「まぁ、お前は一生童貞やな」
「あ?俺が童貞っての?」
「抱けばわかる」
「だ、抱けばとか言うなよ!やっぱり嫌いだ!」
ポカポカ叩いてくる静に心は声をあげて笑った。
笑い合いながら、視線が合う。それに、当たり前のように唇を重ねた。

翌日、目が覚めると隣に心の姿はなかった。
心と居ると眠りが深いなと思いながら、ダルい身体をベッドから引きずり出す。
顔を洗い、歯を磨きながらカラカラと窓と雨戸を開ける。すると、朝陽が燦々と入り込み気分が一掃して、眠たい気分が吹き飛んだ。
「…あ」
静は小さく声を上げると、歯磨きをサッサと終わらせ服を着替えてサンダルを引っ掻けると庭に飛び出した。
パタパタと走り庭にある池に近づく。大きい池は橋が掛かり、南のほうには鹿威し。それに傘を被せるように紅葉の木が聳える。
静は池の縁で中を覗き込む着物姿の男の近くで立ち止まると、深呼吸をして一歩、踏み出した。
「…た、鷹千穗…さん?」
白く長い髪が朝陽に照らされ、キラキラ光る。銀髪にも見紛うそれは見惚れるほどに綺麗だ。
だが、呼んではみたが鷹千穗が振り返る気配はない。
何を見てるのか近付くと、池の中の錦鯉がみな、餌をくれとバシャバシャ暴れていた。
静は屋敷に戻ると、雨宮を捕まえ鯉の餌を貰い急いで鷹千穗の元に戻った。
「はい、これあげて」
鷹千穗は、静の差し出した餌を初めはジッと見るだけだった。静は餌を少し取ると池に落とした。すると、まるでピラニアのように鯉が餌に群がる。
鷹千穗はそれを見ると静に手を差し出した。静は笑って、餌を鷹千穗の掌に落とした。
「…彪鷹さんは?」
聞くと、屋敷の中央を指差す。その先には心と相馬と三人で何か話をしている彪鷹が居た。
見える範囲に居ないといけないのか。母親の姿がないと泣く子供みたいだと、静は笑った。
可愛いなぁ。
「俺ね、吉良静」
一応名乗ると、鷹千穗は見失うくらい小さく頷いた。
確かに表情はない。表情筋が死んでるのかと思うほどにだ。
だが、小さく頷いたそれが静は嬉しくて二人で会話もなく餌を貪る鯉を眺めていた。
「おい、吉良!」
呼ばれ振り返ると雨宮が手招きしていた。
「あ、学校の時間か。…またね、鷹千穗さん」
鷹千穗は返事もなく鯉を眺めている。静はそれにフフッと笑うと雨宮の元へ急いだ。
「お前、何してたの?」
「え?餌やってた。鯉に」
「鷹千穗と?会話になんねーじゃん」
「可愛いよ、鷹千穗さん」
「はあ?死神がか?やっぱりお前って変だわ」
雨宮はそう言うと、天を仰いだ。
「とにかく行くぞ」
雨宮は静に鞄を渡すと門に向かって歩き出す。静もそれに続いた。
「吉良ー!」
呼ぶ声に顔を向けると、縁側に心や彪鷹が居た。
「行ってきます」
言うと、彪鷹が笑いながら手を振った。心は目を向けるだけで、間違えても行ってらっしゃいなんて言わないし手も振らない。言われ、振られたところで困る。
屋敷を出るまで、成田と崎山が「行ってらっしゃい」と声を掛けてくれた。見た事もない、男。橘と雨宮は呼んでいたーまでもが、声を掛けてくれた。
そこだけが別空間のような駐車場に入り、雨宮がAudi TT RS Coupeを指差す。静はその助手席に乗り込んだ。
「なに、お前、ご機嫌だな」
「嬉しくて」
「あ?」
「行ってらっしゃいって見送られるの、何年ぶりかなって」
「ああ」
「…フフッ」
「変な奴」
雨宮は一言言うと、アクセルを踏み込んだ。
大きな門から吐き出されるAudi。少し窓を開けて、風を中に入れた。

心との道は茨の道かもしれない。いや、そうだ。男同士で極道で…ハイリスク・ノーリターン。非生産的。
でも、心は俺が失ったものを全部、与えてくれた。
時に逃げたくなるだろう。
時に怖くなるだろう。
明日、明後日には別の道に居るかもしれない。
先のことなんて何もわからない。
俺達はまだ、始まったばかりだ。
花で言うならまだ蕾。
少しづつでいい。
花となれ。



many thanx!!!!
ここまでお付き合いありがとうございました!