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力道とは五課の警部で、及川は面識こそはあるが話をしたことがない。四課と五課は対象者が同じ人間になることもあり、慣れ合う事を上が良しとしないのが原因だ。
どんな会社でもある、売り上げに当たる”検挙率”。それの取り合いという、何とも皮肉な話である。
その五課の力道チームは課の中でも検挙率はずば抜けていて、警視庁の中では名高いチームだ。そして、力道はどちらかと言われてみれば杉山の苦手そうなタイプなのかもしれない。言うまでもなく、及川のタイプでもない。
「でも、聞いたところ、薬莢に前科はないらしいな。血痕もなし」
「そこさ、地図で見たらさ、この盗撮写真とアングル合うんだよね」
及川は写真を一枚取り出すと人差し指と中指で挟んで掬い上げ、杉山の方へ向けた。
「…え!?」
「盗撮写真も止まったし、変じゃない?」
盗撮写真がピタリと止んで、そして盗撮したであろう場所での発砲事件。偶然と言うには無理がありすぎる。
杉山はうーんと唸って、顎を撫でた。
「そういや、嫌な噂聞いたな」
「…なに」
「李王暁(Li Wangshan)が日本に来てるって」
「は?李って…殺し屋の?いや、死んだんじゃねーの?」
及川の言葉に杉山が不敵に笑った。
「李の別名は?」
「Thanato」
「うーん、さすが。素晴らしい発音じゃねーの。ま、いつからそう呼ばれてるのか知らねぇけど、ギリシア神話の、死そのものを神格化した神、タナトス。ずっと死んでるってことだ」
「訳わかんねぇ。大体、なんで神なんだよ。殺し屋だぞ」
「そりゃ、お前、生きてる方が辛いからだろ。李に殺されたと思われる奴らは、どいつもこいつも裏の世界での指名手配犯だぞ?金の持ち逃げやら、親殺しやら…。捕まりゃ拷問だの惨たらしいことされて、なかなか死なせてくれねぇだろうからな。それを考えれば、殺してくれてありがとうだろ」
「でも、日本に来るのは初めてだな」
「観光かもしれねぇけどな」
「…李王暁か」
及川は、写真の中で気怠げに煙草を燻らす心を指で弾いた。
李王暁は狙った獲物は絶対に逃さない、蛭のような殺し屋だ。李王暁、またはThanatoと呼ばれる殺し屋は、その容姿も性別も不明で、その姿を知る者は居ない。
李王暁という名も、いつからかその名前が出てきているだけで、本名なわけもなく、したがって国籍も不明である。
一時期は裏社会で暗躍していたが、いつからかその噂さえも聞こえなくなり遂に死んだのではと言われていたが…。
「あの、及川さん」
名前を呼ばれ、及川と何故か杉山も一緒に振り返った。あんた、及川じゃないでしょという顔をされたが、杉山はまさかの声の主に振り返らざる得なかった。
振り返った先、四課の出入り口には制服姿の女性警察官が立っていた。庶務の警官だ。なぜ分かるかというと、警視庁のアイドルと呼ばれるほどにその美貌は抜きん出ていて、本来の職務以外での活躍の方がメインになっており犯罪撲滅キャンペーンなんかのモデルまでしているからだ。
署内のあちこちに選挙ポスターよろしく、彼女の笑顔のポスターが貼られている。もちろん、選挙ポスターでもグラビアアイドルとしてのポスターではない。
笑顔の横では、犯罪撲滅だの薬物で人生が終わるだのアンバランス感が否めない文字が踊る。そんな警視庁の高嶺の花は、頬を染めて及川に頭を下げた。
「は?趣旨変え?」
「杉山さんじゃなかったら、殴ってる」
いや、だって。雌じゃない。雄じゃなくて、何処からどう見ても女じゃない。
「来たか?」
「はい。及川さん宛です」
「え!」
それに驚いたのは杉山だ。
警察という機関は一般企業とは異なり、警察官個人宛に手紙が届くことはない。はっきりとしたルールがあるわけではないが、それが暗黙のルールとして根強い。
それは被疑者やその親類などと関わり、便宜を図ったり癒着したりしないようにするためだ。
もちろん稀に感謝の気持ちや更正したとか、この仕事をしていて良かったと思う様な手紙が届く事はあるが、及川はまかり間違えても感謝されるような人間ではない。 もし及川個人に手紙が届くとすれば、不幸の手紙か恨みつらみの手紙か、もしくは…。
及川はそれを受け取ると乱暴に封を破り、デスクに中身を吐き出した。
だが写真は一枚だけ。過去に送られてきた写真を引き伸ばしたものだ。そして、その写真には赤のマジックで妙な文字が書かれていた。
「は?」
カタカナの”ス”にも似ている文字が、心の顔いっぱいに書かれている。子供の落書きにも見えるそれに、杉山は首を傾げた。
「何だこれ。ス?」
「スじゃないね。横に点みたいなのあるでしょ」
「あー?じゃあ、何、”ズ”?」
「ヘブライ語だ」
「はぁ?ヘブライ語?そんなもんまで分かるのか?何て書いてんだ」
「ある程度の国の言語は理解出来ますよ。で、これは13」
「え?これ、数字なの?」
杉山は及川を押し退けて、子供の落書きにしか見えないそれをじっと見た。が、どれが1でどれが3なのか、さっぱり分からない。というより…。
「なんで13なの」
中途半端じゃないの。13なんて。
「映画でもあるでしょ、13日の金曜日って。北欧神話でもキリスト教神話でも13っていうのは特別な数字なわけ。英語では13のことをdevil's dozenなんて呼んだりするしね」
「え?なに?無駄に発音よ過ぎて分かんねぇよ。ってか、もしかしてキリシタンなの?」
「俺が?そう見えます?でも、これで何かが始まったのは確かだね」
及川はそう言って、写真を弾いた。
彪鷹はContinental GTの後部座席に相馬と並んで座り、その居心地の悪さに何度目かの息を吐いた。
広い車内、豪華装備と優雅な雰囲気を持ったContinental GTの乗り心地は最高なのに、居心地は最低という何とも言えない状況なのは、きっと相馬と一緒という事だろうか。
どうやら、親子でこの男とは合わないらしい。
「居心地が悪そうですね」
居心地の悪さからか、落ち着きの無い彪鷹を相馬が小さく笑った。
何、この馬鹿にされた感。自分よりも10も20も年上に思えるほどの貫禄が、何だか腹立たしい。
「居心地最高。ええ車でドライブ出来る上に、出来すぎる相馬の仕事っぷり拝見出来るしな。ってか、相川は?なんで崎山が運転しとんねんな」
彪鷹は崎山がハンドルを握るその光景が見慣れず、余計に居心地が悪くなって窓の外に目を向けた。
「なんか連行される気分」
「連行ですか?連行されるようなこと、なさったんですか?」
「してません。やて、行き先も告げられずちゅうんは、連行みたいなもんやろ」
「行き先を告げて大人しく付いてきてくれるなら、きちんと告げますよ」
相馬はフッと笑って、膝の上に置いてあるタブレット端末を操作する。出来る男のモデルみたいな奴だなと、彪鷹はサングラスを上げて流れる街並みに目を移した。
どうせろくでもないところに連れて行かれるんだろう。何を根拠にと言われるかもしれないが、相馬と崎山という、言うなれば最強コンビと一緒だ。
車の前と後ろに護衛である弾除けの車が居るのをみると、裏稼業の仕事だろう。まぁ、それは絶対だ。
彪鷹はフロント企業への関わりはゼロだ。役員へ名を連ねたりもしていないし、株保有者でもない。なので、裏家業以外で連れ出される事は皆無。そうなると、どこへ行くのか。
「盗撮犯の正体でもわかったんか?」
「いえ、崎山が対面したそうですが、見憶えのない男だったらしいですよ」
「見憶えのない男は、見憶えがあるんやて」
彪鷹が口角を上げて言うと、崎山がバックミラー越しに視線を向けてきた。
「ないって決めつけたらあかん。俺らは誰に狙われてもしゃーない人間なんやけ」
「……」
崎山も相馬も何も言わなかった。それに彪鷹は小さく笑った。
「デカイビルやのぉ」
彪鷹は高く聳え建つビルを車の中から眺めて、感心した声をあげた。
周りのビルよりも真新しい近代的なビルは、最近完成したのかキラキラと輝いて見える。
相馬達を乗せた車は、そのビルの地下にある駐車入り口へ向かう。頑丈な門構えの駐車場入り口の横にある建物から警備員が出てきて寄ってきたのを、崎山がウィンドウを開けて応対していた。
「このまま3番へお進みください」
若い警備員は崎山にそう言うと、駐車場の入り口の門が音もなく開いた。
一体、何のビルなのか。いやに仰々しいなと、入り口の看板を見て声を失った。
「…は?」
「どうされました?」
「降りる」
「もう無理ですよ。諦めなさい」
「風間建設って書いてる!」
「風間建設ですから、そう書いていて当たり前でしょ?」
「騙したな!相馬!」
「人聞きの悪い」
相馬は悪びれることなく、柔らかに笑う。
彪鷹はその相馬の顔を見て、やっぱりコイツは嫌いだと心底思った。
地下駐車場から社内に入るために、また警備員が常駐する入り口で足止めを喰らう。崎山が何やら手続きをして、首から間抜けな名札をかけさせられ彪鷹は嘆息した。
時間の無駄だ。
風間建設は風間組のフロント企業で、極道の組事務所ではない。無論、風間組組長風間龍一がここに居ることすら少ないだろう。なのにこの厳重すぎるセキュリティは何だ?
彪鷹はようやく通された地下ロビーを歩きながら、辺りを見渡した。
「厳重なセキュリティに防犯カメラ。ここ、武器庫か?」
「武器庫?まさか。建設会社ですよ。最近は色々とうるさいので、セキュリティも厳重です」
ロビーの奥にあるエレベーター前に止まり、崎山がボタンを押す。三台あるエレベーターは全て稼働中だった。
「ああ、分かった。犬除けや」
「まぁ、時間稼ぎにもなりますね」
音もなくエレベーターが到着し、滑るようにドアが開く。大きな箱は空っぽで、奥はガラス張りになっていた。
「趣味悪」
「そうでもありませんよ?」
ゆっくり動き出すエレベーターの中に、急に光が入り込んできた。ガラス張りの向こうは正面入り口で、スーツ姿のサラリーマンがちらほら見える。
「まだ、本格始動やないってとこか」
彪鷹はところどころに、ビニールが掛けられたテーブルやカウンターが置いてあるのを見て言った。しかし、見れば見るほど趣味の悪いビルだと思う。
外から見ても背の高いビルの中は真ん中にぽっかり開いた吹き抜けの造りで、まるで大きなバームクーヘンだ。ガラス張りの正面玄関入り口の上は、エレベーターから見る限りてっぺんまでガラスが嵌め込まれている。
そのガラスの壁のお陰で自然の光が入り込み1階ロビーは明るいが、どこまでも吹き抜けというのが気に入らない。
彪鷹は受付で渡された名札を相馬に押し付けて、その情景に口笛を鳴らした。
「なんともまぁ…。ここ何階建てよ?こんななぁ…。なんやデッカい螺旋階段みたいやない?あんな最上階から下、見下ろせる造りってどうなん?全部吹き抜けにしてもうて、軽い気持ちで飛んだら正面玄関に肉片飛び散るスプラッターやで」
「大丈夫でしょう。5分もあれば優秀な清掃員が片付けますよ」
「お前ねぇ…。でも、風間がこっちまで足伸ばしてもうて、お前らの何とかって会社もヤバイんやないか?えーっと、なんちゅうた?」
「イースフロントですか?」
「ああ、それそれ。やてさ、裏でも目の上のたんこぶで風間が構えとる。で、表でも陣地進出されてもうて。結局、鬼塚は二番目って言われてもしゃーないわな」
な?と彪鷹が言って相馬を指差すと、相馬はふふっと笑った。
「何を仰っているんですか、彪鷹さん。ここは鬼塚の土地ですよ。こんなビルを建てられたところで、うちは痛くも痒くもない。第一、風間組のフロント企業であるここは建設会社ですよ」
「は?そんくらい分かるわ」
駐車場入り口に風間建設駐車場入り口とご丁寧に書かれていて、それを見て彪鷹は帰ると言ったのだ。
”建設”と名乗るくらいなのだから、建設会社なのだろう。それくらい馬鹿でも解る。
「この業界はシンプルですよ。ここ風間建設は畑は建設であって、イースフロントはその建設する施工を取る会社です。ようは、うちが仕事を下ろして差し上げている…と考えてくださいと言えば、理解いただけますか?」
「ふっ、ふふ…やっぱ、お前は愚息に必要な奴や」
彪鷹の言葉に相馬は蛾眉を顰めた。
二人のやり取りを聞いているのかいないのか、崎山はこちらをちらりとも見ずにエレベーターボーイよろしく入り口付近に立っている。そして、ようやく到着したエレベーターは、ゆっくりそのドアを開いた。
「お前はあいつがおらな、人生つまらんかったんやでっていうこっちゃ。ま、それは心にも言えるけどな」
「では、あなたはどうですか?」
彪鷹と二人でエレベーターを降りる。崎山はエレベーターを降りたすぐそこで、すっと背を正して立つと二人に頭を下げ、そこで立ち止まった。
長い廊下には、等間隔で屈強な男達が並ぶ。その奥の玉座に居る王を護る家来だ。
「俺ー?俺はあいつが居てもおらんでも、今と変わらんなぁ。極道やったやろうし、いや、飽きて農家もありかな」
「失礼します」
戯れ言を言ってる間に奥にたどり着き、相馬達の前に男が立ちはだかる。大きな男は彪鷹に軽く頭を下げた。
ああ、ボディチェックかと彪鷹がスーツのジャケットに手をかけた時「おい」と低い声がして、彪鷹は「は?」と間の抜けた声を上げた。
「お前、この人が誰か分かってのそれか?」
聞いたこともないような低い攻撃的なトーン。一体、誰が?と考えるまでもない。彪鷹と一緒に居るのは相馬だ。
「ですが…」
男はきまりですからとでも言うような顔をして、彪鷹と相馬を交互に見る。だが彪鷹に助け舟を求められても助ける義理はない。
しかも彪鷹も相馬の変貌ぶりに、些か混乱している最中だ。
「おい、鬼塚組若頭を呼びつけておいての、この礼儀か?なんだ、お前らの大将は金属探知機を潜った奴にしか逢わないような腰抜けか」
腰抜けに反応して、男の顔つきが変わった。だが相馬はそれに臆する事なく、更に男に歩み寄る。
「くだらないことに時間取らせるな。佐野彪鷹が来たと伝えてこい」
誰これ。彪鷹はあんぐり開きそうな口を何とか堪えた。
だが、今のこの状況に付いていけないことには変わりない。見たことないんですけど、こんな相馬。
紳士的で、極道に不似合いな穏やかな口調と気品漂う佇まい。粗野で乱暴なものとは縁がなさそうな見かけで、いつも柔らかな表情で辛辣な言葉を浴びせる高学歴で博識な男というのが相馬北斗だと、万人が認識しているはずだが…。
「ドアの前で何しよん」
騒がしさに気が付いたのか、男の後ろのドアが開き見知った男が顔を出した。梶原だ。梶原は相馬と彪鷹を見て、首を傾げた。
「え?何?」
「あなたのところの優秀でマニュアル通りの部下は、私達が武器を所持していて組長の命を取ると…」
「あぁ、そりゃすまん。ほれ、そいつらはええねんて。入れや」
梶原は手招きをして、彪鷹達を呼んだ。相馬はにっこり笑うと、苦々しい顔をした男を指で呼んだ。
「悔しいか?」
「いえ」
「正直に言っていいよ。悔しいか?」
「腹が立ちます」
「ふふ、なら、謝罪するよ。ただし、あの男に勝てたなら」
相馬はエレベーター近くに居る崎山を指差した。男は蛾眉を顰めて相馬を見たが、相馬は気にせず部屋に入りドアを閉めた。