花の嵐

花series second2


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黒のハイエースワゴンに乗って、屋敷からさほど遠くないビルに向かう。
閑静な住宅街から少し離れたそこは何個かのビルが並ぶところで、遅い時間帯のせいか静まり返っていた。
その一角に目的のビルがある。成田は少し広めの一方通行の道のど真ん中に車を停めて、辺りを見渡した。
「ここだけなんや、色のちゃうとこやなぁ」
「ここは昔からその長谷って爺の土地で、一時はうちみたいな莫大な屋敷を建ててたらしいぜ。で、息子が事業するのにあたって、屋敷潰してビルにしたんだと。あれじゃね?金持ちの道楽的な?屋敷潰しちゃうとか、意味わかんねぇよなぁ?」
相川が助手席で笑うが、確かにわざわざビルにする必要があったのか首を傾げてしまう。現に今は空きビルが目立つ。
遊ばせるにはあまりに不経済で、維持費だけがかかる。金を溝に捨てる様なものだが…。
運転席からビルを見上げ助手席の崎山を見た。崎山もビルを見上げるようにして見ながら、少し考える顔を見せた。
「人気はなさそうだけど、一応行く?鍵あるしね」
崎山がそう言ったので成田は車を寄せて停め、全員で車を降りた。
静かだった。それは薄気味悪く思えたが、住宅街でも表通りにも面していないそこは、それが当たり前だ。
「夜のビルって、何か出そうじゃね?貞子とか」
成田がケラケラ笑う相川の頭を叩いて、高杉が入口のドアの鍵を開ける。そして全員が手に持っていた懐中電灯の灯りを点けた。
写真で見た通りそこは綺麗に清掃されていて目立った汚れがなく、明日からでも使えそうなくらいに手入れがされていた。
「ほんまに空きビル?めっちゃ綺麗」
「週に一回、清掃業者が入ってるらしいぜ?本当に金持ちの道楽だなぁ。こんな土地遊ばすなんてなぁ?」
高杉が言いながら入り口にある電気のスイッチを触ったが、明かりが灯ることはなかった。ブレーカーを落としているようだ。
男二人がギリギリ並べるほどの広さの階段を上がる。一階がガレージで二階から上がオフィスとして使えそうだ。
「ね、貞子見てきてよ、相川」
二階への階段を昇りきったところで、崎山が上へ続く階段を見上げながら言う。それに腰の引けていた相川が飛び上がるほどに驚いた。
「は!?」
相川は素っ頓狂な声を上げて、二階の開け放たれたドアの中を見た。無論、電気は点いていないので真っ暗闇である。
「高杉は三階、成田は四階。俺は屋上」
「え!待って!ちょ、それはないっしょ!?こんなさ、なんか出ますよーみたいなさ!電気もつかねぇのよ?ないわー、ないない」
必死に首を振り、高杉のスーツを掴む相川を全員が冷たい目で見る。
「行け、ボケ」
全員合致の発言である。
相川は半泣きになりながら、渋々、中に足を踏み入れる。オフィスの名残からかデスクがきちんと並べられ、書類の束がその上に鎮座して居る。
少し枯れた観葉植物が闇夜に浮かんで、相川は息を飲んだ。
「…む、無理ー」
と振り返ったところで、そこには誰もおらず…。
「マジかよ…」
でもちゃんと調べないと、貞子なんか目じゃないほどに恐ろしい崎山の怒りが降り注ぐことになる。そう考えたらこれはやるしかないと、相川は「悪霊退散」と意味のない言葉を呟きながら奥へ進んだ。

階段を最後まで上がりきり後ろを見ると成田がその背中を追っていたので、崎山はそれを手で追い払った。
階段は一直線。転げ落ちたら最後、一階までノンストップだ。建築に問題があるんじゃないかと飲み込まれそうになるそこから目を離し、鍵を中から開けてドアを押すとスーッとそれは開いた。
手入れがされているだけあって、古びた音はせずにすんなり開いた事に眉を上げた。
「いくらなんでも、遊ばせずぎじゃない?勿体ない」
独り言を呟きながら、屋上へ一歩足を踏み出す。そこからは低い土地と建築法のおかげで、かなり遠くまで町並みを見渡せた。
崎山は胸ポケットからスマホを取り出すと、あらかじめ取り込んでおいた“盗撮写真”を表示する。
屋敷の方向は崎山が出てきた入口の裏側だ。崎山は踵を返してその裏側へ歩を進めた。
「………」
誰か居る。崎山がそう思ったのは気配から…ではなく煙草の匂いからだ。
ゆっくり猫の様に足音を消して忍び寄る。建物の影から見えてきたのは、男が地べたに座って煙草を燻らしながら空を見上げる後ろ姿だった。
ジーンズにジャケット。がっしりとした身体つきに、男の傍にはウイスキーボトル。暗闇で暢気に鼻歌を歌う男に崎山は蛾眉を顰めた。
「おい」
呼ぶと、男は飛び上がらんばかりに身体を震わせ、ゆっくりと顔だけ振り返る。
灯りのないなか崎山はライトを男に向けた。逆光で崎山の顔が見えず、そして眩しさに男は顔を手で庇うようにした。
「何をしている」
崎山が問うと、男はハッとして身体ごと振り返り身を正した。
「怪しいものではっ!あ、いや、怪しいですけどっ!あの、すいませんっ!ビルの方ですか?」
「そうだ。お前は?どこから入った」
「すいません、俺、ちょっと仕事クビになって…裏口の鍵を壊しちゃって…すいません!!」
「仕事をクビ?自殺志願者か?」
「いやいやいや!ちょっと、金が底をついて…」
「いつからいる?」
ただの一般人かと崎山が呆れてライトを下げようとした瞬間、フワリ、香の香りが鼻を擽り背後に感じた。殺気を感じる気配に飛び退こうとした瞬間、首に指が食い込んだ。
容赦なく食い込む指に息が詰まる。その苦しさから、反射的に懐中電灯を離して首に食い込む指を離そうともがいた。
「…かはっ!?」
「いつから?ずっとだよ?」
崎山の手から逃れた懐中電灯が、転がりながら男の足元を照らした。
先ほどまで挙動不審でびくびくしていた男は、まるで別人の様に低い落ち着いた声でそう言うと、ゆっくり立ち上がり新しい煙草を取り出し火を点けた。
暗闇の中、仄かなライターの火で照らされる顔は見覚えのない顔だった。
「殺すなよ?」
男が言うとギリギリ締め上げてきた手の力が緩んだ。崎山はその瞬間、首を締める手を掴んで外側に関節を回した。
「…っ!」
痛みからか背中を思い切り蹴られ、崎山は滑るように首を締める手から逃れた。そしてすぐに振り返り顔を上げると暗闇に慣れた目に、黒いパーカーにジーンズ姿の男が映った。
フードを目深に被り顔は見えない。口許だけがニヤリと弧を描いていた。
「げほっ…!げほ…、は、ね、誰?」
噎せ返るなか、ようやく出した声は情けないほどに掠れていた。喉を擦ると鈍い痛みが走って、それに顔を顰めた。
「えーっと、君はー。そうだ、雅、だよな?崎山雅」
煙草を燻らし、記憶を辿るようにして名前を呼ばれた。一体、誰だ。崎山は立ち上がると後退る。
その腰に硬いものが当たり振り返ると、屋上の柵だった。下はどこまでも続く奈落の底に見える。
「マジかよ」
「君、一人?」
「ね、フェアじゃないよね?俺の名前だけ知ってるなんて」
「フェア?この状況で?」
「ま、確かに…。危機的かなぁ?いや、そうでもない」
崎山がニヤリと笑うと、二人に向かって銃弾が飛ぶ。二人は慌てて物影に身体を転がし、崎山は銃弾に向かって走った。
「あのパーカー狙え!」
銃を握る高杉に叫びながら屋上のドアを開け、下の二人を呼ぶ。サイレンサーを付けた銃が、空気音だけを鳴らしながら次々と弾を吐き出した。
「丸腰かぁ?」
「さぁな?いきなり首締めてくれたから」
「はぁ?お前のか?」
高杉がくつくつ笑う。あちらからの襲撃はない。撃ち込んだ感触もないが、あちらかの反応がないので高杉が顔を出すと男の背中が見えた。
「はぁ!?おいおい、マジかよ!飛ぶぞ!」
「屋上だぞ!」
崎山と高杉が慌てて飛び出し二人を追うが、二人は柵に足をかけ、そのまま飛び降りた。
崎山が柵に辿り着き下を覗くと、トラックの荷台に転がる二人が見えた。崎山を名前で呼んだ男はひらひらと手を振っていて、トラックはそのまま走り去った。
「仲間…」
崎山は舌打ちをして、忌々しげに走り去るトラックを見ていた。すると背後で足音がして、すかさず高杉の腰に差さる銃を抜き引き金を引いた。
「ぎゃあ!」
間の抜けた声にもう一発撃つと、ふんっと鼻を鳴らして高杉に銃を返した。
「絶対俺って分かってた!分かって撃った感じだよな!?なに!?俺に死ねってこと!?ねぇ!?何なの!?」
ぎゃあぎゃあ喚く相川を無視して、男達が居た場所に向かう。
ウイスキーボトルは高杉が撃ち抜いてしまって、木っ端微塵だ。他にあるのは新聞と冗談なのか、求人雑誌。
「…舐めやがって」
「おう、成田どうだった?」
高杉は銃の先のサイレンサーを外しながら、上がってきた成田に声をかけた。成田はちらっと崎山を見て息をつくと、首を振った。
「大通りから南に向かった」
「くくっ…走ったのか?」
「しゃーないやん。あかんわー、年やわ」
成田は頭をがしがし掻きむしりながら、そこへしゃがみ込んだ。
「車番は?」
崎山は新聞と求人雑誌を相川に渡すと、ウイスキーボトルのラベル部分を持ち上げた。コンビニでも売っているそれからは手掛かりはなさそうだ。
「橘に連絡したけど、盗難車ちゃうか?多分」
「相川、橘に鬼頭組の御園さんが今どこに居るか調べてもらって」
「は?なんで?」
「御園さんと同じ、香の匂いがした」
「えー。それはないでしょー。だってさぁ、こないだあんな事したばっかじゃん?懲りてるって感じじゃね?」
「念のため…」
崎山は星一つない夜空を見上げ、痛む首を擦った。
「殺してやる」
小さく呟いた言葉は、闇に飲まれて消えた。

「あれってなぁ、分かってたんやない?」
「…なにが」
崎山は事務所に帰ってきてもご機嫌斜めである。鏡で首の痣を見て、近くに居た訳でもない相川は蹴飛ばされていた。わざわざ相川の元まで行ってなので、完全なる八つ当たり。
「あぁ、それ、俺も思ったねぇ」
高杉が銃の手入れをしながら、頷く。
あれからすぐに事務所に戻った崎山達は、やはり盗難車だったと言った橘の言葉に落胆した。一理の望みがここで途切れた。まさか盗難車じゃなかったなんてこと、あるわけないとは思っていたとしても対峙して逃げられたのは重いことだ。
「アングルから、撮影場所はすぐにわかるだろ…って?」
「やて、ほんまにそうやん?」
「じゃあ、この新聞も求人雑誌も何かの愛のメッセージか」
触らぬ神に祟りなし。崎山の怒りはピークだ。消えない怒りに、持ち帰った新聞で机をバシバシ叩く。
新聞は先週のものだった。地方新聞など創刊数が知れたものでもない、この地域では大多数が契約していそうな大手新聞社の新聞。
佐々木に確認したが、その日は特段目立った事件もなかったし、内紛する他所の国の情勢を伝えるものばかりだとかで、何ら関係ないものに思えた。
ただ尻が痛くて座布団代わりにしていたのか、まったく意味のないものだった。
「じゃあさ、じゃあさ、あそこから撮ってますよーって分からすのが目的?意味わかんなくね?」
相川の空気を読まないテンションに、崎山は新聞を投げつけた。
崎山はプロ顔負けのスピードで物を投げる。まるでドラフト一位指名選手のようなスピードと的確さ。
相川はそれを毎度、顔面で受けるという醜態を晒す。元プロボクサーでありながら、崎山が投げたというおまけだけで動けなくなるのだ。
「あれだなぁ、写真より対峙が目的だなぁ」
高杉はカーボーイのように器用に銃を掌で回して弄びながら笑った。
対峙したかった。鬼塚組の中枢に居る人間を確認したかった…ということか?今更?
あれだけ隠し撮りしたのなら、内部にはかなり精通してきているだろう。誰が誰かなんて確認する事もないほど。
「腕試し?」
相川がぽろっと言葉を零して直様構えた。何かがまた飛んでくると思ったのか、だが言われた崎山は物を投げる事なく腕を組んで相川を見るだけだった。
「まぁ、それが一番やろなぁ。せやから、あれが崎山やろうが誰やろうが襲撃したってことや。ちゅうことは、御園さんの線は消えたってことやなぁ」
「腕試しねぇ。まんまゲームじゃねぇか、なぁ?」
高杉は笑ったが、まさにそう。挑戦状の写真と襲撃。着実にゲームは始動している。それも崎山達の意思に関係なく、顔の見えない人間の手によって。
「腹立つ。ね、警備体制変えるよ。高杉」
対峙してきたのなら、次の行動へ移るのも時間の問題か。相手の動きが読めない以上は、今のままでは危うさが残る。
崎山は痛む首に苛立ちを覚えながら、息を吐いた。

警視庁の組対四課の部屋で、及川は最近のご機嫌さが嘘だったかのように不機嫌な顔でデスクに向かっていた。
及川が不機嫌な時は、触るな危険の劇物並みに皆が及川に近寄らない。そんな及川が居る部屋の空気はまさに重くピリピリしていて、雑談する声も聞こえない。
杉山はそんな部屋を眺めて眉をあげた。
「なんなの」
本当にもう、胃がキリキリする。本当に絶対にハゲる!そんな危機感が杉山を襲う。
杉山はまだ危なさのない頭を撫でながら、及川とは遠く離れたところに居る課長の禿げ上がった頭を見た。
あのハゲの原因の一割か二割は及川のせいだ。絶対。
「目が痛むのか?」
杉山は及川の横の席に背凭れを逆にして座り、及川の整いすぎる顔を覗いた。
数日前、及川は今以上に不機嫌で、それはまるで鬼だった。外に出したら出したで顔馴染みの極道者を捕まえて何の躊躇なく顔面を蹴り上げてくれたものだから、肝が冷えた。
慌てて狂犬を連れ帰ると片目が腫れていた。白目が真っ赤に充血していて、異国色の強い色合いの目と合わさって不気味極まりない顔になっていた。
前髪で隠していたので気が付かなかったが、杉山は自分の落ち度を悔いた。
こんなの、猛獣に変身した狂犬をリードなしで散歩したようなものじゃん!と。
だか、どんな相手でも向かうとこ敵なしの及川がこの有様。一体、何があったのかと問いただしたところで素直に答える訳もなく。
「医者は行ったんだろ?かなり綺麗になってるぜ?」
「もう痛くねぇし」
子供か、お前は。と不貞腐れる及川を笑う。プンプンと怒りの空気を吐き出す及川は、机での上のファイルをトントンと指で叩いていた。
「あれからこないなぁ?」
今、機嫌が悪い原因は寧ろ、こっちの方だろう。
あれ。そうだ、及川のお楽しみ、心の盗撮写真がピタリと止まってしまったのだ。
「バレて、殺されたか?」
「…遺体があがらねぇ」
「そんなもん、あいつらが残すわけないだろ?」
「鬼塚組の本家の近くの空きビルで、発砲事件があったの聞いた?」
「ああ、でも、五課に持ってかれたじゃねぇか」
「まぁね」
杉山は及川の顔を訝しんで見ると、やれやれと肩を落とした。
「あのさ、五課とはモメてもいいけど、力道とはやめとけよ」
「なんで」
「俺も苦手だから」
「はぁ?なにそれ」
胸を張って何を言うかと思えば、苦手だからとは…。及川は呆れた顔をした。