花の嵐

花series second2


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「大変だったねぇ」
佐々木はコーヒーに口をつけると、疲れ切った表情の橘を見た。橘は佐々木の労いの言葉に項垂れるように頭を下げた。
今、佐々木たちが居るのは心の元塒である。仁流会での厳重警戒態勢がようやく解かれ、とは言ってもレベルは1のままで最高警戒レベルの0が解かれただけではあるが、それだけでも少しだけ気持ちにゆとりが出来た。
そしてとりあえず状況に変化はないか報告も兼ねて集まったのだが、そこで彪鷹のハッキングの件を橘に聞いたのだ。
「で、何も出なかったの?」
「出なかったよ。電話番号は仁流会系の組関係者とホステスくらいで何にも疑うような番号はないし、念のために削除された情報も吸い上げたけど何にも…」
「ちょ!?そこまで!?まじ!?やばくね?お前のその能力、やばくね?そんなこと出来ちゃうとか、おまえヤベェよ」
「そっちかよ!」
橘のスキルに相川が興奮気味に言うと、成田がすかさずそれにツッコんだ。そうだね、そこじゃないよねと佐々木は穏やかに笑う。
そしてここに崎山が居たら、ただじゃ済まなかったぞと橘は一人思った。
「いや、やて若頭は彪鷹さんの何を疑ってるんやろうな。彪鷹さんから組長の情報をていうても、そこまでするか?」
成田はソファからゴミ箱に向けて、空になったタブレットの箱を投げた。だが連日連夜続く見回りと緊張のせいか、変に肩に力が入りそれはゴミ箱に嫌われ近くに座る佐々木の足元へ跳ねた。
「うーん、内通者のこと気にしてるんじゃないかなぁ」
「内通者?え?それって彪鷹さんが!?」
そのゴミをゴミ箱へ捨てながら言う佐々木の発言に、部屋に居た全員が周章狼狽した。
まさか彪鷹が?仮にも若頭だ。そして組長である心の養父でもある。その彪鷹が今回の襲撃に絡んでいるなんて、朝日が西から出るようなことがあるわけがない。あるわけがないのに、皆、それを口に出来なかった。
「え、ちょっと、ってことはさぁ?今回、仁流会全体が襲撃されたじゃん?梶原の兄貴も殺られて、親父も一緒に襲撃されたわけじゃん?その情報を漏らしたのも彪鷹さんってこと?襲撃も自作自演?超死にかけだったんだぜ?」
「いや、そこまで言うわけじゃないけどねぇ…。でも仁流会の情報が漏れすぎているのは確かだし、どこかに内通者が居てもおかしくない。風間組の情報を知り得ているのは幹部クラスの人間。そうなってくると候補に彪鷹さんが入ってくるだろ?」
佐々木は考えすぎだとは思うけどねと笑った。成田は佐々木の話を聞きながら、唇を撫でた。
「もし、もし内通者が彪鷹さんやったとしたら、仁流会を潰すつもりちゅうこと?」
「うーん、もしそうだったとしても僕には彪鷹さんの考えまでは分からないからなぁ。例えば来生との因縁が深いって話も、どこまで真実かは分からないだろ?そもそも山瀬さんの時分には彪鷹さんは組の中でも存在がないような人だっただけに、生き証人が居ないんだよねぇ。当時の上層部に居た人間は知ってるかもしれないけど、ほら、うちの古参連中は組長が継いだと同時に自分の組を持ったり、まぁ体良く追い出されただろ?教えてくださいって言って教えてもらえるとは思えないんだよねぇ。だからもし知っている人間が居るとすれば、梶原さんとかだっただろうしね」
「梶原さんなぁ…」
成田は同郷ということで梶原には特別にと言っていいほどに、可愛がってもらった。何よりも人生のどん底に居て、男娼にでもなるかと迷走していた崎山を間一髪のところで拾ってくれたのも梶原だ。
口にしたことはないが、それには心から感謝している。結局、その恩も返せぬままとなってしまった。
「そういえば、死神が消えた時に屋敷には高杉が居たらしいね」
「ああ、おった言うても異変に気ぃ付いた時にはガレージに監禁状態やわ」
「監禁?」
「ああ、そうそう。あのタッチパネルね、外部からの侵入を防ぐために自己防衛システムを強化しててね。ほら、高杉が武器を相当持ち込んでるでしょ。だから外からの攻撃とかは不法侵入者っていう認識をするようになってて、異変が起きたら防衛システムが起動して外のシャッターが一気に降りてドアにもシャッターがね…」
「いや!映画かよ!!」
橘の説明に相川は思わず膝を叩いた。
「だって、高杉の武器もそうだけど、あの車庫の中の車が総額いくらするか知ってる?そりゃ、念には念をってなるじゃない」
橘は当然のような顔をしたが、入ったら最後二度と出れなくなるかもしれないような場所に高杉もよく平気で居れるものだと、さすが変人と相川は一人、頷いた。
「まぁそういうことで、あのガレージの最新システムのタッチパネル破壊して出られへんようにしとってん」
成田の説明に佐々木は椅子に深く腰掛け、納得がいかないような顔を見せた。それに成田たちは顔を見合わせた。
「え?なに?」
「破壊したんだよねぇ?あそこに高杉が居るのは死神でもわかっているだろうから、入ろうとしたわけじゃない。なら、やはり破壊だ。でも、そうすると疑問がひとつ。外部からのアタックで高杉が出れなくなるなんて、死神がそこまで熟知しているとは思えないなぁ」
「ちょ、え?ないないない…いや、だって、ないっしょ。冗談きっちー!いや、だってなぁ!?」
相川は大袈裟に手を振って空を仰いだ。
「それは…屋敷に出入り出来る人間のなかにも、内通者がおるいうんか?」
成田は険しい目つきで佐々木を睨むようにして見た。佐々木はそれに答えずに、だがニッコリと笑顔で返した。
いや、そんな馬鹿なことがあるずがない。成田はそう思い息を飲んだ。だが、ないとは言い切れないし、そうであるはずがないということが過信だということを成田たちは良く知っている。
鬼塚組は先代である鬼塚誠一郎が組を率いているときは、長い間、内紛状態だった。なので同じ会派に居た者に裏切られたことは、それこそ幾度となく経験してきた苦い記憶だ。
その経験から、どれだけ統制が取れているといっても人の裏切りが絶対にないとは言い切れないのだ。
「でもさぁ?雨宮も消えちゃってさぁ、崎山はあいつも疑ってるじゃん?で、彪鷹さんもそうかもでさぁ?で、屋敷に出入り出来る人間にもとかさ。それって何かやってらんねぇじゃん…」
相川はぼそぼそといじけるように言うと、悄然として俯いた。

「じゃあ、俺、仕事行ってくるから。なるべく早く帰るけど、昼飯とか大丈夫?」
千虎は布団で猫のように丸まっている鷹千穗を跨いで、ロフトから顔を出した心に問いかけた。
「お前が大量に作ったカレーがあるやろ」
「そうだね、わかった。じゃあ、行ってきます」
遅刻すると慌ただしく出かけた千虎を見送ると、心はロフトからゆっくりと降りると窓際に近づいた。カーテンを少しずらして外を見ると、千虎が慌てて走っていくのが見えた。
心はそれを確認するとスマホを取り出し、弄り始めた。すると鷹千穗がようやく起き上がり、四つん這いで這うように心に近づくとスウェットの裾をぐいぐい引っ張った。
「炭酸は夜」
ぶっきら棒に言うと、鷹千穗が表情を変えぬまま心を見上げる。だが心は再度、「夜」と言い捨てると鷹千穗を手で追い払うようにして見せた。
さすがに観念した鷹千穗は、のそのそと起き上がると洗面台へ向かっていく。その後ろ姿を見ながら、心はスマホを手の中で弄び始めた。
「鷹千穗、俺、昼飯食ったら出るからな」
言ったところで返事はない。だが鷹千穗は返事こそしないものの、心の言葉の意味を理解しているのは分かっているので返事がないのが返事だと解釈してソファに腰を下ろした。

及川はマンションの部屋のドアを開けた時から違和感を覚えていた。部屋の鍵は施錠されていたし、明かりが付いているわけでもない。たが、どこか何かおかしいのだ。
思いながら及川は部屋に入るとドアを閉めて、靴を脱ぐか迷った。やはりこっちの家も土足にすれば良かったと今更なことを考えながら靴を脱ぎ、ゆっくりと廊下を進んだ。
重厚な絨毯のおかげで足音は飲まれた。だが玄関に設置している人感センサー内蔵のダウンライトで、及川が入ってきたことは分かっているはずだ。
及川はリビングダイニングのドアを開けた。そのまま奥に進むと、部屋の中央にあるソファセットに人影を見つけ目を凝らした。
「マンションのセキュリティを変えるべきか?鍵はロイヤルガーディアンだぞ?」
及川が部屋の壁にあるスイッチを押した。すると大きな窓を覆うカーテンが自動で開き、部屋に明かりを迎え入れた。
その明かりを浴びながら、ソファに座る心は返事の代わりに酒瓶を掲げた。
「夜まで帰って来んかったら、どないしょうか思うたわ」
及川はジャケットを脱いでソファに投げると、あまり飾りっ気のない瓶から一度は視線を外したが、すぐにその瓶に視線を戻して「お前!」と声を上げた。
「ハイランドパーク 40年!!俺もまだ飲んでねぇんだぞ!」
「じゃあ、今飲めば?」
心はCATTELAN ITALIAのテーブルに足を投げ出して笑った。肌けたシャツの隙間から白い包帯が見える。顔色も良いとは言えない。
襲撃されて死にかけたという一報を受けたときは、また何かのフェイクだろうと思っていたが…。
及川は心の元へ行かずにキッチンへ向かうと、冷蔵庫を開けた。
「なんか食ったのか?腹減ったか」
「お前が作る飯なんか食うてみろ。目ぇ覚めたら掘られとるわ」
「でけぇ傷作って死にかけてる奴を犯すほど飢えてねぇよ。どうせなら元気なお前がいいね」
及川は大きな鍋にたっぷりの水を入れて火を点けた。アイランド型オープンキッチンになったそこで、及川は冷蔵庫から取り出したベーコンを切り出した。
「好き嫌いは?」
「知ってるんちゃうん」
「トマトが嫌い」
「引くわ、マジで」
心は小さく笑った。心は酒瓶をテーブルに置くと及川の元へやって来て、近くにあった椅子に腰を下ろした。
「生きてることに驚かへんねんや?それも承知ってことか?」
「警察の情報網舐めんな。さすがにそこまで廃れちゃいねぇよ。お前の生死くらいは把握してるけど、ここに一人で居る意味は分からねぇな。相馬はどうした?」
「俺に、神童の情報くれよ」
及川の質問に答えずに心が言うと、及川は眉を上げた。
「何で俺がお前に?」
「くれたら俺の首をやる」
「何?ワッパかけさせてくれるわけ?」
「やりたきゃ、やらしてやってもええ」
及川はそれに思わず声を出して笑った。
「おいおい、煮詰まってんなぁ?鬼塚組は機能してねぇのか?お前らの情報調査能力は秀でてるだろう?」
「ないの?」
「さっきも言ったろ?元気なお前がいいってな。俺とお前はルパンと銭形みたいなもんだろ?」
「俺は泥棒やあらへん」
「例えだろ。そういうので釣っても面白くねぇってこと。だけどヒントはくれてやろうか。神童の情報が欲しけりゃ、身内に聞きな」
「身内?」
「神童は香港マフィアと繋がってるんだ。俺らの調べではその先で来生とも繋がってる。で、その香港マフィアと最近まで揉めてた奴が居てな」
「……」
皆目見当がつかないという心の顔に及川は呆れた表情を見せた。
「明神組、明神万里だよ。自分の組織の内情くらいは把握しとけよ。仮にも仁流会会長補佐だろうが」
「明神は無理やな」
「なぁ、来生はどうしてお前らを狙ってるのか知ってるか?」
及川は湯だった鍋にパスタを放り込むと、冷蔵庫からほうれん草を取り出して綺麗に洗い始めた。
「料理するんや」
「お前はしそうにねぇな。佐野彪鷹と生きてた時は、どうしてたんだ?」
「彪鷹は料理作るからな、意外と」
「へぇ…。で?どうなんだ?」
「俺に極道の組織の何とかを知れっていうのは、ほぼ不可能やぞ」
まぁ、聞くだけ野暮だったかと及川は肩を竦めた。
「来生はな、佐渡と盃を交わした兄弟分だ」
「佐渡?」
「Oh…Son of the bitch。本当に何も知らねぇ男だな、お前は。平成の極道戦争だ。仁流会会長だった佐渡は風間と鬼塚に殺された」
「殺してへんやろ、ぶち込んだやんけ」
「知ってるんじゃねぇか。まぁ確かに殺してはないがな、それが死んだんだよ、最近。獄中死ってやつ。死ぬなら畳の上っていうけど念願叶ったよな。独房の畳の上で死んだんだぜ。心筋梗塞かなんかでな。今回の仁流会への襲撃は、仇討ちだ」
ザルにパスタをあげて、また鍋に湯を沸かす。心は及川の言葉を聞いて、少し憮然とした顔を見せた。
聞きたいことはそうじゃないというとこか。
「神童は…?」
「神童は不思議な男だ。腕も立たないし見た目も箔が付いてるわけでもない。なのに、極道だ。お前の組にもそういう連中がいるけど、あいつはそういう連中と違って酷薄さが抜きん出てる。お前には分かるんじゃねぇの?」
「あ?」
「お前、知らないわけじゃないだろ?」
「血縁関係のことか?一応、知ってるけどな。やけど、俺と神童はちゃうな…。あいつと逢っても響くもんはあらへん」
心はおもむろに立ち上がった。
「ずっと座ってると、傷が痛い。これのせいで煙草も吸われへん」
「ああ、すっぱり綺麗に切られたんだろ?今度、見せろよ、ベッドの上で」
さっとほうれん草を茹でて、次はフライパンにバターを落とす。バターが溶けたところで切ったベーコンを入れ、頃合いが良くなるまで炒める。
慣れたもんだなと心は思いながら、無駄に広い部屋を見渡した。
「あんた、仕事は?まさか休みかなんか?」
「有休消化だよ、けったくそ悪ぃ。お前らがくそ派手に動いてくれたおかげで、公安が出てきて俺らは捜査権剥奪なんだよ」
「公安?」
「目ぇ付けられてるってわかってたんだろうが」
及川が睨みつけて来たが、そういうのは相馬が全て把握していることなので、やはり心には分からない。
そもそも心からすれば、公安も及川も結局は敵なので分類分けしているわけではないのだ。なので結局、見張っているのは警察か同業者か…。
もし、違いをつけるとすればそれしかない。
「外野のことには興味もあらへんからなぁ…」
「お前らみたいな非人道的外道集団は保護するに値しない。ようは、勝手に殺しあって勝手に死んでくれってことだ」
「公安はThanatosのことも分かってて、それを言うてるんか?」
「あのなぁ…」
及川は大袈裟に息を吐くと、頭を掻いた。
「お前、自分がどれだけの規模に成長してるのか分かってんのか?仁流会では風間が実質トップに君臨してるのかもしれねぇけどな、成人式を終えたようなくそガキが半グレでもなく代紋背負って纏めてる組が鬼塚組だ。しかもだ、フロント企業の一つでもあるイースフロントは海外の企業相手に商売しかけて追を許さん勢いで成長中。だが、組は畳まねぇ。この不気味さ、お前には分からねぇだろうな」
「法外なことは何もしてへん。一応、表立ってはな」
「日本の極道は壊滅的な状況と言っても過言じゃねぇ。組織として纏まりを見せるだけで俺ら組対、もしくは公安が家宅捜索令状掲げて事務所を荒らしに来る。何かあれば暴対法を印籠みたいに掲げて、組は自滅するのが現実だ。ところが、お前ら仁流会は暴対法も何処吹く風。得手勝手に活動してるわけじゃねぇとしても、俺はお前の組に家宅捜索令状の入場券を持参していったことは未だにない。そんな不動の仁流会のトップ2が共倒れしたんだぞ?お上の犬からすれば諸手を挙げて大歓迎で静観するだろうよ」
及川は一気に捲し立てると、皿にパスタを装った。その上から粉チーズと黒胡椒をまぶして、心を手で追い払うようにして見せた。
心は初めに居たソファに座ると、酒瓶に口をつけた。
「水みたいに飲むんじゃねぇ!いくらすると思ってんだ!」
及川が喚きながらパスタを運んでくると、心の前に置いた。
「フロックハート一族のくせに、ケチくさいこと言うなや」
「とりあえず食え。酒の前にその顔色、どうにかしろ」
心はフォークを手にすると、ゆっくりとパスタに口をつけた。そこで及川は心と食事をするのは初めてだなと、今更なことを考えた。
「へぇ、うま…」
「そりゃどうも。で、お前は人の家に不法侵入した本当の目的は?」
「フロックハート一族の力で、香港マフィアも来生も捕まえてくれたら一番、手っ取り早く事が終わるんやけどな」
「ただのホテル王だぞ。そんな闇の世界のことまで把握しちゃいねぇよ」
心は及川のそれに意味ありげに笑ったが、言葉を返すことなくパスタを食べた。
「公安って…お前が公安に入ればよかったやん」
「ばかじゃねぇの?俺みたいな超絶目立つハイスペックな男が、こそこそ動き回れるわけがねぇだろ」
「自意識過剰すぎてビビるわ」
「俺の辞書に謙遜って言葉はねぇよ」
「まぁ、そこは同意出来るかもな」
心が酒瓶に手を伸ばそうとすると、その手を及川が弾いた。
「これ、未開封だったろ!さっきも言ったけどな!俺、飲んでねぇんだよ!」
ああ、本気でダメって言ってたのかと、心はそこで初めて及川が今日一番怒っていることはハイランドパーク 40年を勝手に飲んだことなんだなとようやく分かった。