花の嵐

花series second2


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警視庁組織犯罪対策課。暴力団相手の仕事は、相手から卑下されないためにも見た目に貫禄が出てくる人間も多い。
だがその中でも異色だと揶揄されるのが杉山班で、一際異彩を放っているのが及川である。異国の血が色濃く見える容貌は美しく、家柄のせいか気品さえある。
見るだけであれば目の保養になるとはこの男が良い例だろうが、その見た目を裏切るサディストぶりと横暴さは警視庁内外でも有名で暴力と共に生きている極道連中にまで恐れられているというのが笑い種だ。
「でも、お仲間もビビちゃってたら意味ないよね」
杉山は独り言を言って、缶コーヒーに口をつけた。朝一番、眠たい目を擦りながら課に入ろうとしたら、周りの人間が距離を置いて及川を遠目に見ていた。
隠す気の一切ない機嫌の悪さは、朝からどうしてそうなのかなぁと杉山を呆れさせた。平穏な朝とかないのかね、あの男には。
杉山達が追っている仁流会への襲撃事件。上から待ったが掛かった挙句、公安が割り込んできて身動きが取れなくなった。
そうなったときの及川は、課長の少なくなった髪を毟り取るんじゃないかと思うほど額に青筋を立てて、それを了承したんですか?と静かに言った。
因みに課長の階級は及川と同じである。だが常日頃の悪行…様々な行いのせいで部下の扱いになっているので、課長からすればストレスの要因でもあると思う。
縦社会が強い警察組織は上からの声は絶対である。決して反抗して机を蹴飛ばして、カッコよく事件を解決なんてドラマのような事をしてはいけない。
そんな事をすれば最期、日の目を見る事もなく懲戒解雇か左遷だ。だが自分の処遇を気にするわけもない及川はそれを実行する可能性もあるので、班が一丸となって押さえつけて課長から引っ剥がした。
課長の毛を毟り取るか、足が出るか…手が出るか…。どれをしてもおかしくない顔をしていたからだ。

日本の極道の頂点は仁流会だ。その頂点が襲撃されたことで極道界に激震が走った。更にはマスコミにも情報が漏れ、連日、そのニュースで持ちきりになった。
仁流会の危機は極道の世界の均衡を崩すこととなる。ここで仁流会会長の風間組長が命を落とせば、一気にその座、若しくは仁流会を潰すために極道達が動き出す。
そうならないためにも日頃から仁流会と火花を散らしている組の監視をしなければならないのだが、不気味なほどにその組織が静かだったのだ。
恐らく仁流会の内情を探って、物陰からそのタイミングを狙っているのだろう。だがそれも憶測に過ぎず、公安からのストップもあり及川達も動けずにいた。
そのフラストレーションが溜まりに溜まってきて爆発寸前なのか、及川の機嫌は日に日に悪くなっていった…。
「有給消化で少しはリフレッシュしたと思ったのに…」
どうしてあんな殺気立った顔をしているのかを教えて欲しい…。なまじ顔が良いだけに迫力も満点だ。
とはいえ、頗る苛立ったように見える及川を見るのはいつものことだ。及川が笑顔で機嫌が良いことなんて未だかつてなかった上に、笑顔で居られる方が恐ろしいので機嫌の悪さは通常運転のようなものだ。
だがスマホを何度も見たりしているのを見ると、誰かが関わっている苛立ちかと杉山は再度、缶コーヒーを口にした。
「何かトラブルか?」
言って、隣の席に座ると及川は不思議そうな顔をした。顔は端正すぎるほど造形が美しいよなと思う。目の色なんてまるで外国製の人形だ。
「何が?杉山さん、トラブってんの?」
「え、いや、お前だよ。何かあったのか?」
「いや、俺は…」
口を開いた及川のスマホが振動し、及川が飛びつくようにそれを見た。まぁ、珍しい光景だ。
及川が必死になることと言えば、仁流会絡みか。それも鬼塚心…。でもあれは今は手出しするにも動けないもんなぁと、組織のしがらみを煩わしく感じた。
「行くよ」
「へ?」
及川はそう言うと、椅子に掛けてあったジャケットを取り部屋を出て行った。どこへ?というか、あなたの班の上司は私ですよ?と言うも虚しい。
二人一組が原則とはいうが、相手の意思を尊重することが基本ではないのだろうか。杉山はそう考えたところで今更だなと、ジャケットと飲みかけの缶コーヒーを持って及川の後を追った。

及川のナビ通りに来たのは埠頭だった。そこだけ時代に取り残されたような、いつから置かれているのか分からない不法投棄されたゴミが本来の形を変えてしまっているほどに人が入り込んでいない感じだ。
確か、再開発事業とかで埋め立てられたものの、それが頓挫してしまったところだ。杉山は車を降りて辺りを見渡した。
「何、もしかして仏でもあがってんの?」
聞いた杉山を無視して、及川は奥へと進む。杉山は肩を竦めて及川の後に続いた。
少し奥に入れば一気に視界が開け、海が見える。こういうとこ、田舎に似てるなと目をやってギョッとした。
「え、何あれ…」
その海をバックに置かれた車は、恐らく高級車の最高峰に鎮座するポルシェだ。なぜ恐らくかというと、見るも無残な形だからだ。
「えー」
及川と共にポルシェに近づくが、何がどうなってこうなったのか、蜂の巣だ。まるで戦場に行ってきたかのような奇襲のされ具合。
ボンネットに無数に開く穴を指で触るが、大きさからして…。
「アサルトライフル?」
だが妙な感じだ。襲撃は受けているが、何かを避けるようにして中心部分には弾が入っていない。しかも凹みも見える。それにこの角度は…。
杉山が頭上を見上げると、及川は徐にボンネットに寝転がった。
「ああ!そうだ!ここに誰か寝てたのか!ってことは…襲撃は空????」
益々意味が分からない。どういう状況だ、これ。すると及川は起きがあり、ポケットから何かを取り出した。するとポルシェが高い音を鳴らした。
「は?」
呆気に取られる杉山を他所に、及川はポルシェの運転席のドアを開いて中を確認しだした。
「いや!ちょっと意味わかんないんだけど!これ、お前のなの!?」
ってことは、襲撃されたのは…お前??杉山の混乱を横目に見て、及川はダッシュボードを開けたりエンジンを掛けてナビをいじり出したりした。
「及川!」
「俺の執事の徳川から連絡来て」
「え、っと…ああ、執事」
どこからツッコんでいいんだと思ったが、今はそれどころではないので口を噤んだ。
「盗まれたんだよ、これ。盗まれたってか、無断拝借ってか。で、ようやくGPSの発信掴めたみたいなんだけど、コンピューター壊してやがんな、あの野郎」
「え、ちょっと…」
杉山はその場にしゃがんで頭を抱えた。話が突拍子もない上に、整理がつくような話でもない。
「盗まれたのか?」
「無断拝借かな」
「知ってる奴か?盗難車の申請はしたのか?」
「してねぇよ。知ってる奴だし…。まぁ、すぐに気が付いたけど、泳がせるのにちょうどいいかなって思ったのに、ここまでするか?普通。まだそんなに乗ってねぇのに」
「いや、でもこれは…事件案件だろ。鑑識呼んで、指紋採取して薬莢から前科も割り出ししねぇと」
杉山はそう言うとスマホを取り出したが、及川がその手を掴んだ。
「うちが動くから問題ない」
「は?何言ってんだ。どう考えても事件だろ」
「あー、これを持ち出したのは心だから」
「は?心って、鬼塚?あいつ、そこまで動けるようになってるのか?え?どういうことだ?いや、じゃなくて、うちは動くって」
意味がわからないと車と及川を見てから、とりあえずスマホを仕舞った。
「鑑識を呼んでも指紋は俺と、俺の交友関係くらいしか出ない」
「言い切るのか?それこそ鬼塚の指紋が出れば別件で引っ張れるし、お前からすれば万々歳だろ」
「出ねぇよ」
「なんで」
「杉山さん、聞いたことないの?鬼塚組の連中には指紋はねぇよ。誰一人として」
「は?」
杉山は思わず自分の指を見た。
「手術…か?いや、水酸化ナトリウム?まさかな」
「いや、あるにはあるんだろうけど、警察のデーターベースの指紋と今の幹部連中の指紋が誰一人として合致しない」
「どういう、ことだ」
杉山は一抹の不安を覚えた。だが、それは杞憂に過ぎないと吐き捨てるように笑った。
「何を言ってるのか…。杉山さん、わかってるんだろ?そういうことだよ、内部に入り込んでる奴がいるってこと」
杉山は息を呑んだ。まさかという感じではあるが、ないと断言出来ないのが本音だ。日々、報告され報道される内部汚職。
政治家だってそうだ。国そのものが品行方正とは言い難いのだ。
「だから」
及川の言葉にハッとした。及川はポルシェのボディを指で撫でると、思わず見惚れてしまうような笑みを浮かべ杉山を見た。
「薬莢から何か出れば報告はする。指紋も一応、採取するけど全員の報告はしない」
「どうして?俺のことも信用してないのか?」
「まさか。杉山さんを信用しないわけないよ。そうだな、杉山さんには言っとこうかな」
「え?何を」
「俺、実は寝てる人間が居て」
「え?寝て…。えーっと?」
急に妙なことを言い出したぞと杉山は眉間に指を当てた。奇怪な男ではあるが、今日は一段と読めないし疲れる。
車のことも然り、鑑識を呼ばせないことも然り。若干、頭痛にも似た痛みを感じてきたのは、一気に流れ込んできた情報に思考が、感情が追いついていないからだ。
「寝てるっていうのは…その、付き合ってる人間ということか?」
「え?いや、寝てるだけ」
それは世間ではセフレというやつじゃないのかと杉山は腹の奥底から、色がついているとするならば灰色だろう、そんな息を吐き出した。
「今、その話いる?」
「その人間の指紋出るもん」
「………え?前科者なの?」
目を右に左に動かして、まさかなと思いながらも、いや及川だしなという考えも出てしまい迷いながら聞くと及川は声を出して笑った。
「ははは!そうか、そうなるか。いや、違う。前科者とかじゃないから」
「あ、そうか…。え?ちょっと…」
指紋を取られてデーターベースに問合せされて拙い相手というと、前科者でなければあとは一つしかない。杉山はサーっと血の気が引くのが分かった。
「大丈夫、警視庁の人間じゃないんで」
「そこじゃないわ!!!えー、マジかよ…」
杉山は思わずその場に蹲み込んだ。警視庁のというよりも警察庁始まって以来の問題児であろう及川は、恐らく杉山が定年するまで面倒を見ることになっている。
誰も扱えないという及川とそれなりの関係性を保ちながらここまできたが、まさか身内に手を出しているとは思わなかった。
確かに見目麗しい男ではあるが、内部の人間は見た目とは裏腹の中身を知っているのだ。サディストというのも有名な話…。そして同性愛者というのも有名である。
ということは、相手はもちろん男性であろう…。誰とは死んでも聞きたくはないが。
「まぁ、人それぞれ…楽しみ方もあるだろうから…それは俺の口出すことじゃないからいいよ。うん。人それぞれ…プライベートは自由だ。犯罪を犯さない限りは」
「犯罪犯してムショに入るとかすると思う?ヤクザになるならまだしも、ムショはいらねぇなぁ…。大体、あいつだって…」
「シャラップ!誰とか、どこのとかは聞きたくない!共犯者にするな!俺、嘘つけないんだから!」
「Shut upだよ…。変な発音すんのやめてよ杉山さん。つうか、嘘つけないって刑事の言葉と思えねぇなぁ。まぁ、そういうことだから俺んとこで見るよ。ただね、その相手以外にも言えない人も居るわけ」
「まだ何かあるのか!」
杉山は課長の寂しくなった頭髪を思い出し、思わず頭を両手で抑えた。それに及川は妙な顔を見せたが、杉山はストレスで確実に剥げる!と目を瞑った。
「構えんなよ…。家の方、フロックハート一族の方の繋がりでたまに車に乗せることがあるんだけど、一応それなりに名のある人間が多いからおいそれと言えないわけ。どうしてもっていうなら報告はするけど」
「フロックハート…ああ、そっち…」
杉山は気が抜けたような声を出して、両手を下ろした。
「いやいやいや、そういう漏らせない人間はいい。そうじゃない、その、あー、あれだ。お前のそのセフレっていう奴と、一族関係以外の人間だけは報告してくれ。他はいらない!」
「of course。そこは報告させるよ、もちろん」
及川はニッコリと満足げに笑うと、最後に笑顔のままポルシェのドアを蹴飛ばした。
「うわ!!お前!!」
「くっそ!気に入ってたのに!」
いや、いくらしたと思ってんだじゃないの?と思いながら、自分が身を置く組織の闇の部分を垣間見た気がして杉山は瞠目した。

中国のある一角にあるビル群は来生が懇意にしている龍魏ロォンウェイ社の持ち物だ。とはいえ、年月が経ちすぎているのか建設上の問題なのか、寂れて見える。
埠頭に面しているそこは海風をもろに浴び、そのせいで老朽化が進んでいるというのも否めない。
治安が良いと言える場所に建っていないので、潰れたブロック塀が放置され車がゴミに埋もれていた。
鼻につく匂いと舞う砂埃。環境的に最低と言うに等しいその場所に、何十人もの男等が血走った目をギロギロとさせて落ち着かない様子で犇めきあっていた。
「日本のヤクザにやられただと?」
「老大は何と言ってるんだ?」
「ヤクザを殺して縄張りを奪え。来生は利用価値のある男だ、まだ生かしておかないと」
ボソボソと話す声は荒ッぽく殺気立っている。その男達の前に、長身で顔に刺青を入れた男が現れると辺りは一転して静寂に包まれた。男の名は黄 連杰フゥァン リェンチエ。この界隈に蔓延る男達の元締めである。
「集まったな、同志達よ。我が同胞が日本のヤクザ、仁流会の老大を倒した。まだ病床に伏せているそうだが、No.2である男も倒し、弱体化に成功している。だが、こちらも無傷ではない。数多くの同胞が血を流し、命を落とした」
「復讐だ!!!」
誰でもなく声を上げると、次々と声が上がった。男達の腕には花蛇ホヮーシャアの刺青が入れられ、その手には繍春刀や旋鷹刀などが握られている。
叫ぶ男達を前に手を上げると、その声がすっと止んだ。
「明晩、出航し仁流会に総攻撃をかける。仁流会の上部組織を壊滅させ、弱体化したところで日本に居る同胞が仁流会を制圧する」
黄の言葉で怒号のような叫喚がビルに共鳴した。