花の嵐

花series second2


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部屋の中に来生の怒りが蔓延しているようだった。顔の全面を覆うような包帯の開けられた隙間から見える目は血走っていて、消えぬ憎しみを如実に表していた。
ぐぅぐぅと獣のような唸り声を上げながら梶原を睨みつけ、奥歯をギリギリと鳴していたが、突然、全身の力がまるで風船から空気が抜けるように抜けて項垂れた。
もう何もかもを諦めたかのような、そんな感じだが無理もないだろう。長年、計画し襲撃の機会を虎視眈眈と狙って、その時を待ちわびていたのだ。
焦る気持ちを何とか抑え込み、用心に用心を重ねて仁流会に入り込んで内部から侵食をしていった。
そしてようやく、ようやくここまできたのだ。だが彪鷹と風間の襲撃は失敗した。いや、成功そこしたものの命を取るまでに至らなかった。生命力の強さか死ななかったのだ。
それを聞いた日は眠れずにいたが、梶原を殺したと河嶋から連絡が来た時は歓喜した。だが、それも…ぬか喜びに過ぎなかったということだ。
来生は先ほどとはまるで別人のような澱んだ目で梶原を見ると、口許だけで笑みを作った。
「死ななかったんですね。てっきり河嶋に殺られたと思っていました」
「せやな。残念ながら、魚の餌にはならんかったからここにおるんやろ。お前は俺が死んだことで派手に動き始めた。それがこの結果や」
「あの死体は…河嶋が送ってきた画像は誰だったんですか?」
来生のスマホに送られてきた画像。血に塗れ倒れている梶原と風間だった。あれがあったからこそ、来生は二人への襲撃は成功だと思ったのだ。
「血ぃくらいどないでも用意出来る」
「そうですか、では河嶋の自首はフェイクだったということですか…。ということは風間組長も?」
「親父に喰らわしたんは…ほんまや。やけど、俺の命は_」
梶原は息をついた。あの時、頭に銃口を当てられ余裕の笑みを浮かべた河嶋を見た時、これで終わりだと思った。

この世界に足を踏み入れてからは、いつそういう時がきてもおかしくはないと思っていた。常に死と隣り合わせ。血生臭い世界だ。
それを物語るように刺されたことも斬られたこともある。だが幸いなことにこうして銃口を頭に突きつけられることはなかったのだ。
それは平成の極道戦争と呼ばれた時でさえもだ。だがまさか、風間への襲撃と共に味わうハメになるとは思ってもみなかった。
「死ねぇ!!!」
1秒が10秒に、いや、1分に。それくらいに長く感じた。神経が研ぎ澄まされているのか、唾を撒き散らしながら叫ぶ河嶋の動きがまるでスローモーションのように見えた。
だが一ミリも動けず、腕に抱いた龍一の重みに叫喚した。
引き金にかかった指が動くのが見えたが、その瞬間に河嶋の後ろに人影を見た。河嶋の右頬に嵌った足は河嶋を身体ごと壁へと叩きつけたのだ。 そして河嶋が勢い余って引いた引き金が放った銃弾は、ビルの壁にめり込んだ。
「うわ!うるせぇ!チャカってこんな音すんの?くっそ、耳鳴りがヤベェ」
「な、名取…っ!?」
河嶋を蹴り倒したのは龍一の息子である龍大の恋人、渋澤威乃の幼馴染の名取春一ことハルだった。
「やべぇ。さすがに焦って勢い見誤った、死んだ?」
壁に叩きつけられた河嶋は床に転がり、完全に伸びていた。ハルは河嶋の顔を覗き込みながら転がる銃を梶原の方へ蹴飛ばした。
威乃同様、悪名髙い高校に籍を置き喧嘩に明け暮れていたハルは、梶原から見てもかなり肝の据わった男だ。なのでこの状態で後ろから忍び寄り、相手を蹴り倒す暴挙に出れたのだ。
「なんでここに」
「お車のお届けにあがりましたー」
言うのと同時に駐車場でブレーキ音と衝撃音が聞こえた。息も絶え絶えの龍一に銃を持たせて二人で駐車場に飛び出すと、黒い車がボンネットから煙を上げていた。
そしてハルのバイト先の仲間である三島が、運転席から這い出るように出てきた。
「やばい!ハル!俺、人殺したんちゃうの!?」
車の向こうには白いバンが潰れた状態で壁にめり込んでいて、中には頭から血を流して倒れている男が見えた。
その見覚えのある顔に梶原がボンネットを叩くと、少し動くのが見えた。
「死んでへん…」
「マジ!?チビるわ!もう、ハルはどっか行ってまうし、明らかに組の人やない人たちが逃げようしとったから!」
三島がハルの腕に縋り付いて怖いを連呼していたが、なかなかのスピードで突っ込んでるのが車の状態から分かる。素人の無我夢中というものほど怖いものはない。
「車のお届けって?」
梶原がハルを見ると、ハルはフロント部分が原型が分からないほどに形の変わった車を指差した。
「三ヶ月点検と整備完了…。あー、これさ、修理代とか請求される感じ?」
「……」
梶原は車の男達と河嶋、そして龍一を見て唇を噛んだ。
「修理代は請求せぇへんけど、頼みがある」
「いやいや、無理っしょ。面倒ごとはごめんや」
ハルの言葉を無視して龍一の元へ急ぐと、梶原は自分が死んだことにする提案を龍一にしたのだ。

「河嶋達は場所を移動してから、死ぬか、俺を殺したと自首するかを選択させた」
事の顛末を聞いた来生は乾いた笑いを漏らした。まさか組の者でもない人間が出てくるなんて、予定外だ。
河嶋とて馬鹿ではない。念入りに計画し、組員が手薄になっている時を確実に狙ったはずだ。そこにまさか素人が登場するだなんて夢にも思っていなかっただろう。
梶原がツイているのか、河嶋がツイていないのか…。
「自首だなんて、河嶋がよくそれを飲みましたね」
「河嶋の家族の安全と引き換えや」
梶原がそう言うと、来生はそれを鼻で笑った。
「家族…河嶋の弱さはそこなんですよね。家族なんてもの、すぐに始末すれば良かったものを…」
「お前やて人の子やろ」
「さぁ、どうでしょうね」
ふふっと笑う来生の手を見て、梶原はふっと笑った。
「こんな時でも手袋したまんまやな」
来生もそれに気が付いて手に目を落とす。革の手袋の手を広げて見て、少し掲げてみた。
「だって、汚いじゃないですか。世の中の全部、このベッドもカーテンも銃も服も雑菌の巣窟だ…。触れたところから腐っていくような気がして…。昔はそうでもなかったのに、いつからかダメになりましたね」
「潔癖症もそこまで来たら病気やぞ。お前の場合は菌だけやあらへんよな。お前が雑菌やて判断した相手は問答無用に始末してるやろ。やけどまさか、仁流会を相手にするなんてなぁ」
「佐野彪鷹が、私の全てを奪ったんです」
「はは…。お前みたいな男が、まだ井高のことを考えてたとはな…」
梶原は俄かに信じられないような顔をして蛾眉を顰めた。来生がいつまでも一人の男の死を悔やんで仁流会を恨んでいるだなんて、今こうして本人の口から聞いてもまだ信じられなかった。
来生という男は情に深いとは言い難い男で、誰にも信用されなければ誰も信用しない男だった。
何かに依存するわけでもなく、宿借りのように組を転々としていた。その来生が唯一、粉骨砕身して尽くしたのが井高だ。
「正直、お前が井高にそこまで心酔してるのが不思議でしょうがなかったわ。お前ほどの力量があれば、井高を超えることやて出来たやろう」
「彼を超える?それは私にとって何の意味を得ないことですよ。私はね、彼のためなら佐渡の靴だって舐めましたよ。だけど、佐野彪鷹は…私から彼を奪った。大事なものを奪われたら、壊されたら、報復に行くのが当然でしょう?」
虚な目が梶原を映した。正直、梶原は井高という男をあまり知らないのだが、この男がここまで縋るほどの何かをしたのだろうか。
「それを言うんやったら、先に鬼を起こしたのはお前やろ、来生」
「え…?」
「アレに、目を付けたからや」
梶原が自分の後ろに居る死神に親指を向けて指すと、来生は苦しげに、だが楽しそうに笑った。
「井高が欲しがったんです。その、異質な男を…」
「その時点で、お前も井高も終わっとったんや。残念やな」
梶原はコルト・パイソンを来生に向けた。だが来生は怯えることもなく、ニタリと笑って見せた。
「昔からその銃ですね。トカレフでもなく、足が付く可能性が高いそれを使うのが不思議でした」
「お前の罪は重いぞ、来生。香港マフィアまで巻き込みやがって」
「山瀬が死んで、鬼塚が死んで、だとしても霧は晴れなかったんですよ。いつまでもいつまでも井高の顔だけが、苦痛に歪んだ井高の顔だけが脳にこびり付いて離れなかった…。私が死んでも、私の意思を継ぐものは山ほど居ますよ。この戦争は始まったばかりだ…」
「地獄で井高のツラ、拝んでこいや」
梶原はそう言って、引き金を引いた。

夜の海は不気味だ。黒光りする海面は時折、生き物のような妙な動きを見せ白波を立てる。水を割るように船首が勢いよく進むそれを見ながら、眞澄は缶ビールを口にした。
古く錆びれた船は時折、軋む音を鳴らして眞澄を不安にさせた。襲撃が成功したのに沈没とか笑えない。
「密入国やで。海上警察に捕まったら死刑やろ、俺ら」
船室から出てきた万里が不規則に揺れる船に合わせて身体を揺らす。器用な男だと、眞澄は足下のクーラーボックスからビールを取り出すと投げた。
「見つかった瞬間、海に逃げろ」
「無理やて、俺…」
その時、予想よりも大きな揺れが来て眞澄はたまらず尻餅を付いた。だが万里は捕まる場所を見つけられず、そのまま海の方へと飛ばされるように追いやられた。
落ちる!思った瞬間、長い腕が万里の手を掴み、船へと戻した。
「し、心ー」
半ベソをかきながら心にしがみ付いた万里を引き剥がすと、滑ったクーラーボックスを開けて缶ビールを取り出した。
「ほんまに終わったと思った。俺、泳がれへんから…」
「梶原さんは?」
眞澄が立ち上がり聞けば、心が船室に視線をやった。
「来生て、俺のとーと…会長が長年追い続けとった残党やろ。梶原はんも今回ばっかりはきてんちゃうん」
「賭けに近い襲撃やったからな、自殺行為やろ。密入国とか。そういやぁ、お前、静は」
眞澄が静の名前を出すと、心がギロっと睨んだ。それに目を輝かせたのは万里だ。
「静てどなたはん?俺、初めて聞いたわ。あんた、おなごおったん?え?別嬪?」
心に食いつくようにして聞いたが、答える様子はない。なので眞澄の方を見ると眞澄がニヤリと笑った。
「せやな、別嬪や。気ぃ強いけど」
「ちょい、なんそれ、よぉ聞かせてぇな」
「黙れ、阿呆」
心は一気にビールを飲み干すと、缶を潰して万里に投げた。万里はそれを受け取ると、唇を尖らせて文句を言った。
「俺だけ仲間外れとかなぁ」
「心、もうすぐ着く」
万里が文句を言おうと口を開いたタイミングで、操舵室から龍大が顔を出した。

漁船とは大きさも豪華さも別格のクルーザーに向けライトを当てると、クルーザーが答えるようにライトを点滅させた。
漁船はゆっくりとクルーザーに近づくと、橋のように板をかけた。
「遅いっすよ、マジで…」
板がズレないように固定して、千虎は心達を迎えた。続々と乗り込んでいく心達の最後が雨宮で、漁船の船長に中国語で礼を言って板を外した。
「あ!!目つきの悪いイケメン!」
千虎が雨宮を指差し言うと、その指を反対側に曲げんばかりに掴まれた。
「人様に指を向けるなって教わらなかったのか、てめぇ」
「いたたたた!!折れる!折れたら船の操縦出来ないからね!」
千虎が叫ぶと、雨宮は舌打ちをしてその手を離した。視線を感じて目を向けるとThanatosが雨宮を見ていた。だが雨宮はその視線から逃げるように目を背けた。
まだ戒人である実感がない上に、Thanatosであったことのショックも大きいのだ。
「なぁ、あんた、えーっと殺し屋はん」
万里がThanatosに向かって放った言葉に眞澄は吹き出した。だがThanatosは怒る素振りも見せずに、にっこりと笑って首を横に向けた。
「あんたのそれ、カバースカータトゥーやんな」
顔のタトゥーに目を向けてきたので、Thanatosは眉を上げた。
「そういう名前があるのかは知らない。ただ、ここに傷があるのは確かだな。そういうお前の目は義眼か?」
「そない趣味ん悪いことせんし。自前ん目ぇや」
言った途端、万里は指を差し込んだタクティカルクローナイフをクルっと回してThanatosにアッパーを入れるように下から突き上げた。
だがThanatosもどこからともなくバタフライナイフを出すと、素早く開いて万里のナイフをそれで受けた。
万里はそれを見て口角を上げてThanatosに視線を送った。互いに笑みを浮かべてすぐに万里は上段蹴りを仕掛けたが、それもまたThanatosは腕でカバーした。
そして互いにナイフを当て拳を交えだしたが、その万里の背中を眞澄が蹴飛ばした。
「狭いとこでくだらんことすな!」
「いったー。せっかく、ええとこやったんに。なぁ?」
万里に同意を求められたThanatosは笑うだけで、横をすり抜けていってしまった。それに万里はつまらなさそうに唇を尖らせたが、ソファに座る鷹千穗を見つけると兎のように飛びながら歩き隣にダイブした。
スプリングの良いソファは万里が飛び乗ったことで鷹千穗の身体まで跳ねさせたが、鷹千穗がそれに動じることもましてや万里を見ることもなかった。
だがそんなことで怯むこともへこたれることもない万里は鷹千穗の両頬に手を当てると、無理やり自分の方を向かせた。
「うわ、宝石みたいな目ぇやん。はー、こりゃええわ」
流石に仰け反る鷹千穗を追い込むように迫る万里は、ソファの背凭れに鷹千穗を追い込むと逃げ場を奪うように鷹千穗の上に跨った。
「俺、万里。明神万里な。あんたは死神…えーっと、鷹千穗やろ」
返答に期待はしてなかったが、流石に鬱陶しくなったのだろう頬を押さえる万里の手首を鷹千穗が掴んだ。だが万里も負けまいと力を入れた。
銀の目を持つ男と片目が赤い男が子供のような攻防を繰り広げるのは、見ていて奇妙そのものだ。そもそもあの鷹千穗の上に跨ることが普通の神経とは思えない。
「さすが異端児」
雨宮は小さく呟くと周りを見た。するとそんな二人を放っておいて、心も龍大もソファに腰を下ろしていた。眞澄やThanatosも腰を下ろしていて、立っているのは自分だけかと雨宮も近くのソファに腰を下ろした。
全員が着席したところで梶原が、気怠げに笑って手に持っていたグラスを掲げた。テーブルに適当に並べられたグラスや酒はどれも値の張るものばかりだ。
銘柄に拘りを持たないが旨い酒を好む心は雨宮に目を向けた。それに雨宮が気が付くと、並べられた酒瓶からボトルを一本選んだ。
オールドボトル ブッカーズ ノエ。日本でも人気のジムビーム社のバーボンで、更には希少なオールドボトル。
度数ほどのスパイシーさや刺激は感じさせず、メープルシロップを思わせる濃厚な香り立ちとスパイシーでドライなウッディネスが長い余韻で楽しませてくれる酒だ。
手始めはこれだなと、ロックグラスに注いで心の前に置いた。
「お前も頼んだらええやん。雨宮はバーテンやし」
「そうなんか?ほな、流れはお前に頼むわ」
眞澄に言われ、雨宮は返事の代わりに同じバーボンをグラスに入れ、眞澄の前に置いた。