03. A past story of Miyabi

花series Each opening


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順風満帆だったと思う。
一般家庭よりも裕福で周りよりも少し大きい家があり、厳格な父親と優しく美人と評判の母、そして甘えたで可愛い妹。それに何かあるとすぐに兄に助けを求める、父親と母親の良い所だけを持って生まれた弟。
まさに画に描いた様な理想の家庭というに相応しい、崎山 雅はそんな環境の中で育った。
雅自身、近所でも評判の長男だった。母親似の中性的な顔立ちに加え、いつでも笑顔を絶やさずに挨拶を欠かさない。
立ち振る舞いが上品で、王子様みたいだなんて噂されるほどだった。
父親は厳しかったが、家庭を顧みないようなワーカーホリックではなかった。現に長い連休のときは家族で旅行に出かけ、休みの日には買い物に出かけたりもした。
弟のサッカーの試合には家族全員で応援に駆けつけ、妹のピアノの発表会では雅はビデオを回す役目だった。
そんな誰もが羨む様な幸せな家庭で育った雅は、学校でも教師の信頼も厚くクラスメイトからも頼りにされることが多かった。
成績も優秀で文句の付けどころもなく、さも当然の如く、雅は私学の有名進学校へ進んだ。

クリスマス近い冬だった。
担任の手伝いで予定外の時間の帰宅。
その日は寒波到来で凍えるほど寒く、雅はバスを降りると白い息を吐きながら家路を急いだ。
骨身に染みる寒さに、雅は雪が降ればまた違うのにと思いながらも、ようやく見えた我が家にホッとした。
だが同時に何だか妙な胸騒ぎも覚えた。玄関ポーチの灯りが付いてなかったのだ。
そそっかしい母親が忘れたのか?と思いながら雅は門を開け敷地を歩くと、家の扉を開けた。
「ただいまー」
静まり帰った家。凍える様な寒さの中から室内に入ったというのに、どこか寒気すら覚えた。
言い様のない違和感が雅を襲う。
いつもならリビングから母親が顔を出し、同時に妹が飛び出してくる。そして吹き抜けの二階から弟が顔を出し、勉強を見てくれと言う。
それが何も無い。留守かと思ったが、雅に何も言わずに留守にするだなんて考えられない。
おかしいと思いつつ、リビングのドアを開けるとコの字型のソファに父親が座っていた。
会社の代表である父親が、こんな時間に家に居るなんて珍しいなと思いつつも、雅は鞄を床に置いた。
「父さん…ただいま?母さんは?」
「…部屋だ」
素気無い返事をされ、雅は取り付く島のない父親を他所目に、天井を見上げた。
リビングの上が両親の寝室だが、母はどんなことがあっても寝込んだりしない人だった。
「…父さん、母さん具合悪いの?」
「座れ」
雅に返事もないまま威丈高に言われ、珍しく機嫌が悪いのかと雅はソファに腰を下ろした。
テレビも付けずに食事の用意をする音も無く、静まり返った部屋。沈黙が雅に重くのしかかった。
どこか、何かが変だ。
「あれ、父さん服…」
雅は、父親の着ている服の色合いがおかしい事に気が付いた。黒のセーターは、どこかどす黒かったのだ。
そして履かれたグレーのスラックスは、赤黒い染みがこびりついていた。
雅は鼻をスンと吸った。寒さで麻痺した鼻腔を擽るのは、正しく血の匂い。
「何、が…あった」
声が震えた。二の句が継げなかった。よくよく父親の姿を確認し、逼迫した空気が雅に襲いかかった。
何故、気が付かなかったのか。父親の手は、血で汚れていたのだ。
雅は咄嗟に立ち上がり、リビングを飛び出した。
「そんな、まさか…!!」
心臓が口から飛び出しそうだった。焦眉の急を告げる事態に、思考回路は正常に機能しない。
雅は二階に上がると、両親の寝室を乱暴に開けた。
ただ二階に上がっただけなのに、異様に息が上がり身体中の毛穴から汗が吹き出た。
真っ暗な室内に立ち込める血の匂い。震える手で開けた戸の左側にある灯りのスイッチを探り、パチリとつけた。
明かりの灯る部屋の白い絨毯には赤黒い血が飛び散り、ベッドの上で目を剥いて、首をかっ切られた母親の無惨な姿があった。
いつも微笑みを絶やさなかった母親の顔はどす黒く変色し、表情は苦痛で歪んでいる様に見えた。
そして、白く濁りつつある眼には、何も映されていなかった。
「ま、…真衣…雅人!!!!」
雅は寝室を飛び出すと、細い廊下の奥にある扉を蹴破る如く開けた。
「あ…あ…」
灯りの灯ったままの部屋には、折り重なる様に倒れ、息絶えている妹の真衣と弟の雅人の血塗れの姿があった。
部屋の壁には血飛沫が飛び散り、整頓されていた本棚の本があちこちに飛び散っている。
夢だ、悪夢だ、早く目覚めろ!そう思っても、目の前の惨状は如実に雅の瞳に映し出される。
滴る血と、切り裂かれた肉。雅人の方が傷ついて見えるのは、真衣を守ろうとしたからか。
雅は、込み上げる吐き気に耐えきれず、その場に嘔吐した。
何が、一体、何がどうなっているのか。ふと背後に人の気配を感じ、雅が振り返ると涙を流した父親の姿があった。
「ごめんな、雅。お前も母さん達の所に連れていってやる」
振りかざされた包丁は、雅の手をかっ切った。
熱かった。切られたそこから血が溢れ、雅は恐怖から逃げるが如く父親を撥ね除け部屋を飛び出した。
笑い声がいつでも溢れた家には、雅の逃げる息づかいだけが響いた。
真衣も雅人も逃げ惑ったのか、家のあちこちには血が飛び散っていた。そんな真衣や雅人の受けた恐怖を考えると、涙が溢れてきた。
どうして、こんな事に!
雅は階段の踊り場まで一気に飛び降りた。振り返ると、見た事も無い形相の父親が雅を追って来た。
「どうして!!」
何故殺されなければいけないのか。何故、父親に弟や妹、母は殺されたのか。それが分からないまま、雅は死ぬ訳にいかなかった。
雅は玄関に辿り着くと、靴も履かずに外に飛び出した。
「雅!!!!!」
「やめてくれ!!父さん!どうして!」
どこか逃げないと!誰か!助けて!!
思えば思うほど足下が覚束無くなり、雅は縺れた足に捕われ転んだ。広い敷地、門はとてつもなく遠くに見えた。
切られた手は止めどなく血を流し続ける。
このまま、殺される!!!
雅は実の父親に殺される恐怖に戦慄いた。
「何をしてる!?」
第三者の声に雅が振り返ると、門の向こうに巡回中と思しき警官が自転車に跨がっていた。
「助けて!!!!!」
雅は渾身の力を振り絞り、声をあげた。声は恐怖からか、掠れていた。
雅のただならぬ声に姿、そして包丁を掲げたまま追って来る父親。その異様な光景に警官は自転車を放り出し、門を乗り越えてきた。
「動くな!!武器を捨てなさい!!」
警棒を構えた警官に、父親は微動だにしなかった。警官は雅を抱きかかえると、肩の無線で応援を要請しだした。
次の瞬間、雅と警官が目にしたのは父親が自らの手で、包丁で首をかっ切る光景だった。
「あ!!!」
警官は雅を抱きしめ、その視界を隠した。
だが、抱きしめられた隙間から、血を噴き出しながら崩れ行く父親の姿が見えた。
「うわぁぁぁあああああああああ!!!!!!!!!!!」
冬の空に、雅の悲鳴が響いた。

雅は路地裏に居た。あの悪夢の日から、一年も経っていなかった。
父親の狂気は、連日連夜、新聞やテレビで代々的に報道された。
父親が殺めたのは四人。家族三人に加え、会社の部下を殺していたのだ。
裏帳簿が原因でトラブルに発展したと報道されたが、そんな事はどうでも良かった。
結局、部下を殺し、そのせいで家族を殺し、自らも命を絶つつもりだったのだろうが雅だけが無様に生き残った。
家族だけならまだしも、他人までも殺した父親を持つ雅に手を差し伸べる親戚は居なかった。
両親ともの祖父母は他界していたし、母の兄である叔父は、雅を引き取る気はないとハッキリ言った。
雅に罪はなかったが、妹を殺された叔父は、息子である雅を受け入れることが出来なかったのだ。
雅はそれを酷薄だとは思わなかった。叔父の体面を慮れば、容易く理解出来た。
家にはマスコミが押し掛け、雅の容姿が容姿なだけに悲劇の息子として執拗に取材し続けた。
何処に行っても芸能人の様にマスコミに追い回され、雅にプライバシー等というものはなくなった。
連日連夜、飽きることなく雅も知らない両親の生い立ちから事件が起こる日までの経緯が、テレビや雑誌で事細かに紹介される。
エリートの暴走、惨殺された家族、どれもこれもチープなタイトルがつけられていた。だが、こういうネタも時期を過ぎれば嘘の様に静かになる。
血塗れで化膿して膿みが溢れ出る傷口を抉り出すだけ出して、雅を追い回すマスコミは、ある日突然居なくなった。
ようやく落ち着いた雅は、高校を退学して家を手放した。そして、生活のためにバイトを始めた。
だが、ただでさえ目立つ雅はバイト先でもすぐに有名になり、体裁を考えた店側から辞めてくれと言われる事は珍しくはなかった。
たとえそのまま雇ってもらえたとしても、他の店員からの理不尽な嫌がらせは後を絶たなかった。唾を吐きかけられ、汚水を頭から浴びせられた事もあった。
そんなことが続くと、店の調和が乱れるという理由で雅はシフトを減らされ、辞めざるを得ない状況になるのだ。
だが雅は何も言わなかった。文句ひとつ言わなかったが、そろそろ限界を感じていた。
昨日、またバイトをクビになった。偽名を使って雇われたバイトだったが、運悪く偽名がバレた。
一家惨殺犯の息子だというのを誰かがリークしたらしく、店主は顔を顰めながら申し訳ないと言った。
雅は反対に、偽名を使ったことを詫びた。
つくづく思い知らされる。自分はどこへ行っても一家惨殺犯の息子なのだと。
父親は被疑者死亡のまま送検された。生きていても罪は重かっただろう。
なので、あの時の父の選択は正しかったのだと、雅は思った。
今となっては、母と妹と弟を殺した選択も正しかったと思えた。なぜならば、加害者の身内という足枷はあまりにも重く冷たいからだ。

路地裏から表通りに目をやれば、幸せそうな同年代の若者が歩く姿が見えた。
一体、どこで何が狂ったのだろう?
雅は生気の失われた目で、ただ表通りを眺めた。友達も居ない、親族も知り合いも…家族は一番に失った。
雅はフラフラ立ち上がると、表通りに向かった。そして、人目を憚るように歩き、あてなくさ迷った。
陽は落ちていたが、昼間にジリジリと太陽がアスファルトを焼いたせいか、暑かった。
賑やかな街並みからガラリと雰囲気が変わり、どことなく危険な香りがする界隈に雅は足を踏み入れた。
そして地下道に続く道を見つけ、何となくそこへ降りる。
あてはなかった。あてはなかったが、家に帰りたくなかった。雅が借りた、小さくて古いアパート。
唯一、雅が誰にも邪魔されずに居れる場所ではあった。だが、帰りたくなかった。
思い出すだけで笑ってしまうが、以前、部屋のドアを開けた時に血塗れの家族の幻覚を見て嘔吐したことがある。
それ以来、家が、扉が怖かったのだ。
地下道は薄暗く、カビ臭かった。壁には意味なき無数の落書きがあり、雅と同じようにあてのない様な男が座っていた。
こんな所で何をしているのかと思っていると、雅の後を追う様に男が地下道に入って来た。
そして近くで座り込む男の顔を覗き込み、二言三言、言葉を交わすと二人して出て行った。
ああ、そういう事かと雅は納得して、迷うことなく壁際に腰かけた。
こんな場所、本当にあったのか。ここならば、雅の過去なんて気にする者は居ないだろう。
堕ちるところまで堕ちようか。現実世界に戻っても殺人犯の息子のレッテルは拭いきれず、いつまでも雅に付きまとう。
意味なく殴られるのも飽きたし、唾を吐きかけられるのも飽きた。今更、恋愛して結婚してなどと、馬鹿馬鹿しくて思ったこともない。
一家惨殺の崎山の息子に成り下がってからも、雅の容姿に近づいて来る女は居た。でも、それは雅にとっては同情のそれにしか思えなかった。
もともと、異性に対して同年代の友人よりも興味が薄かった。
恋愛らしい恋愛はしたことがない。恐らく、普通よりはモテる方ではあったが、恋なんてものは縁がなかった。
どこか、人と違うのはもともとか。
「君、いいね」
唐突に、声がかけられた。
自分に掛けられたとは思わず、何も言わずに居ると、しゃがむ雅の目線に合わせるように男は屈んで雅の顔を覗き込んだ。
「ああ、綺麗な顔だ。君、おいで」
男は雅よりも二回りくらい年上に見えた。普通に、どこにでも居そうなサラリーマン。
きっと、家庭があるのだろう。アイロンをしっかりかけられたシャツに、男の趣味とは思えないネクタイ。
こんな男にも生活があるのに、ハッテン場で男を買うのか…。
雅は自嘲気味に笑うと立ち上がり、男の後ろをついて歩いた。
地下道から這い上がると、辺りはすっかり夜の闇だった。ネオンの明かりと夜の喧騒で闇は消えそうだが、月が見えた。
今日、月が見える日に自分は男に身体を売るのかと、雅はせせら笑った。
今更ながら、何のために生まれてきたのか、分からなかった。
「君、かなり若いね、未成年かな」
男は外に出て、あまりに若い雅を見て怯んだように見えた。
男相手でも、売春になったかな?雅は少し考えたが、未成年じゃないよ、ギリギリ。と嘘をついた。
堕ちるところまで堕ちたいと、ただ思った。だが、男同士の性交は尻を使うと聞いたが、あそこでのルールが分からない。どこまでさせるのか、幾らが相場なのか。
この際、初めてだと言おうか。人相も人柄も悪くはなさそうだ。初めてだと知って無茶をしそうな相手には見えないし、自分の身体で稼ぐのならば色々と教えて貰った方がいい。
どちらにせよ、まともな仕事は邪魔が入るんだから、こうした堕ちた仕事が一番ラクで良い。
そして、どうしようもなくなれば、いよいよ捨てればいいのだ。命をー。