03. A past story of Miyabi

花series Each opening


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「見かけねー顔だな」
強い力でいきなり腕を捕まれ、雅は驚いた。もっと驚いたのは前を歩いていた男だ。
知らぬ間に雅がいかにも柄の悪そうな連中に囲まれていたのだから。するとトラブルごめんとばかりに男はその場を逃げるように去った。
おいおい、マジかよ。どんだけツイてないんだ、俺は。雅は腕を掴む男に引き摺られる様に歩かされ、路地裏に連れてこられた。
「てめー、うちの島で誰に許可もらって商売してんだ!ああ!」
男は雅を殴ると罵声を浴びせた。やはり、あの冬の日からツキは戻らないらしい。雅はどうせなら殴り殺せと目を瞑った。
「おーい、何しとんねん」
覚悟した雅に振りかかったのは拳ではなく、声だった。今日はなんだ、次から次とと雅は息を吐いた。
「おいおい、お前らアホちゃうか、何ガキつついとんねん」
「ああ!?なんじゃ!お前!」
「はー、お前なぁ、口の聞き方きぃつけぇ。俺を誰や思うてんねん」
男は名の知れた人間なのか、凄みをかけ言い放つ。男が凄んだそれだけで、雅に絡んできていた連中は怯んだのが空気でわかった。雅はゆっくりと顔を上げると、男を視界に捉えた。
なるほど、普通の男ではないなと思った。柄は悪いが、とても仕立ての良いスーツを身に纏っている。目の前のチンピラ風情とは格が違った。
男は綺麗に髪を撫で上げ、鋭い眼光で雅に因縁をつけてきた男達を睨み付けていた。その凄みのかかった双眸は、長年、裏の世界で生きて来たという事を物語っていた。
「誰じゃ、お前…」
「俺はこっちの人間やないさかい、知らんかいな。でも、仁流会は知ってるやろ」
「じ…仁流会!」
「道に迷ってん、本部どっちかいな」
男は雅を立ち上がらせると、にっこり微笑んだ。それに男達は雅達を丁寧に道案内した。
何だか出鼻を挫かれたが、とりあえず、あそこは危険だというのは学習出来た。客一人取るのも許可がないと取れない場所らしい。
雅は男の大きな手に手を握られながら、そんな事を考えていた。
「関東はややこしいさかい好かん。ちいと足伸ばしたら二丁目に迷い込んだ。まあ、お前拾えたからラッキーか」
「…迷子?」
聞き慣れない関西弁、それに先程も道に迷ったと言っていた。大きな身体で迷子とは、可笑しな男だと雅は思った。
「迷子の迷子の子猫ちゃんやで。会合で来てな。ほんまは一人で出歩いたらあかんねんけど、ちょっと一人で歩きたいって思うて…」
「どこに行きたいの?」
男は雅の手を引いたまま、当てなく歩いている様に思えた。どこへ行きたいのか右も左も分からないくせに、またおかしな所に迷われては迷惑だと雅は男の手を反対に引いた。
「住所が分からん。会合から抜けた罰やな、しくった」
男は雅に手を引っ張られたことでようやく立ち止まり、周りをキョロキョロと見回した。
「さっき本部って」
「知ってるか?鬼塚組」
雅は小さく頷いた。さっきのチンピラより上品かもしれないが、遂に本物の極道か。しかも、あの仁流会鬼塚組ときた。これが凶と出るのか吉と出るのか…。いや、だが極道は面倒だ。
「あの高速の下。一際、デカいビルがあるから、すぐわかるよ」
雅の言葉に、男はえらい歩いたなと独り言を呟いた。相変わらず握られた手。離す気はないらしい。
「お前、名前は?」
「…雅」
フルネームを言って良かった試しがなかったため、雅はあえてフルネームを避けた。
「雅ね。俺は梶原。なぁ、飯どこで食える?関東は何が美味いねん」
「え…」
「何か下町の味がええわ。ここ何日か、やたら贅沢なもんばっか食うて病気なりそうや」
「小料理屋なら知ってる」
雅が言うと、男は雅を連れタクシーを拾った。雅が行き先を告げる。タクシーの運転手は梶原の醸し出す極道の香りに気付きながらも、必死に営業トークをしていた。

小料理屋は雅の住むアパートの近くにあった。日本家屋の建築に、愛染染めの暖簾がかかる。休みだったらどうしようかと思ったが、どうやら営業はしているようだった。
「ここ…」
いつも良い香りをさせていたし、一台しか停められない駐車場には代わる代わる高級車が停められていた。
男のような舌が肥えた人間向きだろうと連れては来たが、どうなんだろう?贅沢なもんばっか食うてと言っていたから、もっと庶民的なものを望むのだろうか。
「また贅沢やな。ま、えっか」
梶原は引き戸を開けると、暖簾を潜った。
カウンターと奥に座敷が見える。目一杯入っても20人くらいだろうか。柔らかな簡易照明が足元を照らし、木の温もりを感じさせようとしている店内のデザインはなかなか良い。
「いらっしゃい」
着物を来た女将らしき女が、梶原達を出迎えた。綺麗な女だった。女は梶原の雰囲気を悟りながらも、顔色一つ変えなかった。
「奥がええな、座敷ええか?」
「はい、どうぞ」
女将は座敷に二人を案内すると、お茶を盆に載せ現れた。そしてそれをテーブルに置くと、頭を下げ下がった。
「何がお薦めかいな〜。天婦羅盛り合わせ…キノコは雅が食えよ。好かんねん。他に茄子のお浸し…雅は?」
「え…」
急に振られて驚く。雅はメニューも見ずに、テーブルの木目を見ていたのだ。梶原はそんな雅を見て、メニューを閉じた。
「適当に出さすか。面倒やわ。すんません」
梶原はそう言うと、女将にお薦め何品かと言いつけた。
「で、ウリも素人の雅は何をしたかってん?」
「え?」
「俺がスーパーヒーローみたいに、あっこに都合良く現れた思うとるん?」
ククッと笑って、梶原は煙草を銜えた。デュポンのライターで火を点け、テーブルに滑らす。雅はそのライターを見ながら、無表情のまま口を開いた。
「…道に迷って」
「それはほんま、道に迷ってどないしょうか思うたら、人生投げた雅に会うた。小綺麗な顔して、街の雰囲気に合うてへんなぁ思うてな。ほな、きったない地下道入るし、どないしょうか思うとったらオッサンに連れられて出てきよる。で、チンピラに絡まれる…何がしたいねんが感想」
そこまで見られていたのか、暇な迷子の極道だと雅は笑った。
「俺の見たとこ、ああいうとこ初めてやろ。ウリも初めてや。ちゃうか?何がしたいねん。好奇心か」
「別に…堕ちたくて。ウリっていうのも有りかなって」
「はあ?」
「堕ちる一方だから、堕ちるとこまで堕ちるかって」
「何や受験に失敗か、振られたか?」
梶原の言葉と同時に料理が運びこまれた。天婦羅は揚げたてで、良い香りが漂った。
「受験に失敗すればまたチャレンジすればいいし、振られたら別に彼女を作れば良い。要因が自分にないから、堕ちるとこまで堕ちるのも良いと思った」
「…地獄やぞ、最後は」
梶原が天婦羅を頬張りながら言ったが、雅は地獄をとうに見た。あれ以上に地獄なんかないだろうと思った。
「で、ケツでも掘られたろって?」
「普通の仕事はなかなか続かなくて。要因が自分にないから、手の打ちようもないし」
「遠回しやなー。何や要因が自分にないて」
「父親が事件起こした」
「事件くらいいくらでも」
「人殺しだよ、俺以外一家全員…あと他人一人。わかるでしょ?堅気って呼ばれる人間のほうが、傲慢で…残酷なんだ」
雅は何もかも投げ出した様に、全てを晒した。極道相手だからか、梶原に何かを隠すのも面倒だと思ったのだ。
「なら組入るか?」
「やだよ、俺には向いてない」
何を言い出すのかと、雅は笑った。
「お前は、ケツ掘らせるほうが向いたあらへん。関西に連れて帰ってもええけど、こっちの鬼塚組ていう組あるからそこに入ればええ」
「ね、何で、父が一家心中を目論んだんだと思う?」
雅は綺麗に揚げられた天ぷら盛り合わせの中から、椎茸を箸でヒョイとつまみダシにつけた。
椎茸が苦手だなんて、子供みたいだなと思った。
「何かあったんやろ。お前は育ちが良さそうやから、借金とかやないな。トラブルか?」
「違うよ、どこか掛け違えたんだろうな。俺から言わせてもらえば粗忽な行いだよ」
「何?お前、頭がええみたいやけど、俺はそういうのんあかん。解る様に言え」
梶原は座敷から顔を出すと、ビールを二つ注文した。
梶原は自分を未成年だと思っていないのか、雅は少し可笑しかった。それとも、極道にお酒と煙草は二十歳からなんて法律は関係ないのか。
「愚か者って意味だよ。父親が会社も経営しててさ、事件のあとは俺しか遺族は残らなかったから、会社の整理も行ったんだよね。会社は勿論倒産していたし、人殺しの社長の築いた会社の後始末なんか、残された社員はする程お人好しじゃなかったんだ。給料こそは払えたけど、書類や何だ片付けは被害者の親族であり、加害者の親族の俺。そこで帳簿とパソコンを見たんだよね。裏帳簿があるのは数字を見れば一目瞭然。ガキの俺でも分かるくらいのそれに、気が付かない父が馬鹿なんだ。でもそれくらいなら、裏帳簿を作った奴を告発するなり解雇するなりすればいい。だけど実際はもっと奥が深かった。あんな一代で築いた会社が、あそこまで大きくなったのが不思議な位だ。株価だよ問題は」
「株も解らんって俺は」
梶原が投げる様に言うと、ちょうど女将が、汗を掻いたビールを持って現れた。コップは梶原と雅の前に置かれた。
瓶ビールの方が味が美味いというのは、本当だろうか?ビールの味も知らない雅は、その水滴で飾られた瓶を眺めた。
「あんた、本当にヤクザ?今のヤクザは経済にも強いんだろ?」
「まぁ、オヤジはその辺はお手のもんだな。俺もお勉強せなあかんねんけどな」
梶原はそんな気は更々ないのだろう、おどけた様に言った。そして指紋一つないコップにビールを注ぐと、雅の前に滑らした。
「まぁいいや。株価操作、知ってる?インサイダーって」
「ああ、知ってる…何となく」
雅は説明をしようかと思いつつも、面倒くさいと思い話を続けた。
「それをしてたんだよね。別にそれは父が関わった訳じゃないし、それもそいつを訴えれば良いんだ。でも、その男は情報を漏洩してたに過ぎない。実際操作してたのは、あんたの同業者さ」
「組関係か」
「まぁ、結局、怒りに任せて男を殺した。父がその男を組に関係ある人間だってどうやって知ったのか知らないけど、報復でも恐れたんじゃない?ヤクザに殺される家族の不憫を考えて、自分の手で殺したんだ。ちょっと先走るところがあるからさ、あの人。とはいっても、俺を殺し損ねたけどね」
雅は他人事の様に笑うと、ビールを啜った。
苦いという印象しかなかった。初めて飲むビールはテレビでよく観た、美味そうに飲む大人の様には飲めなかった。自分には合わないな。雅の率直な感想だった。
「そうか」
梶原は暫くして、短くそう言った。別に、同情してほしいとは思わないし、俺の気持ちが分かるかなんて安っぽいドラマの様な思いも抱かない。
これは現実であって、雅の人生の一部分だ。あの時に逃げずに父親に殺されていれば終わっていた、雅の人生。
ただ、理由も分からぬまま殺されるのは嫌だったのだ。だから追う父親から逃げた。その結果、雅の人生はどん底になったが、結局は雅の選択だったのだ。
「ね、前科ある?」
「ああ?あるで、一応な。こんな商売しとるから」
雅の不躾な質問にも、梶原は嫌な顔一つせずに天気を告げる様に軽く言う。極道は前科の数で肩書きが変わると聞いたが、あれは本当なのだろうか。
「何の?薬物取締法違反とか?もしかして殺人?」
「阿呆、俺は一応、幹部やからな。人殺してたら色んな罪状つけられて、まだ塀の中や」
「へー、そうなんだ。ね、俺もね、前科っての?あるんだよ。でも、あれは起訴されてないから中には入ってないけど、警察のデーターベースには俺の記録あるだろうな」
雅はクスクス笑った。
簡単なものだった。いつもの様に浴びせられた暴言と暴行。相手は人殺しの父親を持つんだから、お前も人くらい簡単に殺しそうだと笑ったのだ。
なら、殺してやろう。そう思った。人間の急所は心得ていた。実際、品行方正で過ごしてはきたが、格闘技経験が皆無というわけではなかったのだ。
その心得で喉を殴ってやれば息が出来なくなって、苦しみ悶えながら地面を転げ回った。あまりにうるさいので、利き腕を肩から外してやった。気持ちの良い音がした。
もともと、冷酷なところがあったのかもしれないなと思った。他の従業員が止めに入らなければ、本当に殺していたのかもしれない。
「相手がさ、俺を訴えなかったんだ。自分にも非があると反省したのか知らないけど。でも、父は取り調べは受けなくて良かったなって思ったよ」
「は?何でや。何事も経験やぞ」
「あんたも受けた事あるでしょ?あんたらは捜四だよね。マル暴。俺は少年課だから、全然生温いけど。でもさ、そこの刑事、俺の名前見て言ったんだ。”一家惨殺犯の崎山か”ってね。笑いそうだった。俺の罪でもないのに、まるで俺がしたみたいにさ。俺は男が望むから肩を外してやっただけだ。それをさ、まるで可哀想な子って目で見るあいつ等が許せなかった。少年課の刑事しか知らなけど、警官ってさ、凄い烏滸(おこ)がましい職業だと思わない?人間が人間を罪に託つけて捕まえるために銀の輪っか手に嵌めるなんて、自己満足の変態人種集団じゃない。それなのにあの世界は学歴社会。烏滸がましい集まりの中に、更に烏滸がましい人間が居る。現場に出た事もない人間が学歴だけで現場で走り回る人間をこき使う。それを妬んでる刑事も居るだろ?父をそんな中に入れてみろ、今まで人生成功しかしてこなかったんだぜ。こつかれ、嫌味を言われ、屈辱的な暴行も受けるかもしれない。耐えれないさ、あの男には」
雅はフッと笑い、目の前の揚げ出し豆腐をつまんだ。
口に含めば程よい生姜の味が広がり、久々の家庭的な味に雅は舌鼓を打った。
「お前、歪んどるな。もっと出来のいいぼっちゃんか思うたわ、それで男に掘らせるってなぁ。極道を恨めへんかったんか?その情報漏洩した奴は結局、極道の駒やったんやろ?」
「馬鹿なのは利用されたそいつ。愚かなのは気がつかなかった父。それだけ。それに、歪んでるのは元々。ただ要領が良い歪みだよ。優等生を望まれるなら優等生になるし…でも、本性はこっちかな。多分、俺、根性が歪んでるんだよね。どちらかって言うと、計算高いし。男とやるのも何処まで堕ちれるかって思ったの。それに何処へ行っても、一家惨殺の崎山がついて回るんだ。なら、そんなのも関係ない場所って探すじゃない?俺も、疲れたって思う事あるんだよ」
「一家惨殺ねぇ…ほな、極道でええやないか。お前は頭もええし、鍛えれば強なれそうや。極道はな、過去なんか関係あらへん。俺が言うんも何やけど、皆、胸張って言える様な過去持ってる奴はおらん。だから極道に…堕ちた。堕ちるんやったら男にケツ掘られんでも、極道に堕ちて、ええ女抱いたらええやんけ。お前みたいな顔ならヤりたい放題やで」
梶原はコップに入ったビールを一気に飲むと、日本酒なんか持ってきてと座敷から顔を出し言った。
どうも、かなりの酒豪なのだろう。飲み方がそう物語っていた。
「俺さ、女にはあんまり興味ないんだよね。何か、あのヒステリックなとこが苦手。女心は秋の空なんて誰が言ったんだろうね。そんなのに振り回される男はやっぱり馬鹿だよね。結局、男って一生女には頭あがらないんだ。男は種を植え付けるしか能がないけど、女は十月十日人間を腹に溜め込んで産むんだぜ?正気の沙汰とは思えないね」
「お前、ほんまに歪んでんなぁ。女好かんのか?顔ええのに」
「ホモじゃないよ、多分。ヤル前にあんたに捕まったから、自分の身体がどう反応するか分からないし。でも、女とも経験はあるけど、やっぱりあれ好きじゃない。女の上で腰振るの何か滑稽」
「男の上で腰振る方が滑稽やろ」
梶原は煙草を銜え、せせら笑った。確かに男の上で腰を振る男だなんて、滑稽だ。そういう気がない男から言わせれば、冗談じゃないと思うだろう。
「でも、あんたらって女を売りもんにしてるじゃん?俺には出来ない」
「女嫌いなんやろ?矛盾しとるな」
「嫌いだけど、俺ってマザコンでシスコンだったんだと思う」
「お前の話難しいわ」
「日本酒、熱燗じゃなくてよろしかったかしら?」
女将が綺麗な切子のグラスを持って、顔を出した。見た目は水なのに、ビールの何倍ものアルコールがあるのが不思議だ。
「男はマザコンやんな。女将」
梶原がそれを受け取りながら言うと、女将は穏やかに笑った。
「そうですね、産まれた時に誰よりも愛情を注いでくれるのが母親だから、男はみんなマザコンだと聞きますね」
女将はそう言って、座敷を出るとカウンターに戻った。
当たり障りの無い言い分だと雅は思った。腹に十月十日も溜め込んで産み落として、更に長い年月をかけて育て上げるだなんて愛情がなければ出来ないだろう。
雅が熱を出した時は寝ずに看病してくれた母親は、雅の将来に何か期待をしていたのだろうか?
それとも、何の見返りも考えず、ただ愛情だけの感覚で雅に誠心誠意尽くしてくれたのだろうか?
それを聞こうにも、母親はこの世にはもう居ない。どうしようもないなと雅は思った。
「さて、マザコンでシスコンやから極道は嫌っていうんは何や?…お、これ美味い」
梶原は煙草を灰皿に押しつぶすと、目の前の牛肉の大和煮を満足そうに頬張る。関西人は味には五月蝿いと聞いたが、梶原の肥えた舌でもここの店は満足出来るものらしい。
「あんたらが生業にする、女売ったり、転がしたりっていうのは抵抗があるって事だよ」
「うちは女もクスリもやりません」
「あんた、どうしても俺を極道にしたいんだ?」
雅は半ば飽きれた様に吐き捨てた。極道っていうのはこういう勧誘をするのかと思ったくらい、梶原は強引だった。
「お前には今の世界よりも住み心地ええ思うで。仲間も出来るやろし。今はおらんやろ?」
「極力関わらない様にしてた。好奇な目で見られるのは好きじゃないんだ。俺がした犯罪ならいいけど、俺は何もしてないからね」
「仲間欲しい思わんか、連れとか」
梶原の口から仲間や連れだとかいう言葉を聞くのは、どこか可笑しくて雅は笑った。
「あまり興味ないなぁ。人ってさ、地球上で一番不要な生き物だから」
「は?」
「自分の欲望や傲慢さとか、独りよがりの考えで人は人を殺す。人だけだろ?そんな事するのは。ライオンは生きるためにトムソンガゼルの喉笛を噛み切るけど、父は自分の浅慮から家族を殺した。それに人間は己のコントロール出来ない欲情や劣情で、女をレイプする。己の国の保守の為に爆弾を打ち込み、戦争を起こす。木を切り、山を切り開き、不要な高速を造り、海を汚す。どう?人間は必要?」
「お前、哲学者になったら?」
梶原はとうとう頭を抱えてしまった。
「話が飛躍しすぎ?でも、本当の事だろ?」
「なら、バイトでええやんけ。組には話つけたる。あかん合わん思ったら辞めればええ」
梶原はそれでも尚、雅を諦める事が出来ないのか、そう言った。
ヤクザのバイトって何だと喉元まで出かかった言葉を呑み込み、雅は頭を振った。
「何それ、どうせ辞めるってなったら指切れとか言うんでしょ?」
「言わんわ。言うたやろ?俺は幹部やって。関西に来れば俺の下で働けるけど?」
「やだよ、関西に行ったら終わりじゃんか。そのまま何とか組の構成員とかになりそうだもん」
「堕ちたい言うわりに保守的やな」
「やだもん、鉄砲玉とかさ。ああいうの…」
言葉を濁す雅に、梶原は口の端をあげた。雅の言わんとする事が分かったのだろう。
「マヌケか…」
「俺から言わせればね。どこどこの組の上の人間を殺せれば幹部?そのために懲役くらうなんて馬鹿げてる」
「まぁな。そういうのは俺も好かんな」
へへっと梶原は笑うと、冷酒をクッと飲み干した。
美味そうだと思ったが、ビールもまともに飲めないのにそれに手を出す気にはなれなかった。
「金もそんなにねぇだろ?お前はケツで儲けるには顔が綺麗すぎるからな。まぁ、それでもええなら紹介したるで」
「気が反れっちゃった。あんたが邪魔したから」
「ほなええやん。決まり」
梶原は残り少ない冷酒の入ったグラスを、雅の飲みかけのビールの入ったコップに軽く当てた。
二つはぶつかると、高い音色を響かした。
「あんた…強引。結局、何が何でも俺をヤクザにする気じゃんか」
「気に入ってん…。ちょっと哲学的なところは、かなんけどな」
「シケた組ならヤダ」
「阿呆、そんなんやない。仁流会鬼塚組やぞ。俺は仁流会風間組やけどな。知ってる言うたやんけ」
「内情まで知らないよ。ただ名前はよく聞くからさ」
「ええで、極道は。雅みたいな歪みきった人間は結構上にいける」
「もういいや、何でも」
梶原は歯牙にもかけない雅に、ニヤリと笑ってみせた。そして雅は半ば強引な梶原に、諦めた様に溜め息をついた。

どうせ、未来(さき)に何か望みのある人生でもないし、人生の流れに逆らって生きる程、人生に執着も無い。
あの冬の日に死んでいたはずの命なんだから、極道になって殺されたりしてもそれもそれかと、雅は温くなったビールをグッと飲み干した。