04. A past story of Hisashi

花series Each opening


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雅が帰る支度を始めたのを見計らい、久志は一緒に帰ると告げた。雅は急にそんな事を言う久志に”珍しい”と言うだけで、それを断る事をしなかった。
事務所を出て、二人して並んで歩く。久志の他愛ない話やくだらない冗談に、雅は愛想笑いをする。すれ違う男も女も、雅の醸し出す独特の闇を孕んだ色気に絆され、見とれていた。
だが誰もが皆、知るはずも無いだろう。二人が互いに人に言えない過去があるだなんて。表舞台から遠ざかり、闇の世界に足を踏み入れようとしているだなんて。
でも、今なら自分だけで済む。自分はこちら側の人間だ。だが雅は違う。雅はこっちに居てはいけない。久志は雅と他愛ない会話を楽しみながら、そう強く思った。

マンションの近くの弁当屋で弁当を買い、コンビニでパンやラーメンを買う。食べ過ぎと呆れる雅に久志は笑った。
マンションに着きエレベーターを降りると、久志が先に歩いた。雅は何も言わずに着いてくる。久志は黙って部屋の鍵を開けドアを開けた。
誰も居ないはずの部屋はあちこち電気がつけられ、テレビの音も聞こえた。これが雅の日常。雅はばつが悪そうに顔を伏せた。
「あー!腹減った!」
そんな雅を見て久志が大声を張り上げ、雅の身体はビクリと震えた。
「な、なに?びっくりするだろ!」
「腹減ったんやもん。飯食おうや」
久志はどかどかと部屋に入り、雅と久志のプライベートルームの電気を消した。何も言わない何も感じさせない久志に、雅はどこか安心して笑った。
そして、いつものように雅は風呂の用意を始め、久志は食事の用意を始めた。一緒に帰ることは滅多にないので、どこか新鮮ではあった。

「今日、山瀬さんと何話してたの?」
帰り道に買って来た弁当を食べていると、雅が急に言ってきて久志は驚いた。
今まで事務所に居る時間の久志の行動を雅が聞いてくる事はなかった。まさか何か聞かれていたかと疑心すら抱いた。
別に何か悪い事をしていた訳でもないのに、どこか後ろめたいのは何故だ。久志はゴクリと米を丸呑みした。
「山瀬さんが奥に行って、なかなか帰ってこないからさ」
「ああ…対したことやない」
それでかとホッとした様な顔をした久志を雅が睨みつけた。
「…本当に、お前って嘘下手だよね」
雅は少し不貞腐れ気味に言った。そんなに分かり易いんだろうか?自分では一生懸命に平静を装っているつもりでも、でかでかと顔にでも書いているのだろうか?
「あ〜、お前はどないするんかなぁって」
久志は、何か書かれているはずも無い顔を擦りながら言った。
「何が?」
「期限間近やんか」
「ああ、それね」
「組に残らんで欲しいて思うて」
「なに?」
雅の顔色がスッと変わった。やはり雅は期限が来ても、組を抜ける気等なかったのだと久志は思った。
「オマエはヤクザとか合うてへん」
「ね、何が言いたいの?どうした?」
「だから、普通に」
「ね、普通って何?今までみたいにさ、一家惨殺の崎山の息子って全然知らない奴に唾吐かれて罵られろって?」
「そんなんちゃうやん!」
「そうじゃねぇか!」
段々と荒くなる口調と重くなる空気。久志は大きく深呼吸をして、自分を落ち着かせた。そして持っていた箸を置いて、雅と向き合う。
「俺はオマエがヤクザになるんが嫌で」
「は?何言ってんの、オマエ」
「俺は根っからの悪やし、親もヤクザやからなんか当たり前って感じやけど、オマエはこっちおるん何か合うてへん」
きっと雅はヤクザになっても良い働きをするだろう。それこそ、若いながらにも幹部にまで一気に駆け上がるかもしれない。
でも似合わないのだ。派手なスーツ、粗野な物言い、脅し、暴力、入れ墨…。何に置いても、雅はどれも似合わない。
「馬鹿じゃねーの。一回ヤッたくらいで、俺に指図するなよ」
雅は食事を止めてテーブルから少し離れた。口調も荒く、苛立った感じが伝わる。
「ちゃうやん。一回ヤッたとか、そんな言い方すんなや」
久志もどこか苛立った様に言った。
どうして、そんなにも自分を卑下するのか。
どうして、何もかも投げやるのか。
どうして、人生を投げやるのか。
どうして、誰も、受け入れようとしないのか。
せめて自分にだけはありのままを見せて欲しいのに、雅は久志にさえも壁を作る。こちら側に来て汚れて欲しくないと言う久志を、雅は全身で拒絶しているようだった。
久志はただ純粋に、雅に汚れてほしくないと思っているだけなのに…。
「オマエ、ヤッて後悔したんだろ?俺は女じゃない。一回ヤッたくらいで、オマエにどうこうして欲しいなんて1ミリも望んでなんかいない。お互いさ、溜まってたもん出せて良かったじゃねーか」
「ちゃうやん!俺はオマエがヤクザんなったら…」
「黙れ!!!」
雅がテーブルの上のコップを、久志目掛けて投げつけた。だが、それは久志に当たる事無く、壁に当たり粉々に砕け散った。
「オマエに何が分かるんだよ!!!人殺しの親を持った俺の気持ちが、オマエに分かんのか!!!血塗れの親と兄弟見た時の、俺の絶望感が分かんのか!目の前で首かっ切た父を見た時の、俺の気持ちが分かるのかよ!!!あんなの、俺が殺したも同然じゃないか!俺が逃げたから…俺がお巡りに助けなんか求めたから…!!だから父さんは死ぬしかなかったんだよ!!先に、死んで俺を殺してくれなかった!!!俺だけ置いていった!!!!結局、残ったのは一家惨殺の崎山の息子の称号だけだ!!俺がヤッた訳でもないのに、何で俺が知らない奴に罵倒されて唾吐きかけられなきゃならないんだ!?俺の普通はこれだ!!お前は俺にあの、地獄みたいな日々に戻れって言うのかよ!!!」
「雅…」
久志は手を伸ばし叫ぶ雅の腕を取ろうとした。雅の誰も知らない、雅自身も蓋をしていたであろう自分の叫び。久志はただ、もっと吐き出せと強く思った。
「触んな!!」
雅が久志の手を払い除るが、久志はテーブルを乱暴に避けると逃げようとする雅を背中から抱きしめた。
暴れる雅の足がテーブルに当たり、その上のコップや荷物がバラバラと落ちる。そんな事も気にもせず、久志は雅の砕け散りそうな身体をグッと抱きしめた。
「どこも行く所なんかない!!!誰も居ない!!!ドア開けて見えんのは幻覚ばっかだ!!トイレのドア開けんのも躊躇う俺に、どうやって普通に生きろって言うんだよ!!ヤクザだろうが何だろうが、俺に何も言わない奴等なんだよ!そんな場所をオマエは俺から奪うのか!!似合わないってそんな理由で!!!離せ!!!離せ!!!離せよ!!!」
「雅ッ…」
久志の腕の中から逃れようとして、雅は力一杯暴れた。その手が久志の顔に当たり、腕を引っ掻いても久志は雅を離そうとはしなかった。
「オマエに何が分かるんだ!!!死に損ないの、俺の気持ちの何が分かるんだよ!!」
「雅!!」
「もうヤダ!!!離せ!!!」
腕の中でもがく雅は今にも崩れ落ちそうだった。
「オマエに…ッ!…何が分かるんだよ…!」
段々と雅の抵抗する力が弱まり、久志は反対に雅を抱きしめる力を込めた。久志の腕に、ポタリ、滴が落ちた。それは、雅が流したくても流せなかった涙だった。
「雅の本心、ちゃんと聞けた気したわ」
常に虚勢を張る雅。父を殺したと嘘をつき身体を売ったと嘘をつき、時には完膚なきまでに人を叩きのめし、必死に自分を奮い立たせていた。そうしなければ、足下から崩れそうだったのだろう。
人殺しの子と唾を吐きかけられ、殴られ、罵られ、それを平気だと澄まさなければいけない現実。生きるからには前を向いてと、自分に言い聞かせる様に久志に言った言葉。
狂った雅の人生。そんな、雅の本心。それを聞いて、久志の中で何かしっくりいった様な気がした。
どうして雅を極道にしたくなかったのか。抱いた事への戸惑いが何なのか。何もかも吐き出して、聞かせて欲しいと思ったのは何なのか。聞いてみて、身体の奥から染み出る様な熱の熱さは何なのか。
「ごめんな、俺、無神経やから。でも、分かったから。死に損ないなんか言うな。オマエを欲しい思うとる人間は此処におる。…雅、ヤクザになるなら一緒になろう。一緒に…地獄に堕ちよう」
不器用な自分を、同性に拘った自分を罵っても何しても良い。ただ、これからずっと一緒に居て欲しい。
「……」
「雅が嫌って言うても、寄生虫みたいに雅に食らいついたる」
「最低…」
すっかり無気力になった雅が、悪態付きながら息を吐いた。
「関西人ってなぁ、あんまりそういうのん真剣に言わんから…。俺は特に誰にも言うたことないからな…」
「…言え」
何が?と聞かないあたりは、さすが察しの良い雅だと久志は感心した。
「いや、小っ恥ずかしい」
「言えよ」
「変やん」
「言わないと一緒に居ない」
きっぱり言われて、久志は唸った。だが、意を決した様に雅の白い首筋に顔を埋めた。
「好き…や」
消え入りそうな声。今時の高校生の方が、気の利いた言葉を言えるなと我ながら飽きれた。
「似あわねぇよ」
「うわ!ひど!!!!」
一世一代の告白を、何て酷い言葉で一蹴するのか。本気で涙が出そうだなんて思いつつも、見下ろす雅の耳の赤さに顔が綻んだ。
雅は久志の胸に後頭部を擦り付け、久志を見上げ見た。久志は誘われるままに、雅の艶っぽい唇に吸い付いた。
甘いと感じるのは気のせいか、緩く開けられた隙間から舌を捩じ込み、甘い様な錯覚を覚える咥内を堪能する。
雅が息がし難いのか久志の服を掴むが、久志は離す事無く、反対に雅の服の隙間から手を差し込んだ。
「…ちょ!オマエ!!」
雅が焦った様に唇を離すと、久志に抗議の目を向けた。
「…雅の部屋行く?」
「そういう意味じゃ…」
「俺はその気満々」
「オマエ…最低」
雅の抗議に耳も貸さず、久志は雅を抱きかかえると雅の部屋に向かう。
「こら!!!ちょっと!!」
「んー?」
久志は雅が頭を打たない様に気をつけながら、そのまま片付けられている布団を器用に敷くと、その上に雅を転がした。
「オマエには余韻とかないのか!」
「よいん?国語の勉強は後でええや」
久志は自分の上の服を脱ぎ捨てると雅の服を剥ぎ取って行く。白い肌だなと思いながらも、細い腰を掴みあげた。
「やっぱり細いよなぁ」
「何!?」
苛立った様に言う雅に、ムードの欠片もないなぁと思いながら久志は笑った。これで暴走族の頭とかいうのを完膚なきまでに殴ったりするのだから、油断はならない。
「昨日の今日って辛いかな」
言いながらも止める気はない。雅の身体を知っている自分を止めれる程、久志は我慢が効く様な出来た人間ではない。
抵抗する雅を無視して一糸纏わぬ姿にすると、オマエも脱げ!と雅に蹴飛ばされた。とは言っても、久志は作業繋ぎを身に纏っていて簡単に脱ぎさってしまえる。
久志はさっさと服を脱ぎ捨てると、不服そうな顔で全裸で転がる雅に微笑みかけた。
「ほら、おいでぇな」
雅の腕を掴んで起こすと、久志は胡座をかいた上に向かい合う様に雅を座らせた。
さっき抱きかかえた時もそうだったが、雅の身体は驚く程に軽い。フワフワと羽の様で密着する肌は滑らかで気持ちがいい。
リビングの明かりが部屋に差し込み、雅の顔を仄かに照らす。久志はその雅の頬を撫で満面の笑みを浮かべた。
「俺、自分がこないに面食いやて思わんかったわ」
「はぁ?」
「ごっつ、べっぴんな嫁さん貰うた感じ」
「オマエ!!さっきから何なんだ!」
怒った様に真っ赤になる雅の首筋にチュッと唇を当てて、その肌理を味わう。背中に回した指で雅の背中の骨をゆっくり撫でる様にしていけば、雅の息が軽くあがるのが分かった。
たがが外れた。関西人は調子乗りで、おしゃべりやからな。俺が舞い上がってるんも分かって」
「な、に」
「雅のためやったら何でもしたるで」
「あ!!」
尻たぶを揉みしだく様にしてやれば雅の背が反り返った。赤く色づく乳首が目に入り、猫がミルクを舐める様に舐め上げると雅の身体がビクッと震えた。
「どないしょ、俺、雅を壊してまうかもしらん」
骨が軋むくらい抱きしめながら仰け反る首筋に歯を立てた。
「や!!イタ!」
乱暴にされながらも久志の腹筋で擦られる雅のペニスは勃ちあがり、先走りが溢れ出している。
あまり使われていないのだろう、赤い爛れても熟んでもいないそれを掴み、先走りを自分の手に塗り込む。
掴まれる訳でも扱かれる訳でもない、ただ塗りたくられている様なじれったい感覚に雅が久志を見た。
「エロイ顔」
「うる…さい」
久志は散々、雅の先走りを塗りたくった自分の手を、雅の窄まりに滑り込ました。
それで何もかも察知したのか、雅が驚いた様に久志の身体の上から逃げようとしたが、久志はそれを許さないとばかりに細い腰を掴み、窄まりに雅の先走りを塗りたくると、そのまま長い指をゆっくり埋めていった。
「は…ぁ…ああ、ん」
「そう…ええ子、力抜きや」
何度か中を探る様に動かせば、段々と入り口が緩むのが分かった。久志はそのままもう一本、指を埋め込み、またゆっくり動かす。
それに加えて雅の乳首に吸い付けば、久志の肩を掴む雅の指に力が籠った。
昨日は何も思いやってやる暇も余裕もなく、ただ自分だけ吐精したという感じだ。なので今日は散々、啼かしてやりたい気分だった。
きっと何をしても雅には敵わないし、こうして主導権を握れる今だけ。だからしっかりと雅を堪能したかった。
グチュグチュと卑猥な音と雅の喘ぎ声が部屋に響く。それに混じってリビングの消し忘れたテレビから、馬鹿みたいに場違いな笑い声や音楽が聞こえたが、消しに行く様な余裕はなかった。
「ひぁ…!!!!」
途端、雅が久志の上で飛び跳ねた。痛かった?と聞こうと雅の顔を見て、それが痛みではないと分かり、久志は雅の身体をより密着させた。
「今、めっちゃ良かった?」
どこに当たったのだろう?恍惚とした表情の雅の顔を覗き込みながら囁く様に聞けば、涙をいっぱいに溜めた瞳で睨まれる。
「死ね」
「もう、あかんて、ムードあらへん」
「あ!!!やっ!!!」
久志の指がギリギリ届くあたり、小さなシコりを押し潰す様にすると、雅の身体が飛び跳ねる。
ここがポイントらしい。久志はそこを覚えるための様に、しつこいくらいに擦り上げる。
「あ、ダメ、ダメ!い、あああ!!!…も、や!!…や!!」
雅が久志の肩に顔を埋めて懇願する。久志もとうに限界だった。久志はそのまま指を引き抜くと、息つく暇もない雅の中に熱い杭を一気に打ち込んだ。
「あ、あああッ!!!!!」
「は…、何、これ。めっちゃ…堪らん」
昨日とは比べ物にならないほど、雅の中は久志に絡み付き蠢く。このまま、すぐにでも吐き出したいのを歯を食いしばって耐えると、雅の腰を掴み上下に揺すった。
「ああぁ…ん……!!やっ……!や…だ!!…はぁぁぁ…っ!!!ひ…さ……久…志っ…!やぁ……あ!、やああ!!」
涎を垂らしながら身悶える雅の官能的な姿は、久志のペニスを更に成長させた。雅のペニスは二人の間で濃い先走りを垂らしながら、震えている。
「あ〜、あんま声、出さんで…イキそ」
下から突き上げ、雅の身体を好き勝手に揺らす。いつもの強気の雅の欠片なんて、どこにもない。快感の虜になったように恥じらい無く喘ぐそれは情婦の様で、久志は唾を飲んだ。
「無理や…ッ!」
久志はそのまま雅の身体を倒すと、雅のペニスを扱きながら我武者らに腰を動かし雅の奥を突いた。それに雅が声にならない叫びをあげながら、ペニスから熱を吐き出した。
「あ……っ、ああっ…!!!ひぃ…っ!、ひさ、俺…、イッ…た…ぁ…っ!イッた…っから…!!」
身体を激しく震わせながら吐精する雅の中は、感じた事がない様な締め付けと蠢きを起こした。
それでも吐き出さずに中を行き来させる久志のペニスは、雅にしてみれば凶器にしかならない。初めて味わう上も下も分からない様な快感に、雅は暴れた。
「雅っ!」
久志は最奥を突き上げると、そのまま中に熱を吐き出した。何度となく身体を揺すり全て吐き出すと、雅の身体の上に落ちる様に身体をつけた。
「…やば…めっちゃええ」
「…オマエ…最悪…」
雅はもう、指一本動かすのも鬱陶しいようだ。はぁはぁと荒い息づかい、達した後の雅の赤みがかった顔。ああ、綺麗だなぁと久志は思った。
「まだしたいって言うたら?」
「いいよ、その代わり、オマエの腕を折り曲げてやる」
「そらあかん。雅のこと抱かれへん」
久志は笑いながら、雅に口付けた。
「…久志、ありがと」
雅は久志の首に腕を巻き付け、呟いた。そのありがとうに、どれだけの重みがあるのか。それに応えるように、久志は雅を強く抱きしめた。
ようやく、自分の居場所を見つけれた。少しでも雅がそう思ってくれる様、久志はただずっと雅を抱きしめた。

「後悔、せんな?まだオマエはお試し期間中やぞ」
鬼塚組の事務所の応接室で、久志は山瀬に念を押される様に言われた。
久志は山瀬の姿を見つけると大事な話があると言い、山瀬とともに応接室に籠っていた。そして、久志は正式に組に入りたいと山瀬に言った。
「後悔しません」
一切迷いの無い声だった。久志は真っ直ぐに山瀬を見つめた。
「ほなお試し期間は終わりで、このままうちの人間だ。うちの人間ってことは好き勝手してもろうたら困るからな。で、初めに言ってた学校も行かせたる」
「ああ、学校。俺、自分で金、なんとかしますけど?」
「ダメだ、ダメだ、綾子に俺が殺される。オマエのことはちゃんとするって約束したんだからな」
山瀬はソファに深く腰掛け、大きく溜め息をついた。どうも、あの綾子には山瀬は頭が上がらないようだ。
二人は結婚もしてなければ男女の関係ではないとは聞いたが、きっと心は通じ合っているのだろう。以前なら理解出来なかったそれだが、今ではとても分かる気がした。
「そう言うてくれるんなら…」
「オマエ、案外激しいな」
山瀬がニヤついた顔で久志を見た。久志は何ことだか分からずに山瀬を見返した。
「さっき、雅が正式にうちに入るって言いに来たぜ。ここに面白いもんこさえてな」
山瀬が首筋を指でさし、久志はハッとした。朝もそれで雅に散々、怒鳴り散らされた。
雅の白い首には久志がつけたキスマークだけではなく、噛み痕までくっきり残っていて、スカトロ好きの変態と罵られたのだ。スカトロが何だか分からない久志は、それを雅に聞いて更に激怒された。
「雅、怒ってました?」
「ん?でっけぇ口の女だなって笑ったら、何も言わずにニッコリ笑いやがった。アイツの何が恐いって、あの笑顔だよなぁ。でっかい絆創膏渡したら貼ってたけどな」
余計な事を…。雅の怒りが手に取る様に分かり、久志は溜め息をついた。
「雅も組に残るし、オマエも組に残るし、忙しくなるな俺も」
そう言いながら、山瀬は笑った。
「山瀬さん、ほんまおおき…」
言わばどこの馬の骨かも分からない久志を拾い、こうして組に正式に迎え入れてくれた。
もし、あの日あの場所で山瀬と逢っていなければ雅にも逢っていなかったし、鬼塚組という大きな組織に入る事も出来なかっただろう。下手をすればチンケな組に入って、その一生を終えていたのかもしれない。
「外道は外道なりの生き方がある。救い方を間違ってるかもしれねぇが、雅もオマエも表では生き難いんだ。生き易いとこを求めても、誰も咎めたりしねぇよ。…久志、オマエも知ってるように、親父には跡取りが去ねぇ。親父にもしものことがあれば、俺か氷室が跡目争いでモメるだろう。氷室は親父の考え方とはまるっぽ違うし、金のためなら親も殺しかねねぇ。武闘派の俺と違って、アイツは頭で考えて何かやるのが得意だ。そのためにもうちには雅は欠かせねぇ。氷室が雅の存在に気が付いて、何をしてくるのか分からねぇ。オマエがしっかり守れ」
山瀬の言葉に久志は力強く頷いた。
「こんな世界にお前等を入れていいのか、俺も本当は迷ってるんだけどな。お前等が逃げたい時は俺は止めやしねぇよ。親父だってそうだ。極道なんてな、ならないで済むならならないほうがいいんだぜ」
そう言う山瀬は、どこか寂しげに見えた。

「本当に組に入っちゃったのね」
綾子は、久志に鯖の煮付けを出しながら言った。山瀬と初めて逢った日に連れて来られた、綾子の店。あれから度々ここを訪れているが、一度たりとて久志が金を払ったことはなかった。
そんな物はいらないから、雅に持って行けと反対に何かを持たされたりする始末。綾子にとっては久志も雅も我が子同然だった。
「俺、雅を守りたいから」
がつがつと次々おかずを平らげる久志を、子供を見る様な優しげな眼差しで綾子は見ていた。久志は組員になることだけではなく、雅との関係も躊躇う事なく綾子に言った。
綾子がそれを聞いても態度を変えたりする様な人間ではないことを、久志は分かっていたからだ。
実際、綾子は驚かなかった。それどころか、雅も息子だから泣かせたりしないでと釘を刺されたくらいだ。
「まだ山瀬さんの下だから良いけど、鬼塚組も安泰じゃないのよ」
「うん、知ってる。色々と内紛あるんやろ。でもヤクザなんか何処行ってもせやし。破落戸の集まりやもん」
「破落戸ってねぇ。ねぇ、組に入るって学校は?行かしてもらえるんでしょうね?」
母親の様な厳しい眼差しを向けられ、久志は思わず豆腐のみそ汁をゴクンと呑み込んだ。
「山瀬さんに学校の資料集めて来い言われてん、それで好きなとこ行かしたるって」
「あら!それならあたしが探してあげる!!」
「え?」
「うんと良いとこにしないと!資格もちゃんと取れるとこじゃないとね。もう何個か資料は集めてるのよ。今度説明会に行って来るから!」
意気揚々と言う綾子に、久志は苦笑いをした。帰ったら雅に綾子の母親ぶりを話そう。その前に首の事でまた怒られるかもしれないが、それもまた楽しみだ。
そんな事を考えながら、久志はみそ汁のおかわりを綾子に差し出した。

切り拓いた道、そこに居た雅。環境はどうあれ、今までの何も無い人生が嘘の様な、そんな暖かい日々だと久志は思った。