23. stalking

花series Extra Shot


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イースフロントのオフィスで、着信を知らせるスマホに目をやり雅は首を傾げた。
雅はPCのディスプレイに映し出されたメールに目を通しながら電話に出ると、珍しいなと声を掛けた。
「どうかした?」
少し柔らかいトーンの声で語りかけると、思わぬ言葉が返って来て雅は蛾眉を顰めた。
「ん?何かあったの?」
マウスから手を離し、椅子の背凭れに凭れ掛かりブルーライトをカットして目を保護してくれるというPC眼鏡を外してデスクに置いた。
腕時計の時間は19時を回る頃。今日はもう帰ろうかなと考えながら電話口の向こうの言葉を聞いていたが、その放たれた言葉に雅は立ち上がった。
「ストーカー!?」
雅の言葉に部屋に居た社員が一斉に注目したが、出来た部下達は直様、何事もなかったかのように自分の業務に戻る。
ここ、秘書課は雅が選び抜いた、容姿、教養、常識、思考、全てにおいて完璧なる人材の宝庫だ。
なので雅の言動や行動に口を挟む者も言及してくる者も、もちろん探りを入れてくる者も居ない。言わば、精鋭揃い。
「あー、とりあえず、明日逢うか」
雅は言いながら自分の一番近くの席に居る女性に目をやると、彼女は直様、16時から30分と端的に書かれたメモを掲げた。雅はそれを電話口の向こうに告げると、電話を切ってスマホをテーブルに転がした。
「17時から会議がございますので、よろしくお願いします」
言われ、雅は頷いた。
彼女、緒川七羽(なのは)は秘書課の課長であり雅の右腕である。イースフロントには年功序列という概念も男尊女卑という古臭い習わしもない。
成績を上げれば入社1年にして役職が就く者も居るし、ボーナスも破格の値段になる者も居る。もちろん、成績だけでは上がれない。上司の評価、部下や同僚からの評価、全てを備えてから初めてそれは遂行される。
緒川は雅が直接面接した、数少ない社員の一人だ。元々、大手企業の秘書として勤務していたが、セクハラや男女差別に業を煮やし上司に意見したところ解雇された。所謂、不当解雇だった。
何社も面接を受けたものの、会社を解雇されたという過去の汚点に難色を示され、なかなか雇用先が決まらぬなか、イースフロントという大企業に半ば投げやり感いっぱいで面接に来たのだ。
長い黒髪を綺麗に結い上げ、派手な顔立ちだがそれを目立たさない清潔感のあるメイクは好感が持てた。
タイトなスーツを纏う身体のスタイルは抜群で、モデルのようにも見えた。それは多分、姿勢のせいだと思った。ピンッと伸びた背筋と形の良いカモシカのような足は、長年やってきたバレエで培われたもので、面接に来た女性の中で一番目立った。
雅は履歴書にサッと目を通すと、一言二言を口を利いただけで彼女に決めたのだ。
「ね、緒川さん、どっかいいカフェある?ケーキとコーヒーの美味いとこ」
「それでしたら、坂口が詳しいので明日までに用意しておきます」
緒川のそれに頷いて、雅はうーんと伸びをした。

「うん、美味しい」
雅の目の前でクリームとフルーツで埋もれたパンケーキを頬張る涼子は、艶艶の桃色の頬を更に染めて笑った。
「崎山さんが連れて来てくれるカフェって、本当に何でも美味しい!」
「そう?まぁ、会社の人間に聞いてるから。女の子はスイーツ巡り、好きだよね」
「そうよ。女の子はダイエットと言いながらケーキを食べるのが趣味なのよ」
涼子はフフッと笑って、紅茶に口をつけた。今日はアフタヌーンティー。そこにミルクをたっぷり落として、甘い香りを楽しみながら嗜む。ブラックコーヒー派の雅には、香りだけでいっぱいになる。
「で、昨日のあれ、本当なのか?」
雅は昨日の電話の事、それを口にした。
昨日の電話の主は涼子だったのだ。普段、涼子から電話を掛けてくる事は滅多にない。基本的に、涼子と逢う連絡は雅からで、それもメールが主だ。
そのメールも涼子の都合を聞き、時間と場所を連絡するくらいで余計なことは書かないし、涼子もそれに合わせている。涼子はきちんと雅との距離を理解し行動する、賢い女子高生だ。思えば、自分の周りの女の子はみんな賢い。
緒川もそうだが秘書課に居る女性は皆、雅に色目を使う事も他の課の、それこそ男女問わず憧れる営業1課の男性陣に色目を使う事もないし社員同士のトラブルもない。
たまに菓子を持ち込んで、ちょっとしたお茶会をしているのを見掛ける事はある。その時はやはり女の子だなという感じで、今の涼子と同じように幸せそうに菓子やお茶を楽しんでいる。
とりあえず、そんな時間は雅は秘書課に戻らず相馬の部屋で時間を潰す事が多いのだが…。
「そういうの、女子校でもあるんだな」
ストーカーかもしれないと涼子に言われたのが昨日。その時は学校でか!?とか色々と考えたが、冷静になってみると涼子は女子校だ。なら、教職員かとも思ったのだが…。
「学校じゃなくて、相手は大学生」
「大学生?」
思いもよらぬ人物の登場に、雅は形の良い眉を顰めた。
「オープンキャンパスで声を掛けられて。その時は学校から行ったから、他の子達とも一緒で、みんなに構内を案内してくれたんだけど」
オープンキャンパス。もうそんな時期かと思いながら、そのオープンキャンパスに来た女子高生にストーカーする大学生とか胸くそ悪いと雅はムッとした表情を見せた。
確かに涼子の容姿は目を惹く。それを鼻に掛けずに凛としたところがまた涼子の美しさに磨きをかけている。その涼子を前にして衝動を抑えきれなくなったということか。
「それ、静さんには言ったのか?」
「ダメ!ダメよ、お兄ちゃんは!」
珍しく声を荒らげるので、雅はぎょっとしたが、涼子もハッとして、ごめんなさいと頭を下げた。
「お兄ちゃん、前科があって」
「は?前科?何、ストーカーって初めてじゃないの?」
「うん。中学の時に、知らない高校生の人に。ちょっとしつこい人で、強引なところもあったしストーカーっていうか…」
「言いよられてた?」
口籠る涼子に言うと、涼子は小さく頷いた。それに雅はなるほどなと思った。
雅は涼子の進学には疑問を持っていた。なぜ涼子ほどの成績を持ちながら、あの女子高なのかと。言うほど偏差値が低いわけではないが、涼子であればもっと高いレベルの学校に、それこそ奨学金や推薦で入れただろうし公立でも上はいくらでも行けただろう。
だが今それがスッキリした。原因はこれだ。本人に自覚があるのかは分からないが、男性恐怖症。兄貴が居るとは言っても、静じゃあそれは克服出来ないだろうしなと人の事を言えない雅は一人思った。
「まぁ、そんな感じで。で、お兄ちゃんに相談したら…」
「ん?」
「話し合うっていうの、多分、苦手なんだと思う。お兄ちゃん」
「妹のことになると、冷静になれないんだよ」
多分、性格の問題だとも思うけど。
「そうなのかなー。結局、相手の人と大喧嘩になっちゃって。お兄ちゃん見た目がちょっと華奢に見えるから、馬鹿にされたのもあって。それで…」
「大喧嘩…」
「すぐに足が出るから…お兄ちゃん。それで街中だったから警察に連れて行かれて、本当に大変だったの」
涼子は当時のことを思い出したのか、大きく嘆息した。
あー、まぁ、気性荒いよね、君のお兄ちゃん。足も本当にすぐ出るしとは言わず、まぁ、俺に言って正解だったよと内心思う。
「で、名前とか分かる?」
「えっと、宇川庄一郎さん。ここの大学の2年生」
涼子はオープンキャンパスで貰って来たであろう大学のパンフレットをテーブルに置いた。
それはそこそこ偏差値の高い私立大学だった。確か中高一貫の姉妹校があって、大学も内部入学生が多いところだ。所謂、エリート校。
学部も豊富で優秀な学生が多く、教授も名のある人物が在籍している。イーフロントにもこの大学出身者は多い。
「ね、ここに通いたいの?」
「ううん。そこは友達がオープンキャンパスに行くっていうから、大学ってどういう感じかなと思って、一緒について行ったの」
「なるほどね。とりあえず、どんなことされてる?」
「気のせいかなって思ってたんだけど…」
涼子は少し躊躇うように、紅茶に口をつけた。
「いいよ、気のせいでも」
「最初は、気のせいだって思ったの。例えば、学校の下校途中で逢ったり、図書館に寄ったら居たり…」
「あとは?」
「家の近所の公園で逢った」
確定だなと雅は思った。涼子が住む新藤家は所謂、住宅街だ。学校もコンビニも、ファストフード店もない。
近所に男の友人が住んでいたとしても、それはもう出来過ぎの話になる。
「で、静さんには言ってない。じゃあ、新藤夫妻は?」
「心配するから知らせてない。もし知らせたら卒倒しちゃう。伯父さんなんて、お兄ちゃん以上に心配性だし伯母さんはそれを上回る心配性だもの」
「心配してくれる人が居るのは良い事だよ。でも心配掛けるのは君も嫌だよね。でもね、偶然は必然なんだよ」
「え?」
「全ての行いは起こるべくして起こっている。自ずとそうでない行動をしていると思っていても、それはそうなるように行動している」
「それ、哲学よね?えっと、何事に置いても偶然というのはない。そう思い続けているからこそ起こりえる事で、それは結果、必然であるっていうやつでしょ?」
「賢いね、さすがだ。でも、俺はそれ、あんまり好きじゃないけどね」
「そうね、あたしも好きじゃないわ。何だか…」
「夢がない」
「そうそれ」
涼子は艶のある唇で弧を描き、笑った。
そうあるべき事だと思いたくない過去がお互いにあるからこそ、そう共感出来るのかもしれないなと思いながら、さて、どうしてくれようかと大学のパンフレットを横目に見た。
「とりあえず、今日から1週間は寄り道せずに真っすぐ帰りなさい。来週にまた連絡するから。次、何食べたいか考えとけよ」
雅がそう言うと涼子は迷わず、美味しいケーキと言って微笑んだ。

雅は宇川が通う大学の前にある公園のベンチに座り、大学から出てくる生徒を観察していた。真面目な世間知らずの御坊ちゃまって感じだなと、偏見に満ちた事を思いながら足を組む。
黒のスタジャンにTシャツ。腰にネルシャツを巻いてジーンズにスニーカー。知る人が見れば、誰だお前と言われそうな格好は、どこからどう見ても今時の大学生のそれだ。
オフの日はラフな格好をすることが多いが、こういうスタイルを知っているのは久志だけなので、他の人間が見れば声の掛け方は分からないだろうなと思う。
オンオフはしっかり付けたい方だが、自分が思うよりも年相応に見えないようで、成長がないなぁと感じる。こう、貫禄とか…。
だがこういう仕事はやりやすい。その世界の人間だとは分かり難いし、正体もバレ難い。例え知り合いとすれ違ったとしても、雅だと気が付く者は居ないだろう。
とりあえず、もしものことがあってはいけないので髪もセットしてみたが、何をどうしても幼くなっていく。おかしいなぁとは思ったが、特段、気にもせずに念には念をということで眼鏡を掛けてみた。
横長でシャープなウエリントン眼鏡だ。最近、PCばかり触っているせいか、視力が一気に低下した。まだ差し障りが来るような視力低下ではないが、これは時間の問題だろうなと思う。
何と無くで作った眼鏡がこんなところで役に立った。
「あー、きたきた」
雅はターゲット発見と呟くと、ベンチからスッと立ち上がった。
ジーンズに黒のジャケット。見た感じ、上等な物を着ている。ショルダーバッグを引っ掛けて、スマホを弄りながら歩くそれは健全な今時の学生そのもの。
まさか女子高生にストーカーしているなんてどこからどう見ても見えないが、まぁ見えるわけないかと眉を上げた。ストーカーですと看板を背負ってる訳でもなし。
雅は公園を出ると道路を挟んで宇川に付いて歩き、何気に観察をする。大学前の道路は交通量も少なく、宇川を観察するには丁度良かった。
好青年と呼ぶには、横顔に厭らしさが垣間見えてマイナス1点。そして少し曲がった背中がマイナス1点。
それに、歩行しているくせに一切スマホから目を離さず歩く姿がマイナス5点。なのに女子高生とすれ違うと顔を上げ、舐めるように見る視線がマイナス100点。
「クソだね」
雅は観察終了だなと、丁度現れた横断歩道で立ち止まり宇川の方へ行こうとした。だが丁度、宇川も信号待ちをしてこちらに来るところだった。
雅の居る方向には駅がある。電車に乗るのかと、雅は横断歩道を渡るのを止めて立ち止まった。
青になった信号に合わせて宇川が歩き出す。雅はそれをジッと視線を逸らさずに見ていた。さすがに無遠慮な視線に気が付いた宇川が顔を上げ、雅を見た。
視線が絡んだ瞬間、雅は妖艶に微笑み宇川へと歩み寄った。
「宇川庄一郎くん?」
「え?」
面識のない人間からフルネームを呼ばれると、さすがに誰でも驚く。宇川も瞳を揺らして困惑していた。
「えーっと、そこのカフェ、入ろう」
雅は目についたカフェを指差した。見知らぬ人間に名前を呼ばれ、カフェに誘われれば誰でも疑念を抱くものだが、宇川は雅に何も問わぬまま頷いた。
身に覚えありってことかと、雅は宇川を侮蔑の眼差しで見据えた。