23. stalking

花series Extra Shot


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駅前ということもあり、広い店内はなかなか賑わっていた。涼子の話をするには持ってこいだなと、雅は少し外れた席を希望した。
「俺はコーヒー、君は?」
「あ、同じのを…」
宇川は少し怯えたように店員に言うと、膝に付いた手に視線を落とした。
「悪いね。自己紹介がまだだったね…」
「き、吉良、静さん…じゃないですか?」
「…は?」
思いがけない名前に、雅は目を丸くした。何を言ってるんだ、コイツ。そもそも…。
「なんで…」
「涼子ちゃんの、お兄さん…じゃないんですか?」
宇川はようやく顔をあげて、雅を見た。
「何で、知ってる」
雅の怒気を孕んだ声に、宇川は顔を青くし、運ばれて来たコーヒーをジッと見た。そんな宇川を見ながら、雅はざわざわと胸騒ぎにも似た感覚に襲われていた。
何故、宇川は涼子の兄の事を知っているのか。
恐らく”吉良静”に逢うのは初めてだ。雅を吉良静と呼んだ時点で、それは証明された。ならどうして新藤涼子と吉良静が兄弟だと知っているのか。
涼子と静は意志の強そうな目元は似ているが、やはり男と女の兄弟なのでそっくりそのままという訳ではない。涼子は新藤の姓を名乗って生活をしてから、兄が居るということは公言していなかったようだ。
それは一緒に生活をしていなことや複雑な家庭環境のせいもあってのことなのだろう。なのでたかがたオープンキャンパスで出逢った宇川が知り得ない情報なのだ。
雅はコーヒーに口をつけて、宇川を一瞥した。知り得ない情報を知っている、いや、知った…。
「まさか、お前」
「ヤクザと揉めてるって聞いたから、涼子ちゃんも危ないんじゃないのかと思って。初めは、涼子ちゃんの誕生日とかが知りたくて」
調べたのかと雅は舌を鳴らした。だが、すぐに疑問が沸いて出た。
「ね、そんなの簡単に分かる事じゃないよね?誕生日はともかく、兄である俺の存在とかさ」
「あ、はい…あの」
宇川は黒目を泳がせて緊張から唇が乾くのか、それを舐めたり手の甲で拭ったり落ち着きがなかった。
ふと、カフェの窓際の席に目をやると、サラリーマン風の男が雑誌を手に持って立ち上がるところだった。その雑誌を見て雅はハッとした。
「宇川…、宇川…って、お前…」
「あの、えっと、その…すいません!俺、宝永社の会長、宇川平蔵の孫です」
雅の中で、ストンと何かが堕ちた。
宝永社。数多くの雑誌や週刊誌を発行し、マスメディアでは最強と言われる情報網を持つ大手出版社だ。主にタブロイドニュースを得意とし、センセーショナルな文字で電車の中吊りを飾る事も多くある。
その宝永社をそこまで大きくしたのが、宇川平蔵。今でもその権力は衰える事なく、宝永社の取締役は息子が継ぎ、役員にもその一族が名を連ねる。
加害者よりも被害者に寄り添うというコンセプトを売りにしているが、寄り添うどころか連日連夜、過剰とも言える取材を強行にしてくる記者が多い事で有名だ。
「宝永社…」
雅はぐっと奥歯を噛んだ。
「調べたのか、誰かを使って」
「いえ、使ったというか、少しコネクションを利用して…。でも!涼子ちゃんのあの影を含んだような美しさには、絶対に何かあると思ったんです!まさか、あんな過去があるなんて。それにお兄さんは大多喜組とモメてたでしょう。それが急に大多喜組が襲撃されて解散して。それと同じ時期にお兄さんの情報が出なくなっているのも分かって、何かあったのかと。それで、もしかして涼子ちゃんが何かに巻き込まれるんじゃないか、なら僕が守ってあげないと!そう思ったんです!」
興奮したように息巻く宇川に雅は蛾眉を顰め、ガンッとテーブルを蹴りあげた。一瞬、騒がしかった店内が静まり返った。だが、すぐに喧噪さを取り戻した。
しかし、雅の目の前に座る宇川はガタガタと全身を震わせていた。雅の殺意の籠った目は、その鋭い視線だけで宇川を殺せそうなほどに強いものだった。
「ふっ」
突然に雅は笑い、立ち上がった。そして宇川の肩に手を置くと、またねと告げて店を出た。

後日、どこかメルヘンチックと呼べそうな店内で、雅は珍しく居心地が悪そうだった。その前に座る涼子は、それを可笑しそうに見て笑った。
「こんなメルヘンはお店だとは思わなかったの?」
「今回は失敗だね」
むず痒いと、やはり乙女チックなカップに入れられたコーヒーに口をつける。
涼子はパンケーキの上にプリンやら生クリームやらマカロンやら、雅に言わせれば大変な事になっているそれを、幸せそうに食べていた。
「そうだ、宇川さん、捕まったんだって」
「宇川?誰だっけ」
雅は惚けた顔をして、涼子のパンケーキの皿からイチゴを取ると、口に入れた。甘酸っぱさが口に広がり、思わず唇を尖らせた。
「もー、イチゴ残してるのにー」
涼子が頬を膨らませた。
「宇川さん、誰とか言っちゃうの?そうゆう惚け方は崎山さんには似合わないなぁ」
「そう?でも、君も俺を利用したろ?」
「利用だなんて失礼ね。協力してもらったのよ」
「へぇ、そうなの?」
雅が笑うと涼子はフォークを置いて、学生鞄から封筒を1枚取り出し雅に差し出した。雅はそれを手にすると中身を見て、すぐにテーブルに置いた。
「友達?」
「去年、宇川に言いよられてたの。でも彼女、結構はっきりと物を言う人で、あまりにしつこい宇川に怒って街中で叱りつけたの。いい加減にしてくださいって。それが大学の同級生に見られてたみたいで、凄く馬鹿にされたって後日言って来て。でも彼女は正論を言っただけだから、何も悪くないって跳ね返したわ」
「で、これか」
「一種の報復よね」
涼子が差し出したのは涼子と同じ制服を着た女子高生が、あられもない姿で映っている写真だった。スカートをたくし上げ、陰部を曝し玩具を押し当てている。
だが、その姿の割には顔は清潔感溢れる笑顔なのがアンバランスだ。
「合成写真か」
「パパに高価なオモチャを買ってもらって、何の糧にもならない物を作り上げて世の中に散蒔いたのよ」
いつもの涼子からは想像出来ないほど怒りに満ちあふれた顔だった。それは雅が見てきた中で、一番、兄にそっくりな涼子の顔だった。
「ネットか…」
「そんな写真と卑猥な言葉を添えて電話番号なんて付けたら、どうなるか分かる?」
「彼女は?」
「学校にもあらぬ噂が流れちゃって違う学校に編入したわ。でも今も彼女の写真はネットに溢れてるし、これからも消えないのよ、一生。こんなくだらない写真のせいで、彼女の人生は無茶苦茶だわ」
涼子は頬杖をついて封筒を指先で叩いた。
「だから、君が?」
「どうしても許せなかったの。だから…。それに彼女とあたし雰囲気が似てたから、多分、声を掛けてくるだろうなと思って。それでオープンキャンパスにね。そしたら、ものの見事に声かけてきてくれて。でも、あたしだけの力じゃどうにもならないし、あんな大きな出版社の御曹司じゃ、どうにも太刀打ち出来ないでしょ。それに…」
「ん?」
「家の近所で逢った時に、まぁ、待ち伏せされてたって言った方が正しいのかな。その時に、お父さんのこと気の毒だったねって声かけて来て。ああ、調べたんだなって。じゃあ、お兄ちゃんの事もバレたし、もしかしたらお兄ちゃんの関わってること全部がバレたかもしれないって。あたしが勝手な行動したから…」
涼子は息を吐いた。
「ね、確かにものすごく危険なことをしたと思うし、それに関しては俺も怒ってる。男なんて力で女の子をどうとでも出来るんだよ。もしものことがあっても、女の子は総合格闘技の選手でもなけりゃアイツには勝てない。お兄さんは君も知っての通り足がすぐ出るけど、君は無理だろ?それに、そんな細い足で蹴ったところじゃ、俺みたいな優男でも痛くも何ともない。それくらいに女の子は非力なんだよ。それは分かるよね?」
「うん」
「でも、友達を苦しめてる奴をどうにかしたいっていう、その心意気は俺は良いと思う。誰かを大切にしたいと思う事はとても大切なことだと思うし、誰か一人でも自分の味方であるっていうのは何よりも心強いことだと思う。彼女のね」
雅はテーブルの上の封筒を指先で軽く叩いた。
「ただ、彼女を大切にしたいって思っているのと同じように、俺は君を大切だと思ってる。それに俺以上にお兄さんは君を大切に思っている。だからもう危険な事をしないって約束してくれる?何かあったらすぐに言うって」
「ごめんなさい」
「いいよ、約束してくれれば。それにね、大手出版社だろうが何だろうが、君が思うよりも容易く処理出来るんだよ。何よりも俺もスッキリした」
雅が頬杖を付いて笑うと涼子は首を傾げた。だが雅は今、過去の付き物がドンッと堕ちたくらいにスッキリとしていた。宝永社。忘れもしない、その名前。
あの事件。あの冬の日の雅の人生が一転したあの事件をおもしろ可笑しく書き立て、葬儀の日も見開きページで母や兄弟の遺影を抱く雅の写真を掲載したのが宝永社だ。
悲劇の貴公子だとか、雅のその容姿からチープな記事を掲載し、その記事を読んだ野次馬が連日連夜、雅の学校や家に押し掛けた。
世間の目が雅の事件を忘れそうになると、過去の凄惨事件という題目で特集を組み、雅の事件を何度も人の記憶から蘇らせたのも宝永社だ。
「ところで、どうやったの?」
「ん?ふふ、それは知らない方がいい。知ると、君も共犯になるだろ?」
雅はそう言ってコーヒーに口をつけた。涼子は首を竦めたが、それ以上は何も聞かずにパンケーキを頬張った。

「ん?なにそれ」
事務所でごつい指を巧みに動かしパソコンのキーを叩く橘に相川は声を掛けた。最近、コンビニで扱いだした揚げたてドーナツを頬張りながら、残りを橘に渡す。
元は心の塒だったここは、その面影がすでにないほどにリフォームされ、オフィスのような造りになっていた。心の部屋であったそこは幹部である相川達しか出入りはしておらず、数台のPCなども設置されている。
そのPCを陣取って橘は作業をしていた。
「ん?ちょっと、マジで?おいおい、お前そんな趣味あんの?」
相川はさすがにそれはないわという顔で橘を見たが、それに橘は慌てて頭を振った。
「ちが!!これは!!」
橘の弄るPCのディスプレイに映し出されたのは、年端のいかない少女達の姿だ。どれもこれも服を纏わずに、思わず目を背けたくなるような格好をしている。
未成年に手を出さないとポリシーとしている相川は、所謂、幼児ポルノのそれを見て蛾眉を顰めた。
「ないわー、そういうの、ないわー。俺、女の子は好きだけど、それは犯罪っしょ」
「違うって!これは崎山の依頼なの!」
橘は思わず声を荒らげて立ち上がった。
「え!?崎山って、そういう趣味があったのか!ヤバくね?あの面でロリコンとか、ヤバくね!?」
「違うって!!!はー、もう、違うから」
橘は熊のように大きな身体を竦ませて、頭を掻いた。
「崎山がある対象のPCをハッキングして、これをウイルスと一緒に流し込めっていうから」
「ある対象?」
何それと、相川はそれだけはずっとあるソファセットに腰掛けて、ドーナツを平らげた。さすがに甘い物はキツいなと腹を擦り、一緒に買ってきたミネラルウォーターを一気に飲んだ。
「どこから集めてきたのか、こういう、エグい画像ばっかかき集めてきて、ウイルスに感染してるのもバレないように隠しフォルダで相手側のPCに保存しろって。本当、なかなか手強いこと言ってくれるから、徹夜になったよ」
「隠しフォルダ?わざわざ?え、それってどっかの組の奴?ヤサ入れの時にでも摘発させんの?」
「いや、大学生。宇川庄一郎っていう学生」
「大学生?ふーん、何だろうな?で、今も流し続けてんの?」
「今はね、宇川のPCに画像流し込み続けながら、ネット掲示板にこの宇川のこと書き込んでんの」
「マジで?ヤベェな、おい!社会的抹殺かよ!」
相川は抱腹し、足をバタつかせた。雅ならばやりかねない。そもそも社会的抹殺で済めば良いが、多分、用意周到で完璧主義の雅がそんな甘い動きをするわけがない。 徹底的だろう。
社会的抹殺どころか、この国で生き抜く事も難しい程に攻撃をする。相手が許してと懇願しても、それをあの妖艶な笑顔で交わし、更に恐ろしい攻撃をしかけるのだ。
「崎山はねー、敵に回しちゃダメな感じ?超危険人物ーっていう感じのあれよな」
「今は幼児ポルノに対する規制も大きいからね。この枚数を所持しているのは、大きいよねぇ」
「え?そんな流し込んでんの?」
「万単位だよ。こういうロリコン的な写真だけじゃなく、盗撮もあるんだよ」
そこまで怒らせたのかと相川は背筋が寒くなった。気分転換にTVを付けると、丁度、ニュース番組の時間帯で相川はスポーツまだかなーとリモコンをテーブルに置いた。
『それでは宝永社前より、お伝えします』
「あれ、宝永社?何したの」
「何か、孫の不祥事らしいよ」
「へー。つうか、いっつも追い回す連中が追われる立場ってどうなの?因果応報って感じ?つうか、ざまぁみろみたいな」
相川は舌を出してTVのチャンネルを変えた。