07. 死神

花series Extra Shot


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まるで、闇夜の中、獲物の草食動物を狩る様にゆっくりと周りを固める。
草食動物が気が付いた時には、四方八方を囲まれていて逃げ場がない状態。そんな状態を作るのが雅は好きだった。
倉庫の裏手から回って、監視の男を叩きのめす。ドアの隙間から中を覗いて、数を数える。
戦闘態勢。なのに消えない違和感。
「チッ。何なの」
イライラする。どうにも、叫びたくなる。
ギリギリと歯ぎしりをしていると、ドドーンッという轟音と共に地面が揺れた。
「火薬、多いだろ」
スーツが汚れると思いながら、雅は滑る様に中に入り込んだ。
いつもよりも乱れもなく、いつもよりも正確に相手の急所を潰せた。いつもそんな高揚感はないが、今日は特にない。まるで、機械的に動いている感が否めない。
男の叫び声って、どうしてこうも間が抜けているのか。いや、女の悲鳴ほど耳障りなものもないので、まだマシなのか。
ふと前を見ると、青醒めた顔の眞澄が見えた。いや、青醒めてなんていないかもしれない。
だが雅にはそう見えて、空っぽのタンクに一気に水が入り込むほどに自身が潤った。
そうだ、お前のその顔が見たかったんだ。
「こんにちは…。成田、可愛がってくれた御礼に伺いました」
同じ仁流会でありながら、脆弱で無力な男。やることは幼稚で綿密さに欠け、軽挙妄動。
こうしたことによって得る損害も何も考えず、本能の赴くままに行動。
いや、それはうちの組長も同じか。でも、うちはこんな馬鹿な結末は迎えない。
そうか、親も子も馬鹿なのか。
そんな事を考えていると手の先がひどく熱くて。何だと見れば、爪が折れて血が出ていた。
視線を落とす。雅の足下の男の手には、シルバーのごつめのリングが嵌っている。雅はその手を徐に取った。
「…チッ。爪が折れた。こいつの指輪だ…だから男の装飾品って嫌いなんだよ」
震えている。何だ?どうして俺が震えてるんだ?と思えば、それはその男の震えだった。
ガタガタと大袈裟なくらいに震えていて、それが雅の身体も揺らしていたのだ。男のくせに…。
雅が軽く力を入れると、腕は本来そうあるべきだったのごとく簡単に曲がった。
それが合図の様に、眞澄の怒声と共に雅に向かって来る男が見えた。

関東に戻った頃には深夜というには中途半端な時間で、雅はビルの駐車場に車を戻してぼんやりしていた。
目を覚ましたと言われたものの、とうに面会時間は過ぎているし、どうも足が向かない。
それよりも身体中、何だかホコリっぽくてたまらない。雅は病院に向かう事を止めた。
そして社員用のブースに停められた久志のFDを見て、徐に鍵を収納している場所からそのキーを取った。
「主、目が覚めたらしいよ」
雅はそう呟いて、FDのフォルムを指で撫ぞると車に乗り込みシリンダーを回した。

翌朝、けたたましいインターフォンに叩き起こされた。まるで借金取りの集金の様に、執拗に押し続けられるそれに雅は顔を歪めた。
ベッドの上で頭を抱えて尚も動かないでいると、それは更に鳴らされる。
雅は舌打ちしてベッドから飛び起きると、廊下を歩きながら飲みかけの酒の瓶を手にした。
ガチャッとドアを開けたと同時に、手に持っていた瓶をフルスイングで投げる。
「うぎゃああああ!!!!!!」
それはドアの前に居た男の頬を掠め、後ろの壁に当たり粉砕した。
「なななななな、何すんの!!!!」
青褪める相川の胸倉を掴んで、一気に地面に叩き付けた。
「痛い!!!」
「ね、何するの?」
「それはこっちの台詞だろ!!!!痛い!!!痛いって!!!」
ぎゃーぎゃー喚く相川の頭を軽く叩いて、捩じ伏せていた腕を解き放つ。
とんだ寝起きの運動だと、雅は頭を掻いた。
「もう、何、オマエ。本当、俺じゃなかったら死んでるよ?」
「呼び鈴連打のオマエはどうなの?ね、何の用?」
はーっと大袈裟なほどため息をついて、雅はドアに凭れた。
朝の清々しさが忌々しい。目覚めが最悪なだけに、それがいつもよりも腹立たしく思えた。
「あれ?部屋には入れてくれませんか?いや、いいけどね。向かえに来たの。成田んとこ行くぞ」
「仕事あるし」
「ないね」
チッチッチと人差し指を立てて、それを左右に動かす。その様があまりにも苛立つ。
横目でそれを睨んで、チッと舌打ちした。
「オマエがどうして断言出来るの?」
馬鹿と話すと、馬鹿が伝染しそうだと雅は相川を放って、部屋に入った。それを相川が追いかけて、玄関に入り込む。
「俺が、若頭に言われたの。崎山は今日はオフにするって」
フフンと、どこか鼻高々になる相川を睨みつけ、雅はテーブルに置いてある煙草を一本取り出すとそれを銜えた。
「あれ?オマエ、吸った?」
「…たまにね」
「あれ?口寂しい…」
相川が言い終わる前に、雅は近くにあった辞書を相川向けて投げつけた。
「あんた!!!もう!!!野球選手!?」
相川はそれを交わすと、涙目で訴える。
逢いたくないと思っているのはどうしてだろう?
「とりあえず、下の車で待ってるからな」
相川はそう言って、部屋を出た。
雅は煙草に火を点けると軽く吸い込む。久志の吸い残しの煙草を、事件の遭った時から吸う様になった。
馬鹿なくせに目敏い相川が鬱陶しい。元々、煙草は吸わない。
こんなもののどこがいいんだかと思ったものの、こうして吸ってみれば本当に落ち着くから不思議だ。
麻薬の様な依存性。国が合法と認めた麻薬。
昨今、健康を都合よく理由にして値上げされ、喫煙場所も制限される様になってきた。行く先は、煙草を薬物とする法律か。
裏でこれを捌く時は近いのかと、くだらない事を思いながらその辺の服を引っ掛けた。
オフならスーツじゃなくていいかと、ジーンズを履いて煙草を銜えたまま部屋を出た。

病院はもともと、あまり好きではない。遠い昔、自分が入っていた時が思い出される。
病院っていうのは、どこも同じ匂いなんだなと雅は知らず知らず、手に残った古傷を擦った。
心拍数が上がるのが分かる。まるで、初恋の君に逢う女子高生。
いや、そこまで可愛いものだろうか?
どちらかと言えば、死刑台に向かう死刑囚。死神が笑っている。そっちの方がよく似合う。
病室が近付くと、吐き気が催して来た。逢いたくないのか、逢ってない時の方が心拍数共に正常だったような気がする。
久志は、自分の癌なのかもしれない。
「おいでやすー!」
相川が馬鹿な台詞を吐きながら、病室のドアを開けた様だった。
なぜ様だったかというと、雅は前を見ていなかった。自分の足下だけを見ていたのだ。
「おいでやすってなんやねん。知りもせん京弁使うなや」
もう十数年聞いてない様な、懐かしい柔らかい声が耳に届いた。それに喜ぶよりも先に、ズキッと頭が痛くなった。
「崎山、ほれ、頑丈男」
相川が促す様に前へ雅を押しやる。そこで、初めて雅は顔を上げた。
だが久志の顔は見れなかった。久志の居るベッド、その真っ白のシーツを見つめた。
「チッ、死ななかったのか、死に損ないが…」
口をついて出たのは、労りでも労いでもない罵りの言葉だった。
それからすぐに、佐々木や橘。他の組員が病室に見舞いにやってきた。
人望がある久志に、その足が途切れる事はなく、雅は病室の隅の椅子に腰掛けぼんやりそれを見ていた。
相変わらず顔は見ていない。ただ、腕に刺さる点滴や包帯だけは目にした。腕だけ。
帰ろうかなと目を閉じる。すると、そんな様子をつぶさに見ていた相川がいきなり立ち上がった。
「じゃあ、今日はここまで!!!」
途端、大きな声を出して相川は手を叩いた。
「お前ら、コイツ、一応重傷患者なんだぜ?サイン会のアイドル並みの訪問者ってどうなの?少しは気を使え!」
「え?まだどっか痛いの?」
どこからともなく聞こえる声に、再度相川が手を叩いた。
「じゃあ、成田久志回復祝いってことで、俺の奢りで肉行きますか!?」
「えええ!?俺、ここにおるんですけど!?何で、俺のおらんとこで回復祝い!?」
久志の批難を無視して、行く!と意気揚々の連中を外に出していく。
雅はそんなとこに行くつもりもないし、とりあえず、帰ろうと腰をあげると相川にその肩を押された。
「俺、ここの看護婦のおネェちゃんとエエ感じでさ。融通利いちゃうの」
「だから、何?」
「ここは面会謝絶ってこと」
「…はぁ?」
「足、ないやろ?向かえ居る時は電話してね、ダーリン」
相川はそう言って投げキッスをすると、病室を後にした。
賑やかだった病室が、一気に静まり返る。
「…雅」
その声に、音色に、身体が震えた。
雅は相変わらず部屋の隅の椅子に座ったまま、微動だにしない。顔も上げずに、自分の足下ばかり見てる。
キーンと耳鳴りがして、耳を掻いた。
「雅、こっち、来て」
言われたが、首を振った。まるで子供の様に俯いたまま首を振って、久志の願いを拒絶した。
「俺、雅んとこ行きたいけど、残念。動けん」
久志の少し、苛立った声がした。実際、久志の傷の状態は酷いもので、折れた肋のせいで内臓損傷。
おかげで腹まで裂く羽目になった。その傷に直接チューブが差し込まれ、中に溜まる血液を吸い出している。
腕の骨も折れ、鎖骨も砕けたせいで骨の代わりにステンレスが埋め込まれた。そのせいで肩から胸は固定され動けない。
「…雅、こっち見て」
久志が呼んでも、やはり雅は頭を振って拒絶する。
「俺のこと、嫌んなった?」
「……」
「頼む。雅。触らして、オマエに」
雅はグッと目を瞑った。
もし、もし久志を見た時に死神がその後ろでニヤリと笑っていたら?
いつもならば、そんな有り得ない事を考えない雅だが、今は違った。
死神が、ずっと殺し損ねた自分を狙っていると考えている。
見ぃつけたーと、ニヤリ、黒い息を吐いて笑う死神が。
「分かった、じゃあ、そっちに行く」
久志の言葉にハッとして、顔をあげた。久志は本当に手に刺さった点滴を掴み、剥ぎ取ろうとしていたのだ。
「久志!!!」
雅が驚いてベッドに駆け寄ると、グッとその手を掴まれた。いつもより、全然話にならない程に弱い力。
顔をあげると、にっこり笑う久志と目が合った。そこに、死神なんて、当たり前だが居なかった。
「お姫さんのご機嫌は直った?」
ツンッと目の奥が痛くなる。グッと唇を噛んでもそれは留まる事なく押し寄せ、雅の瞳から涙となって零れ落ちた。
「オマエ、なんか、大っ嫌い」
「せやな、ほんま、ごめんな」
「嫌い」
嗚咽が漏れそうで、口を押さえた。その手を久志が解き、ぐっと引き寄せられる。
久志の身体に体重をかけてはいけないと、雅は慌ててベッドの桟を掴んで自らの体重を支えた。
「こうして、雅を抱くことも出来ん。嫌われてもしゃーない。腑甲斐無いのは俺が一番、よぉ分かっとる」
少し癖のある黒髪を撫でながら、久志は雅の首筋に鼻先を擦り付けた。
「もう、こんな思いは二度とさせん。オマエを独りにしたりせん」
囁く様に、それでも力強く言われ、雅はただ泣いた。
今まで、何かがおかしいと感じていたのは、自分の中の一部が欠けていたからだと思った。
まるで、パズルのピースがないような、ぽっかり穴の開いた一部。
泣き止まない雅の顔に動く方の手を添え、久志がソッと口づけた。
それでも、雅が泣き止む事はなく。久志はただ、ずっと雅の髪を撫でていた。