愛す人

- Nocturne of Phantasm -

花series spin-off


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その人は、いつも優しく微笑んでいた。でも、絶対に心奥を見せない人だった。

静と相馬と食事に行って、部屋に帰った暁は眼鏡を外すとベッドに身体を投げ出した。安物のベッドがギシッと音を立てたが、暁は気にすることなく身体を伸ばした。
ストレッチをするように腕を伸ばして、天井をぼやけた視界で見つめながら相馬のことを考えた。
まだ数回しか逢っていないが、カジュアルな装いで逢ったのは初めてで、まともに顔を見れなかったのが残念だ。
相馬は初めて逢ったときに意図も告げずに暁に口づけた。あの時から、暁の相馬に対する感情が混乱している。
あの日は仕事があるからとそのまま別れることになったが、相馬に言われて携帯番号とメルアドを交換した。
相馬は実直で、そして多忙なのにマメな男だった。毎日、朝、おはようというメールから始まり、夜には必ずおやすみとメールがくる。
短期間と言えども、暁の1日はそのメールで始まり、そのメールで終わるようになっていた。そしてたまに電話で話をするときは、必ず、時間は大丈夫かと事前に聞いてくる。
大学生の暁よりも社会人で多忙な相馬の方に都合を合わせるべきなのに、相馬は絶対に暁の都合を優先するのだ。
相馬との会話は楽しい。博識で色々な話をしてくれるのに加え、とても聞き上手なのか口下手な暁が楽しく会話が出来るようにリードしてくれる。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、ついつい喋り過ぎてしまうこともしばしば…。
だが、どれだけ話をしても、正直、暁にとって相馬は謎だった。
何故、同性相手の自分にキスをしたのか。もしかして外国暮らしが長くスキンシップが激しいのかとも思ったが、あんな深い口づけを挨拶程度にするなど聞いたことがない。
もしかして同性愛者なのだろうか。だが、暁はそうではない。今まで数は居ないものの付き合ってきたのは異性だけだ。
見た目はモデルの様に柔らかな顔つきで、高身長。しかも本人はその容姿を鼻にかける事もなく、性格は温厚篤実で人当たりも良い。
おまけに院生で博士号も易々と取れる才貌両全な暁は、非の打ち所がなくモテる。だが、口下手で奥手な上に生真面目というのが難点なのかもしれない。
無理矢理連れて行かれたコンパでは“たられば”話に対応出来ず、“酔ったの…”なんて遠回しで誘ってくる女の子には水を差し出し“体内のアルコールを薄めて早く帰ったほうが善い”と興醒めの台詞を真剣に言う。
そんな暁を紳士的で素敵という女の子は、あまり居ない。昨今の女の子は、才貌両全だけでは最早物足りないのだ。
どれだけ気配りが出来、ムードを読めて、自分を楽しませてくれるか。そこなのだ。
だが暁は気配りは出来ても、ムードは読めない。更には、話なんて文学バカ独特の専門的な話ばかり。
今、一分一秒を恋に生きる女の子は、様々な情報源をフル活用して男を見抜く目を養ってきている。なので、暁を“顔がいいだけのツマらない男”と、瞬時に見抜くのだ。
暁とて女の子は嫌いではない。健全な男子である暁も、あの柔らかい身体に触れてみたいと興味をそそられる瞬間はある。
だが、“顔がイイだけのつまらない男”は気配り上手で、聞き上手。
何だかんだ、恋だの何だのに発展する前に何でも相談出来る下心を持たない、健全な男友達に成り下がるのだ。
そして暁もまた女の子との色恋沙汰に興味がなかったわけではないが、目の色を変えてまで彼女を探す気もなかった。もしかしなくても、“草食男子”にがっつり当てはまるのであろう。
だが、そんな暁が気が付けば相馬のことを考えるようになっていたのだ。
「弁護士って儲かるんだなぁ。若いのにカイエン乗ったり…いいなぁ、カイエン」
誰に言う訳でもない独り言を呟いてみるが、そんな訳はない。相馬は仁流会鬼塚組若頭なのだ。
だが暁はまだそれを知らないし、知るはずもなかった。
ベッドの上で身体を大の字にし、風呂に入らないと…や、明日、研究室に何時に行こうかなとか考えながら段々と脳が睡魔に支配されつつあった。
視界に靄がかかるような、そんな感じ。スーッと目蓋が閉じ意識が途切れかかった時、けたたましい電子音が暁の意識を繋いだ。
「ヤバい…寝かかった」
暁は目を開けるとと、音の主の携帯をベッドの横のテーブルで見つけた。
長い腕を伸ばして携帯を掴むと、けたたましく鳴り響く携帯の画面を目を細めて見る。視力が悪いとこういうのが不便だ。
「…あ」
暁は、携帯のディスプレイに映し出された文字に声を上げた。そして、慌てて通話のボタンを押した。
「も、もしもし…」
『おやすみでしたか?』
電話の向こうで、優しげな微笑を浮かべているのが見て取れるような穏やかな声。その穏やかな声が、暁の身体をふわふわ包み込む様な感じがした。
先程、別れてから一時間も経っていないのに、暁は懐かしいような淋しいような気持ちに戸惑う。
「いえ、大丈夫です。相馬さんは今、帰ったんですか?」
『今、自宅ですか?』
「え、はい」
『よかった。実は、今、暁さんの家の近くまで来てるんです』
「はい!?」
暁は声を上げて飛び起きた。その衝撃に近くにあった本が雪崩を起こしたが、そんなことを気にするような余裕はなかった。
「俺の、家の…近く?」
『近くにコインパーキングか何か、ありますか?』
「え?確か、ありますけど…」
『暁さんの部屋にお邪魔しても、よろしいですか?』

閑静な住宅街に暁の慌ただい足音が響く。電話を切ってから暁はコインパーキングに猛ダッシュしていた。
いきなりの電話にいきなりの突撃訪問のお伺い。相馬の問いに暁は迷うことなく“はい”と即答していた。
暁のマンションから徒歩で十分程度の場所は以前までは小さな会社だったが、今はコインパーキングになっている。
パーキングの明るい電光看板が見えてくると、その前に長身で姿勢良く立つ相馬が見えた。
凛とした顔で立つその姿はどこか独特のオーラを醸し出し、威風凛々としている。思わず見惚れてしまうその姿に、暁は顔が赤くなった。
「相馬さん」
頭を振って相馬に近付くと、相馬がいつものように微笑んだ。
「申し訳ありません。こんなところまで」
「いや、でも大丈夫かな?車」
相馬の後ろを覗くと、周りの車とは明らかに違う相馬のカイエンが見える。コインパーキングにカイエンというのはどうだろうと、暁は不安そうな顔を覗かせた。
「ここ、あんまり治安良くないんですよ」
「そうなんですか?でも警報器がついてるんで、心配ないですよ」
暁の心配を他所に、相馬は特段気にする様子もなく言う。その様子に余程凄い警報機が付いているのかと、暁も安心した様に笑った。
「じゃあ、こっちです」
「この辺は治安が良くないんですか?」
二人して並びながら相馬が聞いてくるので、暁は少し声を落として周りを見た。
「俺は見たことなんですけどね、実はこの奥の方に組事務所があるみたいで。それで、あんまり…」
「そうですが、組がねぇ」
相馬の相眸が怪しく光った。だが、暁はそれに気が付くことなく、こっちですなんて言いながら進む。
「そうだ、吉良は?」
「ちゃんと送っていきましたよ。今日は楽しかったようで」
「うん、俺も楽しかった。でも吉良、何処に住んでるのか言わなくて」
「ああ、今はまだ落ち着いてないんで住居が定まってないんです。ですから、きちんと定まれば静さんのことですし言ってくれますよ」
にこやかに微笑みながら、内心では相馬は言えるわけがないだろうと思った。同時に、言われても困るとも思った。
静の家。即ち、あの男の塒だ。あの傲岸不遜で得手勝手な男に暁を逢わせる訳にはいかない。
あの、他人への思い遣りということを生まれたときに母親の体内に置き忘れたような男が、暁に何を言うのかわかったものではない。
それに相馬の正体自体、暁に偽ったままなのだから。

「あの、どうぞ…」
玄関を開けると申し訳程度に三和土があるが、シューズラックが備え付けられているような造りではないのでスニーカ等が端っこに並べて置かれていた。
相馬は靴を脱ぐと端に寄せ、中を振り返った。部屋に行くまでにユニットバスがあり、一人用の簡素なキッチンがある。
シンクは綺麗に使われており、生真面目な暁の性格が出ていた。
「奥、失礼しますね」
一声かけて中へ進むと、暁が家に居るときの大半の時間を過ごすのであろう部屋が出てきた。ベッドとPCが置かれたテーブル。
必要最低限の家財道具しか置かれておらず、それよりも目立つのがあちこちに積み上げられた専門書だ。無造作に置かれた本はテーブルの上から下、そしてベッドの周りにも並ぶ。
「すいません、狭くて」
改めて自分の部屋の惨状を目の当たりにして、青くなる。
どうして日頃から掃除しておかなかったのか。いや、汚いとか汚れているのではない。きちんと掃除はしているが片付けが出来るほどに、収納のが一番のネックだ。
それにしても、この部屋には相馬はあまりにも不似合いに見えた。これがいわゆる、掃き溜めに鶴か。
チラリ、相馬を盗み見ると、相馬はクスリと小さく笑った。
「学生らしい良い部屋です。というよりも、暁さんらしさが出てる」
相馬は臆する暁に優しく言った。しかし暁も長身だが、相馬は暁よりも長身だ。さすがにそんな男が二人居ると、狭い部屋が更に狭く感じる。
「あ、コーヒー。インスタントですけど構わないですか?」
「ええ、お願いします」
小さな添え付けのキッチンに付けられたコンロのスイッチを入れ、コーヒーを用意する。
きっと、いつもは年代物のウェッジウッドで焙煎されたコーヒーを飲むんだろうなぁなんて思いながら、実家から送られてきたコーヒーを用意する。
「大学は楽しいですか?」
いつの間にかキッチンに来ていた相馬に背後から声を掛けられ、大袈裟なくらいに身体が飛び跳ねた。
「ははは…。相馬さん、気配感じなかった」
「ああ、失礼しました。そんなつもりはなかったのですが」
フフッと柔らかく笑う相馬に、暁も釣られて笑ってしまう。カジュアルな装いの相馬は、いつものスーツより若く見えた。
実年齢は知らないが、スーツという服装は善くも悪くも年齢を感じさせない様な感じがする。
「あ、大学。面白いですよ。教授が変わり者で困りますけど」
「それは良かった」
「相馬さんは法学部ですよね?楽しかったですか?」
暁は沸騰したお湯をゆっくりコップに注いだ。途端、立ち込めるコーヒーの薫りが鼻を擽る。
「そうですね、楽しかったですが、あっという間に過ぎたというのが一番相応しい言葉かもしれません」
「だろうなぁ。法学部かぁ。俺は六法全書なんて覚えきれないなぁ」
暁は笑いながらも相馬の分のコーヒーを持ち、部屋のテーブルに置いた。テーブルの上のノートPCと本を下に置いて、こうやって足の踏み場がなくなっていくんだよなと一人思った。
相馬は暁の向かいに腰をおろすと、そのコーヒーをいただきますと丁寧に言い、口をつけた。
「六法全書なんて当たり前の事しか書いてないんで、すぐに覚えれますよ。まあ、たまにこんな事が罪になるのかと、不思議に思う箇所もありますがね」
「そうなんだ…」
「暁さんも、院に上がればまた忙しいでしょう」
「ええ、まあ…研究に明け暮れて。でも、俺には合ってるから」
暁ははにかんだ。就職を考えなかったわけではないが、勉強出来るうちにしておきたいと考えたのだ。
幸い、両親ともに暁が院に上がりたいと言っても、反対しなかった。その点では、暁は恵まれていた。
「そうですね。暁さんにはそれがいい」
相馬はニッコリ微笑んだ。
「あの、今日は?」
「え?」
「いや、急…だったから」
「迷惑でしたか?」
「まさか!」
暁が言葉を繋げようとすると、嫌がらせのようにスマホが鳴り響いた。タイミング最悪と胸の中で悪態をつきながら携帯を手に取ると、相馬は出るように促す。
暁は小さく頭を下げながら、渋々、通話ボタンを押すと途端、賑やかな音が耳に飛び込んできた。
「うわ、うるさ…もしもし?」
『暁くん!?』
賑やかな音を打ち消すように電話の向こうで叫ぶような声、声の主はサークル仲間の真帆だ。
「え?真帆ちゃん?」
『暁くん!こないだの話してた佳花!』
「佳花?」
ああ…そういえばと暁は思い出す。佳花とは、真帆が言うには三回生で暁に一目惚れしたとかいう子だ。
どんな子だったかなぁと考えてみるが、小さくてふわふわした感じの子だったような、そんなボヤけたイメージしか頭に浮かばない。
『その佳花になんだけど、暁くんの携番教えていい!?』
「え?どうして」
相馬に背中を向けながら耳元で叫ぶ真帆の声を拾う暁には、相馬が背後まで来ていることも、とてつもなく不機嫌な顔をしていることも知らなかった。
「もしもし?」
電波状態も悪く、時々真帆の声が途切れて聞こえない。こんな時になんてバッドタイミングと思っていると、握っていた携帯が突然に手から奪われ、暁は驚いて振り返った。
するとそこには出逢ってから初めて見る、表情のない相馬が居た。
「え…相馬さん」
『聞いてる!?暁くん!佳花が暁くんと遊びたいって!』
まるで時が止まったような二人の間で、真帆の場違いな叫び声が響いた。
「これは困った子だ」
相馬はゾッとするような顔で笑うと、暁の了解も得ずに通話を一方的に切って、そのついでとばかりにコーヒーの入ったコップにスマホをちゃぽんと入れた。
「あー!!!!」
「時間をかけている暇はないみたいだな」
「そ、相馬さん?」
一体、何が起こっているのか判断出来なかった。ただ、ゾッとするようなオーラを醸し出す相馬に思わず暁は逃げ出そうとした。
危険だと、頭の中で逃げろと信号が送られてきたのだ。
だが相馬はそれを許さずに、あっという間に暁を掴まえてベッドに押し倒した。