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灯りの落とされた部屋。
相馬はジーンズ一枚でベッドに腰掛け、見事な腹筋を曝しながらスヤスヤ眠る暁の髪を撫で、微笑んだ。
そこまで乱暴にしたつもりはなかったが、身体を清めるためにどれだけ動かしても目を醒ます様子がないのを見ると身体への負担は相当らしい。
相馬は同性愛者ではないので、男相手のセックスは初めてだ。とはいえ、男だとか女だとかの拘りを持っているタイプではないので、暁をそういう目で見ることに違和感はなかった。
だが恋愛ごとに奥手な暁に合わせて時間を掛けて堕とすのも楽しいだろうと思っていたので、こんな半ば無理矢理な形で抱く気はなかったのだが、どこの馬の骨かも分からない低俗な女に持っていかれるのを考えれば仕方がない。
暁が自分のことを気にかけているのは分かっていたし、遅かれ早かれこうなっていたのだ。特段、問題はない。
ベッドの横のテーブルに目をやれば、コーヒーカップに浸かる携帯。相馬はそれを手に取るとキッチンに向かいシンクに置き、そのまま水道の蛇口を捻った。
携帯はコップの中で小さく躍り、カタカタ鳴いた。そしてある程度水に浸けると、相馬は携帯を取り出しタオルで拭く。
ここまで水に浸かれば再起不能だろう。相馬はベッド近くに脱ぎ捨てた服を取ると、ポケットから自分の携帯を取り出した。
丑三つ時…寝てるだろうとは思ったが、相馬の優秀な右腕はそんな事を微塵も感じさせないくらいに電話に出るだろう。
そう思いながら、リダイヤルボタンを押した。やはり思いは正解で、相手はツーコールで応答した。それに、相馬は一笑した。
「悪いな、こんな時間に」
電話の相手は、時間を感じさせないくらいに冷静に受け答えしてくる。
こんな時間に上司から電話があれば何かあったのかと慌てそうなものだが、どこか自分に似ている相手はいつでも沈着冷静だ。
「携帯が必要なんだ。私名義で。ああ、それでいい。あと、適当に食材を…」
相馬は冷蔵庫を開けながら、とりあえず必要なものを伝える。人間、誰しも何かしらの弱点がある。
この申し分ないほどに優秀な部下の弱点は、料理だ。見た目は馴れた手つきで包丁を捌きそうだが、噂によれば米すら炊けないらしい。
だが、弱点というのはカバーするものがある。この部下の弱点も、きちんとカバーされるようになっていた。
「じゃあ、今の場所に一時間後に。ああ、それとちょっと調べて欲しい事務所があるんだ。住所はあとで送るから、どこの組か調べておいてくれる?じゃあ、またあとで」
相馬はそう言って携帯を切った。そして何も知らずにスヤスヤ眠る暁の元へ行くと、そっと頬を撫でる。
「もう、逃げられないよ」
極上の笑顔を浮かべながら、相馬は暁に口付けた。
とりあえず、今は自由を与えよう。大学にも通わせてあげるし、友達との付き合いも良しとしよう。離れて暮らすのも譲歩だ。
だが、全て今だけ。
時期が来れば、何もかも目の届く範囲に置こう。家業のことは告げていないが、知られたところで逃す気はない。
やはり、それも問題がない。
「これは、あの男に感謝だな」
猫を拾うように拾った静。あれがなければ、暁と逢うことすらなかっただろう。日頃は殺したいほどに鬱陶しい男だが…。
「そろそろ来るか」
相馬はそう呟くと、暁を起こさぬようにそっと部屋を出た。
暗い部屋に、ごそごそ動く人影。崎山 雅はふと、目を醒ました。何度か瞬きをして、少しづつ脳を起動させる。
そして少しづつ身体を動かして、自分を抱き枕にして眠る成田 久志を押し退けベッドから出た。
冷たいフローリングを素足で歩きながら、腰にシーツを巻いて少し重い腰を擦るとタイミング良く携帯が鳴った。
やはりそうか。だから目が醒めたのかと異次元レベルの納得をしながら、雅は携帯に出た。
「はい。いえ、大丈夫です」
雅は話しながらキッチンに向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを出す。そうしながら、今は何時だ?今日の予定は…。と、完全に覚醒しきらない頭を起こしにかかる。
「携帯ですか?緊急用の予備しかありませんが?はい、はい。ええ、わかりました。事務所?はい、はい、では一時間後に」
雅は通話を終えた携帯をテーブルに滑らし、自分の部屋に向かうとクローゼットからシャツを取り出す。
そんなことをしていると、ジャージだけを履いた久志が大欠伸をしながら起きてきた。
「どないしたん」
「着替えて」
「緊急?」
「さあ、食材言われちゃった。俺じゃ、わかんない」
「食材?」
久志はタバコを銜えながら、着替え始める。シャツを取り出そうかと考えたが、雅もいつもよりラフなスタイルなのでTシャツとパーカーを手に取った。
「組長?」
「そんなわけないじゃない。食材なんだから」
「じゃあ、私用か」
話しながら、ガタガタとクローゼットの中から携帯の入った箱を取り出す。それを横目に見ながら、久志は雅の飲みかけのミネラルウォーターに口をつけた。
するとメールを告げる音が聞こえ、雅がそれを確認している。久志もそれを覗き込んでみたが、住所が送られてきているだけだった。
「どこそれ」
「ここって、確か君島会だと思うんだよね」
「君島会?なにが?」
「そうね、潰せってなると思うよ。若頭が調べろなんて言うくらいだし」
「何やらかしたんやろ。かわいそ、君島会」
ククッと笑いながらジーンズを履くと、車のキーや携帯をポケットに突っ込む。
余韻もくそもないなぁと思いつつ、時計を確認して、フーッと息を吐いた。
「ね、早く行くよ、間に合わなくなる」
「はいはい」
雅の後に付いて何度目かの欠伸をしながら、玄関へ行く廊下で久志は前を行く雅の身体を引き寄せた。
「おいっ」
慌てる雅の細い腰に手を回し、グッと密着する。旋毛辺りに鼻を付けて、すーっと息をした。
「身体、キツない?」
「うるさいよ、ばーか」
あんなに乱れてあんなに善がってたくせに、今はそれを微塵も感じさせないのは流石と言うべきか…。
あれ?もしかして、もっと無茶してもいけるかも?なんて、馬鹿な事すら考えてしまう。
「あー、朝起きたらもう一回って思ったのに」
目の前に居るのに、妄想だけとか!!生殺し!?こういう時ばかりは、時間に関係なく仕事を言いつけてくる上司を恨んでしまう。
「ね、馬鹿なの?」
不埒な考えの久志の腕を解いて、雅は玄関に向かう。
「馬鹿はやめてーな、アホ言うて。関西人は馬鹿は傷付くねんで」
「るっせ」
渋々、本当に渋々、出かける。
「ちぇー」
家の鍵を締めながらまだ不貞腐れていると、短気な恋人が尻に蹴りを入れて来た。これ以上は本当にキレられる。
「働きますがな」
言って、まだ闇に飲まれたままの空に舌を出した。