呪詛

花series spin-off


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「聞いたはります?」
甘い猫撫で声。媚びる視線は全身に不快になるほどに纏わりつく。
ぎゅっと、撓わな胸をこれみよがしに腕に押し付けられ、鬼頭眞澄はそれに視線を落とすと小さく嘆息した。
犬小屋では酷い目にあった。あんな扱いをされたのは後にも先にも初めてで、心にヤられた傷も癒えぬ間に次々と生傷が増えた。
そこからようやく解放されたと思ったら、次は組の仕事だ。破門は犬小屋に居る間だけの話で、帰ったと同時に朝から晩までそれこそ馬車馬のように働かされた。
そして夜は夜で接待だ。ウイスキーを飲みながら必死に尻尾を振る傘下組の組長たちを尻目に、眞澄は舌打ちした。
苛々の原因は分かっている。御園だ。眞澄の右腕であり、側近の御園斎門。その御園に逢っていないのだ。心との一件以来、今日の今日まで
「けったくそ悪い」
忌々しげに煙草を灰皿に押し付け、女の蛇の様に絡み付く腕を解いて立ち上がった。
「どこ行きはるんですか?」
赤ら顔の男に便所やと告げると、眞澄は奥へ姿を消した。

サングラスを取り、鏡を睨み付ける。頗る機嫌の悪い顔だ。苛立が如実に現れている。
チッと舌打ちしてサングラスを掛けると背後でドアが開くのが分かり鏡越しに見て、飽きれた笑みを溢した。
「こんなとこまで同伴か」
赤いドレスを纏ったホステスは、先程まで眞澄に媚を売り続けた女だ。ホステスは赤い唇で弧を描くと、身体ごと振り返った眞澄の首に白く細い腕を巻き付けた。
何もかもがチープな女。身体も心も、髪の毛の先から爪の先までが何もかも。
眞澄の地位と権力と見た目だけで寄り付く、まるでハイエナ。
「鬼頭組の若頭が、こへん男前やなんて」
唇に赤い紅が移る。何だか面倒くさいと、その口づけを黙って受け入れた。
女の身体、いや、御園以外は久々だなと思いながら気持ちがどんどん萎えていく。嗅覚が破壊されそうな甘い香水。唇に移る口紅。完璧なまでに施されたメイク。
厚化粧の売女が…。
「…ん」
甘い声を出しながら女は更に唇を押し付けてくる。と、ガチャッとドアが開いた。
ああ、トイレだったなと目を向けて血の気が引いた。
「み、御園」
「あ、堪忍。お邪魔しました」
御園はそう言うと、ドアを閉めたのだ。
「……はぁ!?御園!退け!!このメスブタ!!!」
「きゃあ!」
眞澄は乱暴に女を押し退けるとトイレを飛び出した。
ホールに飛び出したが御園の姿が見当たらない。眞澄は店内を見渡して、必死に御園を探した。
「若頭!?」
眞澄の徒ならぬ様子に舎弟の樋高が慌てて駆け寄る。眞澄はその樋高の胸ぐらを掴んだ。
「御園はどこじゃ、樋高!!」
「え!?御園さんなら、外に…」
眞澄の怒りの原因が分からず、樋高はただ慌てて入り口を指差す。眞澄は樋高を突き放すと店を飛び出した。
左右を見渡せば黒のBMW M3に乗り込む御園が見えた。
「御園!!」
眞澄の声に周りの人間が悲鳴をあげた。長身で体格の良い眞澄。ハイブランドと一目で分かる黒のスーツにサングラス。間違いなく堅気のそれではない風貌。
眞澄は人を掻き分けM3に駆け寄ると、後部座席のドアを閉めようとしていた舎弟の腕を掴んだ。
「若頭!?」
眞澄達よりも幾分か年上の舎弟は予想もしていなかったことに驚いた顔だ。
眞澄はそんな舎弟を無視して、ちらり中を見る。暗い車内。運転席には誰も居なかった。
「お前だけか」
「え、あ、はい」
「歩いて帰れ」
舎弟を押し退け後部座席のドアをバタンと締めると、運転席に回った。
「え!歩いてって、どこ行かはるんですか!」
慌てる舎弟に返事をせぬまま運転席に乗り込むと、一気にアクセルを踏み込んだ。

静かな車内だ。ふわり、香の香りが漂う。バックミラー越しに御園を睨み付けると、御園は妖艶に笑った。
「わがままは治してもらわれへんやった?」
ゆるやかな独特なトーンの京弁。懐かしさに胸が熱くなって、それに苛立った。
「なんで何も言わんのじゃ」
「何も?ああ、おかえりんさい?」
御園がうーんと考えて出てきた言葉がそれ。それに眞澄は奥歯をギリッと噛み締めた。
「ワシがあっこで女と何しよったか、わかるやろ」
「え?ああ、せやね」
そんなことかと言わんばかりの御園の顔に、苛立ちが増す。眠たそうな目。流れる京都の町並みを堪能する余裕さえ見せる。
「御園」
責めるように名前を呼べば、御園はまた笑った。
「あんさんが外で何をしようが、俺は何も言わんよ?」
当たり前のように言われて、眞澄は奥歯をギリッと鳴らした。
昔からそうだ。御園は眞澄の言いなりのようで言いなりではないのだ。
眞澄がこうしろああしろと言うことに従いながら、眞澄に一切なにも求めない。眞澄が何を一番欲しているか知っているくせに、それを絶対にしないのだ。
昔から、今も変わらず。
少し走らした車は、あるホテルの正面玄関へ流れ込む。眞澄は車を停めると、御園を半ば引き摺りだす形で腕を掴んで車を降ろした。
二人の様子に驚くドアマンに車のキーを投げ、眞澄はどんどん中に入っていく。突然現れた眞澄の顔を見て、慌てて支配人がカードキーを持って走ってきた。
「案内はいらん」
眞澄は不躾に言い放ちカードキーを奪うと、エレベーターに乗り込み最上階のボタンを押した。
鬼頭組のフロント企業が経営するホテル。最上階のロイヤルスィートはいつでも使えるように、年契約で組が押さえていた。
最上階にエレベーターが着くや否や、眞澄は御園を引っ張り歩く。御園はそれに抗うことなく、眞澄のすることに合わしていた。それすら腹立たしく、苛立つ。
エレベーターを降りれば、少し長い廊下の先にドアは一つ。最上階には、このロイヤルスィートしか部屋がない。眞澄はカードキーを差し込んでドアを開けると、御園を床に叩きつけた。
「あいたた…」
柔らかな絨毯のおかげで身体を打つことはなかったが、掴まれていた腕がズキズキ痛む。そこを擦っていると、フッと影が出来た。
御園が顔をあげると拳が見えた。御園の卓越した格闘能力なら、避けることも可能なそれを敢えて避けることなく受けた。
一瞬、星が飛んだ。
「…ぁ…ったぁ。えらい鍛えられて」
拳が重たくなっている。殴られるのはいつぶりか思い出せないほどだが、確実に鍛えられているなと御園は思った。
まるで試験されるように拳を受けられたことに、眞澄は更に怒りが増した。
縛り付けて自分のもののはずが、自分のものではない。それが腹立たしい。
「なんでワシが何をしても、何も言わんのんじゃ」
「え?…ああ」
高い位置からサングラスを掛けたまま見下ろす眞澄。瞳が見えない。だがきっと、怒りの業火に焼かれた目をしているはずだ。
感情の赴くまま…。眞澄の悪いところだ。
「あんさんがおなごと何をしても、俺に何も言う権利はあらへんのよ?」
御園は立ち上がると、乱れたスーツを直して長身の眞澄の唇に手を伸ばした。
親指の腹で赤く染まった唇を拭う。派手なルージュの女だったような。今も昔も眞澄の趣味の悪さは否めない。
「女と何してもええんか」
「あんさんはゆくゆくは鬼頭当主や。わかるやろ?跡取りなんやよ?」
眞澄は目の前が怒りで赤くなるのがわかった。緩やかに笑いながら、何てことを言うのか。気が付けば、御園を殴っていた。
ガクッと膝をついた御園を蹴り飛ばし、床に転がした。言い様のない腹立たしさに舌打ちする。
「女見付けてガキでも生ませろっていうんか、斎門」
ゲホゲホと咳き込む御園の腕を掴み、立ち上がる前に引き摺り奥へ連れて行く。途中でサングラスを放り、キングサイズのベッドに御園を転がした。
「脱げ」
眞澄が言うと、御園は口許の血を拭いジャケットを脱ぎ捨てた。
いつまで経ってもスーツが似合わない。どんな箔が付いたスーツも、御園が着るとどうもアンバランスだ。学生のような、何とも言えない姿。
するするとネクタイを解きシャツを脱ぐ。現れた身体はまさに肉体美。くっきり割れた腹筋も、水が溜まりそうな深い鎖骨も。細いのに、触れれば硬そうな腕も。
まるで顔と身体が別々の、体躯。何年も何年も酷使した、鍛え上げられた肉体。
「…下も?」
口許と目元が青紫に変色している。色が白く、体質なのかすぐに痣になる。痛々しいそれが眞澄の嗜虐心を煽る。
眞澄の一切手加減のない暴力はかなりの激痛を伴うはずなのに、それでも御園は顔を歪めることなく眞澄に聞いてきた。
眞澄は口元を歪めて笑うと、頷いた。
「はいはい」
男の身体に喉が鳴る。滑稽だ。
久々だからだろうか?いや、いつまで経っても、これは消えない。
御園の身体に欲情する。 抱いても、抱いても、抱いても、それは枯れる事はない。そして、潤う事も、満たされる事もない。
「はい」
御園は全裸になると、隠すことなく両手を広げて見せた。当たり前だが、その中心にあるペニスは形を変えてはいない。
眞澄は御園に近付くと、顎を掴み上げた。
「お前は俺のなんや?」
「…半身や。眞澄に忠誠誓った、半身」
「半身のくせに、俺に女作れ言うんか」
眞澄の一人称が変わっている。本人は気が付いてないようだが、自我を失いつつある時の証拠だ。
「眞澄、俺はあんたのためにおるんや。あんたの足枷になるつもりはあらへんのよ?さかいに、あんたがおなご…」
言い終わる前に、眞澄は御園を殴り付けた。さすがの御園もここまで殴られれば痛みがひどい。顔を歪めてベッドに倒れた。
眞澄はその両手を掴みあげ後ろに回すと、御園が解いたネクタイで縛り上げた。そして自分のネクタイを解くと、御園の目を覆った。
「で、お前も好きに女を抱くんか」
耳元で囁かれた、熱を帯びた声。低く、劣情を含むそれに恐怖か、興奮か、御園の身体が疼いた。
眞澄は御園の軽い身体を簡単にひっくり返してうつ伏せにすると、何の前触れもなく後孔に指を差し込んだ。