反撥

いろはseries 番篇


- 1 -

「今日はなんやのんなぁ」
レクサス LS600hの後部座席で寝転がり、ポータブルゲームをやる明神万里は気怠げに言う。早朝から叩き起こされ、行き先も告げられずに車に放りこまれれば機嫌も悪くなって当然のこと。
車窓から見える燦々と降り注ぐ太陽の光が更に恨めしく思う。
「鬼塚組の後継者が決まった話はしましたね?」
「あ…?」
ハンドルを握るのは若頭補佐の神原海里。万里の右腕だ。万里を朝から叩き起こして車に放り込んだ張本人だが、もちろん、悪びれる事無く前を見据えたまま話をする。
「五代目が亡くなって、早々に後継者が決まったと話しましたよね?」
鬼塚組の後継者。鬼塚組組長の鬼塚誠一郎が急死して間も無く、後継者が早々に決まった。嫡男も居ない、入れ札をしようにも跡目争いで内紛状態の組。その組にどこから沸いたのか実子の存在。
対立する会派が、急遽立てたと専らの噂の代役。そんなどこの誰かも定かでない男が継いだ組になんぞ、仁流会No.2の座から転落するのも早いかもなと万里は笑った。
「まさか、お披露目会?組長なってから半年以上経ったえ?」
「色々と片付けがあったらしいですよ。それが落ち着いたとかで、今日は総会に初めて顔を出すとか」
「総会て…っ、今日は総会やないやろ?支部組長連中みんな来とるんか?ん?何で俺な?オヤジは?」
「来るのは上の人間だけ。緊急招集でね。組長の元には挨拶に来られたそうで。今日は若手を集めとるらしいです」
「えー、ほなええやん。もーえーやん」
足をバタつかせて子供のように拗ねて見せる。そんな披露襲名式、退屈に違いない。
極道のくせに、いや、極道だからか仕来りだとか何だとかをやたらと粛々と行いたがる。そこで行われるが腹の探り合いだ。
お元気ですか?を真に受けてはならない。元気かと聞いてくる人間はたいてい、まだ生きてやがるのかと思っているのだ。お前が居るから、上に上がれねぇよと。
「ええ加減にせぇよ。いつかはお前も組を継ぐ身。うちは所詮、No.4や。上にあがるなら相手の人間性くらい知っとけ」
「出よった、海里のお説教」
別人の様に変わった口調の神原に万里は益々不貞腐れて見せて、今度は携帯を弄って遊び出した。神原の口調が変わる時は、本気で腹を立てているときか機嫌の悪い時。そして、お説教。
そのお説教になると神原は途端に年上の威厳を出し始め、いや、年上というより兄として淡々と万里に諭し始める。こうなると長い上に面倒くさいのだ。
「分かってる分かってる。はいはい」
「万里」
「…はい」
何なのよ、もうと言いかけた口を噤んで大人しく良い返事をする。会場までの道程は明神とは何ぞやの説教で終わった。

「相変わらず、デカイのぉ」
万里は車を降りてサングラスをかけると、目の前に聳えるビルを見上げた。その成長を物語るように聳え建つビルは、この辺りでは一番の高さと立派さがある。これが仁流会の長かと万里は口許を歪めた。
「口を歪めて笑うのは止めろ」
神原が部下に車のキーを渡しながら未だに説教口調で言う。何だ、虫の居所が悪いのか?と万里は嘆息した。
「なんで」
「アホが更にアホに見える」
開いた口が塞がらない。言うに事欠いてアホとは何事か。だが風間組のビルの前で口喧嘩をする訳もいかず、大人になれと自分に言い聞かせた。
こういう時、俺の方が大人じゃない?と内心思う。とても常識人っぽい。
「ちょっとはシャンとしとけ。アホ丸出しのツラはよせ」
大人でいようとする万里に更なる追い討ち。いやいや、どこがアホ丸出しよ?何なんだよ、全く。と思いながら異様に人相の悪い人間ばかりが入り込むビルに向かう。
中は案の定、葬式かと言わんばかりに黒いスーツの男ばかりで万里は舌を出した。
「加齢臭で鼻がもげる」
「しばくぞ」
万里の呟きに神原が前を見据えたまま言う。だってポマード臭い。変な香水の匂いと混じって今にも叫びそう。
はぁーと大袈裟に嘆息しながら万里はその異様な人ごみの中、見知った顔を見付けてニヤリと笑って歩み寄った。
「あんたも呼ばれたんか」
万里に急に後ろから話しかけられた男はそれに驚くこともなく、ゆっくり振り返ってヘラッと笑った。こいつの顔の方がアホそうと万里も笑う。
「お久しゅうに」
緩やかな京弁。しかも女が使う京弁。
仁流会鬼頭組若頭補佐、御園斎門。どっちが名前でどっちが苗字か分からない男は、まるで入社式に来た大学生かのようにスーツが似合ってなかった。
何それ?と言いたいくらいに場違いで、思わず噴き出す。
「相変わらずスーツの似合わんこっちゃ。なぁ、お前の番犬はどこや?」
「眞澄?あんはん、番犬は俺よ?何やっけ?そや、若頭補佐なんやし」
「よぉ言うわ」
談笑しながら中に進むと、ロビーを抜けた奥のエレベーター前には少しばかりの列が出来ていた。
五台あるエレベーターがフル稼働している。その前に、そうする事しか出来ない連中が列をなしていた。
「エレベーターに並ぶ極道とか、おかしゅうなぁ?」
「せやねぇ」
「俺なら今、襲撃すんで?やて、ここにおるんはみんな重鎮ばっかりやろ?」
「俺なら上の会場」
「ま、確かに重鎮はあっちゃか」
「あ、神原はん、来てはったん?」
万里の後ろに立つ神原に今さら気が付き、御園はひらひら手を振った。神原はそれを眼鏡をあげてみせるだけで間違えても手は振らない。
「可愛げのうて堪忍なぁ。虫の居所が悪いみたいやわ」
「ふふ…お互い様やわ」
「なんや、あんたもか?」
「んー?俺やないよ」
意味深に笑う御園に万里は小さく舌打ちした。
「御園さん、眞澄さんは?」
「眞澄?もう上がっとるよ。触らぬ神に祟りなしや、今日はちょっかいかけたらあかんえ?」
誰に、と言う訳ではないが御園は万里を見てニッコリ笑った。
鬼頭眞澄とは年も近い上に同じ仁流会で関西に拠点を置くもの同士。少しは親交を深めようと試みてみたものの、全くもって磁石のプラスとマイナスのように合わずに物別れに終わっている。
顔を突き合わすと、どうしても殴り合いか罵り合いで終わってしまうのだ。顔というよりも傲岸不遜な態度というか、あの人を小馬鹿にしたように見下す目か、とにかく顔を見ると挨拶よりも先に殴りたくなる。
もしかして前世の親の仇かもしれない。DNAに組み込まれた眞澄嫌悪アレルギーみたいな。
「ちょっかいなんかかけたことあらへん。それに、あんたんとこの機嫌ええときあるんか?」
「さぁなぁ。なんせ、気分屋やさかいに」
「甘やかしすぎやて。あんたがもうちょっと厳しいしたらな、ぼんくらやで」
万里の忠告に御園は”そうやね”なんて、思っても無い事を言う。神原はそれを見て眼鏡をあげた。
「機嫌が悪くなっても、仕方ないがことでもありましたか?」
「あんたは…賢いねぇ。まぁ、すぐに分かるさかい」
御園がまた、ふふっと笑うと同時に大きなエレベーターのドアが開いた。それに男達は次々と乗り込む。
極道の満員御礼エレベーター。何とも物騒なそれにぎゅうぎゅうと詰め込まれ、万里は御園の肩に顎を乗せた。
「あんた、前から思うとったけど香ん香りがすんねん。鬼頭組は信仰が熱心なんか?」
「まさか。ただの体臭やろ」
「何とも魅力的な体臭やこと」
万里は笑って御園の首をペロッと舐めた。それを見た万里の後ろに居た神原が万里の頭を叩いた。
満員御礼エレベーターの中に乾いた音が響いて、周りが何事かと万里の方を振り返る。
「痛いっ!」
「お前、死にたいんか」
「まったくなぁ。貸しやで、神原。眞澄には黙っといたるさかい」
「申し訳ありません」
心のこもっていない謝罪に御園は小さく笑った。御園が眞澄の半身であることは両者を知る者は周知の事実だ。
それほどに眞澄は御園に対しての感情を隠すこともなく、清々しいほどに瑜伽んだ劣情を見せている。万里のお遊びのこれも、眞澄が知れば戦争の引き金になってもおかしくないのだ。
「疲れへん?あへんな男」
「かいらしい(可愛い)やろ?」
「どこが」
万里がウエッと舌を出すと同時にエレベーターのドアが開き、万里達は吐き出された。御園は万里達に、ほな。と一言言うと会場へ姿を消した。
「いけすかん男やわ。何を考えよるんかさっぱりや」
会場はワンフロア突き抜け型。全面ガラス張りで、パーティー会場としては申し分ない。広々とした空間に真っ赤な毛の長い絨毯。刺繍の施された壁に絢爛豪華なシャンデリア。
立食式なのか所々にある大きなテーブルの中央には、龍の型の施された氷の彫刻が飾られていた。
「ダサッ」
「黙れ」
思わず出た言葉に直様、神原が反応する。だって、結婚式みたいな雰囲気。飾り付けがおかしいじゃない。と笑いを堪えた。チョイス、間違ってるでしょ。
「これ、昭和極道見過ぎ」
「喋んな、あほたれ」
「やて…」
「喋ったら殺す」
殺すって、あんた。あんたが言うとシャレにならない。万里は渋々口を閉ざして、ウエイターが運ぶトレイからワインを取った。
「すぐ死ぬような奴のお披露目なんかなぁ」
「あれ、見ろ」
神原が目線を向けた先に目を向ける。そこに居たのは会場に居るには不釣合いな男で、万里は今にも口笛を吹きそうになった。
男は瞬きの度に音を立てそうな長い睫毛が伏せ目がちの瞳に影を落とした、淫靡というのがよく似合いそうな容姿だった。
細身で身長も高い方ではない、平均的。姿勢は綺麗だし、澄ました横顔なんて雑誌のページを飾るモデルよりも映えてみえる。ちょっと気難しいお姫さんみたいな感じを醸し出しているのもプラス。
「ホスト?」
にしては上品ですが。何だか、叩き倒したい横顔ですけど?
「鬼塚組は今回大規模な改革を行って、上層部はほぼ総入れ替えした。あれはその上層部の重鎮。崎山雅」
「え!ないない!俺よりガキやし」
「あれ、お前より年上やし」
「嘘!」
思わず再度確認。澄ました顔で辺りを見るその表情は、どこか幼く見える。熊の様に大きな巨体の極道が近付いて睨みを利かせても、ものともせずに憫笑を浮かべていた。
「性格、キツそう。いや、ぶっちゃけ悪そう」
「その隣のデカイの。あれも今回、上に叩き上げられた成田久志。崎山と同期らしいな」
「はぁーん?」
ワインを飲みながら観察する。崎山より長身でスーツの上からでも分かる鍛え上げられた身体は、手合わせ願いたくなるくらいにいい身体だ。間違いなく、格闘向き。
後ろに流された髪は茶色く崎山とはまさに正反対なタイプ。目付きも鋭く、一人一人、来賓客をチェックしているようだ。
「男前やなぁ。俺、あの淫靡なにーちゃんより、あっちゃがええわ」
「あほか」
「で?他は?」
「さあな」
「…は?」
「さっぱり、情報なし」
これが神原の機嫌が悪かった原因か!万里は一気にワインを飲み干すと息を吐いた。そして、ちょうど通りかかったウエイターのトレイに空のグラスを置いた。
「情報あらへんって、同じ仁流会やで?あれやないの?そんだけ慌てて寄せ集めたんやないの」
「阿呆。崎山は先代の右腕やった山瀬さんの直属の部下や」
「そない?ほな、昨日今日に求人かけたって訳やあらへんな。若返り作戦?」
「一気に組長と若頭失うて、しかも内部戦争勃発しとったちゅう噂や。もしかしたら、古参連中切り捨てんといかんところまで追いつめられとるんかもしらんな」
神原は崎山達を見据えて、少しだけ笑った。