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「ほんに、来月にはのうなってるかもしらんねぇ」
「まぁ、組長があれやったらなぁ」
「は?組長に逢うたんか?いつ?何で神原だけ?」
「組長に挨拶来とる時に、顔だけチラッと見た」
「嘘、どないなん?なぁ、どないなん?」
明日にもなくなりそうな神輿に載せられた可哀相な組長はどんな男だと、万里は目を輝かせた。
と、その時、背後から大きな衝撃を喰らって万里は思わず前のめりになった。その拍子にサングラスが取れ、毛の長い絨毯に音もなく沈んだ。
「ってーな!」
振り返る前に落ちたサングラスを取ろうとした瞬間、それを磨かれた靴が踏みつけた。メキッと嫌な音がしてサングラスの部品が飛んだ。
「あー!!!」
万里は、その靴から上へと視線を動かしながら、怒りに震えた。万里はいつでもサングラスを外さないので、この赤い目を初めて見る人間はそれだけで悲鳴を上げる事が多い。
どこまでも続く身体は男の長身さを物語っていたが、そんなものは関係ない。万里が身を置く明神組は仁流会大阪支部統括長なので、この会場でも役職は上。下っ端のチンピラなら速攻、なぶり殺しと拳を握った。
だが男の顔の位置は想像よりもかなり高い位置にあった。長い前髪から覗く鋭い目は、それだけで男の強さを証明しているようだったが、勿論、万里は臆する事はなかった。
そして男も、万里の赤い目を見ても顔色一つ、表情一つ変えなかった。セットも何もされてない髪とノーネクタイに白のシャツ。黒いスタイリッシュなスーツは男によく似合っていたが、万里はそれどころではなかった。
「何さらすんじゃ!こん、ボケがぁ!」
「あ?ああ、これか」
男はようやく足の下の異物に気が付いた様で、足を少しだけ上げた。そこには見るも無惨になった万里のサングラスがあった。
「おいおいおい、おおいー!!」
少しだけ、涙が出そうになったがそれを堪えて、男をもう一度睨む。
「どこ見て歩いとんねん!俺のサングラスどへんしてくれんねん!」
「ああ、お前、小さいから見えへんかったわ」
「ああ!?」
言うに事を欠いて、小さいとは何事か!万里はギリギリと奥歯を噛み締めた。
「殺す…」
「…あ!ちょっと待て!」
後ろで静観していた神原が何かに気が付いて万里の肩を掴んで制したが、万里はそれを振りほどいて男の胸倉を掴んだ。だが次の瞬間、刺された!と思うほどの激痛と鈍痛が腹を襲った。
得物を持ち出すとか、どれだけ卑怯!と腹を見れば、刺さっているのはナイフ等ではなく男の拳だった。万里は、そのたった一発で膝が笑い脚の力が抜け、腹を抱えて両膝をついた。
「…かはっ!!」
「なんや、コイツ。おい、貴様の舎弟はなってねぇなぁ」
男が青くなった神原に目を向ける。神原は背を正して頭を下げた。
「申し訳ありません」
「しゃ、舎弟ちゃうわー!!」
何、謝ってんの!?このヘタレ!と思いながら、精一杯の声を上げた。しかし声を出すだけで腹が痛んだ。
「なんやねん、元気やんけ。首輪つけて、その辺繋いどけ」
「…な、なんやと!!」
何とか立ち上がり、神原の肩にしがみつく様な形で男に尚も喧嘩を売る。男はそれを鼻で笑った。
「やめろ、ボケ」
パシッと神原に頭を叩かれる。それをまた鼻で笑われる。堪え難き屈辱。
「笑ける。お前、どこの人間や?」
「失礼致しました。明神組です」
「へぇ…」
「何をされているんですか?」
万里達に、まるで咎める様な声がかかって三人はその声の方を一斉に向いた。すると男の表情が少しだけ歪んだように見えた。
「これ、踏んでんけど」
「トラブルは起こすなと、あれほど…。大体、ちょろちょろ歩き回るからでしょう?何をしてるんですか?」
「俺はガキか」
「ガキです。ああ、申し訳ない。明神組の神原さんですね?」
ニッコリ紳士的な笑顔を向けられ、神原は思わず鼻で笑いそうになった。”胡散臭ぇ”万里も神原もそれで合点一致。スマートな腰つきと柔らかい表情。整いすぎた顔立ちは微笑んでいるのに冷たさを感じ、親しみ易さはゼロ。
一目で”いいスーツ”と分かるそれを身に纏いハニーブラウンの髪色が厭味なくらいに似合っている男は、どこを見ても隙がなかった。
「神原です。こちらは明神万里」
「初めまして、相馬北斗と申します」
相馬と名乗った男はやはり万里の目を見ても表情一つ変える事無く、馬鹿丁寧に頭を下げてきた。
「聞いた事あらへんわ。どこの人間や」
「おい」
神原が万里を咎める声を出す。だが、本当に見た事がない。こんな容姿をしている男を今まで見落としていたなんて事は有り得ない。
相馬は微笑みを絶やさぬままだが、万里のサングラスを木っ端微塵にした男は相馬の後ろで暢気に欠伸なんてしてみせる。どこの三下か知らないが、やってくれるじゃないかと万里は青筋を立てた。
「で?どへんしてくれねん?そんクソガキは俺のグラサン壊した挙げ句、御礼に腹に一発くれたんやで?」
「万里」
いつもなら喧嘩上等になった万里に何も言わない神原が、やけに口を挟む。それをうるさいと言って、万里は相馬と相馬の後ろに居る男を睨みつけた。
「それは、うちのが大変失礼を致しまして、申し訳ありません。目下、教育中でして」
相馬はそう言いながら片膝をついて、見るも無惨なサングラスをサッと拾い集めた。
「同じ物を弁償して、事務所の方にでも送りいたします。ああ、失礼ですが、光など直接当たらない方がいいのでしょうか?」
相馬は自らの目を指して、万里を見た。
「はぁ?それで済む思うてんか?大体、そいつ誰やねん!」
「はい。もう少しすれば会も始まりますので、お待ち頂ければ幸いです」
回答になってねぇ!と再度、突っかかろうとした万里の口を神原が手で覆った。
「これに構わずどうぞ。それもお気になさらなくて結構です。どうせ安物ですから」
「そうですか。ありがとうございます。では…」
二人の間で暴れる万里を他所に、悠長な会話が交わされ相馬と男は立ち去ってしまった。万里は口を覆う神原の手に噛み付くと、その手を叩いた。
「アイツなんやねんな!どこん組や!それに、あんた、何を謝っとんねん!いくらお前が喧嘩出来ひんいうても、あれはないやろうが!ちゅうか、安物ちゃうわ!」
「黙れ、ボケ!」
神原は万里の噛み付いた手を擦ると、そのまま万里の形の良い額を指で弾いた。
「いった!デコピンすんなや!」
「黙れ、このボケ!」
いい加減、苛ついたのか神原がもう一発と思った時、会場にマイクのスイッチが入る音が響いた。会場の中、少しだけ床が高くなった壇上に一斉に視線が集まる。万里は未だに不貞腐れた表情だが、渋々そこへ目を向けた。
サングラスがないのが落ち着かないのか左目を前髪で少しだけ隠す仕草をみせる。それに神原は息を吐いて、スーツの内ポケットから眼鏡ケースを取り出すと万里に渡した。
「度が入ってるからな」
「別に、気にしやへんし」
言いながら、万里は箱の中を開ける。そこには少し細身のRay-Banのサングラスが入っていた。
「神原っぽい」
「嫌なら返せ」
「いいや。おおきに」
「やらねぇ」
会場内がすっと静かになったせいで万里も神原も声を落として話す。
「めっちゃヨボヨボん爺はんやったりな」
くつくつ笑う万里を、神原はどうしようもないという顔で見た。何その顔、と万里が口を開こうとしたとき、ワッと拍手と喝采が沸き起こった。何事かと思えば、壇上に仁流会会長の風間龍一が立っていたのだ。
「お、久々」
いつか先代と逢いに行ったきりだなと思いながら、変わらぬその迫力に思わず口笛を吹きそうになった。
『本日は、わざわざ集まってもろうて、すまんかったな』
スピーカーから脊髄にビシビシ響く低音ボイス。それだけでない、声に含まれたただならぬ迫力。万里は思わず背を伸ばして、それに一人笑った。まだまだだなと思ったからだ。
『今日、集まってもろうたんは他でもない。仁流会会長補佐である鬼塚組六代目組長の就任が決まった。これにより、空席やった会長補佐も引き続き鬼塚組が担う』
風間は横に目をやるとクイッと顎を動かした。すると、ゆっくり男が壇上に上がり風間の方へ向かう。
「は?」
万里は思わず声を上げた。それは周りの人間も同じで、会場がざわざわと落ち着きがなくなった。
『鬼塚組6代目組長、鬼塚心や』
風間の横に立つ男は、そう紹介されると犬歯を見せてニヤリと笑った。万里はその顔に何も言わず、代わりに隣の神原の腕をバシバシ叩いた。
「何これ、どっきり?どういうこと?」
「痛い、やめろボケ」
「いやいや、おかしいからな。待て待て」
男、鬼塚心は、先ほど万里のサングラスを木っ端微塵にしたあげく、腹に一発くれた、あの失礼極まりない男だったのだ。
万里は壊れた玩具の様に首を振って、”無理!”を繰り返した。勿論、周りの人間だってそうだ。男のあまりの若さに、若衆か何かじゃないのかとヒソヒソと言い始める。その異様なまでの会場の雰囲気に、壇上の心はただ笑うだけ。
そして、こうなることを見越していたのか、騒々しくなりつつある場内をぐるりと見て、隣の風間に何か耳打ちするとマイクを受け取った。
『あー。聞け』
開口一番放たれた言葉に、全員が壇上を睨みつけた。聞け?聞けとは何事か。鬼塚組と言えども心自身は新参者。この場内で誰よりも下と言っても過言ではない。
一瞬にして戸惑いや疑念を含んだ空気が、殺意のそれに変わった。
『貴様等のオヤジ共には、この間、逢うた。あ、全部ちゃうな…適当に何個かの組。せやけど逢うた奴らそろいも揃って今のお前等と同じ反応や。若い俺が気に入らんのか、俺に諂うんが気に入らんのか…』
呆気に取られる万里と目が合うと、心は笑って鼻を鳴らした。
『この世界に仲良しはいらん。俺に媚びても無駄や。俺の席が欲しけりゃ取りに来い』
心はそう言ってマイクを投げると、親指を立てて首切りをして、更にその指を下に向けた。礼儀も何もないその仕草に全員が言葉を失い会場が静まり返った。
「「…み、認めるかー!!」」
それを打ち破るように叫んだのは、万里だった。そして全く同じように叫んだ男。見ると、鬼頭組の鬼頭眞澄だった。
その声が合図かの様に会場に怒声が響き、収集がつかない状態に陥り、就任式は打ち切りとなった。
これが、心、眞澄、万里の最悪な出逢いである。