sentimental

空series EVENT


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異常気象なんじゃないの?と思ってしまう、今日この頃。何年ぶりかに降った雪は大雪で、家をも潰してしまうほどの威力。
普段、雪に馴れた土地でさえも滅入るくらいに、こんこんと毎日降り続ける。その雪雲が関西にも流れ着いて…とはいかず、だが、安心するのも束の間。
やってきたのは身も凍り付く様な寒波。死ぬ!!絶対に凍死する!と思いつつ、名取春一はストーブに手を伸ばした。
この季節はどうしてもガススタで働くのが辛いと若干思ってしまう。1に寒い、2に寒い、3も寒い、4はキレる。何か寒くてキレる。そんな感じ。
「ハル!!」
ストーブの暖かさを麻痺した手がようやく感じ始めた瞬間、破壊する勢いで乱暴に従業員休憩室のドアを開ける三島に向けて近くにあった雑誌を投げつける。
「学習能力のないアホめ!!ゆっくり開けろ言うたばっかりやろうが!殺すぞ、このどあほ!!」
騒々しいわ!腹立たしいわ!イライラするわ!五月蝿さに!オマエの存在に!
ハルの射る様な睨みに怯えながら、三島は自分に当たって落ちた雑誌を健気に拾って首を振った。
「呼び出し呼び出し、あ、今日はヤー公やないで、めっちゃべっぴん」
「はぁ?」
何?また呼び出しなの?俺って案外、有名人なの?それとも、モテ期なの?
忘れもしない、2ヶ月前。いや、2ヶ月も経っていない去年のクリスマス。ガススタに意気揚揚と現れた極道。
つい先日のことのように覚えているが、昔から呼び出しというのに良い思い出がない。学校の屋上、公園、空き地、それこそ呼び出された数だけなら二桁は軽くいく。
そのどれもがろくな思い出がない。なので呼び出しで心踊ることなんて、この先も一生ないように思う。そんなことを思いながら煙草を銜えて微動だにしない。それに三島が首を傾げた。
「寒いから、嫌や」
ようやく、ほんまにこの時を待ってたんや。見てみろ、この今にも血が噴き出しそうな真っ赤な指先を!!
ハルは口に出さずストーブに手を近付ける。あまりに凍えたからか、どれだけ近付けても熱いとは感じなかった。じんわり温かいような気がするなーのレベル。霜焼け一歩手前か。
「えー!?なに言っちゃってんの!?えー、勿体無い。あ、じゃあ、俺、あの子貰ってええ?」
「あの子?」
「秋山イノちゃんって言うてたー、あれ、モロ好みー。思わず、下の名前聞いてもた」
「待て待て待て待て」
ウキウキで出て行こうとする三島の服を、ガッと掴む。どうしてこうも自分の周りはアホばっかりなのか。苛つきながら煙草を飲み干したコーヒーの空き缶に押し込んだ。
「威乃って?」
「うん、威乃ちゃん」
ちゃん言うな、このバイセクシャルめ。三島はアホな上に癖の悪いバイセクシャル。自分が可愛いと思えば老若男女関係なし。
親の顔が見たいとはまさにこの男のことで、そのお眼鏡に幼馴染みの秋山威乃がヒットしたらしい。何?あいつって男受けする顔なの?あいつがモテ期なの?思いながら防寒着を羽織る。
「あいつ、強えーよ?」
見た目で判断したのだろう。だが、威乃はああ見えてもハルと肩を並べるほどの強者。
通ってる学校が学校なだけに拳がなければ生きていけない。そこで有名になるくらいなのだから、強さはその辺のヤンキーなんて相手にはならない。それに…。
「あいつに手ぇ出したら、死ぬ」
「えええ???ハルって、男もいけるん!?」
訳の分からない捉え方をした三島が喚く。俺じゃねぇよと思いつつ、ハルは休憩室を出て行った。
俺じゃない。威乃に手を出したら最後、関西一、日本一の極道、仁流会風間組の洗礼が待ち構えている。それこそ微塵切りにされて魚の餌にされるんだ。
「…さみぃ!」
外に出て、吐く息が白くて嫌になる。半端に温まったせいか寒さが身に沁みる。そして計量機の片隅、ちらりと見えた後ろ姿にげんなりする。
「おい」
呼んで振り返った威乃の顔に、ハルはギョッとした。
「ハルー!!」
うわーん!!!と言い出しそうな勢い。泣きそうとかじゃなく、もう号泣。そんなんでガバーッと抱きつかれて、思わずドン引き。
なにこれ誰これ。いや、マジで何してんの?ふと、ガススタの方へ視線を向ければ、スタッフも、そして客までもが”おいおい”と言わんばかりの顔。
そりゃ、おいおいだよねー。思わず、威乃の頭をパシンと叩いた。
「何やねん」
「だってー!!龍大がー!!」
またそれか!!と、げんなりしながら威乃の腕を掴んで、普段は客が寛ぐ客専用の休憩室に連れて行き適当な場所に座らす。
従業員ではなくお客様のためのそこは、暑過ぎるほどに暖房が効いていた。
「大人しい待っとけ!」
ビシッと言って、いつかと同じように店長に早退を申し出る。嫌なデジャブと思いながら、ハルは更衣室に消えた。

「あー!!!DS400!!何でー!!?」
店の横っちょに停めてあるバイクに跨がり、大騒ぎの威乃を横目に溜め息をつく。
あー、何で初めて後部座席に乗せるのがオマエなの??なんか、俺、大事な何かを失ってる気分よ。マジで。
「無免??」
「あほか!ちゃんと免許持ってるわ!」
イラッとしながら、店にあった誰のか分からないヘルメットを威乃に投げつけた。
「ハルってさー、影で努力するタイプやんなー」
「何や、そのめちゃ努力家みたいな言い方。めっちゃ嫌。何か、暗い人みたいやんけ」
「やて免許やって知らん間に取ってさー。バイクも買ってさー」
「フラフラしとる、オマエとはちゃうねん」
バイトしながら通った自動車教習所。先輩の店で無理矢理フルローン組ましてもろうて買ったドラッグスター400。
それを影の努力とか言うなとイラッとしながらエンジンをかけると、70度Vツインエンジンの鼓動が始まる。
「乗れ」
ハルが言うと、威乃は嬉しそうに後ろに跨がった。
「よし!このまま白浜へレッツゴー!」
「アホか!!恐れ多いわ!このボケが!」
臨海道突っ走って白バイに捕まる気か!!ハルはスロットルを回して、バイクを発進させた。

「で、何なんですか」
ハルは寒い部屋を暖めるべく、暖房のスイッチを入れた。白浜でも臨海道でもなく、一直線に向かったのはハルの家。
当たり前でしょ?この雪が降ってもおかしくない状態で、誰が剥き出しのバイクでツーリングする?防寒も、さして万全じゃないのに。
「おー、大福、元気かー?また太ったんちゃうの」
威乃は部屋の真ん中のコタツで丸まっていた、名の通りそのままに見える白いまん丸の猫を抱き上げ頬擦りした。老猫の大福はされるまま、威乃のそれを受け入れた。
「ってか、何?オマエ、俺の日当払えよ、こら」
ハルはコタツに入り込み、煙草を銜えた。値段上昇の煙草。禁煙者も続出するが、皆、挫折している。値段上がったからやめるわーなんて格好悪いし、更に、やめられなかったなんてあり得ん。
そう考えるハルは端っからやめるつもりなんて毛頭ない。
「大福見てたら、大福食べたならへん?」
「おい、コラ、シカトか?追い出すぞ、あ?風間はどないした?」
「……」
おいおい。黙りかよー。何?痴話喧嘩?ここは実家か?俺はおとんか?おかんか?つうか、お前は風間の嫁か。
幼馴染みの秋山威乃に虜になったのは極道の倅である風間龍大。色々とありすぎたせいもあり男同士という事には目を瞑っているものの、この様子からしてどうやら痴話喧嘩。
男同士の惚気も聞いてられないが、男同士の痴話喧嘩に巻き込まれるなんて犯罪に巻き込まれるより厄介で居た堪れない。
「うち、一時間5千円ね」
「高っ!その辺のラブホの倍!!!」
「何?で、俺の日当返してくれる訳?」
てか俺のガススタでの立場とか、どうしてくれるわけ?今頃、三島のアホがある事ない事を話して、俺、明日にはとんでもない人間にランクインですよ。
そう思いながら、ハルは煙草を燻らした。
「龍大が、チョコ貰うてきてん」
「…は?」
「チョコやん」
「はぁ?」
「バレンタインやんか!!!」
ダンッとコタツテーブルを叩いたので、驚いて大福がコタツの中に逃げ込んだ。それを名残惜しそうに見つめる威乃が、コタツに手を突っ込んで大福を引っ張りだす。むにゃーっと抗議の声を上げる大福の訴えを無視して、威乃は赤子をあやすように大福を抱いて背中を撫で始めた。
「今日、バレンタインか。忘れとったわ。で、風間は誰から貰うてん?」
「分からん。組の用事で梶原さんと出かけて。最近は自分とこの店とか回ってるからホステスかな」
えーっと??もう、どこからツッコんでええのやら。ハルは若干、頭を抱える仕草を見せて煙草を灰皿に押し潰した。
「ホステスに貰うたなら、あれやろ?株あげ」
極道とか組長の倅とか置いといても、金持ってるイケメンとだけ見ればかなりの魅力的な男。容姿も問題なく財力も問題なく、性格どうのこうのなんていうのは置いといても女がグラグラくるのもしゃーない。
第一、そのモテ男の風間がこのアホで何の魅力もない、強いて言うても何も見当たらん男に縋る方が意味不明。アイツ、マジで趣味悪いって。
「え?もしかして、それだけ?」
「隠してたら、それって何かあるからやろ?」
あれ?何で早退したんやろ、俺。いや、痴話喧嘩以下じゃね?いや、くだらな過ぎて脳内処理不能。
アホなんかな!?こいつ!!いや、アホやけど!!
「オマエ、死んじゃえば?」
「ええ!?何でやねん!!それヒドくね!?」
酷いのはどっちだ。一気に疲労感に襲われ、大げさな溜め息ついてテーブルに突っ伏す。
何をチョコレートなんか貰って来てるのよ!誤解だよ!じゃあ何で隠すのよ!!みたいな、低俗な昼ドラマが頭を過る。
それを言い合うのが龍大と威乃ならば、ハルからしれみればホラー映画を上回るおぞましいもの。オマエらって、そんなキャラだったの?なんて互いに聞きたくなってしまう。
「オマエがそれに負けんくらいのもん、やったらええやんけ」
「え?」
「全裸で全身にチョコのコーティング」
「アホか!!」
怒鳴る威乃の声にまた驚いて、大福がコタツに潜り込んだ。
もう、何でもいいじゃない?アホくさくてやってらんねー。ハルはそのままゴロリ、横になった。
「俺、アホやし、男やからな…。龍大にいらん言われるんかも」
あ、何、センチめってんの?何、いっちょこまえに不安とかなってんの?ハルは上体を起こして威乃の顔を見ると、また大きな溜息を吐いてガシガシと頭を掻いた。
「冷蔵庫からビール取ってこい。飲むぞ」
ハルが言うと、威乃は満面の笑みを浮かべて返事をする。
アホはアホなりに考えてるわけね。俺も甚だ甘いわなと思いながら、威乃がご機嫌で持って来たビールを開けた。

夢の向こうでインターフォンの鳴る音がする。うっすら目を開けると目の前に威乃の寝顔があり、ハルは飛び起きた。飲むだけ飲んで、二人して寝たようだ。
「やべ、こんなとこ見られたら、俺が魚の餌にされる」
ぶつぶつ言いながら、コタツから這い出て玄関に向かう。暖房が効きすぎて乾燥している。だが玄関は肌寒く、ぶるっと身体を震わせながらスコープから訪問者を確認して、今日何度かの溜め息を吐いた。
コタツで寝るもんじゃないな、寒いわ、身体痛いわ…。
「おいでやすー。ってか、遅くね?」
言いながらドアを開けると長身の龍大が、いつも通り無愛想な顔で立っていた。いや、申し訳なさそうな顔とかしろ。
「親父に呼ばれてて…威乃は?」
「ってか、何で俺の家まで知ってる訳?個人情報だだ漏れか」
ここにおるっていうんも、よく分かったな、おい。恐ろしいわ、風間組。
「威乃、来てるやろ?」
オマエはそれしかないんか。1に威乃、2に威乃。ご迷惑お掛けしています、先輩っていうのはないんか。
龍大の変わらぬ態度に苛立ちを覚えたハルはニヤリと笑って、目を細めた。
「あー、浮気はあかんわ、風間ぁ」
「浮気?」
「エロいネェちゃんからチョコ貰うてんてな」
「ああ、あれは勝手にポケットに入れられとって、それを威乃が隠してたみたいに言い出して」
「早合点でアホなんは、威乃の特徴ですー。ってか、アイツ、オマエの事に関しては自信がないねん。で、怖いねん」
「怖い?俺を?」
「ちゃうちゃう。もしかしたら捨てられるかもーみたいな恐怖」
言った途端、フッと龍大が笑った。うわ、何、その顔!!ちょっとこっちもドキッとするくらい、色気のある笑み零されましたけど!?
「俺が威乃を離す訳ないし」
「やめろやめろやめろ。俺の前で惚気んな。お前と威乃やて考えたら、首とか背中とか、あちこちむず痒くなんねん」
いーってなんねん。いーって。
「入ってええ?」
龍大に言われ、ハルは立ちはだかっていた身体を横にずらした。すると龍大は軽く頭を下げて中に入る。久々に逢うたけど、やっぱでかいなーと思いながら部屋を指差した。
「持ってけ、でっかい荷物。保育料は1万円や」
「ぼったくりやな」
少し笑いながら部屋に入り、コタツで大福とスヤスヤ眠る威乃を見下ろす目は優しさに満ちている。
奈良の大仏も、マリア様もビックリなくらいに見守られとるやん、威乃。俺だけはドン引きやけどな。
「猫…」
「威乃のうちでの癒しアイテムや」
「可愛いな」
どっちに対して言ってんの?そんな思いのハルを他所に、龍大は威乃の身体をコタツから引きずり出し持ち上げた。
コタツの暖かさがなくなり、寒いのか龍大にぎゅーっと抱きつく様は見ていられない。
「何か、恥部を見られてる気分なんですけど」
「は?」
「何でもない、持って帰って」
「助かった」
頭を下げながら自分の着ていたダウンで威乃を包み、壊れ物でも扱うかのように抱きしめる。お姫様抱っこって女のあこがれやろうよ。男のあこがれとかやないよね?ってか、男がされることやないよね?俺は嫌や。
「ん?飲んだんか。酒くさ」
「自棄酒しましてん。っちゅーか、オマエ、何で来たん?」
「梶原さんの車」
あー、おった。俺と同じ立場の恥部見られてる感の人。あの人なんてそれこそ24時間、恥部見られまくりやわ。
「誤解はちゃんと解いとけよ、そいつ、臆病者やから」
「知ってる」
ですよねー、もう、威乃の知らんとこはないんでしょうねー。あかん。砂吐きそう。
「じゃあ」
小さく頭を下げて、龍大と龍大の腕の中で眠る威乃は家を後にした。
「梶原さん、ファイト」
言いながら、玄関まで見送りに来た眠気眼の大福を抱き上げ、部屋に戻るとコタツのスイッチを消す。そしてコタツの横の冷たいベッドに潜り込み、湯たんぽ代わりの大福を腹の部分で抱きしめた。
「はー、あったけぇ。大福、おやすみー」
ハルの言った言葉に、大福が”ミー”と鳴いた。