CHANGE

空series short


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「あれ?」
渋澤威乃は手に持ったスマホを見て首を傾げた。ハルと待ち合わせをして買い物に出掛ける。今日の予定はそれだった。
だがその出先で時間を確認しようと思い取り出したスマホに違和感を覚えた。毎日見る触るスマホ。どこもおかしくない使い慣れたそれだが、スイッチを押して、あーあとなる。
「龍大のじゃん」
同じ機種、同じカラー。二人とも見た目に拘らないせいでカバーもアクセサリーもないシンプルなスマホ。画面に映し出されるのは、これまたシンプルなカレンダーの待ち受け。だが威乃が感じた見た目の違和感は綺麗だということだった。
龍大は見た目に違ってというか、とりあえず物持ちがいい。一つの物を長く丁寧に大事に使うタイプだ。
一方の威乃は、やはり見た目に違って何でも乱暴に扱ってしまう。物持ちを良くしたいが、とりあえず扱いが雑なせいで同じ日に買ったスマホは威乃の方は角が欠けていたり背面が傷だらけだったりする。
「うーん、やってもーた。出る時に入れ替わったんかも」
これが男女のカップルなら死活問題かもしれない。疚しい事がなくても何だか後ろめたい気分になり、一刻も早く自分のスマホを取り戻さねば!と息巻くだろうが…。
だが威乃は特段、慌てることはなかった。何ならメールでも何でも全データを舐めるようにチェックされても全然OKなくらいだ。なぜか。それは龍大が何より恐ろしいからだ。
恐怖政治ではないが浮気なんて考えるだけで身の毛がよだつ。それは殺されるより恐ろしいお仕置きに…だ。
だがそれよりも龍大を裏切りたくないと思っている。口にはしないが世界で一番大切な男なのだ。
「あいつ、困ってるやろーなー」
帰るべきかと思ったが、出かける時に一緒に外へ出たのだ。テーブルに投げていたスマホを龍大に忘れているぞと渡したのは威乃だ。予定外の仕事が入ったらしく、急に出て行かなければならなくなった龍大がテーブルに置き忘れていると思っていたが。
「それが俺のやったんかー」
そういうことなので家に行っても龍大は居ないので帰るだけ無駄だ。だからとて、アホヅラ晒して組に顔を出す気にはならない。
龍大の大事な人間であり風間組の幹部である渋澤の息子となった威乃は、まるで将軍か殿様かという扱いをされる。極端に言えば人が皆、平伏すのだ。
極道が。仁流会風間組のリアル仁義なき戦いの極道連中が、威乃に。本当に居た堪れない。
威乃が龍大の大事な人間ということを知っているのは、ごく一部だ。こんな事、公にしたところで組のためにならないからだ。
だが渋澤の息子だという事はかなり知れ渡っている。そして渋澤なのだが、かなり人望も厚い上に大幹部というポジションに居るそうで、どちらにしてもVIP待遇なのだ。
「龍大に電話かけるべきか…」
でも仕事中とかなら困るしなとぁ、うーんと唸る。
「でも、龍大から連絡があらへんってことは、これ困ってないって感じかも?」
そう良い様に解釈して、威乃はスマホをパンツのポケットに突っ込んだ。
もし龍大がスマホのチェンジに困ったとすれば連絡があるだろう。連絡があれば、その時に行動すれば良い。
威乃はそう決めて、今日は何買おうかなとあれこれと考え出した。するとその時、ポケットがブルブルと振動しだしたのだ。
「えー、マジか」
歩を止めてもブルブル振動が伝わる。間違いなくスマホの振動だ。威乃は諦めて、道の端に寄ってスマホを取り出した。
「あれ、龍大ちゃうし」
てっきり龍大が電話をしてきていると思ったのに、そのディスプレイに写っているのは番号のみの着信。
どうやら登録されている番号ではないらしい。
「なんや、誰や」
登録されている番号だったとしても、それに出る勇気はないが番号だけの着信は何だか落ち着かない。
誰だ、誰だと変に勘繰る。勘繰る先にあるのは、グロスで濡れた艶っぽい唇。
龍大に限ってそんな事があるわけはないが、組の仕事をするようになって付き合いという名の接待でそういう店に行く事が増えた。
そういうところに行った時は、きちんと報告を受ける。それは事後報告の時もあるが、威乃はさして気にもしてなかった。
それは龍大に限ってということがあったからだ。
だが無口で言葉数の少ない男は整いすぎた精悍な顔つきをしている。龍大がどうであれ周りの女が放っておくわけもなく、スーツのポケットに可愛らしい名刺がそっと忍ばされていることも多々ある。
それを浮気を疑う妻の様に見つけ出すのが威乃の仕事だ。別に弄っている訳ではない。家に帰った時に居る”誰か”への挑戦状かの如く、直ぐに分かるところに忍ばせてあるのだ。
女って怖いなーと、それをテーブルに並べながらいつも思うのであった。
「ってか、しつけー!!」
ぶーぶーと手の中で振動するスマホは一向に止む事がない。これってもう確定じゃね!?と威乃は意を決して通話をタップした。
「もしもし?」
返ってきた返事が猫撫で声の甘々声だったらどうしよう!?と、出てから思う辺りが自分らしいと思いつつ、出てしまったものはどうしようもないと息を呑む。
いざ浮気相手と対面!と安っぽい昼ドラ設定で自分を奮い立たせた。
『もしもーし?龍大??俺、俺』
上昇した心拍数が一気に萎える瞬間、奮い立たせた精神がポキリと折れる瞬間、まさにそれ。男だ。しかも俺俺詐欺みたいなノリ。
「もしもし、すいません、龍大やないです」
龍大の名前を言っているから俺俺詐欺ではないだろう。しかし恐ろしいほどに軽いノリに誰だか怖くなる。しかも”龍大”と呼び捨てにしているところもまた、誰これという感じだ。
『あれ?掛け間違いてしもた?堪忍、堪忍。あんな、俺なー、携帯替えたんよねー。水ポチャしてん』
それはお気の毒にと思いつつ聞いてないよとも思う。何だ、コイツ。
「あの、これ龍大の携帯ですけど、俺は龍大やないです」
我ながらアホな発言してるなと思う。だが事実なので、どうしようもない。それに他に言い様がないので、どうにか解釈してくれと丸投げしてみた。
『龍大ん携帯に龍大やへんあんたが、なんで出てはるん?あ、まさか泥棒はん?』
「は??ちゃうし。えーっと…高校の先輩です」
『はぁ?先輩???』
そういう反応になりますよね、うん。分かりますよ。でも、そうとしか言い様がないじゃない。恋人ですぅとか言うほど頭のネジはぶっ飛んでない。
『ふーん、ええねぇ。高校ん先輩なん。へー、ほうかぁ。ほんなら、あんた裏ビデいる?』
「…え?」
聞き間違いしたかなと、スマホを反対の耳に持ち変える。何か、妙な単語を聞いた様な気がする。
しかも、高校の先輩がどうして龍大のスマホを持っているのかということは全く気にならないのか突っ込んで来ない。というより…。
「あの、すんません、どちら様?」
『うん、えっとな、龍大ん先輩ってことはー。性欲やけで生きてる時期やんな?ってことは、やっぱ、きょーし??』
「いやいやいや、ちょっと?」
何言ってるの?ってか、性欲だけで生きてるって人を変態みたいな言い方すんな。で、高校生終わったばかりは教師は好きみたいな決めつけやめろ。
ってか、何だ、コイツ。全然会話に脈絡がない。というか一切、人の話を聞かない!龍大よりも頗るタチの悪い方の人の話を聞かない人間だ。
『カテキョもあるよ?』
「そこちゃうわ。いや裏ビデって何よ、いらんし!」
『え?自分、インポ?』
宇宙人かっ!!何コイツ、何コイツ、アホなの?初めて逢ったわ!俺以上のアホ!!
威乃はとりあえずと深呼吸をして賑やかな町並みを見渡し、咳払いをした。
「あのね、俺、龍大やないんやけど」
『先輩君やろ?』
「そうそう、先輩。で、あんたは誰か知らんけど、何?龍大にエロビデ提供すんの?」
『せやねん!めっちゃ回収したんはええけど、処分に困ってなぁ。眞澄に押し付けたんやけど、それ以来、着拒!子供か!ってなぁ。で、心とこかて提供したろう思うたんに、舎弟が出てもうてなぁ。そのせいで、うちも雷さんがお怒りなって…。まぁ、そらええねんけど、せやけど、えげつないねん!心までもが俺を着拒!ほんま、ガキやわぁ』
もう、どこからどう突っ込んでいいのか。まず、眞澄って誰?で、心って誰?というか…。
「お前は誰なんじゃ!!」
あまりに頭にきて叫んでから、ハッとする。そうだ、ここは街中の一角。隅に寄ったとしても人の往来の激しい場所で、案の定、道行く人が足を止めて威乃の方を見ていた。
「あ、あはは」
何でもないですよーと誰に向かってでもなく笑う。と、耳元でピーッという音がして見てみると、バッテリー切れの文字。
あいつ、また充電してなかったなと思いつつ、切れたもんは仕方がないと誰かも分からない相手に軽く”ごめんね”と言ってスマホをポケットに捩じ込んだ。
すると突然、尻を蹴られて2、3歩前に進んでしまいイラッとして振り返る。そしてそこに居た見知った顔に、あっと声をあげた。
「てめー、携帯忘れるとか、なんやねん」
ギロッと睨まれ、とりあえず笑う。そこに居たのは不機嫌さMAXのハルだった。
お互い昔の様に見るからにヤンキー的な風貌は卒業して年齢とともに落ち着いた身なりにはなったものの、中身までいきなり変える事が出来る訳もなく不機嫌になったときや、喧嘩上等の瞬間に過去にタイムスリップする。
まさに瞬間移動並みに。今がそれ。目付きからオーラから、とても悪い人みたいだよと思う。
「よぉここが分かったな」
「お前のアホ旦那から連絡きたわ!ボケ!!携帯入れ替えってどういうことやねん!おかげで俺の個人情報アイツに流れたやんけ!”あんたの登録しとくから”って、俺は先輩じゃ!!」
喚き散らすハルを、これ久々だなと平和ボケしている今の日々を思う。平和だなーと。
「あれ?でも、何で俺の場所分かったん?」
「お前…。お前が持ってんのは、ヤクザの携帯やぞ」
「おぉ!」
改めて言われると、それがズシッと重いものに変わるから不思議だ。そしてハッとした。
「俺、さっき、龍大にかかってきた電話出ちゃった…」
恐る恐るハルに言うと、ハルは渾身の力を入れて威乃の尻を蹴り上げた。

「電話?俺に?」
家に帰って仕事から戻ってきた龍大に、携帯チェンジのお詫びと今日の出来事を話した威乃は深々と頭を下げた。
「めっちゃしつこかったから、急用かなとか思うて出てん。ほんなら何か、めーっちゃ変な人で眞澄とか心とか…ああ!!心て、鬼塚心か!!」
威乃は一番消し去りたい名前を思い出し、サーッと血の気が引いた。すっかり忘れていたが時代錯誤の戦国将軍がそんな名前!まさに、鬼の子!!
「眞澄?心の事も言ってたん?名前で呼んでたん?関西弁?」
「え?うん。心と眞澄て。宇宙人やで、あれ。会話にならへん。やて、あれなんていうの?大阪やない。うーんと、イントネーションとか…」
「まさか、京都?」
「そう!!そうそう!京都や京都。”出てはるん?”って言うてたわ」
「あー」
龍大は思うところがあるのか自分のスマホを弄り出した。威乃がそれを覗くと龍大は威乃を膝の上に座らせて、問題の電話番号を履歴から引っ張り出すと着信拒否設定をした。
「え?着拒!?」
「ええねん。で、何てかかってきたん?」
「ん?えーっと、ああ、なんや、その…なぁ」
言い澱むと勘の良い龍大はすぐに気が付き、片眉を上げた。
「言うて、威乃」
腹に回った手がゆっくりと上に上がってきて、威乃の細い顎を猫の様に撫でる。こうされている内にさっさと薄情しないとなと、威乃は頷いた。
「えーっと、裏ビデいらんかーって。いて!!」
ギュッと顎を掴まれて、威乃は慌ててその手を掴んだ。
「俺がくれ言うたんちゃうやん!そいつやん!そいつ、眞澄にも心にも渡した言うてたもん!」
多分、そんなん言ってたはず!と身の潔白を証明する罪人の様に、威乃は必死に弁解した。それに龍大は片眉を上げてそうかと言ったが、そうかじゃねーよ!と思ったのは威乃だ。
濡れ衣にも程があるし龍大はいつまで経っても懐が狭い。赤子の小指ほども広さがない。
「お前はねー。もー」
威乃は姿勢を変えて龍大に股がる様にして座った。
組の仕事をするようになってから箔がつきましたねと思う。これ以上、男気上げてどうするのか。
だが威乃の前ではその箔も何もかもが役に立ってないのだから、いつまで経っても可愛い年下の男なのだ。
「可愛いなぁ」
威乃は何だかそれが可愛くて、その唇に軽いキスを落としたが龍大は可愛いと言われた事が気に入らないのか少し不貞腐れた顔をしていた。
そういうところが可愛いっていうのにねと威乃は笑って、そして二人でギュッと抱き合った。

その頃、電話の主、明神組の明神万里は自分のスマホを弄りながら”着拒、3人目…”と項垂れていた。