空が青ければそれでいい

空series second1


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「威乃…」
ゆらゆら揺さぶられ、目が覚めた。スーパースモークから微妙な光が差し込む。
目が…開かへん。てか、開けたくない。
「威乃、朝弱いから…。ええわ…俺が連れて行く」
夢見心地の中、龍大の低くてバリトンの利いた甘い声が鼓膜を刺激する。
コイツの声、好きやなぁ…。そんな乙女みたいな事考えてたら、フワッと身体が浮いた。
抱き上げられたんは分かったけど、もう眠たくて眠たくて龍大に猫みたいに顔を擦り付けるだけで目は開けへんかった。

めっちゃ柔らかい。身体が沈む…。真綿で包まれてるとはこのことで、寝返りしても身体の定位置を探す必要のない柔らかさ。
脳より先に起きた耳がボソボソと話し声を拾う。遅れて起きた瞼が、いい加減にしろとばかりに開いて、ぼやけた視界に入ってきたんは真っ白な天井…。
えーっと、確か…車で…。
「起きたんか?」
声のする方を見れば、龍大と梶原さんがソファで向かい合ってた。
広いベッドから離れた所に、豪華な刺繍の施されたソファに重厚そうな見事な洋風のテーブル。
馬鹿でかいそれを置いても、部屋はいっこも狭感じん。視界に映る範囲の部屋は、龍大の広いマンションよりも更に広かった。
どうにか身体を起こして伸びをして首を鳴らす。ここまで寝て身体が痛くないのは、お前のおかげかとベッドをポンポン、意味なく叩いた。
「シャワー浴びるか?」
「シャワー…うん」
「え?一緒に?」
ベッドから起き上がれば、梶原さんの訳の分からん言葉。
ツッこむんも面倒なって、龍大をギロリと睨んだ。オマエの日頃の行いのせいや、どあほうめ。

ここは所謂、スィートルームなんか?
大理石の敷き詰められた床に、白を基調としたバスルーム。あろうことか大理石のバスタブに入った乳白色のお湯には薔薇の花びらが浮いとって、片隅におるライオンの口から、涎ならぬお湯が垂れ流されとる。
カルチャーショックってこんなん?こんな宮殿にあるようなバスルーム、ほんまにあるんや…。
バスルームやで?バスルームやのに天井にはバカでかいシャンデリア…。
バスルームが丸ごと俺んちが入りそうな広さやし…。今、地震が来ても、ここだけは大丈夫かもって思う。
「入りたないかも…」
あまりに豪華すぎてドン引きするあたりは、やっぱり俺は庶民か。でも俺としては龍大の家の桧風呂が一番ええ…。
グダグダ言うててもしゃーないから、俺は意を決して風呂に入った。
一生に一度、あるかないかの高級感を味わうのもええやろ…。ただ、身体が薔薇臭なるんが玉に瑕。

高級な風呂入ると、自分も高級なった感じする俺はやはり単純。
ホクホクなった身体でリビング行くと、龍大が立ち上がってこっち来る。思わず構えたら、タオル取られてガシガシ頭拭かれる。
「長風呂やな、相変わらず」
「ライオンから涎が出ててん」
タオル取られて、髪の毛に龍大が擦りついてくる。のぼせ気味の俺は、龍大のやりたいようにやらせる。
熱いし…。頭ボーってする。ライオンの涎で遊んでたせいか。
「威乃、薔薇の匂いする」
「なんか浮いてた」
「威乃に合うとる」
いやいや…あんた、どんな面して言うてんねん……。
「龍大さん、そろそろ…」
龍大と違う声にハッとする。この付き合いたて、もしくは新婚家庭並みのアホみたいに甘い世界を、梶原さんの前で曝してたて…。
もう、あり得ん。
「威乃、威乃は何もせんと一緒に居て。心配せんで」
龍大はそう言うと、額に軽くキスしてきた。
オマエ…羞恥心てないん。

梶原さんの運転する車で見知らぬ街を流れる様に走る。それでもドラマやバラエティで流れる街中は、所々に見覚えがある。
そんな街並みを眺めながら、何で俺、こんなとこおるんやろって一瞬、冷静になる。
おかんがおらんくなって、龍大の力で極道に関わって知らん世界を知って…。
元に戻れんとこまで来てもうてるんやないやろうかと考えたけど、おかんを探すために戻られへんのであれば、それも大した代償やない。
車は街並みを外れて少し入組んだ所に入り込んで行く。車窓から外を覗けば、龍大んとこの風間組に似た雰囲気のビルの地下に車は飲み込まれた。そして地下に流れ込んだ車は、音もなく止まった。
奥の方にはテレビや雑誌で見たことある車がショールームみたいに並んでて、異様に光ってる。それを物珍しそうに眺めてたら梶原さんが車を降りた。
すると壁際にあるドアが開いて、まんまヤクザみたいなんがゾロゾロ出てきて花道を作り出す。
またか!思わず龍大の手をギュッと握った。
チラッと見て、あれ?って思う。風間組の花道よりも皆若い。しかもイケメン揃い。ちょっと見方変えたらホストクラブの花道。
「降りんで」
龍大に引き摺られるように車を降りたら、一斉に「「お疲れさんです!!」」と叫ばれた。
ドスの利いた声に、ない毛が逆立って龍大にしがみつく。龍大は何も言わんで梶原さんに付いて中に入っていく。
俺はもう顔も上げれずに、背中にイヤな汗かいてた。
「今日は相馬も心さんも居ますわ…」
「俺、相馬さんに会うたことないわ」
言いながら、カツカツと高い音ならしてロビーらしきところを歩く。フロントらしいとこには、小綺麗な姉ちゃんどころか人一人座ってなかった。
「お疲れさんですー」
またよお通る声が響いて、身構える。何なん……。チラッと見れば、長身でがっちりした人懐っこい顔した兄ちゃんが立ってた。
「成田か、久々やなぁ」
梶原さんは成田って呼ばれた兄ちゃんに肩組して、兄ちゃんの頭コツいた。
「ずっと運転ですか?疲れたんちゃいますん?兄貴、年やし」
「どあほう!まだまだオマエ等には負けへんわ!」
冗談言いながらの、和やかな雰囲気。あれ?兄ちゃん…関西弁や。
「龍大さんも遠いところご苦労様です。成田です」
兄ちゃんが頭を下げても、龍大は“ああ…”とつれない返事を返す。オマエ、誰に対してもそう来るんか。
「こんにちは」
龍大の後ろにガキみたいにしがみつく俺に、兄ちゃんはニッコリ微笑んだ。
思わず頭を下げるが、どうしても極道いうんが頭から離れんで、かなりビビってる俺はヘタレ以外の何者でもない。
「心さんは?」
「あー。御機嫌斜めですわ。若頭と喧嘩して」
「またか。仲の悪いやっちゃ」
梶原さんはため息つくけど、俺の心拍数は上がりっぱなしや。
極道最強の鬼塚心いうオッサンは、大変御機嫌斜めらしい…。日、改めた方がええんちゃうん?

成田さんは俺らをエレベーターに招き入れると、最上階のボタンを押した。無機質な箱は、まるで地獄へ招く様に音もなく最速で上昇する。
吐きそう……。ここ最近、こんなんばっかり。生きた心地せんて…この事や。
エレベーターは目的の階に着くと、そのまま俺らを吐き出した。柔らかい絨毯の敷き詰められた床は奥まで続いてて、行き先にはどっから持ってきてん!と突っ込みたくなるドアが、ただならぬ雰囲気を醸し出して俺らを迎え出た。
兄ちゃんは呼び鈴を押すとドアを開け、俺らだけを中に入れるとドアを閉めた。
どうせなら、俺も外に居たい…。
中に入ると黒を基調とした家具に、真っ白な天井には不似合いな天使が満面な笑みを浮かべてた。チラリと中を覗けば、これまた高そうなソファにその奥にキングサイズのベッド。
ベッド…?あれ?事務所ちゃうんや…。
「あれ…おらん。呼んでくるから座ってて」
梶原さんに促されて、龍大は俺を引っ張ってソファに向かった。
ソファの前には、何があってもビクリともせんであろう大理石のテーブルが置いてあって、その上には馬鹿みたいに高級そうな灰皿に煙草が溢れてた。
バクバク心臓が一人で暴走しだす。どないしようもない究極な状態。ガチャって奥のドアが開いて、梶原さんとその後ろに人影が見えた。
鬼塚心やー!!ギュッと龍大の手を握る手に力が入る。
「……ん?」
思わず出た言葉。
梶原さんの後ろにおったんは、まだだいぶと若い、これまた綺麗な顔をした兄ちゃんで、スッと通った美鼻にラインを引いたような切れ長の瞳は少し神経質そうに思えた。
あれが…鬼塚心?あまりの予想に反した見た目に、呆気に取られる。
「龍大さん、相馬です」
「えー!!」
梶原さんの紹介に、声をあげたんは俺。
声もあげたなる。相馬いうたら、梶原さんが鬼塚心より手強い言うた男や。
確かに小難しそうには見えるけど、正直、極道にはさっぱり見えん。どっちか言うたら高級クラブのホストや。
「こんにちは」
俺がパニックに陥ってると、相馬さんいう人はにこやかに微笑んで挨拶する。
「あ…こんにちは」
「龍大さん、初めてお目にかかります。鬼塚組若頭相馬北斗です。どうぞ、よろしくお願いします」
丁寧な挨拶をして、きれいにお辞儀をする。された龍大は片眉あげて、また“ああ…”ってつれない返事をした。
いやいやいやいや…オマエ、常識ない人間か。
「鬼塚は時期に戻ります。今、席を外してますから…。そちらの可愛い方はお名前は?」
「あ、秋山威乃…です」
どもったで俺。可愛いに突っ込みも出来んし。最悪。
「相馬ぁ、威乃さんに手出したら龍大さんに殺されんで」
梶原さんが笑いながら空いてる席に座った。
「それは気をつけないと」
言う相馬さんは笑顔を崩さず、言われた龍大は無表情。話のネタの俺は、居た堪れんようなった。
「わざわざご苦労様でしたね、酒井組でしたね」
「はぁ…せやねん。あいつ等、あこいことしよるらしいやん」
「あこい…まぁ、噂はちらほら聞きますね。島が違うので関わりもありませんし、ましてうちに近寄ってもきませんから…」
「まあ、それは賢い方法やろうけど、酒井組の傘下の佐渡に用があんねん」
「傘下の組ですか…どっちにしても、あれの機嫌次第ですね」
にこやかに話してるけど、組じゃ傘下じゃ物騒な事を言うて、挙げ句、鬼塚心の機嫌次第と聞けば、何かもう篠田さんに頼むからって謝りそうなる。
悶々とした中、出入り口のドアの開く音がした。パッと目をやると、現れた男に息を呑んだ。
鷲のように鋭い双眸が長い前髪の間からギラリと光り、高く通った鼻梁に感情の薄そうな唇。長身で黒のスーツを身には纏っているものの、シャツのボタンは第三ボタンあたりまで開かれ、屈強な胸板が顔を覗かしていた。
極道、悪徳金融屋、チンピラ。どれもピッタリ。
その鋭さがありつつも整った顔立ちは、ホストでもいけるやろうが見た目…凶悪、粗野、無作法…。
見た目で判断したらあかんけど、街で肩がぶつかったら、俺なら一生懸命謝る。
しかしここのチンピラ、舎弟はみんな若い…。
「…あ、心」
俺の横におる龍大が、予想もせんかった名前を呼んだ。
俺は「え!?」っとアホ声出して、龍大とソイツを壊れた人形みたいに交互に見た。
え?…今、”しん”って言うた?”しん”て?え………?
「なんじゃ、揃いも揃ってわざわざ来よって」
低い、それでいて色香を含んだような甘い声で乱暴に言い放つと、俺らの前のソファに座り、あろうことかゴロリ。横になった。
えーっと、俺の頭はアホやけど、まぁ…アホやけど。いや、なんちゅーの?チンピラ、舎弟がさぁ。兄貴分の風間組の人間、しかも組長の息子を目の前にこんなふてこい態度取ってええもんなん?
現に相馬いう人かて座らんで、綺麗な姿勢で梶原さんの隣に立っとる。これが普通でしょ?
それとも、ヤンキールールとヤーさんルールはちゃうの?俺やったら、一発ボコ…。
え?いや…ないない。
いや、ないない。え?
え?もしかして…。しんって…。
「鬼塚心…」
思った事、口に出さんようにせなあかんで。呟いただけやのに、みんな地獄耳。
全員こっち向きくさった。鬼塚心に至っては煙草を銜えながら、そんなつもりは微塵もないやろうけど、今から殺すみたいな目で俺を見た。
「何じゃ、クソガキ」
あ、やっぱり鬼塚心なんや…。そうなんや…。あー、そうなんやぁ。
「威乃?」
龍大、もとい、馬鹿龍大が不思議そうな顔をして見てくる。
俺はそんな龍大を睨みつけた。
「お前!話がちゃう!」
「…は?」
「鬼塚心は超怖いオッサン言うたやんけ!」
せや、俺が間違えたのも無理はない。目の前で優雅に煙草を吸う鬼塚心は、あり得んくらい…若かった。