花の嵐

花series second2


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「佐野、心ねぇ」
崎山は心が塒にしていた事務所のソファに深く座り、雨宮の報告にフッと笑った。どこか楽しげな顔は、次の瞬間には苛立ちを如実に表すそれに変わり、テーブルの上にあった雑誌を壁に投げつけた。
「履歴書に書かれてた住所の場所に行ってみましたけど、コンビニでした。あと、携帯は飛ばし携帯で足は掴めませんでした」
その雑誌を拾って雨宮は淡々と報告する。崎山の下で働くには、これくらいのことで動じていられないのだ。
「舐めてるよね、本当。笑っちゃう。ま、本名なわけないだろうけど…」
「そうっすね。まぁ、珍しい名前って訳でもないんで、100%そうかと言われると困るんすけど」
「組長の昔の名前かー。何これ、何でもお見通しだぞーってこと?ふっ、やってくれるじゃん」
崎山はネクタイを緩めて、テーブルに足を投げ出した。その普段はしない行動が、いかに苛立っているのかを物語っていて、崎山に報告に行く事を拒んだ相川は正解だったなと思った。
「何を考えてるんだか」
「え?」
「ね、だって回りくどいやり方だと思わない?盗撮したり、及川に写真送りつけたり、わざわざ出向いてくれたりさ。それで今回の爆破でしょ?」
「力試し…っすかね」
雨宮は調査している間に思っていたことを口にしてみた。色々と調べてみても、痕跡は全く残さないくせにやっていることが全て回りくどく面倒なものばかり。
もし心の命、もしくは組への襲撃を目的としているのなら、雨宮ならば予告なくそれを実行に移す。そうすれば、標的を確実に殺れる確率があがるからだ。
だが今のこの状態は、気を付けてくださいとわざわざ警告しているようなもの。なら考えられることは一つ。相手にしてみて、自分が楽しめる存在かどうかの”力試し”。そして…。
「力なんて試す必要はないじゃない。仁流会会長補佐だぜ?」
「あー、」
雨宮が言い淀むと、崎山がフッと笑った。
「ゲームか」
「…すね」
そして、ゲーム。情報を集めてステージをクリアしていく、リアルRPG。今、そのステージはどの辺りなのだろう。
事務所のロビーと言えども敵の陣地に入り込んでいるのだから、かなりステージとしてはラスボスに近づいているあたりなのか。
それは雨宮にも誰にも分からない。分るのは、その犯人であるプレイヤーだけだ。
「で、そいつ。舘石、本当にこの自称佐野心との接点はないわけ?」
「そうですね。品行方正とまではいかないまでも、特別に何かある男ではありませんでした。もちろん、今回そいつが隣に乗ってきたのもたまたまです。一応調べてはみましたが、うちのルート担当になって結構長いんで成田さんも面識ある男でした」
「まったく足、掴めないんだ」
「そうっすね」
全くの八方塞がり。鬼塚組ともあろう組が、たった一人の男に翻弄されている。いや、実際は何人居るのかさえ、把握出来ていないのだ。
崎山はそれが腹立たしくて、ぎりぎりと奥歯を噛みしめた。今すぐ殺したいと物騒なことを思いながら、相当、頭に血が上っているのを感じ息を吐いた。
「佐々木は?」
「明日には退院するってオッサンに聞きましたよ」
「ざまぁねぇな、本当」
崎山は煙草吸いたいと呟いた。

静はいつもとは違う様子に些か困惑していた。店に行こうと思ったら、何故か雨宮ではなく橘が送迎すると車を回してきた。
そして、その車の前後をあまり面識のない組員が運転する車が挟むようにして走行していた。静とて馬鹿ではない。こんな仰々しい状態を何事もないと感じない訳はない。
静はもそもそと後部座席から顔を出して、ハンドルを握る熊のように大きな橘の顔を覗き込んだ。
「あ、どうしました?」
「もしかして、何かあったんですか?」
「大丈夫ですよ。ちょっとしたトラブルです」
橘はにっこりと笑うが、ちょっとしたトラブルで静にまで護衛がつくのだろうか。もうこの状況がちょっとしたというのとは違うなと思い、ハッとした。
「え?あのバカ、何かやったとか?」
「ば、ばか!?」
静と話す機会の少ない橘は面食らったように静を見た。だが静こそどうしたんだという顔をした。
「え?」
「く、組長ですか」
「え?そう…また、何かやらかしらのかなって思って」
「いえ、そういうのではないんですが」
「あれ?じゃあ、雨宮さんって今日、お店お休みになるのかな?」
「そうですね。今日は休みをもらったと言ってましたよ。今日だけなんで、大丈夫ですよ」
にっこり笑う橘に、これ以上何かを聞いても困らせるだけかと思った静は、短い返事をして後部座席に戻った。
いつまでも蚊帳の外だなと思う。それを良いのか悪いのかと聞かれると困るのだが、何があったのかはやはり知りたいような気もする。
とはいえ静と心はまだ出逢って何年も経ったわけでもない。嵐の様に時間は過ぎてしまったが、そんな密に過ごしているわけでもない。なので静の知らない心の顔というのは当然あるわけで、そして、もちろん静の知らない組の内情というのもあるのだ。
昔に鬼塚組のことを調べたとき、その名の通り鬼の棲む組と聞いた。その鬼こそが心なのだ。そしてそれが恐らく静の知らない心の顔。
果たしてその静の知らない心の顔を知って、自分はどう思うだろうと考える。恐怖を感じるか、嫌悪を感じるか、果ては、侮蔑するか。
考えてみても、見たこともないので結局答えは出ない。そしていつも、あれこれ頭で考えるのは苦手だと再認識して終わるのだ。
「あ、誰か怪我したりとかしてないですよね?」
「ええ、みんな元気ですよ。組長も元気ですね」
ですよねーと、ホッとしたような呆れるような。猛獣のような男は怪我をしてようが何をしてようが、飄々として澄ました顔をみせていそうだ。
実際、心は人よりも強くできているんじゃないかと思う。同じ男として、その強さには憧れないわけではない。
鋼のように硬い胸も、刀のように鋭い腕も、何もかもが鍛え上げられた心の身体。
「あいつ、異種格闘技戦とか出たらいいのにね」
「は?」
「全勝しそうじゃん。あ、でも眠れる獅子だもんな」
「眠れる獅子ですか」
「思いません?いっつも寝てばっか。あれね、絶対に身体にパワー温存してるんだと思うなー」
「は、はぁ…」
橘は困ったように曖昧な返事をした。

店は雨宮が居ないので、サーブをするのに君嶋がカウンターに出ていた。そして、その補佐に静。
いい加減、カウンターを仕切れるバーテンを雨宮以外に雇えばいいのになと、静は少し不貞腐れながらグラスを磨いていた。
バーテンは雨宮ともう一人、星という男が居るらしい。なぜ、らしいという曖昧さかというと、メインサーブはこの星と雨宮が交互にシフトに入って回しているので、静は星とは面識がないのだ。
面識がないというのも不思議な話ではあるが、こういうイレギュラーなことがない限り、雨宮と静のシフトはすべて被っているので星と逢う機会がない。こんな個人的な都合のシフトで、他のスタッフからクレームが出ないところが不思議だ。
そしてこの星だが、あだ名は”スター”。初めは何か特別な理由があって、そのニックネームなのかなと思っていたが、タイムカードに”星”と書かれているのを見つけて苗字だということを知った。
まんまのニックネームだったというわけだ。
この星も雨宮に負けず劣らずの酒に博識な男で、やはり目当ての客が付いていると聞いた。それはそれでいいと思う。
こんな口コミだけで宣伝するような店は、そういう顧客は大事にしないといけないし逃してはいけないと思う。そして、雨宮や星のような酒通のバーテンに会いに来る客は、やはり酒通なのだ。
そういう博識な客だけがカウンターに座るという常連の中では暗黙のルールがあるなかで、酒は何となく勉強してますけどみたいな静が王座よろしくカウンターについていていいものかと思う。
君嶋と違いカクテルも軽いものしか作れないし、だからとてトークが上手いわけではない。なのにどうしてかいつも外に放り出される。しかも今日は雨宮もいない。
どことなく心細くなっていると、静の前に客が座った。ついにきた!と静は息を呑んだ。
「いらっしゃいませ」
客に動揺が伝わらないように、静は余裕の笑みを見せた。客は40代前半の男だった。綺麗に髪を整え、細い銀縁の洒落た眼鏡をかけていた。
どことなく相馬に似ている男は、静を見ると”おや?”と声を上げた。
「えっと、今日は星君は居ないのかな?」
男は申し訳なさそうに静に言ってきた。それを聞いて静は”スターの客か!”と心の中だけで動揺した。
「今日は、星はお休みをいただいておりまして」
「あ、そうなの?じゃあ、星君より酒に詳しいっていうバーテンは君かな?」
な訳ないでしょ!と笑い飛ばしそうになった。だが雨宮ではないものの制服を着ている時点で、ここの店の従業員であることには代わりないのだ。
気分を害されないように何とかしなければと、静は必死に笑みを作った。
「申し訳ありません。今日はそのバーテンもお休みをいただいておりまして、本日は私か、あちらの者が対応させていただいております」
と同じカウンターで客の相手をしている君嶋を見た。男はそれに怪訝な顔も残念そうな顔も見せず、笑みを浮かべてくれたので静は安堵した。
「それは失礼をしたね。じゃあ、今日は君とお話をしようかな。名前とか聞いていいのかな?」
「あ、吉良です」
「吉良…吉良上野介に由縁のある家なのかい?」
「あはは、よく言われるんですけど、まったくないんです。あ、でも、もしかすると先祖をずーっと辿ればそうかもしれませんね」
昔は煩わしかったこの名前の話も最近では客との打ち解ける要素のひとつになっていて、ありがたく使わせてもらっている。
カウンターに座る客層は、酒好き、酒通というせいもあってか、年齢層は静より上が多く圧倒的に男が多いので、ここから歴史の話になるのだ。
「吉良っていう名前は珍しいから、もしかするとそうかもしれないね」
「ですね。あ、失礼いたしました。今日は何にいたしますか?」
「あ、これは失礼。えっと、吉良君は全く酒は知らないのかい?」
「いえ、さすがにそれは…」
でも酒を一通り習ったのが、彪鷹で、しかもべらぼうな値段の酒ばかり。それ以外といえば、雨宮にはカクテルを何点か教えてもらっただけ。
いくら目の前の客が酒好きといえども、ワンショットで何千円もする酒を薦めるのもなと静は頭を掻いた。
「どうしたの?」
「いえ、僕が教わった酒はモルトウイスキーで」
「モルトウイスキーは好きだよ、僕も」
「あー、マッカランとかなんですよ」
「おっ」
男はさすがに苦笑いをした。一瓶で何十万、その酒の価値を分かる人間しか飲む資格はねぇ!と雨宮が豪語するマッカラン。
しかも雨宮はそれを出す客を選ぶ。ネームバリューだけのカッコつけで飲む客には、品切れと言い張って出さない徹底振りなのだ。
「でも、マッカランは雨宮か星とかが居るときに、飲んでいただきたいです」
「え?どうしてだい?」
「僕は酒に詳しいわけではないのですが、マッカランを教えていただいたときにその酒のルーツとか詳しく話してもらったんです。そういうのを聞きながら色々な飲み方をされたほうが、楽しいと思うんです」
「君、ふふふ、本当素直な子だね。いいよ、気に入った。じゃあ、マッカランは星君が居るときにしよう。じゃあ、君が作れるリーズナブルなウイスキーをくれるかい?」
男はウインクして静に言った。それに静は胸を撫で下ろした。

「会社の社長さんなんですね」
静は男に渡された名刺を見て、感嘆した。名刺には”RIO Co. Ltd."と書かれていて、その下に代表取締役 SHINDOU MASAOと英語で書かれていた。
「英語表記なんですね」
「ああ、顧客が外国人ばかりでね。輸入家具とかを取り扱ってるんだよ」
「そうなんですか。へー、すごい。”しんどう”って進む藤ですか?」
「そうだよ、まあ、向こうの顧客はフレンドリーだから、みんなが”まさお”を連呼するんだよ」
「なんとなく、想像つくかも」
「そういえば、僕はここに結構通ってるけど、吉良君を見たのは初めてだなぁ。そのもう一人のバーテンの、雨宮って子も見たことないんだ。ちょっと逢ってみたいんだけどね。常連の間では有名な子で」
「有名、ですか?」
どういう意味でと、少し心配になってしまった。あの無頼漢な態度が、ちょっとどうなの?みたいに話題になっているとかじゃないよなと。
「あ、変な意味じゃないよ。ものすごく酒に詳しいらしいね。しかも彼のサーブは惚れ惚れするくらいに素晴らしいって聞いてね」
静が心配そうな顔をしたのが分かったのか、進藤は慌ててフォローを入れる。それに静は安堵した。
「なるほど、あ、でもフレアバーテンディングはしないですよ、彼」
「うんうん、そういう派手さじゃなくシェイカーを振って作り出す酒が絶品なんだって。あとは酒の知識。言葉数の少ない子らしいけど、とても楽しい時間を過ごせるって聞いてねぇ。僕も彼と一度飲んでみたいんだけど、運が悪くて会えたことがない」
進藤は眉を上げて、さも残念そうに言った。それに静は少し笑ってしまって、慌てて頭を下げた。
「すいません、いや、本当に会いたいんだなと思って」
「そうなんだよねぇ。星君も良い子なんだよ、綺麗な子だし、素直で酒に実直だ。でも誰かに自慢されると会いたくなっちゃうんだよね」
「そうですね。分かります」
「でも、シフトを聞いたりしちゃいけないんだ」
進藤はふふっと笑って、右手の人差し指を左右に動かした。
「ダメ、なんですか?」
「こういうのはね、偶然逢えるからこそ喜びが増すのさ。まぁ、その彼が居なくても星君が居るしね」
進藤は楽しそうにそう言って、残った酒を一気に飲み干した。
「今日は今日で、君みたいな綺麗な子と酒を飲めた。あ、男性に綺麗は失礼か。星君にもよく怒られるんだけど、でも、綺麗なものは綺麗って言っちゃうだろ?」
「はは、そうですね」
さすが欧米に染まってるだけあって、言葉がストレートだ。こういうのは日本人にはないなと思う。
「さて、じゃあ今日はもう帰ろうかな。また来るよ」
進藤は上品なコートをさり気なく羽織って、ひらひらと手を振って帰っていった。
何だか不思議な人だなと静はフッと笑った。まさか雨宮が常連の間で、そんなにも有名になっているとは思ってもいなかった。
確かに雨宮目当ての客が多いのは知ってはいたが、そんな褒め称えられているとは思ってもみなかった。
それが静は自分のことのように嬉しくなり、にやける顔を必死に締めた。