久志が部屋に帰ると、雅は先に帰っていた。コンビニの弁当を二つテーブルに置くと、雅は小さな声で礼を言う。
だが、久志に目を向ける事は無い。久志は雅の細く長い指が、迷う事無くカタカタとキーを打つのを感心した顔で見る。
「…買うたん?」
「俺がじゃないよ。山瀬さんが家でも仕事出来る様にって。俺はする気はなかったんだけど」
家でまで仕事をしたくないというのは、きっとヤクザだとか何だとか関係なく世の中の働く人間全ての意見だろう。
新品のノートパソコン。雅に与えられた道具。覗き込めば目が痛くなるほどの数字の配列に、久志は目眩を覚えた。
「何これ、頭痛うなるわ」
「株価だよ。知らない?」
「知る訳あらへん。なぁ、ラーメンあった?弁当だけじゃ足らへんわ」
久志は全く興味がないとばかりに、ノートパソコンから目を離した。
「買い置きあるんじゃない?お前が食べてなければ」
久志はキッチンに入り、戸棚を開ける。そこには久志が買い置いた、スナック菓子や即席麺が詰め込まれていた。
久志が初めて来た時、今まで何を食べて生活していたのか不思議なくらい料理器具の一切無い家だった。
雅も引っ越しして来たばっかりだと言ったが、必要最低限の鍋すら無く、久志は綾子を訪ねて要らない鍋はないかと聞いたのだ。
綾子はそんな久志を引っ張ってホームセンターへ連れて行き、あれやこれやと買ってくれた。
綾子には久志と同じ年の息子が居た。もしその息子が生きていれば、こんな買い物もしたかったのかもしれないと、久志は綾子の行為に素直に甘えた。
その綾子のおかげで必要最低限の料理器具や食器、果ては炊飯器などの家電製品までも揃った。
「オマエも食え、作ったるから」
雅は食欲に対して鈍感な男で、そして何でも出来そうな顔をしているくせに料理に至っては卵もろくに割れない不器用さを隠し持っていた。
粉砕した卵を見た時、何でも出来る男という噂は大嘘だと久志は思った。そして雅はかなり我儘だ。
とにかく食事を用意しなければ食べない。だがコンビニ弁当などの味気ない食事が嫌いで、それが続くと機嫌が悪くなる。
本当にどんな王様だと言いたいが、勝手にしろと放っておける性分でもないので久志は二人分の食事を用意するようになっていた。
下っ端の身分でそんな身入りもあるわけがなく、出資者は山瀬だ。
インスタントラーメンにネギや卵を落とし、弁当を温める。それを持って、久志は雅の居るテーブルに行った。
「おらおら、どかさんかい、飯じゃ」
「ん…」
雅がパソコンを持ち上げ、床に置くがその瞳はまだ画面に向けられたまま離されない。
久志は飽きれた様に溜め息をついた。
「ほんま、オマエ今までどないして生きて来たんか、ほんま不思議」
「そうか?朝昼晩三食がっちり食うお前の方が変」
「中に入っとったからな。癖ついてんねん」
「あっそ」
雅と二人の食事は嫌いではなかった。
雅は実に話題豊富な男で、テレビのニュースでキャスターが簡単なことを回りくどい言い方で分かり難く伝えることも、久志に分かり易い説明をして話す。
ろくに学校も行っていない久志からすれば、雅は良い先生だった。
食事のあと、久志は風呂に入った。いつも久志が食事を買ってきたり作ったりしているせいか、雅は帰宅するとまず風呂の用意をする。
二人に自然に出来た役割分担だった。
「おい、昨日貸した雑誌は?」
風呂の磨りガラスのドアに、雅の影が見える。湯槽に浸かりながら、久志は手を伸ばしドアを開いた。
「ああ、俺の部屋。持っていって。あ、山瀬さんから書類も預かっとんねん。忘れてたわ」
久志が言うと、雅は眉を寄せ怪訝な顔を見せた。
「いつ預かった」
「昨日、堪忍」
へへっと笑うと、雅はバンっと乱暴にドアを閉めた。
暫く湯槽に浸かり、身体を温めると久志は風呂からあがる。不思議とここに来てからは、ゆっくり風呂に入ることが多かった。
関西に住んでいた頃も家に風呂はあったが、まともに入ったことはなかった。
少年院では、限られた時間に見張り付きでの入浴。なのでこうして誰かに風呂を用意してもらうだなんて、生まれてから今の今までなかったことだった。
「あ〜ええ湯やったって、何してんねん」
久志が風呂からあがると、久志の部屋の前で雅が立ち尽くしていた。
久志はマンションに来て二日目には自分の部屋にドアを付けたのだが、雅はそのドアの前で身動きせずに立ち尽くしていたのだ。
「入ったらええやん、何も疚しいもんあらへんねんから」
雅の後ろから腕を伸ばし、ドアを開ける。カーテンを閉めた部屋は真っ暗で、何も見えなかった。
「……!!!!」
その部屋の中を見た雅が突然久志を押し退け、口元を押さえながらトイレに駆け込んだ。
「雅!?」
唐突の出来事に、久志は慌てて雅を追った。雅はそれこそ便器に顔を入れ込むようにしながら、嘔吐していた。
尋常ではない状態に、久志は慌てて雅の背中を擦る。
「おい!大丈夫か!」
もう吐く物もなくなったのか、雅は身体全体で呼吸をしながらゆっくり立ち上がった。
「…大丈夫…だから」
久志は水…と慌てて台所に行き、冷蔵庫のミネラルウォーターを取り出した。
だが次の瞬間、ゴンッという音が響き、まさかと廊下に顔を出すと雅が倒れているのが見えた。
「雅!!!!!」
雅をリビングに運び、雅の部屋から持ち出した布団に寝かせる。
雅の部屋でそのまま寝かせても良かったが、久志は心配でそれこそ手の届く範囲に雅を置いた。
一体、何が起こったのか、久志には訳がわからなかった。
だが、雅は久志の部屋の中を見た途端に吐いたのだ。中に何がある?何もない。
家ではほとんど雅とリビングに居て、部屋は寝るためだけにあるようなものだ。生活の中心はリビングで、リビングに物は増えてもプライベートルームに物が増えることはなかった。
久志は徐にパソコンを開くと、”崎山雅”と打ち込んだ。
この国は人を惨殺しようが何をしようが、未成年ならば名前は少年Aだ。当然のことながら、久志も事件の報道では少年Aだった。
もし、雅が言っていた父親を殺したというのが真実であっても、間違いなく雅の名前は出ない。
だが、雅には何かあると久志は確信していた。それが父親を殺したのか、何をしたのかは分からない。
でも、あの闇の様に深い瞳には、何か隠している事があるはずだ。三流雑誌でも誰かのブログでも良い。何かヒットしないだろうか。
「あ…?」
久志の思惑に沿う様に出るはずもないであろうと思われた名前は、意外に簡単にヒットした。
だが、雅は加害者ではなく被害者だったのだ。
「…これ」
雅が目を醒ましたのは、倒れてから二時間ほど経ってからだった。
布団の中でゴソゴソ動けば、久志がそれに気が付いて顔を覗き込んで来た。
「おはようさん」
「…俺」
「水飲むか?喉乾いたやろ。オマエ吐いてから倒れてもうて。どっか痛まんか?」
「頭が…」
「転んだ時に打ったんやと思うわ、冷やすか?コブなってもうてるわ。アホなるかもな」
雅は頭を押さえながら身体を起こし、打ち付けた頭を擦る。確かに後頭部に見事なコブが出来上がっていて、雅は痛みに顔を顰めた。
久志は濡れタオルを持って来て、雅に渡すと雅はククッと自嘲した。
「…吐いたか」
「ああ、そりゃぁ気持ちええくらい、ドバドバな。喉気持ち悪いやろ、早う水飲め」
久志は雅にペットボトルを渡すと、雅の隣に腰掛けた。
「…何か聞けば?」
「何を聞くん?ああ、あんだけ吐いたら腹減った?」
「ふざけろ、お前」
雅の真剣な顔に、久志はうーんと唸った。
「誰にも言いたない事ってあるやろ。自慢出来る話やったら、ちょっこと聞いたってもええけど、そない言いたない話はせんでもええんちゃう?」
雅は水をゆっくり飲むと、大きく嘆息した。
「俺、進学校に通ってた」
前触れも無く始まる話に、久志は何も言わずに頷いた。
「せやろね、オマエめっちゃ頭ええし育ちも良さそうや」
「成績は常に首席、家も普通より少し裕福で妹と弟が居て、専業主婦の母が居た。父は会社を一代で大きくした仕事人間で厳格な人だったけど、家庭を大切にしたし、俺は長男だから可愛がられた。小さい頃は休みの度に公園でキャッチボールしてね」
「うん、絵に描いた幸せ家族」
自分には絶対にない、一瞬たりとも味わった事の無い幸せな家族。それを思い浮かべ、久志は言った。
「茶化すなよ…。でも、そんな生活も俺が高校の時に崩れた。クリスマス前、あと数日で終業式。寒波到来で寒くて…俺は雑用で学校に遅くまで居たせいで帰りが遅くなった。帰ると珍しく父が家に居て…」
雅はギュッとペットボトルを握った。それを横目に見て、久志はただ黙って聞いていた。
「服が…服が血塗れだったんだ。寝室には母の血塗れの死体。弟の部屋に逃げ込んだんだろうね。妹と弟は折り重なる様にして血塗れで…よく見ると家のあちこちに血が飛び散ってて…」
「…うん」
「父は…残った俺を殺そうとした。俺は逃げた。逃げて、たまたま巡回してたお巡りに助けられて、でも、父は俺達の目の前で首をかっ切った」
想像してみても、ゾッとする光景だ。
久志は横目で雅を見た。雅は唇をグッと噛んで、今にも泣き出しそうなほど脆い顔をしていた。
「…父が家族を殺した。でもさ、父は家族だけじゃなく会社の部下にも手かけてて。俺は被害者の親族であり加害者の親族なんだよ。ね、その葬式ってお前、想像出来る?」
「…分からん」
立場的にはよく似たものなんだろうか?久志も被害者の親族だ。
だが久志の場合、加害者張本人。それに葬儀だなんて、志緒理が明彦のために執り行っているとも思えなかった。
「俺って、本当に友達って言える人間が居なかったんだなって思ったんだよね。もともと同級生との馴れ合いを好まなかったから上辺だけ話する人間は居たけど、放課後まで一緒に行動する同級生も居なかったし、それを寂しいだなんて思わなかったけど、あれは結構晒し者。葬式に参列する妹や弟の同級生、俺の同級生、教師は野次馬状態だからね。あちこちでヒソヒソ。親戚に至っては、父の親族と母の親族の啀み合いだ。人殺しだなんだ、俺をどうするんだってね。だから俺は姿を消した」
「……」
「母の兄に当たる伯父さんに言われた言葉が一番の引き金だな」
「何て言われたん?」
雅はフッと笑うだけで首を振った。
「忘れた…。でもさ、他人も殺して家族も殺して、しかも会社の社長だったから三流雑誌が面白可笑しく書き立ててさ。俺はどこへ行っても殺人犯の息子なわけ。全く関係ない奴等が俺を罵り殴る。でも、不思議と痛みがなかったんだよね。麻痺してたのかも、あの冬の日から」
雅は右の掌を久志の前にスッと出した。そこには傷を縫合された痕があった。
「唯一、父が俺につけた傷。この傷よりも痛いものを痛いって感じなくなったんだ」
「だから、身体売ったん?」
自暴自棄になって?そう口から出そうになり、久志は口を噤んだ。
「フフッ、売ってないよ。売ろうとしたとこで捕まったんだよ、梶原っておっさんに」
「そうなん?」
ウリをしていないと聞いて、久志は心のどこかでホッとしていた。
家族を家族に殺され自分も殺されかけ、そして行き場を無くして身体を売る。さすがにそれではやり切れないと思ったのだ。
「俺さ、ドア、怖いんだよ」
「ドア?」
「そう、家のドアってよりも部屋のドア。ドアを開けると、血塗れの母と弟と妹が居るんだ、血塗れで、どうして俺だけ生きてるんだって聞くんだ」
「そんなんっ!!!」
「本当に、俺だけどうして生きてるんだろうね」
雅はそう言って、クスクス笑った。
久志はそんな雅を悲しげな表情で見た。パソコンで見た雅の事件は雅が話した通りだった。
事件現場として掲載されている家は、今にも幸せそうな笑い声が聞こえて来てもおかしくはない、そんな家だった。
「別に、同情なんかいらないぜ」
雅の声は久志には聞こえなかった。久志はボロボロと涙を流して泣いていた。雅に何か言いたいのに、何を言っても慰めにもならない事を久志は分かっていた。
自分とは明らかに交わることの無いはずだった雅が、今、同じ場所に居ることへの苛立ち。
雅は本来はもっと、光の当たる場所を歩いてるはずなのに、なのに雅は此処に居た。それを久志は悔しく思った。
悔しくて、悔しくて、ただ涙が溢れた。泣けない雅の分まで、恥じらいも無く泣いた。
「オマエ、泣き虫だったんだな」
雅は笑いながら、久志の頭を撫でた。
久志と雅は灯りを消した薄暗いリビングで、布団を並べていた。
久志がどうしても一緒に寝たいと言ったのだ。雅は困った顔をしていたが、それを渋々受け入れた。
暗い部屋の中、雅はどうして父親が家族や部下を殺したのか、ポツリポツリ話始めた。
「あんなぁ…結局悪いんはヤクザやん。恨めへんかったん?」
「関西人は同じ事聞くんだね。それ、梶原のオッサンにも聞かれたよ。もしかして、皆思う事なの?でもさ、梶原のオッサンにも言ったけど、結局、馬鹿なのは利用された部下で、愚かなのはそれに気がつかなかった親父だよ。ヤクザって看板上げて店構えて野菜売ってる訳じゃないんだよ?一般庶民って奴等の奥底に潜む闇を見つけて、そこに付け入って肥やしを増やす。何かの本でヤクザはウイルスだって読んだな。ワクチンなんか無い。桜代紋掲げた警察でさえ、全滅出来ないんだよ?人間、誰しも心の奥底に欲望を持ってる。それを歪ますのがヤクザ。まぁ、俺にしてみれば歪まされる奴が馬鹿だって思うけどね。でしょ?親父の部下だって金の為にヤクザとの取引なんて馬鹿な事してさ。どれくらい貰ってたのか知らないけど、どうせ端た金。一生かかっても手に入らない様な額じゃなかったはずだよ。でも、目先の欲望に目が眩んで、底なし沼に堕ちた」
「…底なし沼?」
「もし、何らかの事情でその取引が出来なくなるとする。じゃあどうなる?出来なくなったの?じゃあ仕方ないねって言う相手?じゃあ他の方法で金を手に入れろ、さもなくばお前の家族が危険だぞとか脅してくるよね。警察にも言えないよね?言える?取引しなくなったら脅されました。馬鹿じゃなけりゃしないよね?人間ってさ、窮地に立たされると悪い事しか考えなくなる。もし、自分が裏切れば刑務所の中まで追っ手が来るんじゃないか、明日殺されるんじゃないか。そういうところだけは想像力豊かなんだよね」
「…オマエ、心理学の先生にでもなったら?」
「ああ、それも面白いかもしれない。俺さ、結局人殺しの子供って事で幸か不幸か人間の汚い部分しか見て来なかったせいか、人間の中身知っちゃって。何か分析しちゃうんだよね」
「だから俺にもウリしてたって嘘ついたんか!」
バッと雅を睨み見れば、雅はあどけなく笑った。
「どういう反応するかなって。面白かった。次の日にはドアついてるんだもん。やっぱり自分が貞操の危機になると、何とかして身を守るんだね。もし俺が襲いかかっても、殴ったりして仲を壊したくない。金もないし、関係を壊すのは面倒だ。ドアをつけて良いって言われたからドアをつけようみたいな」
クスクス笑う雅の足を久志は軽く蹴った。
「まぁ、だから俺、ヤクザさえ居なければなんて思った事無い。私利私欲を望まない人間なんか居ないじゃない。誰しも
「…うん」
「産まれてこのかた、他人に言えない事をしたことがない人間なんてほとんど居ないんじゃない?親の財布から千円盗んだ、もしくは小さな消しゴムを金も払わずに鞄に入れた。嫌いな奴の悪口を日記に書いた。何でも良いけど、真っ当に人の悪口も言った事ありません、嘘もついたことありません、虫も殺した事ありません。そんな人間は何処にも居ない。でも、何かあると他人のせい。アイツが居たからこうなった、アイツが言ったからこうなった。でも、アイツさえ居なければとか、そんなの自分の非を認めたくない人間の愚かな考えだね。結局、右に行くか左に行くか決めるのは自分じゃない」
雅の言っている事は、久志にも納得がいった。
そういう事を一度たりともしたことがない人間ばかりならば、久志はとんでもない大罪ばかり犯して来た凶悪犯だ。
喧嘩に飲酒に喫煙に万引きに恐喝。小さなものを挙げればキリが無い。それに加え、最終的には親まで殺したのだから。
「産まれてこなければ良かった…とか、何で産まれてきたんだろうは?」
正直、久志はこれを考えた事が無い訳ではなかった。
ヤクに狂い暴れる父親。
泣き叫ぶ母親。
睨む龍神。
いつも逃げ込む薄暗い、カビ臭い押し入れ。一体、なぜ生んだ?
そう聞きたくても聞けなかった。答えが恐かったのかもしれないし、答えが解っていたからかもしれない。
「それも俺から言わしてもらえば、ただの悲劇のヒロインになりたがってる愚か者。道は拓くんじゃなく、自分で切り拓くって事知らないのかって言いたいね。産まれる事に理由なんかない。それこそ神の思し召しさ。俺だって、何のために生まれたんだって自問自答した時もあったよ、さすがにね。でもさ、俺が崎山の家に産まれたのだって、理由はないんだ。産まれたからにはどうやってこれから生きるのか、右と左をよく見て考える。もし道が間違っていれば違う道を行けば良い。迷えば助言を受ければ良い。悲劇のヒロインになる暇があれば、今の状況から這い上がる方法を考えるのが先決だと思うね」
「オマエと話してたら、宗教の勧誘受けてるみたいな気ぃする」
久志は額を掌で叩いた。
行き当たりばったり、明日は明日の風が吹く。まさにそんな久志には雅の言うことはどこか難しくて、頭から湯気が立ち上がりそうだった。
「俺、あの類いは信用しない」
「やろうな。形無いもんに祈ってなんになんねんってな」
「それで気分が晴れるなら好きなだけすれば良いけど、俺みたいな歪んだ人間には不向きだね」
「みんな、オマエみたいに…」
強ければ良いなと言いかけて久志は言葉を飲込んだ。
強い訳が無い。強くなければ、どうにかなってしまいそうだったんだろう。そんな久志に気がついて、雅はフンッと鼻を鳴らして笑った。
「ね、言っとくけど、俺の性格は昔からこうだから。優等生で勉強も問題なく出来て、臨機応変に何でも対応出来る」
「そない聞くと厭味や」
容姿端麗、眉目秀麗、頭脳明晰。雅には何もかもが当て嵌まる様な気がする。
だが、それを本人の口から謙遜もなく、当たり前のように言われればただの厭味な奴だ。
「そんな優等生は、たまに羽目を外したくなるんだよ」
久志は雅の意外な言葉に、”おっ!”と声を上げた。
「何や、気に入らん奴片っ端から殴ったか?そう言えば、オマエ、えらい強いらしいやん」
「それに近いかなぁ。休みの日に図書館に行くって言って出かけて、知らない街まで行って絡んで来る奴と喧嘩する。絡んでくる奴は俺の見た目で判断して絡んで来るからさ、俺みたいなちょっと軟弱風な人間にしか威張れない程度の奴等だから、結構勝てるんだよね」
図書館に行くと言って出掛ける辺りが、育ちの良さを物語っているなと思いながらも、内容はその育ちとはかけ離れているなと久志は思った。
「実はめっちゃ強かったらどないすんねん」
喧嘩を買ってみれば、相手の実力が見た目を遥かに超えるなんてことは良くある話だ。
久志もそれで何度か痛い目に遭っていた。
「あったなぁ、ヤベって思ったとき。でも、そういう時は逃げる」
雅はケタケタ笑って言った。
「逃げるが勝ちって言葉もあるんだよ。変に顔に傷なんて作って帰れないし。でも、近所にやたら腕っ節の強い人が居て、事件の一ヶ月前に渡米したんだけど、その人に護身術で身につけたいって教わったりもしたけどな」
「努力家やな」
「負けず嫌いと言え、その言葉嫌い」
「オマエ、やっぱり性格かなり歪んでるわ」
久志は目頭を押さえながら言う。
性格が歪んでるだけなら未だしも、雄弁で残忍。向かう所敵なしではないか。
「そうだな、オマエとは正反対かもな。関西人のノリなのか知らないけど人類皆友達みたいなの、俺には出来ないし」
「そうでもあらへんで、俺も中入ったから変わったっていうのんもある」
規律というものを叩き込まれた一年。全員が罪を犯して入れられる場所。
小さな部屋にも上下関係というのはあった。それを疎ましくも思ったが、問題を起こして独房なんかに放り込まれて刑期が延びるのは耐えれなかった。
環境に臨機応変に対応出来る様な技を教わったのも、やはり少年院だった。
「やっぱり中入ると変わるのか。俺も入ろうかな」
「やめとき、似合うとらへんわ」
「一発で性欲処理に使われるって?」
「あないなとこ、入らんでええ。なぁ…、何で俺に事件の事話したん?」
真っ暗な部屋、カーテンの隙間から外の灯りが差し込む。
夜なのに、外は酷く明るい。その光が雅の顔を薄ら映す。
雅は何も答えなかった。そして久志からか雅からか、どちらともなく二人はゆっくり唇を重ねた。