落花流水

空series spin-off


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さすが若頭。いや、若頭補佐。しかも風間組となると、ちょっとしたスーパーでも買うものが一味違う。
上等な肉とビール。もちろん先ほどまでハルが花見の宴会で飲んでいた発泡酒なんてお子ちゃまなものではなく、本麦麦芽ビール。
どうせなので、ちょっと高めの焼酎も放り込んでやった。
「ボッテガ」
「あ?」
駐車場に向かって歩きながら、ハルが呟いた。何だか変な光景だなと、徐に防犯カメラに目をやる。
梶原の身に何かあったら、この防犯カメラから自分が特定されて事情聴取とかされるのかなと思わず笑う。
「何やねん。気持ち悪い」
「財布、ボッテガなんやなぁって。俺も欲しいけど、高いわ。ちゅうか、もっとええやつかと思った。特注ヴィトンとか」
「ああ、財布か」
「財布はその値段よりも、現金は入れとかなあかんのやろ?言われんでも入ってそうやけど」
「は?そうなんか?」
「って、ばあちゃんが」
「ほな、ほんまやろ」
反論する事なくそう言われて、ハルは首を傾げた。
「なんで?」
「年寄りの言う事はおうてるんや」
「何それ」
年寄りを騙して老後の蓄えを根こそぎ持っていくというのが極道の第一なんだろうとハルは思っているが、その極道の言葉が年寄りの言うことは絶対とはなと、また笑った。
「あ、まさかのあの車で?」
「そんな訳あるか。普通の車や」
そう言って梶原がキーレスキーを向けたのは黒塗りのAMG GT S。メルセデスベンツがライバルはポルシェGTと奮起して造った1台だ。
しかもGTではなくGT S。違いはと言われると、最高出力がとかタイヤサイズがと専門的なところもあるが、何と言っても一番の違いは価格だろう。
GT Sになるだけで300万は上がる。国産車を新車で買える金額が上乗せされ、そのお値段2,000万である。なのでどこが普通だと言いたくなるそれは、見事に他の車を威嚇していて梶原の車の周りは空車だ。
駐車場がかなり空いているという訳ではない。面倒ごめんというやつだ。
「これは組の?」
「俺の」
「マジで?やるね、若頭」
「若頭補佐や補佐。若頭は龍大さんや」
「あら、あいつ正式に組員なったん?しかも若頭。すげぇ出世」
後輩な上に幼馴染との唯ならぬ関係を知っているだけに、何だか変な感じだ。ハルの感覚がズレているのか、怖いとかよりも擽ったさが勝る。
「おい」
梶原に顎で促され、ハルは助手席に乗り込んだ。乗り込むと同時に駐車券を渡される。
高級外車の痛いとこ。左ハンドルという難関。駐車場の精算機もファストフードのドライブスルーも見事に右手にこんにちは。高級外車に乗っていて、一番間抜けなとこだなとハルは思った。
「家、近いの?」
「15分くらいやな」
梶原は煙草を咥えて窓を開けた。
「俺、喫煙者よ?」
「あ?そうか。いや、ちゃうわ。ヤニ臭なるやろ」
あ、遠慮したわけじゃないのね。女じゃあるまいし、遠慮されても困るが…。
「あ、ねぇ、極道楽しい?」
「はあ?」
唐突の質問に梶原が首を傾げる。腹の底から唸るようなエンジン音が心地良い。
唸る様なエンジン音のくせに、車内で会話が聞こえないほどの爆音にはならない。ここが高級車と改造車の違いだ。
「極道、楽しくない?」
「何やそりゃ」
「俺、今、整備士学校に通ってんねんけど。何か変やなって。あないに行きたい学校やったのに、周りに合わんくて」
「おいおい、俺に人生相談するんやないわ。まぁ…あないな学校現役で通ってながらの真っ当な道は退屈かもな」
「退屈なん?俺?」
「そうやろ。どんだけ毎日喧嘩三昧やってん」
「俺、喧嘩したいん?」
「さぁな。ただ、平穏ちゅーのに適応するのに時間がかかってるんかもな。誰でも、どんな環境でも、そこに慣れていくんは時間がかかるもんや。やて、可愛い彼女おるんやし、ええやないか」
「彼女やないわ」
つっけんどんに言うハルを梶原は小さく笑った。それにハルが気が付いて、梶原の煙草を横から奪い取った。

車は程なくして高級と呼ぶには無理のありそうな、何ら変哲のないマンションの駐車場に飲み込まれていく。
マンションの地下にある駐車場に止まる車も至って普通の、学生でも無理をすれば買えそうな物まであった。
「え?ここ?」
「ここ」
「え?ボンビー?」
「は?なに?」
「貧乏」
「はあ?」
「やて、風間んとこのが億ションじゃん」
「億ション?」
これが年齢差、ジェネレーションギャップかとハルはぷっと笑った。それを梶原が不満気に見る。
「風間のマンション、億とかすんじゃないの?」
「ああ、龍大さんのとこは地価が上がったから、今はそれくらいやろな」
「じゃあ、梶原さんも億ションやろ」
「な訳ねぇわ」
梶原はハルの頭を軽く小突くと、車を停めてエンジンを切った。シャッター付きでも警備員付きでもない、至って普通な駐車場。
ここに場違いなAMG GT Sを停めるのはどうかと思う。何だか拍子抜けだなと車を降りた。
「何か、普通」
「当たり前やろ。俺を何や思うてんねん」
「風間組若頭助手」
「補佐!」
梶原がバンッと乱暴に車のドアを閉める。予定外な事が嫌いなのか、だが、人には予定外なお出迎え等やらかしてくれてるのだから、これはお相子だ。
「女おらんの?」
「おったらお前と鍋なんかせん」
駐車場の奥にあるエントランスに抜けるドアを開け、梶原はエレベーターのボタンを押す。
別に管理人が常駐しているわけでもない、本当に普通のマンション。
出入り口がオートロックにはなってはいるが、いつでもどさくさに紛れて住人と一緒に入れる、セキュリティとは言い難いもの。
気休め程度に出入り口とエレベーターに防犯カメラが取り付けられているだけ。エレベーターに乗り込むと、梶原は三階のボタンを押した。
「怒ってんの?」
「あ?いや、別に」
「俺はガススタ出迎えの時はブチ切れそうになったけどな」
あえて言うと、梶原がそっぽを向いた。
すぐにエレベーターは目的の階につく。エレベーターを降りて同じ扉が並ぶ中をずっと奥まで行く。そして非常階段の入り口のまだ奥にある部屋の前で、梶原は止まった。
何かあっても非常階段から一番に逃げれて、その部屋に用がなければ行くことがないスペース。さすがに色々と考えてんなぁとハルは思った。
「秀治さんっていうの?」
「あ?」
ドアの横のプレートに彫り込まれた名前。そういえば、どこもかしこもドアの横のプレートにはフルネームで名前が彫り込まれていた。
「フルネームが規約なの?女の一人暮らしとか、バレちゃうじゃん?」
「単身は入られへん」
梶原は鍵を開けるとドアを開いて中に入る。暗い部屋にパッと明かりが灯った。
「自動じゃん。お邪魔します。ってか単身やん、梶原さん。まぁ、規約なんてあってないようなもんか」
極道だもんなと、乱雑に並ぶ靴の隙間にスニーカーをねじ込む。几帳面かなと思ったが、どうやらそうではないらしい。
玄関って人柄を表すよなと眺めていたが梶原はさっさと中に入ってしまったので、ハルは玄関の鍵を閉めて中に入った。
廊下の突き当たりにあるドアを開くと、リビングに抜け…。
「うわ…」と、ハルは声を上げた。
男の一人暮らしは本当に最悪。ソファが物置と化していて、部屋の隅に新聞や雑誌がご丁寧に山となって鎮座する。
ソファの前のテーブルには、肺癌で死ぬのを希望しているかのような山のような吸殻。
オープンキッチンになったキッチンカウンターには、空になったビールの空き缶がタワーを作っていた。
「まぁ、適当に座っとけ」
「どこにやねん!あー、俺、マジ無理」
ハルはその場にしゃがみ込むと、頭を掻き毟るようにした。
「は?なにが?」
「あんた、飯作っとけ。ゴミ袋ちょうだい」
「…は?」
「俺、基本的に散らかってんの無理!!」
「…は?」

男の一人暮らしほど惨めなもんはねぇなと、ハルは山となったゴミ袋を見て思った。
ある程度片付いている場所は梶原の生活範囲なのだろう。テーブルの上から、いつのか分からない食べ残しなどが出なかったのは救いだ。
だが客間であるはずの和室は魔窟だった。積み上げられた新聞と雑誌。アイロンのかかっていないシャツの山。その物が良質な高級品なだけに見てられない。
スーツはきちんと掛けられているものもあれば、無造作に放置されているものもある。もちろん、ぞんざいな扱いを受けたスーツはクリーニングでも出さないと着れない状態だ。
男の一人暮らし、女っ気なし。思ったよりも酷いものだ。
「おい、出来たぞ」
玄関にゴミを山積みにして一息ついたハルに、リビングから梶原が顔を出した。
花見でそこそこ飲んでいたのに、すっかり酔いも覚めた。興醒め。
「梶原さん、モテへんの?」
ハルのおかげで綺麗になったリビングのダイニングテーブルに、鍋が置かれる。
グツグツ煮込まれる鍋に、今、鍋の季節じゃねぇじゃんと今更なことを呟いた。
「忙しいて、掃除とか出来んから助かった。ほれ、食え」
「いただきます」
「お前、見かけによらず世話焼きやなぁ」
梶原が向かいに座って、ポン酢を呑水に入れて柚子胡椒を振る。その顔はどこかご機嫌だ。
そりゃ厄介な人間を連れて帰ってきてしまったが、部屋が魔法にでもかかったように綺麗になったのだ。ご機嫌にもなるだろう。
「世話焼きって、威乃とつるんでんのに、それ聞く?」
「まぁ、威乃さんは俺タイプ?」
「不器用やからな。ああ見えて大雑把。飯も作れるけど美味ない。いっつも何か足りん」
「そうなん?」
「パティシエなるや言うて頑張っとるけどな、彰信…俺のツレも美容師の学校行っとるけど」
ハルは言いながらビールを飲んだ。苦味が喉に沁みて眉間に皺を寄せた。
「退屈か」
梶原が察したように笑った。
前に高校生だったハルに会ったことはあるが、その時の覇気は感じられない。何だか身動きの取れなくなった野良猫が、もがくにもがけず不貞腐れているように梶原には見えた。
「退屈ってか、普通が面倒くせぇ」
「なんや、真面目気取っとんのか」
「真面目やない、普通」
「まぁ、今まで人生なめてきたツケやな」
「はぁ?俺、まだ十代やし。そんな十何年かで人生とか」
確かに舐めてきたかもしれない。だが、それも環境だ。この短い人生のほとんどを拳一つで伸し上がってきたのに、今更、それを舐めていると言われてもどう行動していいのか分からない。
やり直せるものでもなく、だが後悔をしたこともない。ということは、反省をしていないということなのかと堂々巡りの答えのない疑問が渦巻いて、ハルは唇を尖らせた。
「まぁまぁ。やてな、苦労したやろ?専門学校入るのかて」
ハルが返事もせず、頷きもしないのを見て梶原はにっこりと笑みを作った。
「俺はお前みたいなんをいっぱい見てきたからな。たかが学校、されど学校。たかが勉強、されど勉強や」
「ヤクザの説教か」
「まぁ、俺が言えた口やあらへんけど、これ乗り越えたらまた違うんやで。普通に会社入って、税金納めて真っ当に。一番ええこっちゃ」
梶原は食べ頃になった具を呑水に掬い上げると、ハルに差し出した。
「息苦しいんは今だけや」
そう言う梶原の顔がどこか寂しげに見えたが、ハルは何も言わなかった。